もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

殺害予告と身代金

2015年01月21日 | 社会・政治問題

 誘拐(拘束)された邦人2名に対し、2億ドルの身代金要求と不払い時の殺害予告がイスラム国から出された。

 何時かは日本人もテロの対象とされるであろうと予測していたため、さほどの驚きはないものの「矢張り」の感は拭えない。当然のことながら、テロとの対決は代償を伴うもので、今後とも日本と日本人が標的とされることが予想される。かって、日本でも「人名は地球よりも重い」として、超法規的処置により60万ドルの身代金付で収監中のテロリストを釈放した結果、世界中から"弱腰・臆病者"とバッシングされた経緯と、9.11同時多発テロの教訓から、政府が身代金を払うことはないであろうし、払ってはならない。拘束された2名が、残念な結末を迎えるとしても毅然とした態度が、爾後の対日本テロの防止に有効であると信じるからである。

 我々も、いつ同様の事態に直面するかもしれないとの認識と覚悟を持って、生きていかなければならない時代になった。


韓国の司法

2015年01月20日 | 社会・政治問題

 ナッツ姫と産経新聞元支局長の裁判が開始された。

 いずれも世論を忖度しての罪状で起訴されたものであり、韓国には先進国では自明の『司法の独立』が機能していないかの様相である。さらには、支局長の起訴と出国禁止命令については、世論のみならず大統領の思惑も働いているとの憶測もある。フェリー沈没事故では、船長を含む船員に対し最高刑の死刑を求刑し得る殺人罪での起訴となった。以上の3件については検察側の起訴段階であり、どんな司法判断が下されるのかは不透明であるが、今までの経緯から推測すると世論と大統領におもねる判決となると思われる。極論すれば韓国には自由がなく、大統領と世論が3権を掌握しており、共産党が3権を独占する中国と相通じるところがある。その意味では韓国は、中華思想に染められた李朝時代から進歩していないかの様である。

 翻って、日本では独立した司法が『世論から乖離した判決』を出す場合があり、それはそれで問題であると考えるが・・・。如何


岡田氏が民主党代表に

2015年01月19日 | 社会・政治問題

 民主党代表に岡田氏が就いた。

 決選投票において、旧社会党系の赤松派の支援を得ての結果である。岡田氏の就任で一番安堵したのは安部政権と自民党であろうと推測する。報道によれば岡田氏は赤松派の若手議員の優遇を確約して支援を得たとのことであり、党運営における左派系リベラリストの発言力が増すだろう。結果として「何にでも反対し、バラマキこそがリベラルの党」のままであり、党の改革、野党再編はますます遠のいたからである。岡田氏は現実離れした空理空論をもて遊び、戦後の混乱期の幻影にしがみつくリベラリストに、国民は飽き飽きしているのを理解していないのだろうか。

 我々は、片山・芦田・村山・鳩山・管・野田の左派又は中道左派内閣の失政を知っている。岡田氏が述べる「政権を奪取する党に生まれ変わる」ためには、鵺(ヌエ)のような左派系リベラリストとの決別が必要であると考えるが如何。


普天間問題と民主主義

2015年01月18日 | 社会・政治問題

 TBSサンデーモーニングで普天間移設について、"識者"が次のように発言していた。

 曰く《参院選・衆院選・知事選で、移設反対の(県民の)民意が示されたから、白紙に戻すべきだ》。しかしながら、民意というならば、知事選を除き国民全体は《島嶼・国土防衛のためには、沖縄基地も止む無し》とする自民党政権の方針を支持した民意を忘れてはいないだろうか。《最低でも県外》とした民主党政権の迷走と瓦解は、記憶に新しい。米軍基地が沖縄に偏在することには心から同情するも、中国の覇権政策に対応するための有効な対応策がない現状から、住民の安全確保のためにも基地機能を、当面移設して返還を待つしかないのではないだろうか。『民主主義は最低の方法であるが、他に有効な方法がない。』とチャーチルが言うように、多数決の原理に依る民主主義では、地元の意思に反した決定がなされることも多い。

 冒頭の識者に問いたい。あなたの言う民主主義とは? かって東京都知事がゴミ焼却炉建設で『一人でも反対者がいれば、橋を架けない』という言葉を引用して焼却炉の建設を見送った結果、都行政を停滞させ修復に多くの時間を要した。しかし、引用した言葉には続きがあり『・・・・。だから川を渡りたい者は泳いで渡れ。』と。米軍基地を全廃した場合、日本が単独で中国の強大な覇権主義と対決しなければならないが、"識者"はどの様な選択肢を考えているのだろうか。核武装?徴兵による軍事力増強?中国の言いなり?


帽子について

2015年01月17日 | 社会・政治問題

 帽子を被ったまま食事している風景を良く見かける。

 マナー的には"ハット"と"キャップ"で異なるらしいが、日本では"被り物"を着用して食事する文化・習慣は無かったのではないだろうか。かって屋外における頭頂防止のための道具であったものが服飾的な意味合いに変化した"帽子"であるとすれば、食事中に被るのも当然かもしれないが、やはり違和感が先に立つ。中年以上の人間が着帽して食事している光景に接すると、違和感以上にその人の品性を疑う。

 時代錯誤を承知で言わせてもらえば、やはり帽子は屋外で着用し、食事中は脱帽するのが、帽子と食事の本来の意義であると考える。影響の大きいTVに良く出る人が率先してくれないかなァ。