glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

ガウチョとは

2014-08-15 06:31:51 | アルゼンチン(エスペラント)
 ガイドの説明によるとガウチョはスペイン人男性と現地女性の間に生まれた者たちで、現地語での本来の意味は『孤児』なのだそうです。私はアルゼンチン文学は一度も読んだことがありません。かれは詩人エルナンデスの著書『マルチィン・フィエロ』を読めばガウチョを良く理解できると説明していました。

http://www.geocities.jp/argenjp/genkou/gaucho.html

 さて、食後に現れたのは老ガウチョ。ギターを片手に歌を歌いました。これはもしかしたら吟遊詩人の真似だったかも知れません。彼はマルチン・フィエロのモデルとなったガウチョの子孫だそうです。50ペソで彼のCDを人々は買っていました。興味がないので私は買いませんでしたが、買ってあげればよかったかなと今は思っています。多分、経済の行き詰まったところに暮らす人々に小さいい喜びを与えることはできたでしょうね。

 
その後ダンス。



 
赤い服の女性の踊っているガウチョがマルチィン・フィエロのモデルとなったガウチョの子孫と言われてる老人。10代のガウチョの卵もいましたからこれからそのお伝説は受け継がれるでしょう!


 ガウチョの誇りは馬を飼っていることではなく馬を友として大切にしていることであるとガイドは説明していました。そしてその実演が行われました。馬は飼い主に体をさすられると信頼しきったように身を横たえる。馬をソフアようにして人間が寄りかかってもうまは抵抗しません。ガウチョの生活の基本は野宿だったので、こうして馬に寄り添って暮らしていたのだと。衣服のポンチョは野宿にとって最良の衣類だったと






 確かに野宿をするのが当たり前の社会がアルゼンチンには存在したのでしょうが、今のブエノスアイレスの野宿の人の多さ。オフイスの入り口に寝てる人を当たり前のように若い女性は横を通って、何事もないかのように自分の仕事場に入ってい行く。毎日同じ場所に座っている幼子を連れた家族。それを横目で見る事もぜず人々は歩いている。どこから食料を調達しているのだろう。町が暗く見えるのは季節が冬であるだけではないとに感じました。
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2 コメント

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ガウチョという言葉は始めてしりました。 (案山子)
2014-08-16 18:14:23
前々回のタイトルに「ガウチョ農園へ」とあったのは、ガチョウ農園の間違いかしら、ぐらいに読んでいました。
孤児(みなしご)の呼び名なんですね。たくさんのガウチョたちの存在は、辛くて、暗いものを思います。
南米というと、ついスペインから渡来してきた人たちにひどい虐殺を受けた歴史です。「インディアスの破壊についての簡素な報告」 http://blogos.com/article/78269/
16世紀の宣教師が現地でみた様を本国に報告している本です。
キリスト教徒がその地でやったことの悲惨さに、言葉がありません。今の法王はアルゼンチン出身でしたっけ?
たしか前々のローマ法王が、これまでにキリスト教が犯した3つの間違いを詫びたから、今の法王あり、なのかもしれませんね。
現在のアルゼンチンの政情は厳しいらしいですが、すごく豊かに繁栄していた時代もあるらしいですよ。ヨーロッパ渡来人に限っての話だったのかもしれませんが。
どの国も、簡単にはよそ者には理解できない重い歴史を抱えていると、つくづく思います。
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Unknown (glimi)
2014-08-16 20:27:18
 法王はブエノスアイレスの下町出身です。そこはイタリア移民が多いそうです。
 スペインは必ず宣教師と共に軍人を送りこんだようですね。軍人が去った後も宣教師ほとんどがイエズス会のようですが彼らは残ったそうです。いまでもイエズス会は大きな勢力であるようです。

 ペロン派とリベラリスト派が対立する中で真の豊かな生活がやってくるのか疑問です。エスぺランティスト達も差別を口にしていましたがそれは出口の見えない怒りと感じました。
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