百家争鳴の感あるものの、漸くに防衛、特に装備に関して正面から議論しようとする機運が高まっている。
平成5年度予算の概算要求では防衛予算は5兆6千億円が積み上げられ、更には喫緊の課題解消のため予算額が示されない「7分野の事項要求」もあることから、上程される政府原案では更に膨張していることが確実である。
この事態に対する世論は、毎日新聞が社説で「現下の国際情勢から防衛費の増額は止むを得ないものの、日本の防衛に何が必要なのかという国民的な議論を欠いたまま、歯止めのない予算要求」「なし崩し的な防衛予算増額だけでは国民の理解は得られない。求められるのは、冷静な現状分析と長期的な安全保障戦略の構築である」いう点に代表されるかのように思う。
しかしながら、「国民的な議論」は憲法改正に関して護憲論者が50年以上も使用している表現で「何もしない」の同義語の観が深く、「冷静な現状分析と長期的戦略の構築」も喫緊の問題が浮上した際の常套句で「先送り」を意味するものであることは知られている。
「国民的な議論」につては、代議士という言葉で示されるように国民の負託を受けた衆議院議員が主として当たることを意味しているが、代議士の経歴や政治活動を見る限り「日本の防衛に何が必要か」を理解している議員の数は多くは無いように思える。特に野党では「総理大臣が自衛隊の最高指揮官である事すら知らなかった鳩山由紀夫氏の例を引くまでもなく、絶望的であるように思える。
防衛論議を深化させるとともに軍事オプションをポリティカルコントロール(政治統制)下で実行するためには、軍事に精通した政治家が必要であるのは論を俟たない。しかしながら、既に大統領が軍歴を持たないことが常態化したアメリカでは、国防に関する重要な決定には軍政のトップである国防長官とともに軍のトップ(制服)が閣議に加わって意見を述べることができるようになっている。
このことを理解していた安倍元総理は、週1のペースで統幕議長を官邸に呼んでレクチャーを受けたとされているが、岸田政権ではどうなっているのだろうか。
人民裁判・官僚いじめと悪名高い「野党の合同ヒアリング」であるが、官僚を呼びつけて重箱の隅を叱責するよりも、制服を呼んで、戦術遂行に何が不足しているのか、現場は何を必要としているのかを聴取するような、文字通りの「ヒアリング」として軍事常識を吸収する場にできないものだろうか。