もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

英国王族の挙措に思う

2022年09月15日 | 欧州

 エリザベス女王の棺がバッキンガム宮殿に帰館された映像を見た。

 霊柩車を先導する形でチャールズ3世、アンドリュー王子、アン王女、ウイリアム皇太子が歩かれていたが、全て軍装であり、加えて護衛の軍人と完全に歩調を揃えていたことに感動した。
 第二次大戦までは英軍将校の大半は貴族であり、現在でも王族を含む全ての貴族の義務として一度は軍に身を置くことが不文律的に行われていることを思えば当然のことであるかもしれない。
 集団で歩調を揃えて行進することは簡単であると思われるだろうが思いのほか大変である。「気を付け」に始まる停止間における各個動作の教育があったのち、行進の訓練に移行するが、教官・班長の怒声が飛ぶことなく一応整斉と行進できるようになったのは、入隊して半月程度も経っていたように思う。その後も、歩調の乱れ、列の乱れ、足の挙げ方、手の降り方、と折に触れて注意される始末で、ましてやパレード・観閲行進等で部外者の目に触れるようなケースでは、いやになるほど矯正・練習が繰り返えされる。
 海上自衛隊(陸・空も多分同じ?)では、行進時の歩幅は75㎝、歩数は毎分120歩とされている。歩数については自分が最初に教育された時は112歩とされていた。何故にきりの良い120歩ではなく112歩であったのかは知らないが、例えば行進曲のテンポがそうであったのかもしれないと今は思っている。
 行進時の姿勢は、顎を引いて背筋を伸ばし、手は軽く握って肘を伸ばし前に30度後ろに15度自然に振るとなっているが、20年近く気ままに歩いていたものを型に嵌めるのは容易ではない。さらに、葬送式で遺体や遺灰を運ぶ際は国際的に「半歩行進」が慣例であり、故女王の棺を運ぶ際にも半歩(概ね靴の長さ程度)行進で保持されていた。
 このように、歩くだけでも相当な教育訓練が必要であるにも拘わらず、王族が平然とかつ優雅にこなしているのを見て英王室・王族の強靭さを実感した。
 また、いろいろな場所で棺が運ばれる映像を目にしたが、全て陸海空海兵の軍人がその任に当たっており、元首の葬送や国葬の儀礼に軍が関与するのは国際基準であるように思える。

 安倍元総理の国葬では19発の礼砲を撃つことが報じられたが、国葬に自衛隊が関与することの是非を行間に滲ませたり、空砲の値段に触れたものさえある。
 自分は、礼砲は概ね慶事において現職の階級に対して行われるもので葬送に際しては弔砲3発が国際基準と思い込んでいたが、昭和天皇大喪の礼で21発の礼砲が行われたことから弔事でも撃たれることを知った。
 今回の国葬での自衛隊の関与は、儀仗・礼砲・沿道での「と列」だけであるように思えるが、構想に際しては国際基準に適した軍人(自衛官)の関与を認めるべきではないだろうか。非礼な野党議員よりも名もなき自衛官の列席の方が安倍氏の葬送に相応しく思える。


故郷は遠くにありて-浅井忠

2022年09月12日 | 美術

 本日は、浅井忠の絵です。

 九州の片田舎に生まれたが、流れ流れて都市圏の小都市に漂着して20年を超えてしまった。
 しかしながら、未だに駅コンコースの人波をうまく泳げず、挙句に人混みに酔う自分を見つめると、つくずく田舎者だなァと思うことがしばしばである。
 そんな気分を癒してくれるのが、浅井忠の作品である。
 Wikipediaの記述を要約すると、浅井忠は1856(安政3)年に江戸の佐倉藩中屋敷で生まれ1907(明治40)年に亡くなっている。
 1876(明治9)年に工部大学校(現:東京大学工学部)附属の工部美術学校に入学、卒業後は新聞画家として1894(明治27)年に日清戦争に従軍。1898(明治31)年に東京美術学校(現:東京藝術大学)の教授となる。1900年から2年間フランスに留学し、帰国後京都高等工芸学校(現:京都工芸繊維大学)教授・教頭となっている。生涯を通じて安井曽太郎、梅原龍三郎等の後進の育成にも努力し、画家としてだけではなく教育者としても優れた人物であったとされている。
 エピソードとして、正岡子規に西洋画を教えたこと、夏目漱石の小説「三四郎」の中に登場する深見画伯のモデルであるとも紹介されており、「吾輩ハ猫デアル」の単行本の挿画を他の2人とともに描いているそうである。 

