笑ってしまった!
夫は土曜日に市で行っている無料検診を受けようと近所の医院に行きました。お医者さんに奥さんに言っておいてください、今年は予防注射するように!と言われたそうな。お互いに夫婦のことを医師に話したことがない。どうしてだろうと夫。
まあ住所が同じからでしょうが・・・。
医院に行くようになったのは70歳過ぎてから。インフルエンザの予防注射を勧められるようになった。’もし80歳になって生きていたら、接種します。’と答えたような気がする。いつも混んでいる医院です。まさかそんな私の言葉覚えていたのだろうか!
極度の注射嫌いです。トラウマというべきかも!
多分アトピーだったと思うのだけれど、いつも体中が痒かった。戦後、昭和21年(1946年)頃、食糧難でした。栄養不足もあったかもしれません。巷では肺結核が蔓延していました。上の姉の仕事は発電所の事務員兼看護婦。独身寮の賄い婦を除けばたった一人の女性職員でした。町の病院に行き薬を持ち帰り、医師の指示に従い病気の職員に注射するのが彼女の主な仕事でした。
姉は私の痒みを止めるためにも薬を入手し、ほとんど毎週私に注射しました。小さくて痩せている私の腕にはそれほど注射する場所がなかったのかもしれません、お尻にずぶりと針を刺すようになりました。薬は痒み止めのレスタミン、皮膚に良いと言われるビタミンB6,ビタミンB12などでした。
小学5年生頃の記憶です。姉は注射し終わると赤チンで注射跡を消毒して言いました。
’ハーイ、みんな見て!G子のお尻にへのねのもへじ書いたよ。’すると兄たちがえっ!って覗きます。そんなこんなで注射と言われると逃げ回りましたが、兄弟は多いし、家は狭いし、私はすぐに御用となったのでした。
昨年だったでしょうか、注射嫌いは姉せいだと私は言いました。へのへのもへじを書かれるのが嫌だったとも。姉はお尻にへのへのもへじを書いたことは無いと言いました。きっと姉特有のブラックジョークだったのです。
当時は注射が嫌で注射されることが不満でした。この頃思うのです。物のない時代、注射液を手に入れることは大変だったでしょうし、子沢山のわが家に経済的余裕はなかったでしょうから、きっと姉は自分の給料から支払っていたのだろうと!
夫は土曜日に市で行っている無料検診を受けようと近所の医院に行きました。お医者さんに奥さんに言っておいてください、今年は予防注射するように!と言われたそうな。お互いに夫婦のことを医師に話したことがない。どうしてだろうと夫。
まあ住所が同じからでしょうが・・・。
医院に行くようになったのは70歳過ぎてから。インフルエンザの予防注射を勧められるようになった。’もし80歳になって生きていたら、接種します。’と答えたような気がする。いつも混んでいる医院です。まさかそんな私の言葉覚えていたのだろうか!
極度の注射嫌いです。トラウマというべきかも!
多分アトピーだったと思うのだけれど、いつも体中が痒かった。戦後、昭和21年(1946年)頃、食糧難でした。栄養不足もあったかもしれません。巷では肺結核が蔓延していました。上の姉の仕事は発電所の事務員兼看護婦。独身寮の賄い婦を除けばたった一人の女性職員でした。町の病院に行き薬を持ち帰り、医師の指示に従い病気の職員に注射するのが彼女の主な仕事でした。
姉は私の痒みを止めるためにも薬を入手し、ほとんど毎週私に注射しました。小さくて痩せている私の腕にはそれほど注射する場所がなかったのかもしれません、お尻にずぶりと針を刺すようになりました。薬は痒み止めのレスタミン、皮膚に良いと言われるビタミンB6,ビタミンB12などでした。
小学5年生頃の記憶です。姉は注射し終わると赤チンで注射跡を消毒して言いました。
’ハーイ、みんな見て!G子のお尻にへのねのもへじ書いたよ。’すると兄たちがえっ!って覗きます。そんなこんなで注射と言われると逃げ回りましたが、兄弟は多いし、家は狭いし、私はすぐに御用となったのでした。
昨年だったでしょうか、注射嫌いは姉せいだと私は言いました。へのへのもへじを書かれるのが嫌だったとも。姉はお尻にへのへのもへじを書いたことは無いと言いました。きっと姉特有のブラックジョークだったのです。
当時は注射が嫌で注射されることが不満でした。この頃思うのです。物のない時代、注射液を手に入れることは大変だったでしょうし、子沢山のわが家に経済的余裕はなかったでしょうから、きっと姉は自分の給料から支払っていたのだろうと!