昨日から、長年読まずにいたポーランド人作家:ボレスワフ・ブルスのファラオのエスペラント訳の音読を始めました。訳者はKabe
Kabeはポーランド人眼科医。1872年生まれ。彼はワルシャワの眼病患者の病院を設立したことで歴史に残っていますが、エスペランティストとしての活動期間は短いです。1911年に彼は突然エスペラント界から去りました。去った理由は定かではありませんが、エスペラントの広がりが遅々として進まなかったことに落胆したという説が一般的です。しかし彼の文才は素晴らしく、エスペラント散文の基礎を作ったともいわれています。短期間に彼は沢山の本をエスペラントに翻訳しました。彼の訳のグリム童話など初心者当時良く読み返しました。彼の言葉の流れは滑らかで響きが良く、音読に適しています。
ファラオは彼の傑作の一つと言われていますが、あまりにも大作で・・・3巻です。
1998年、友人が癌でなくなりました。その時彼女の夫君が欲しい本はないかと言われたので頂きました。
もう20数年飾ってあったものを友人と読むことにしました。つまり、後輩である友人もこの本が読めるほどにエスペラントが上達したということです。それも嬉しい!
昨日は、広いラウンジに5名ほどしか使用者がいませんでした。ゆっくりと文を堪能しました。今の言葉の使い方少し違いがあるかなと思うところもありますが、やはり読みやすいです。300ページの本を10ページ読みました。1年は52週です。読めない日もあるでしょう。1冊読み終わるのに1年近くかかるでしょう。となると3巻だと3年。えっ!83歳。まあ頑張ることにします。

乱れた机
本:ファラオと翻訳に挑戦している本
(ウキペディアより) ボレスワフ・プルス
ボレスワフ・プルス(Bolesław Prus、1847年8月20日 - 1912年5月19日)はポーランドの作家、ジャーナリスト。本名はアレクサンデル・グウォヴァツキ。筆名のプルスは一族の紋章を示す。
ルブリン地方のある領主に仕える下級事務職員の息子として生まれる。早くから孤児となり親戚のもとで育てられた。1863年蜂起が起きた時は学生だったが、仲間とともにパルチザン部隊に加わり、戦闘で負傷し病院と監獄で数ヶ月を過ごし、未成年という理由で釈放された[1]。高校にもどると自然科学に興味をもち、ワルシャワの中央学校・物理数学科に進学する。しかし、学資不足のためと一般民衆の生活をじかに知りたいという願いから退学し、ワルシャワの冶金工場で働くようになる[2]。
工場での勤務のかたわら独学し、やがてユーモア雑誌に詩や小説を投稿するようになり、広く人気を博す。社会問題の研究をあつかう『週刊クロニカ』と名づけた評論・エッセイを40年にわたってワルシャワのさまざまな雑誌に発表することでプルスの名声は高まり、ポーランドの進歩的インテリゲンツィアに決定的な影響をおよぼした[3]。1874年から短篇小説を書き始める。長編小説の代表作としては『前哨地』『人形』『ファラオ』が代表作である。
邦訳
梅田良忠・訳「チョッキ」 Kamizelka ;『ヨーロッパ短篇名作集』(學生社)
塚田充・訳「休暇に」 Na wakacjach ;『世界短編名作選 -東欧編』(新日本出版社)
小沼文彦・訳「少女アーネリカ」Anielka;『世界少年少女文学全集 第2部11』(東京創元社)
関口時正・訳『人形』Lalka;ポーランド文学古典叢書第7巻(未知谷)
Kabeはポーランド人眼科医。1872年生まれ。彼はワルシャワの眼病患者の病院を設立したことで歴史に残っていますが、エスペランティストとしての活動期間は短いです。1911年に彼は突然エスペラント界から去りました。去った理由は定かではありませんが、エスペラントの広がりが遅々として進まなかったことに落胆したという説が一般的です。しかし彼の文才は素晴らしく、エスペラント散文の基礎を作ったともいわれています。短期間に彼は沢山の本をエスペラントに翻訳しました。彼の訳のグリム童話など初心者当時良く読み返しました。彼の言葉の流れは滑らかで響きが良く、音読に適しています。
ファラオは彼の傑作の一つと言われていますが、あまりにも大作で・・・3巻です。
1998年、友人が癌でなくなりました。その時彼女の夫君が欲しい本はないかと言われたので頂きました。
もう20数年飾ってあったものを友人と読むことにしました。つまり、後輩である友人もこの本が読めるほどにエスペラントが上達したということです。それも嬉しい!
昨日は、広いラウンジに5名ほどしか使用者がいませんでした。ゆっくりと文を堪能しました。今の言葉の使い方少し違いがあるかなと思うところもありますが、やはり読みやすいです。300ページの本を10ページ読みました。1年は52週です。読めない日もあるでしょう。1冊読み終わるのに1年近くかかるでしょう。となると3巻だと3年。えっ!83歳。まあ頑張ることにします。

乱れた机
本:ファラオと翻訳に挑戦している本
(ウキペディアより) ボレスワフ・プルス
ボレスワフ・プルス(Bolesław Prus、1847年8月20日 - 1912年5月19日)はポーランドの作家、ジャーナリスト。本名はアレクサンデル・グウォヴァツキ。筆名のプルスは一族の紋章を示す。
ルブリン地方のある領主に仕える下級事務職員の息子として生まれる。早くから孤児となり親戚のもとで育てられた。1863年蜂起が起きた時は学生だったが、仲間とともにパルチザン部隊に加わり、戦闘で負傷し病院と監獄で数ヶ月を過ごし、未成年という理由で釈放された[1]。高校にもどると自然科学に興味をもち、ワルシャワの中央学校・物理数学科に進学する。しかし、学資不足のためと一般民衆の生活をじかに知りたいという願いから退学し、ワルシャワの冶金工場で働くようになる[2]。
工場での勤務のかたわら独学し、やがてユーモア雑誌に詩や小説を投稿するようになり、広く人気を博す。社会問題の研究をあつかう『週刊クロニカ』と名づけた評論・エッセイを40年にわたってワルシャワのさまざまな雑誌に発表することでプルスの名声は高まり、ポーランドの進歩的インテリゲンツィアに決定的な影響をおよぼした[3]。1874年から短篇小説を書き始める。長編小説の代表作としては『前哨地』『人形』『ファラオ』が代表作である。
邦訳
梅田良忠・訳「チョッキ」 Kamizelka ;『ヨーロッパ短篇名作集』(學生社)
塚田充・訳「休暇に」 Na wakacjach ;『世界短編名作選 -東欧編』(新日本出版社)
小沼文彦・訳「少女アーネリカ」Anielka;『世界少年少女文学全集 第2部11』(東京創元社)
関口時正・訳『人形』Lalka;ポーランド文学古典叢書第7巻(未知谷)