もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

防衛予算に思う

2022年09月06日 | 防衛

 百家争鳴の感あるものの、漸くに防衛、特に装備に関して正面から議論しようとする機運が高まっている。

 平成5年度予算の概算要求では防衛予算は5兆6千億円が積み上げられ、更には喫緊の課題解消のため予算額が示されない「7分野の事項要求」もあることから、上程される政府原案では更に膨張していることが確実である。
 この事態に対する世論は、毎日新聞が社説で「現下の国際情勢から防衛費の増額は止むを得ないものの、日本の防衛に何が必要なのかという国民的な議論を欠いたまま、歯止めのない予算要求」「なし崩し的な防衛予算増額だけでは国民の理解は得られない。求められるのは、冷静な現状分析と長期的な安全保障戦略の構築である」いう点に代表されるかのように思う。
 しかしながら、「国民的な議論」は憲法改正に関して護憲論者が50年以上も使用している表現で「何もしない」の同義語の観が深く、「冷静な現状分析と長期的戦略の構築」も喫緊の問題が浮上した際の常套句で「先送り」を意味するものであることは知られている。
 「国民的な議論」につては、代議士という言葉で示されるように国民の負託を受けた衆議院議員が主として当たることを意味しているが、代議士の経歴や政治活動を見る限り「日本の防衛に何が必要か」を理解している議員の数は多くは無いように思える。特に野党では「総理大臣が自衛隊の最高指揮官である事すら知らなかった鳩山由紀夫氏の例を引くまでもなく、絶望的であるように思える。
 防衛論議を深化させるとともに軍事オプションをポリティカルコントロール(政治統制)下で実行するためには、軍事に精通した政治家が必要であるのは論を俟たない。しかしながら、既に大統領が軍歴を持たないことが常態化したアメリカでは、国防に関する重要な決定には軍政のトップである国防長官とともに軍のトップ(制服)が閣議に加わって意見を述べることができるようになっている。
 このことを理解していた安倍元総理は、週1のペースで統幕議長を官邸に呼んでレクチャーを受けたとされているが、岸田政権ではどうなっているのだろうか。

 人民裁判・官僚いじめと悪名高い「野党の合同ヒアリング」であるが、官僚を呼びつけて重箱の隅を叱責するよりも、制服を呼んで、戦術遂行に何が不足しているのか、現場は何を必要としているのかを聴取するような、文字通りの「ヒアリング」として軍事常識を吸収する場にできないものだろうか。

 


日本型宗教「定説教」

2022年09月05日 | 社会・政治問題

 栃木県の下野市議が本年6月に行った市議会での一般質問が話題となっている。

 話題となっているのは、同性カップルの主張を栃木県が認めることで異性カップルと同様な行政上の権利を得ると定めた「パートナーシップ宣誓制度」を市が導入することに反対して、「(LGBT)の人達は)できたら静かに隠して生きて頂きたい。その方が美しい」との趣旨の発言である。
 これに対しては、茨城大の清山玲教授が「性自認を告白することで幸せになれる人がいる。他人が告白を妨げるのは相手の権利の侵害に当たり、多様性を認め合う社会づくりにもマイナスになってしまう」と指摘しているとされるのが、時流に沿った「定説」であろうと思える。
 市議の発言は議場で行われた反対意見の陳述であり何ら問題となるものではないが、このことを伝える本朝のテレビ番組のコメンテータが市議の主張を一刀両断していることには些か考えさせられるところがあった。
 我々世代の常識ではカップルは異性であるべきであり、もし自分の子や孫が同性カップルであると知った場合には、表面的には「物分かりの良い常識老人」を演じつつ、内心「何とか考え直して欲しい」・「一過性のことで、治って欲しい」と願うのではないだろうか。

 両者の言い分の何れが採用されるのが是であるかは兎も角、本日書きたかったのは「日本は無宗教・無神論者」の国ではないということである。
 些か唐突な展開であるが、下野市議会に関する報道を見て「日本には定説教」という宗教が存在しているのではないかと思った。以前に紹介した塩野夏生氏の「宗教は信じることで始まるのに対して、哲学は疑うことから始まる」の論を借りるならば、既に定説と化した「東京裁判が認めた価値観」を疑うことや見直しを主張する輩は「教義に疑問を持つ異端者で矯正すべき存在」であるという主張をしばしば耳にするからである。
 かって日本維新の会の代議士(後に除名)丸山穂高氏が北方領土返還に関して「歴史上戦争無くして領土を回復した例は無い」と発言し、「ロシアとの戦争を主張するもので憲法(定説)違反」との非難を受けたことがあったが、現在ウクライナが採っているクリミヤ回復の行動は、丸山氏の指摘そのままに過ぎないように思える。
 定説教の信者にあっては、一転の迷いもなく定説を信じることで平安を得ているのであろうが、定説を疑うことで得られる・見えてくる物も多いのではないだろうか。


