最近虐待その他で子どもが死んでゆくニュースが多く痛ましい限りです。しつけとして子ども衣装ケースに入れるて黙らせようとした話は母親も日常的なこと云っていたので悲しい限りです。少し前、ウサギのケージだったでしょうか動物用のケージに入れられて成長できずに死んだ子供もいたと記憶しています。
生まれてすぐは何もできない赤ちゃんが、自己主張できるまでの過程は親にとっては大変ですが、それでも楽しいものだと思います。その時間も小学生になるとどんどん減って行き、中にはこどもが成長してもこども離れできずに苦労する親もいるようですが、幼児期の子どもの成長を眺めるのは楽しいのです。私は孫たちが来ると体力が続く限り相手をして遊んでやります。沢山遊んだ後は私が“もう疲れた!“と云うと彼らは私に休憩時間をくれます。帰る時は“おばあちゃんと遊んだ!”と云い、嬉しそうに帰って行きます。
子どもと遊ぶのは疲れるけれど楽しいといつも感じます。
先日、43階の自宅ベランダから落ちて亡くなった子どもがいました。空飛ぶアニメを見ていた時のこととニュースが伝えていました。もう30年近く前の出来事を思い出しました。
放課後の子どもたちの世話していた頃のことです。一年生の子どもたちが自由に工作するようになった時期でしたから、多分5月ごろだったと思います。5人ほどの一年生が激しく言い合いながら帰ってきました。一人は段ボールに牛乳パックの底を抜き、ガムテープで張り付けた物を両腕につけていました。
彼は羽があるからと云って赤信号の時、交通量の多い道路を渡ったのでした。何台かの自動車はブレーキをかけて止まったそうです。他の子たちがいくらいさめて彼は“僕は羽があるから自動車の上を飛んだ”と主張します。親を呼んで道路の歩き方をきちんと教えるように注意ました。
ところが親は我が子がそんなことをするはずがありません。保育園の頃は一緒に歩いていて道路に飛びだすようなことはありませんでした。我が家では創造力を伸ばす教育をしています。車の上を飛んだと云うのは彼の単なる空想ですと母親は主張しました。彼女の職業は保育士でした。私は子どもの想像力と命と親としてどちらを選ぶかといったのですが、親は自分の子の行動お非を認めませんでした。
その子一人だけ呼んで話し合ってもらちが明かないと思い一年生全員を呼んでその時の話をさせました。彼も本当は赤信号で横断したと認めました。その時親の驚愕は言葉では書けないほど大きかったです。一年生になると子どもは初めて親の目を離れ自由に行動できるようになります。その時に必ずしも親の教えに従って行動するわけでなないことを私達は頭に入れておくこと、様子がおかしい子には見知らぬ子どもであっても声をかけてやるべきだと私は思っています。
あの子ももう30代後半でしょう!
生まれてすぐは何もできない赤ちゃんが、自己主張できるまでの過程は親にとっては大変ですが、それでも楽しいものだと思います。その時間も小学生になるとどんどん減って行き、中にはこどもが成長してもこども離れできずに苦労する親もいるようですが、幼児期の子どもの成長を眺めるのは楽しいのです。私は孫たちが来ると体力が続く限り相手をして遊んでやります。沢山遊んだ後は私が“もう疲れた!“と云うと彼らは私に休憩時間をくれます。帰る時は“おばあちゃんと遊んだ!”と云い、嬉しそうに帰って行きます。
子どもと遊ぶのは疲れるけれど楽しいといつも感じます。
先日、43階の自宅ベランダから落ちて亡くなった子どもがいました。空飛ぶアニメを見ていた時のこととニュースが伝えていました。もう30年近く前の出来事を思い出しました。
放課後の子どもたちの世話していた頃のことです。一年生の子どもたちが自由に工作するようになった時期でしたから、多分5月ごろだったと思います。5人ほどの一年生が激しく言い合いながら帰ってきました。一人は段ボールに牛乳パックの底を抜き、ガムテープで張り付けた物を両腕につけていました。
彼は羽があるからと云って赤信号の時、交通量の多い道路を渡ったのでした。何台かの自動車はブレーキをかけて止まったそうです。他の子たちがいくらいさめて彼は“僕は羽があるから自動車の上を飛んだ”と主張します。親を呼んで道路の歩き方をきちんと教えるように注意ました。
ところが親は我が子がそんなことをするはずがありません。保育園の頃は一緒に歩いていて道路に飛びだすようなことはありませんでした。我が家では創造力を伸ばす教育をしています。車の上を飛んだと云うのは彼の単なる空想ですと母親は主張しました。彼女の職業は保育士でした。私は子どもの想像力と命と親としてどちらを選ぶかといったのですが、親は自分の子の行動お非を認めませんでした。
その子一人だけ呼んで話し合ってもらちが明かないと思い一年生全員を呼んでその時の話をさせました。彼も本当は赤信号で横断したと認めました。その時親の驚愕は言葉では書けないほど大きかったです。一年生になると子どもは初めて親の目を離れ自由に行動できるようになります。その時に必ずしも親の教えに従って行動するわけでなないことを私達は頭に入れておくこと、様子がおかしい子には見知らぬ子どもであっても声をかけてやるべきだと私は思っています。
あの子ももう30代後半でしょう!
でも、自由に想像力を伸ばしてやるということと、非常識な人間に育てる事は同一ではないでしょう。そこの境界が判らない親も居ると言うことなのですね。
虐待の心境も理解出来ません。だれも子育てはラクチンだと言った人は居ないのですから、それなりに覚悟をして子供を産むべきでしょうけど。
随分と悲しい世の中になったものです。
両親の相談にのる機関が必要だと云うことでしょう。夫は経験を生かそうと小さなボランティア機関でがっばています。
子どものことは大抵児童相談所経由ですね。大人のことは社会福祉協議会が多いようです。ちなみに私は社会福祉協会と民生委員とどんな関係か連携しているのかしていないのか知りません
残念なことですが。