 それにしても、日本洋画(油絵)揺籃期にあって、西欧風の模倣ではなく日本の原風景をモチーフとした浅井の精神性は称えるべきで、カタカナ語を駆使する某知事に見習って欲しいものである。


「春畝」(東京国立博物館蔵:重要文化財)


「藁屋根」(千葉県立美術館蔵)


「小丹波村」(三重県立美術館蔵)


「農夫とカラス」(石川県立美術館蔵)


立憲民主党の村10分制裁

2022年09月11日 | 野党

 立憲民主党の辻元・蓮舫議員がSNSで国葬の儀式に参加しないことを表明したが、良識を持つ人々からは一様に不快感を示す反応が示されているらしい。

 かって閉鎖的な村落等では、掟や秩序を破った者に対して住民が結束して「火事の消火活動」と「葬式の支援」という二分を除いて交際・交流を絶つ「村八分」という私的制裁があったとされる。
 最近の立憲民主党の政治活動を見る限り、政治家と統一教会の関係を追及することが最大の目標で、コロナ禍による国民の窮乏やウクライナ事変に起因する物価高騰・エネルギー逼迫よりもこのことを重大と捉えているように感じられる。これは、立民がコロナ禍やウクライナ事変への対応について有効な対応策を持たないために追及を放棄し、自党議員の関与が少ない統一教会問題に絞る方が政争に有利と判断した結果であろうと思う。自分は、自党議員の関与が自民党よりも少ないとして追及する立民の姿勢は、将に「五十歩百歩」で他党を糾弾できるものではないと思っている。
 このように、火事にも似た受難の消火活動に背を向けていることに加えて、有権者に少なからぬ影響力を持つ両議員の国葬不参加表明と来ると、立民は永田町内はおろか広く全国民に対して「村10分制裁」を呼び掛けているように思える。
 立憲民主党は、国会での追悼演説を野党第一党が行う慣例の踏襲を求め・受け入れられた経緯もあって、党としては国葬儀式への参列出欠を留保しているので、両議員の行動は狭量な跳ね返り者のパフォーマンスと観るべきかもしれないが、鬼籍に入った人の墓は暴かないという日本的文化・美意識に逸脱するかの行為は、国家意識希薄な狂信的支持者からは喝采を以って迎えられるであろうものの、良識者の眉を顰めさせるもので、無党派層を対極に押しやる結果となるであろうことは想像に難くない。

 朝鮮戦争での韓国救国の英雄とされる白善燁将軍の葬儀に際しては、国葬を贈られるであろうとの大方の予測に反して文政権は国家葬(実質は陸軍葬)とし、埋葬も国立墓地としては格下の太田墓地を指定、弔辞でも親日派の烙印を付け加えるという念の入れようであったとされる。
 最近の立憲民主党の国会活動、今回の両議員の行動を見ると、「親日破墓法」をすら真剣に考える韓国の粘液質に通じるように感じてしまう。
 安倍氏の業績を判断することも自由で、儀式への参列も自由であるが、表立って葬儀不参加を言い立てるのは日本の風習からは受け入れられないだろうと思う。


エリザベス女王の崩御

2022年09月10日 | 欧州

 エリザベス女王が崩御された。

 70年間にも及ぶ激動の時代を英国団結のシンボルであり続けたエリザベス女王に、心からの哀悼の意を捧げるものである。
 女王陛下に関する自分の思い出と云えば、昭和28年の戴冠式である。当時小学校の低学年であったが、ドットの粗い電送写真で見る戴冠式の模様はまるでおとぎ話の世界であった。更に戴冠式にご参列された昭仁皇太子殿下(現:上皇陛下)の渡欧・船中報道は、難しい漢字を教わりつつであったが心躍るものであったと記憶している。後に知ったことであるが、戦後初の皇室外交と位置付けられる殿下の訪英・戴冠式参列によって英国の対日感情は劇的に改善されたとされている。
 「君臨すれど統治せず」の王としてイギリスを牽引された女王であるが、旧英連邦諸国でも尊敬を集めていたらしく、1980年代に交歓したカナダ海軍とのレセプションでは中佐機関長が「クイーンがマイホームを訪問された」と自慢していた。「エッ貴方の家に」と返したら、「イヤ 国(カナダ)に」と云われ、カナダ国民にとっては女王の訪問は他国人に語るほどの栄誉であるのかと思った。
 崩御を受けて即位されたチャールズ三世を含めて、アンドリュー王子、アン王女、孫のヘンリー王子と芳しくない世評に彩られた英王室であるが、エリザベス女王の崩御によって「古き・良き英王室」は岐路に立たされるのかもしれないと一抹の寂しさも感じる。
 海上自衛隊にあってもクイーン余波があり、ガスタービン機関の本格導入を模索していた海上自衛隊は概ね米国GE(ゼネラル・エレクトリック)社製の採用で固まりつつあったが、女王の訪日によって一転して英国RR(ロールス・ロイス)エンジンの採用となった。以後、出力に応じてRRのオリンパス、タイン、スペイエンジンが搭載され、現在のGE社製LMシリーズが採用されるまでの20年間余、海自ガスタービン艦の主力機関であった。