ゴルバチョフ氏の告別式に思う

2022年09月04日 | ロシア

 ゴルバチョフ氏の告別式の模様が報じられた。

 告別式はロシア大統領府儀典局が執行して儀仗隊が派遣されるなど国葬に殉じた形で行われたが、ゴルバチョフ氏を「ソ連邦解体の戦犯」と批判し続けたプーチン大統領は参列しなかったと報じられている。
 ゴルバチョフ氏の事績を振り返ると、氏は社会主義的改革でソ連邦は維持できるとの判断からグラスノスチ(解放)、ペレストロイカ(再構築)を推進したが、結果的には自身が望まぬ形でのソ連邦解体に至ったとされている。このことによって、戦後40年以上続いていた米ソ冷戦は終結し、ソ連邦を構成していた地域は相次いで主権を回復し、氏はノーベル平和賞を授与された。
 氏の功績は、西側諸国からは高く評価されているものの、ロシア国内では、共産党指導の下に保たれていた一応の安定と秩序を破壊し、イデオロギーによる階層分断を招き、貧富拡大によって弱者が切り捨てられた、などの評価の方が高いとされている。
 かって、中曽根康弘氏は「政治家は歴史の場で被告とされる覚悟を持つべき」を政治信条とされていたが、政治家・政治的所産については短時日・単眼的な視点から評価されるべきでないことを示しているように思っている。
 ゴルバチョフ氏以外にも、金大中氏は太陽政策によって北朝鮮を国際的対話の場に呼び戻したとしてノーベル平和賞を授与されているが、現在では氏の太陽政策は北朝鮮に核兵器開発の技術・資源・時間を与えたに過ぎない愚策であるとの評価が定着している。
 沖縄の無血返還を実現した佐藤栄作氏も平和賞を受賞されているが、野党の反対を緩和するために繰り返した「非核3原則」は、今や核武装について政治家が口にすることさえ許されない・国会でも論議し得ない「非核5原則」にまで肥大化し、国防の最大ネックと化している。

 安倍晋三氏の国葬に関する反対理由のうち「法律に無い」が喧しいが、世界の殆どの国で国葬は法律に依らず不文律で行われているのは、タイムリー若しくは現在進行形に政治家や故人を評価することは不可能であることを物語っているように思える。第一、政治家の多方面に及ぶ活動を定量的に測ることは政治的・思想的に無色の知識人と雖も不可能で、さらに我々レベルでも発言のツールを持つ現在では例え法律に規定されたとしても「全国民挙っての国葬」などは考えられない。
 戦後に民間人として唯一国葬を賜った吉田茂氏に対しても、サンフランシスコ平和条約で単独講和に踏み切ったことについて社会主義的傾向を持つ人は未だに全面講和であるべきであったと主張している。
 「国葬法令」の整備を説く方に伺いたい。「貴方の考える国葬の基準は?」


