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生きること:過去と未来とエスペラントと

畑へ:21-9-6

2021-09-07 10:29:23 | taglibro: 日記
午後から雨の予報なので30分ほど早く家を出ました。他のメンバーが来るまで息子と草を刈る。40㎝程に伸びた草はボリュームがあって刈りがいがあいりました。

 畑の畝が崩れているのに若い人は気にしない。畝を作るということは水はけとか植物を育てるために大切だから作るのだと思うのだけれど!

 家にある鍬を持ってゆきました。40年ほど前に家庭菜園をしようと購入したもので柄が痛んで取れてしまった。近くで探したけれど柄が見つからず、帰郷した際に購入しました。適当に手に入れたらサイズが合わず入らない。先を切って入れたら、くさびの入れ方が悪く抜けてどこかに行ってしまった。先日、ホームセンターでくさびを見つけて購入。どうにか使えるようになりました。木製の柄は使わないでおくと乾燥して緩んでしまうので使う前に2時間ほど水に浸けておくということをユーチューブで知りました。

 若い人に提案して畝を直すことにしました。でも若者たちは鍬の使い方ので知りません。私が溝を作ると申し出ました。溝が曲がらないように持参の紐を張りました。


 なぜ私が鍬を使えるか!
 終戦直後、ひどい食糧難でした。戦後引っ越してきた村を開拓する人を募集していたようです。兄は勤めを辞めて申し込んで昭和22年(1947年)入植者となりました。日曜日、家族全員その手伝いをしました。翌年はその土地に家を建てて引っ越しました。入植者のほとんどは満州開拓団に参加した引揚者でした。兄はずぶの素人。農業雑誌を読んで勉強していました。でも多くは日雇いで働く人に依存していました。5年生になると日曜日の午前中はその人たちと一緒に私は働くことを強要されました。上の姉は働き者で発電所に努めていましたが、お金を出すだけでなくそんな仕事も嫌がりませんでしたが、下の姉は体が弱いからとすべての仕事は免除されていました。私はいつも不満たらたら、不承不承働いていました。畝を立てたり、土寄せをしたり、鍬の使い方を覚えたのはこの時です。

 でも、70年近く前に大変と思わなかった労働がこんなに大変だったとは!今日は下腹が痛いです。

 9月4日はドイツにいる孫Hの12歳の誕生日でした。昨日写真が来ました。
 ドイツのコロナ感染者の90%はワクチンを打っていない人だそうです。Hは喘息持ちなので誕生日の翌日にワクチンを接種したそうです。この秋、日本訪問は無理なのでEU内のどこかに出かけようと考えているということでした。ワクチン接種者はEU内ならどこでも移動可能なそうです。


 目覚めたばかり、ねぼけ眼のHです。
日本からの贈り物はまだ届いていません。


ベランダに飾られた鯉のぼり
ドイツには子どもの日がないので誕生日に飾るのです。
いつまで飾るのでしょうか。
ドイツの成人儀式、15歳まで‼?
コメント
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