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生きること:過去と未来とエスペラントと

日本エスペラント大会(2)

2021-09-21 13:29:30 | エスペラント
 昨日、大会は終わった。家で参加したのにすごく草臥れている。一応参加のメモだけでも残して置きたい。

 19日(日)

 (1)バームクーヘンが日本で最初にに作られたのは広島の似島にあった捕虜収容所。
 カール・ユーハイムは気と言いつ生まれの菓子職人。第一次世界大戦がはじまったころ、中国大陸青島(チンタオ)でカフェを開いていた。エリザ(メモしてなかったので名前が違うかも!)と結婚。ほどんなくしてドイツが負けて終戦。ユーハイムは捕虜として似島に収容された。この島で捕虜たちはかなりの自治が許されていて、ソーセージ・ハム、パン・菓子塔生活に必要なものを作ることができた。ユーハイムは菓子職のマイスターだったのでここで、伝統が詩のバーム・クーヘンも作った。解放魏帰国せず、青島にいた妻を呼び寄せて東京銀座で菓子屋を開いた。関東大震災で壊滅的打撃を受けて本拠地を神戸に移した。但し、銀座の店は今も存続している。

 エスペラントとは全く関係ない話に見えますが、そういうことがエスペラントで語られ、通じ合うことが楽しい。

 (2)エスペラント推進動画コンクール参加作品を鑑賞。

 (3)アジア・オセアニアエスペラント運動の報告を傍聴

 イランからの報告。そのイランからリモートを使って行う会合の指導受けてインドネシアでも講習や会合を子ナットインドネシアからの報告。台湾では大学で講座を設けることができた。日本でも数校にエスペラント講座があるなどなどと普段の会話のような報告が続いた。リモートを隠せる。韓国のE-istoから顔が見えない。顔が見えた方が話しやすいと指摘され、多くの人が顔を曝しました。
 顔を隠すということはすべてが見えなくなるということ。学生時代、机の下内職したように、夕食の準備としてモヤシの根を取ったりしていたのだけれど中止。
 タジキスタンだったろうか、名前があるというので話しかけたが、返事がなかった。電波が悪いのそれとも他の事情かが気になりました。

 韓国から各国の文化の違いを知りあうことが相互理解には大切である。アジア・オセアニア運動に参加している国が順番でイニシアティブを取り、各国の文化紹介など月一ぐらいでおかなったらどうかという提案があった。


20日(月)

 (1)横浜エスペラント博物館から原爆関連の本の紹介
 
 (2)エロシェンコの雑誌に転載されたがどんな作品だったかをどう捜したかという話

 (3)動画コンクールの結果発表とその作品鑑賞。

 閉会式
 海外からの参加は22カ国だったそうです。

 私が参加したのはズーム使用の集まりだけです。おしゃべりの場は3か所あり、夜まで続いたようです。
コメント
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