「ゾコーバ」異聞

2022年09月03日 | コロナ

 「ゾコーバ」の承認却下には異見があることが報じられた。

 報道によると、日本感染症学会と日本化学療法学会が塩野義製薬の新型コロナウイルス感染症経口薬「ゾコーバ」の緊急承認と緊急承認の審議方法の見直しを求める意見書を、厚労相に提出したとされているが、意見書では、軽症患者の飲み薬が未だ開発(承認)されていないことが、現在の病床・医療逼迫の一因と手厳しい内容であるらしい。。
 「ゾコーバ」の承認が見送られた薬事審議会では、有効性に関して激論があったものの賛否の採決を行うことも無く「なしくずし的」に継続審議となって閉会したと報じられていたので、本ブログでも緊急承認という制度下でも過度にゼロリスクを追及する薬事行政の体質が作用したのではとするとともに、何やら利権争いと功名争いの匂いが捨てきれないと書いたことを思い出した。
 思えば、ワクチンの緊急承認では国内の治験が無いままに緊急承認に踏み切ったが、これは日本基準の「ゼロリスク」よりも世界基準である「薬剤(ワクチン)で救える命と失う命の天秤」判断を優先したものと高く評価したが、因果関係は不明ながらもワクチン接種後に急死した事例が起きたことから薬事審議会は従来のゼロリスク基準に先祖返りしたものかもしれない。
 薬事審議委員と学会の関係は門外漢には知りようもないが、おそらく学会に籍を置く審議委員も多いのではと思っているので両者の見解が分かれることを不審に思う。
 ここから先は、学術的知識の無い人間の勝手な意見であるが、両者の見解・結論が分かれた最大の原因は「年齢」によるものではないだろうか。学会の中枢は未だに研究・医療の現場に身を置く少壮者であるに対して、政府委員としての審議委員は既に現場を離れて過去の実績と評価のみ大事に考える高齢者であるのではないだろうか。こう考えれば、審議結果は国民の利益よりも保身・死後の評価を保つことが優先されるのは避けられないように思える。

 加齢が意欲・能力を奪うのは避けられないことは事実で、ノーベル賞の高齢受賞者を見ても受賞対象成果は40代前後に挙げたものが多く、高齢で枯れた才能に悲観して自殺した芸術家・文筆家も多い。浅薄な知識を掘り起こしても、高齢にも拘わらず実績を挙げた人は、驚くべき精度で日本全図を完成するとともに地球の大きさを立証研究した伊能忠敬くらいしか思い出せない。
 未曽有鵜の国難や厄災に際しては、発想の転換や行動力こそが必要で老齢者の繰り言には重きを置くべきでないように思えるので、「ゾコーバ」についても薬事審議委員を少壮者に交替させて再審議するならば、別の結論に達するのではないだろうかと思う。ただし、いずれの意見が正しかったのかは歴史の判断に俟つほかない点が悩ましいところであるが。


香川照之氏を応援

2022年09月02日 | 芸能

 香川照之氏が苦境に立たされている。

 発端は、数年も前の、それも当事者間の示談で解決されている「酒席の愚行」が週刊誌で報じられたことと理解している。これによって、香川氏は会見の場を設けて謝罪・説明することで社会的に大きな犠牲を余儀なくされ、経済的にも、トヨタがCMの放送を中止するとともに契約を延長しないことを決定し、NHKを始めとする各局は氏の出演番組の放送中止や今後の番組参加を見合わせるという犠牲を強いられている。
 悪行の顛末を斜め読みし、かつ、男尊女卑の旧弊から完全に抜け出せない老人の戯言として読んで頂きたいが、香川氏の行動は社会的・経済的に「それほどの糾弾に値する行為だろうか」と疑問を持っている。自分と同年配の諸兄にあっては、胸に手を置いて考えるまでもなく、今となっては「汗顔の至りながら、この程度のご乱行」は容易に思い浮かぶものと思う。
 かって酒席は、闇取引のための密談等の場を除いて男女に浮世の憂さとストレスを忘れさせる場であり、香川氏程度の愚行は人の口端に上ることは無かったし、部外に漏れることも無かったのではないだろうか。それは、大げさに書けば酒席を取り仕切る人の守秘の職業倫理や、店と客の共通認識が働いていたことに依るように思える。過去の経験でも、度を過ぎた悪行については警察沙汰になったり店への出入禁止を言い渡された例も知っているが、香川氏程度であれば「ママの小言でチョン」であるように思える。
 ともあれ、会見で済々と説明し謝罪した香川氏の男気に敬意を表するとともに、エールを送るものである。

 テレビ局の多くが香川氏にペナルティを科す一方で、テレビ朝日のみは従前通りに対応するとしている。慰安婦報道以後、報道ステーションから遠ざかっている身であるが、今回のテレ朝の対処は評価している。
 香川氏に関する報道と懲罰を眺めると、ある日突然に「旭日旗」を持ち出して日本に謝罪を迫る韓国の粘液質と通じるように思える。報道と懲罰の真意は何であるのだろうか。法的に解決した故人の過去を世に知らしめることに何の公益があるのだろうか。さらには遡及的懲罰で経済的ダメージを与えることに何の意味があるのだろうか。
 今になっても、蓮舫議員の二重国籍問題や小池百合子氏の学歴詐称問題は依然として藪の中であるが?