もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

原子力規制委員会は

2015年03月26日 | 社会・政治問題

 原発2基廃炉止む無しの結論が出そうである。

 学術的な判断は良く理解できないので、一般的な風潮について考える。官民を問わず問題解決の際に、いわゆる部外者による第3者委員会を作ってその結論に従う姿勢を取ることが多い。第3者委員会には学識経験者や市民運動家が任命される場合が多いが、委員会そのものに責任がないため、より安全が確保される方策が結論・提案される場合が多い。しかしながら、今までの第3者委員会の結論は、『羹に懲りて膾を吹く』型の結論が多いように思う。とすれば、問題解決に当たっては、直接利害関係を持つ賛否同数の人間が調査・討議し、結論する方が有効な提案に結びつくのではないだろうか。今回の事案では、原発の稼動・廃止について、土質調査、防災対策、温暖化対策、廃棄物対策、代替電力、コストの転嫁法(電力料金)、跡地整備、現地雇用等々の諸問題について、いわゆる落としどころを模索して提案するのである。今までは、前述の諸問題についてそれぞれの関係者が考え・対策することであり、第3者委員会は関知しないとのスタンスで処理されていた。いわゆる『仏作って魂入れず』の提案で、不作為の誹りを免れないものである。

 しかしながら、自分の考える第3者委員会では賛否の対立を助長するのみで、事案の解決など程遠いものであるとも思うが、ともあれ、第3者委員会には、根本を正すとともに実現可能な提言を求めるものである。


アンジーからの連想

2015年03月25日 | 社会・政治問題

 アンジーが卵巣・卵管の摘出手術を受けた。

 先の乳房削除に続く、予防的措置の感があるらしい。Mr&Msスミス等の映画を通じてのゃゃファンであったが、初監督作品のテーマが日本の捕虜収容所における米軍兵士虐待と聞いて、熱が冷めた感があった。虐待描写がどの様な内容かは知らないが、異文化戦勝国の勝手な思い込みもあるのではと疑問を持っている。一例を挙げると、戦争中、国内の食糧事情逼迫の状況下においては当然のことながら捕虜に対しても十分な食事を与えることができなかったため、看守(陸軍兵)は近隣の農村を駆け回って、貴重なゴボウやタケノコを入手して何とか捕虜の食事を確保していた。しかしながら、戦後のBC級軍事裁判では、陸軍兵は《捕虜に木の根や竹の根を食べさせる虐待をした。》との罪状で死刑になった事実もある。フィクションの世界とはいえ映像の持つ影響は大きく、中韓の日本叩きに利用されかねないとともに日本の若年層の日本否定を加速させるのではと危惧している。

 今後の癌対策に先鞭をつけたアンジーの勇気に敬意を表しつつも、セレブの我儘との皮肉をこめての連想ゲーム。


翁長知事迷走中

2015年03月24日 | 社会・政治問題

 普天間基地の辺野古移転に対する翁長知事の動きが具体化して来た。

 もともと、普天間基地周辺住民の安全確保のために、基地機能を辺野古地区へ移転するべく計画されていたものと思うが、翁長知事は移転計画を頓挫させるべく調査工事の承認撤回を画策する模様と報道されている。翁長知事の行動について理解できないのは、思想のために働いているのか、住民のために働いているのかという点である。在沖縄米軍基地の撤廃が県民の悲願であることは理解しているが、首長の権限で国防の根幹をなしている在沖米軍基地の是非を決定し得る立場にはない。中国の故事に『百年河清を俟つ』という逸話がある。為政者(政治)は、急迫の事態に対しては遠大な理想よりも最良ではないにしても効果的な策を講じるべきであるとする逸話であり、現在の沖縄の状況に酷似しているように思えてならない。住民の安全確保のため、時間を掛けての模索結果として効果的な解決策として決定された基地の移転、これを白紙に戻す行為が、氏の理想実現と住民の安全確保にどれほど寄与するものだろうか。翁長氏が在野の評論家であれば、基地反対・移転反対を主張することは自由であろうが、自治体の長として理想実現のために地域住民の安全確保をないがしろにすることは如何なものであろうか。

 理想又は単なる現状否定のための『最低でも県外移転の理想論』が、住民の希求を妨げている現実を翁長知事はどう思っているのだろうか。


戦艦武蔵

2015年03月23日 | 社会・政治問題

 比国シブヤン海に眠る『武蔵』が発見された。

 アメリカ人大富豪の篤志的活動の結果である。帝国海軍栄光の象徴である『大和型』2番艦であるが、ネームシップである『大和』の名があまりに高いためにヤマト発見時に比べれば報道も少なめであるような気がする。沖縄への片道水上特攻という大和の悲劇的な最期に比べて、未だ相当の戦力を有していた時点での沈没であったために語られることが少なかったのかとも思う。大和は呉海軍工廠において海軍の技術と施設で建造されたが、武蔵は民間企業の三菱重工長崎造船所において建造されたものであり、現在も三菱においては艦艇建造の象徴的な艦として語り継がれている。戦後の復興に造船技術が貢献したことは周知のとおりであるが、民間の建艦技術伝承のシンボルとしても忘れてはならない戦艦と思う。
 発見者が、武蔵と戦った米国人であるのが残念な気もするが、日米の確執と恩讐を超えた行為と讃えるべきかも知れない。また、武蔵に対する撮影と公開にも、武蔵と戦死者に対する畏敬が感じられるもので、天皇陛下訪問を控えたパラオで、沈没した帝国補給艦に五星紅旗を結び付けた中国人に比べて、奥ゆかしく感じられる。

 国内では遺骨収容の話も出ているが、日本の安寧を願いつつ武蔵を第2の故郷とした英霊には、戦艦アリゾナに眠る米海軍軍人と同じように引き続き南の海で日本の行く末を静かに見守って欲しいと考える。


少年法の改正

2015年03月22日 | 社会・政治問題

 少年法の改正議論が活発化している。

 凶悪犯罪の低年齢化を背景に、刑事罰を科す年齢を18歳まで引き下げることを骨子としている。間もなく選挙権が18歳以上とされるため、義務権利のバランスからも妥当であると考える。一方、刑事罰が少年の更生を阻害するとの意見も根強いが、未成年の中・高卒有職者が何らかの社会的責任を求められていることを考えれば、反社会的行為の責任のみ埒外と考えるのは不適当と考える。国は、義務教育を中学校までと定めている。このことは、中学校までの教育で、国民の義務と権利に対する知識と法治国家における個人責任を教育し終えて、以後は国民としての義務と責任を果たせということであると思う。であるならば、義務教育を終えた時点で刑法が適用されるのが論理的ではないだろうか。流石に、思春期の揺れ動く時期に犯した犯罪を刑法で裁くのは酷であり乱暴な意見であろうが、少なくとも18歳以上には大人としての自覚を求めるべきであると考える。

 半面、幼くして少年院に収監されたため、義務教育を修了していない少年がいるという事実は案外知られていない。18歳までの更生プログラムは強化して、18歳以上は成人としての扱いを受けることを決断すべき時に来ていると思う。