 エリザベス女王の訃報を、何と書けばよいのかと思って調べてみた。以下、Google辞書の解説であるが、
〇崩御:天皇・皇后・皇太后・太皇太后を敬ってその死をいう語。昔は上皇・法皇にもいった。「タイ国王崩御」のように、国王・皇帝・天子の死に対しても用いる。
〇薨去:皇族または三位 (さんみ) 以上の貴人の死去すること。薨逝(こうせい)とも言う。
〇卒去:身分のある人が死ぬこと。特に律令制では、四位・五位の人の死をいう。となっていた。
 現在では公式には位階の無い日本であるが、生前の身分によって、崩御⇒薨去(薨逝)⇒卒去となり、勝手な解釈であるが以下、逝去・死去・死亡と続くのが古来からの用法であるらしい。
 しからば自分の場合は?と考えると、死去くらいは使って欲しいと思うものの近親者の評価では死亡であるのかもしれない。


大阪府泉南市議の発言を考える

2022年09月09日 | 社会・政治問題

 大阪府泉南市議の発言に興味を持った。

 発言は、泉南市が抱える4人の国際交流員(CIR)のうちの1名が中国人であることに対して、市議が議会の一般質問で「準公務員の性格を持つCIRに、国家情報法の支配下にある中国人は如何なものか」と述べたとされている。
 この発言に対して、市長・教育長が議長に国連人種差別撤廃条約やヘイトスピーチ解消法に照らして「市民の憎悪と差別を扇動する発言」と抗議し、議会も違法な諸手続下で「議員に謝罪及び反省を求める決議」を可決した。
 CIRを知らなかったので、一夜漬(実質30分)で調べてみた。
 事業母体は、総務省・外務省・文科省が協力して行う外国青年招致事業(JETプログラム)の受け皿である一般財団法人自治体国際化協会(CLAIR)である。CLAIRは、地方公共団体の協同組織として昭和63年7月に設立され、自治体からの要望に応じて、地域の国際化を支援・推進するための人員の確保(外国からの招致)や派遣をしており、国際交流員(CIR)、外国語指導助手(ART)、スポーツ国際交流員(SEA)の斡旋を任務としている。
 また、JETプログラムに対する監督省庁の主張をHPで眺めると、
・総務省-国別の招致人数を定めた国別招致計画を策定。参加者の報酬、旅費等JETプログラムの所要財源を地方交付税で措置
・外務省-参加者の募集・選考の業務、合格者の配置先の報告
・文科省-学校でのカリキュラムを製作し、教科書や教育の基準を決定。となっている。
 更に、CLAIRの財務報告を見ると、事業経費40億円の大半が公的資金である。
 このことを前提に市議の発言を眺めると、国際交流員(CIR)を準公務員と看做すのは妥当で、であるならば、国家情報法の支配下にある中国人をCIRとすることに不安を感じる市民の意見を代弁したとする市議の主張は適切と観るべきではないだろうか。

 中国が橋頭堡として確保した「軽易な一歩」を時間を掛けて拡大し、何時しか既成事実・実効的事実とする常套手段は尖閣水域で現在進行形として示されている。当初「中国漁船の海難対処のための海警局所属公船の一時的行動」としていたものが、現在では中国海軍海警部の大型艦の常続配備となり、更には目的も日本漁船の違法操業監視・排除に拡大している。
 地方議員と雖も議場における発言を懲罰的に封じることは許されず、ましてやCIR配備を中国の公安部がどのように位置付けているのか、軽易な一歩の橋頭堡としているのではないかが不明な現在、市議の発言を杞憂、あり得ない暴論として糾弾することはあってはならないように思う。
 個人情報の過度・偏重な保護が迅速な行政手続きを阻害していることはコロナ禍で明らかとなったが、人権保護・ヘイト禁止の盲目的単眼で本来自由であるべき言論、それも議場の討論さえ封じることは全体主義の典型的な兆候以外の何物ではないように思える。
 ここにも「日本定説病」の初期症状の一つが顕在化と嘆いて、口説終了。