ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

地元の味受け継ぎたい 蒲郡で福祉団体が干物店を開業

2008年10月15日 23時03分37秒 | 障害者の自立
 蒲郡市の障害者支援のNPO法人「楽笑(らくしょう)」は19日、障害者が地域の人と一緒に魚の干物を製造・販売する福祉作業所「酒菜(さかな)屋 十兵衛」を同市三谷町に開店する。理事長の小田泰久さん(29)は「漁業で栄えた地元の伝統を受け継ぎたい」と意気込んでいる。

 楽笑は、障害者自立支援法の施行でNPO法人が授産施設を運営できるようになったのを機に昨年、同町に「パン工房八兵衛」を開店。オリジナルパンを提供する店として定着している。

 障害者の働く場をさらに充実させようと第2弾の店舗に選んだのが、三谷漁港を中心とした漁業の街という地域性を生かせる干物店。同町で生まれ育った小田さんは「子どものころは当たり前だった魚を干す光景が見られなくなって寂しい」といい、高齢化や後継者不足で廃れつつある干物づくりの伝承を目指す。

 漁港のすぐ近くに構えた2階建ての店舗兼作業場は、日本財団の補助金などを受けて小田さんの実家の水産加工場を改修。オープン時には三河湾でとれたメヒカリ、サヨリ、ニギス、アジなどを販売する予定で、すでに自然志向の有名居酒屋からの注文も舞い込んでいる。

 作業には当面、障害者5人に地元の定年退職者らも加わる。市内の元干物店経営者を講師に、魚の開き方や味付け、干し方などのノウハウを学び、オープンに向けた準備に余念がない。小田さんは「地域コミュニティーに根付きながら、質の高い製品を追求し、“地元の味”を広く発信していきたい」と話している。

 19日は干物の焼き方体験などのイベントも催す。問い合わせは十兵衛=電0533(66)0291=へ。

HIV:感染者「障害者雇用促進法の対象」 官公庁、2割知らず

2008年10月15日 23時00分51秒 | 障害者の自立
 官公庁の人事担当者の2割以上が、HIV(エイズウイルス)感染者は障害者雇用促進法の対象であることを知らないことが、薬害エイズ被害者らで作る「はばたき福祉事業団」のアンケートで分かった。結果は今月27日に開かれる就労支援のシンポジウムで発表するが、シンポを後援している厚生労働省からは回答が来ないという有り様で、主催する事業団は「意識が低すぎる」と嘆いている。

 HIVは98年に身体障害に認定され、約8800人が障害者手帳を持っている。事業団が今年7月、中央省庁と都道府県など約150の官公庁に初調査したところ、回答した48団体のうち11団体(23%)は、HIV感染者が障害者の法定雇用率(国や地方自治体は2・1%)の算定対象であることを「知らない」と答えた

働く場での利用料金不払いを継続する障害者たち

2008年10月15日 22時59分02秒 | 障害者の自立
 障害者自立支援法はさまざまな矛盾を抱えた法律である。とくに、その矛盾の存在を明確に示したのが、札幌の働く場(就労支援A型・B型)で働いている障害者自身であった。賃金を受け取る雇用契約で事業所に働きに来ているのに、利用料を自分が払うのはおかしいと、障害者自身が運動を始めた。この取り組みについてはこのページでも紹介した(「2007.10.30 労働者でありながら1割負担は不当と支払い拒否に立ち上がった障害者たち」)。NPO法人「札幌・障害者活動支援センターライフ」が編集・発行している『アドボケイト』(第95号、2008年06月10日)に、同じく「共働事業所<もじや>」で仕事をしている熊野宏和さんが「終わらせない運動」と題して、継続することをあらためて宣言している。NPO法人「札幌・障害者活動支援センターライフ」の関係者と執筆者の了解をえたので、ここに転載する。なお、NPO法人「札幌・障害者活動支援センターライフ」の機関誌では「障がい者」という表記を使用しているが、私は「障害者」とする。

■ 働いているにもかかわらず「訓練」と扱う自立支援法の問題
 自立支援法による就労支援A型・B型の利用料に対して、障害者が主体の不払い運動を始めて1年8カ月が経とうとしています。これは僕らが日々精一杯頑張って「仕事」を行なっているのに対し国が定める方針が、例え賃金をもらって雇用契約を結んでいるにも関わらず、あくまでも「訓練」であると断言しているからです。

