原作『DU POMOJ PERDITAJ』は中国で出版された VERKOJ DE VERDA MAJO のp.395 に掲載されています。日付は1939年4月。まだ、二人のお子さんが生まれていない、重慶爆撃が始まって数カ月の後のことです。
ページを捲りながら、この文をを読んだ時の感想を思い出しました。長谷川テルにしては凄く感傷的であると。
しかし、娘さんの旅から垣間見ることのできるテルは彼女の著作や伝記からは窺い知ることのできない人間味をおびていました。
栗栖継氏が登場したのもうれしかったです。彼のことはserenaさんがブログの中で触れていました。
http://blog.goo.ne.jp/serena_2005/e/b27aacc51a18bcfd54c72c6c81f600b7
お姉さんの幸子さんにお会いしたのは赤城山でのエスペラント大会でした。エスペラントを始めて3カ月の私は年齢を聞かれた時、エスペラント歴で3カ月と答えました。その後私の呼び名は INFANO 『幼児』 となり、多分私の本名を記憶している人はいないでしょう!
テルの人柄を知ることができると同時に、ウン十年の昔を回顧する貴重な時間をいただきました。
ページを捲りながら、この文をを読んだ時の感想を思い出しました。長谷川テルにしては凄く感傷的であると。
しかし、娘さんの旅から垣間見ることのできるテルは彼女の著作や伝記からは窺い知ることのできない人間味をおびていました。
栗栖継氏が登場したのもうれしかったです。彼のことはserenaさんがブログの中で触れていました。
http://blog.goo.ne.jp/serena_2005/e/b27aacc51a18bcfd54c72c6c81f600b7
お姉さんの幸子さんにお会いしたのは赤城山でのエスペラント大会でした。エスペラントを始めて3カ月の私は年齢を聞かれた時、エスペラント歴で3カ月と答えました。その後私の呼び名は INFANO 『幼児』 となり、多分私の本名を記憶している人はいないでしょう!
テルの人柄を知ることができると同時に、ウン十年の昔を回顧する貴重な時間をいただきました。
ようやく失くした二つのリンゴを見ることができました。
母の思いを探すドキュメンタリーはなかなかよく出来ていると思いました。
でも、長谷川テルさんの中国での活躍をもう少し知りたかった、とあるもどかしさも残りました。中国の一党独裁による危うさもあり1時間では短すぎです。
日本軍の中国本土への無差別攻撃は日本本土のアメリカ軍による空襲場面とオーバーラップしました。初めて見た映像でした。
空爆による無差別殺戮は何もアメリカ軍だけじゃなかったのだと改めて思いました。話には聞いていましたが、日本も同じ事をやっている事実を見せつけられ、日本政府はなぜこういった事実を隠すのかと。国民は舐められているなと。
日本に居る限り感じることのない祖国という言葉。
失くした二つのリンゴは、幼い頃の記憶と、二つの祖国を失った長谷川テルさんの思いを表した題名だったのですね。
ありがとうございます。重慶も日本各地も焼夷弾によって多くの一般人が犠牲になりました。焼夷弾を最初に作り重慶で最初に使用したのが日本軍であると言われています。アメリカはそれが効率よく力を発揮できるように改良したのでしょう!
まるで『はてしない物語』のようで戦争について語ることのむずかしさを日々感じています。
Mi gxojas sciante, ke estas homo kiel vi!