 労働法の基準では、雇用契約を結んでいる時点で、立派な労働者と認められるはずなのです。それを「訓練」と捉え利用料を負担するべきというのであれば、あまりにも理不尽で横暴な法律に異を唱えるために、「利用料は払えません」と活動を始めたのです。

 誤解をしてほしくないのは、利用料の負担は「払えない」わけではありませんし、事業所から指示を受けたわけでもありません。障害者スタッフ全員で真剣に話し合い出した結論が、必要のないものに「払いたくない」と共通の意識を持ち、事業所にも僕らの意志をはっきりと伝えました。事業所側は僕らの意志を真摯に受けとめてくれました。但し、制度として請求せざるを得ない状況であることも説明を受けました。それでも僕らは払うことを拒否し続けました。

■ 事業所を辞めた障害者の場合の扱い
 ただ改めて思うのは、不払い運動に参加していた障害者スタッフが職場を辞めていく場合の、事業者への未払金はどうするのか?本来、運動を始める初期の段階で決めておく内容だったと今では反省しています。

 少なくとも事業所には年間200万円以上の未収金が発生し、最低5年以上年月が過ぎないと請求に関しては破棄されません。破棄されるといっても、1年目の未払金がなくなるだけで他の2年目以降は残ります。

 そういうことも踏まえ、僕らがどれだけ事業所に迷惑を掛けているのかを理解した上で運動をすべきであるし、職場を辞めていく人に対しての未払いをどうしていくのかも、今後全員で話し合っていく課題であることは間違いありません。

■ 新入スタッフへの説明の必要性
 もう一つの反省点としては、新しく入ってきた障害者スタッフに、その都度運動について詳しく説明する時間を、あまり持てなかったことです。この運動は、共働事業所が立ち上がった、2006年10月から始めていますが、今日現在まで新たに仲間になった人に説明できず、人によっては理由も分からずに払わなくていいんだと思う人もいるかも知れないということです。

 当初からいるスタッフとして、不払い運動に至るまでの経緯や、事業所に対して残る未払金や、全ての現状を話した上で同じ意識を持つ必要があります。

 今後は定期的に時間を作るようにし、スタッフの気持ちを統一できたらと思います。

■ 運動を継続していく意志
 利用料不払い運動は、「アドボケイト」に載せていたこともあり、昨年(2007年)夏頃には新聞やTVなどの取材が多数あったりと世間の注目を集めるようになりました。この問題は、すぐに道に知れ監査に入ったり、道下道議による高橋知事へ質疑応答があったり、元横路知事より直接内容を聞きたいということで、お会いすることになったり、果ては全国から肯定的な意見や、反対に否定的な意見があったりと、本当に多方面からの反響が多かったです。それだけ当事者からの利用料不払い運動は、世の中にショッキングなニュースとして知れ渡ることになったのです。

 残念なことは、どの世界でもそうでしょうが、ある程度時期が過ぎれば世の中の人々の記憶が薄れていくということです。できることなら僕らは同じ境遇にある事業所関係の障害者に、「利用料負担はおかしいんだ」と一緒に声をあげてもらいたいのです。

 たった一つの事業所が起した運動は確実に、世に問題提起をすることに成功しました。まだ序章に過ぎないと思います。僕らとしては、制度が変わるまで運動を続けていくつもりです。それが不払い運動を始めた責任であり、僕らの意志であるからです。

 以上が「アドボケイト」(第95号)に掲載された熊野宏和さんの文章である。

■ 制度の変更まで運動を続ける表明――大谷のコメント(1)
 最後にあるとおり、明確な意思を持って事業所で働いている障害者たちが利用料金の不払い運動を続けると宣言している。障害者たちが運動を続けると宣言したのであれば、開始時点でその運動を紹介した者も、それを伝える役割があるはずだ。

 たしかに、社会の人々は、問題が解決しないままで、移り気だと思う。まぁ、忙しくて、いろいろと悩む問題が次々発生しすぎるという面もあるだろう。また、マスコミは日々新しいこと(=ニュース!)を追いかける傾向が強い。ときたま「あの人(事件)は、その後どうなったか}を追跡調査する程度である。

 とくに、行政担当者は「まだ、そんなに問題を言っているのか」とばかりに、問題自体が立ち消えてくれれば良いのにと、願う場合も多いだろう。それだけに、直接に利害が関わる関係者がしつこく運動を続けることが大切だ。

 そのためには、運動を継続する必要がある。熊野さんも書いているとおり、運動を続ける上では、運動側にもかなり問題がある。途中で職場を辞める人と、新規に加わる人がいる。どこの運動体でも同じだ。とくに、新規で加わる人に対して、粘り強く説明することが大事だ。今の状態が当たり前になりがちだ。

 今から30年あるいは40年前だろうか。かつて、公的な介護制度がない時代に、障害者たちが施設から、あるいは親元の家から街に出て一人暮らしをする経験をした。地域で暮らす試みをした。昔話である。開拓した障害者の第1世代と、その人たちの努力で制度がなんとか整ってきた後の時代に登場した若い障害者世代とでは、障害者世代の断絶は、深いものがあると聞いたことがある。

■ 制度を構築する根本哲学が薄れてきている――大谷のコメント(2)
 今の障害者自立促進法だけではなく、年金や医療保障、介護の制度など、厚生労働省が行なう社会保障政策は、どうも哲学が混乱しているようだ。国際的にも、たしかに福祉政策から就労政策に移行してきている。生活保護受給者や障害者にも働くことを促進する法制度になった。

 しかし、就労支援を打ち出しながら、就労支援事業といいながらも「訓練」というサービスを利用しているとみる傾向は不変である。かつて、私たちが北欧を訪問したときに、しきりに現地の人が「デイ・サービス」ではありません。私たちスタッフがサービスを与えるのではありません。来られる人々にアクティビティを発揮してもらう場のことです、としきりに話していた。そこには哲学があった。たしか、それを受けて、札幌にも「アクティビティ」と名付けた場所があったように思う。

 社会サービスを受けている存在という位置付けからは、障害者の主体的な権利は解決できない。国連の障害者の権利条約でも、医療モデル(「出来ない部分」に着目するという認識で「保護」の対象、サービス給付の対象)から、権利論の社会モデルに変わった。そこでは、障害者も主体として活動することを認める。

 権利主体となる障害者たちが、自分たちは働いているという基本哲学にたって、制度を構築する必要があるだろう。あるいは、制度の変更を求めている。ともに働く事業所という位置付けを、社会で認めることが必要だ。とくに、行政が率先して改革することが求められる。

■ 制度は運動が消えることを願っているのだろうか――大谷のコメント(3)
 新しい制度は運動が粘り強く働きかけることによってできあがる。と共に、制度は運動が消えてくれることを期待しているともいえる。もう、制度が整っているので、本人たちや利害関係者たちの運動は必要ありませんと言いたいらしい。あえて、そう付け加えたい。

 でも、行政による運動不用論の言葉を信じて人々が働きかけを辞めると、制度はさらに使い勝手が悪くなる。したがって制度利用は減少する。さらには、人々の生活実態に制度が合わなくなる傾向もある。人々は制度を見捨てる。どうもこういう過程を経ている。

 他方で、どの事業者も制度の規定にしたがうことが求められる。制度が基準になる。それが制度化による「安定化」というものであろう。もちろん、制度でも絶対に従うべき制度と、任意で利用することも可能な場合がある。ただ、どうも、最近では一律に制度に従うように迫る圧力が強くなっているように思う。絶対的な制度であることにより、人々の「安定化」がより実現できる。たとえ、どこにおいても、どんな状態であろうとも、共通した条件が保障される。

 とともに、絶対的に従うべき制度の下では、それぞれの人がどんな意識を持っているかにはかかわりない場合が多い。だから利用者からの不払いを事業所が理解していたとしても、その法律が理不尽だと思うと思わないとにかぎらず、事業者が行政による監査や行政指導の対象になりうる。つまり事業所も制度を守ることが優先する。そこが難しい点だ。

4回目の年金天引き=新たに被扶養者からも-後期医療保険料

2008年10月15日 10時28分00秒 | 障害者の自立
 75歳以上を対象とした後期高齢者医療制度(長寿医療制度)で15日、4月の制度導入以降4回目となる年金からの保険料天引きが実施された。今回からは、保険料負担を半年間免除されていたサラリーマンの被扶養者ら、新たに約300万人が保険料天引きの対象となった。また、74歳以下の国民健康保険(国保)加入者約130万人も新たに保険料を天引きされる。

 北海道、埼玉、東京、神奈川、愛知5都道県の計29市区町村では、システム整備が遅れていたため、制度導入以来初めて保険料の天引きが実施された。これらの自治体では、保険料を4月以降、納めていると思っていた高齢者が最近になって未払い保険料納付の督促状を受け取るなど、混乱が起きている。

 また、保険料の納付方法を口座振替に変更した場合に、年金からの天引きを中止する措置が自治体の事務処理上のミスで行われていないケースがあり、引き続き年金からも天引きされるトラブルも発生した。 

「障害者」を「障がい者」とか「しょうがい者」とする傾向に対して(1)

2008年10月15日 00時30分10秒 | 障害者の自立
――「障害者」を「障がい者」とか「しょうがい者」とする傾向に対して――
 これも機関誌から転載である。筆者は牧口一二さんである。ゆめ本社が編集・発行している『ゆめ本社通信』(第20号、2008年10月15日付け)に掲載されている「連載エッセイ・このごろ想うこと」の今号のテーマとして<なんだかウサンクサイ「しょうがい者」「障がい者」という表現>と題されて掲載されている。牧口さんから転載することについて了解を取ったので、以下全文を紹介する。なお、同誌のプロフィールには1937年08月大阪市生まれ。満1才のころポリオ(脊髄性小児マヒ)にかかると記してある。長年松葉杖を使われていたが、最近は車いす生活に移られたという。NHK教育テレビ「きらっといきる」にレギュラー出演されているほか、多数の著書がある(ここには書ききれない)。ぜひ、本誌そのものを手にとって読んでほしい。以下は、牧口さんが書かれた全文である。ただし、中見出しは本人の許可なく私がつけたものである。

■ 漢字表現をひらがな混じりに変える例
 このごろ、「障害者」という単語が「しょうがい者」だの「障がい者」とひらがな混じりで表現されている文章に出合うことが多くなった。それも障害者団体の機関誌などにもその傾向が顕著になってきて、あーぁという感じ。大阪府も橋下知事に(しかるべき部署が)お伺いを立てたようで、彼が「そりゃそうだ」(と言ったかどうか)府庁の関係書類がほとんど「障がい者」と書くようになったらしい。

 「害」は「よくない」という意味があるから止めておこう、という趣旨は分からなくはないが、あまりにも安易にすぎないだろうか。そんな理屈なら「障」はどうだ。「さしさわり」「故障」「支障」の「障」である。「害」ほど露骨ではないが、「よくない」意味が込められた漢字である。「障」も「害」も使えないとなると、「しょうがい者」が正しい表記ということか。どうもスッキリしない。

■ 言葉だけを穏便にすます傾向が顕著
 このごろ世の中全体で、内容は変わらないのに言葉だけを穏便で抵抗の少ない言葉に置き換える傾向があるように思えてしかたがない。というより、内容はより醜くなっているのに(それを誤魔化すかのように)言葉を当たり障りのないものに置き換えているのが気にかかる。たとえば、「後期高齢者」という表現があまりにも評判が悪かったため、福田首相は「長寿高齢者」と言い換えた。この制度の内容が醜すぎたため、それに伴って言葉の無神経さも批判されたのだが、福田さんは言葉が悪かったと思ったのだろうか(まさかね)。

 ほかにもある。「障害者自立支援法」というけれど、障害者市民運動が40年ほどかかって築き上げてきた重度障害者も自立できる「自立」観から為政者たちは何ら学ぶこともしないで従来の自立観そのままに、障害者を「孤立」に追い込もうとしている法律なのだ。ボクは「孤立支援法」とか「自立強制法」と皮肉っている。

 なんだか後ろめたさを感じるときに使われる丁寧語、たとえば「障害者の方々」など、ふつうなら「障害者たち」「障害がある人々」いいところを、わざわざ丁寧に言おうとする意図が働いている、とボクは思う。捻くれているのかな?考えすぎなのだろうか。そうであってほしいと願うけれど、どうもそうではないようだ。

■ 「障害者」の新しい呼び名を探す
 さて、では「障害者」はどのように表記すればいいのだろう。以前、ボクは障害者の立場から「新しい呼び名をつくろう」と公募したことがある。だが、本音のところで障害をマイナスと認識している現代社会では画期的な言葉な生まれるわけもなく、「共生者」とか「協働者」という応募作が圧倒的だった。ただ1つ、ボクがつねに障害を「個性」や「クセ」みたいものと思っているから感じたのか、応募作の中に「クセモノ」というのがあって、ちょっといいなぁと思ったしだい。

 ボクは誤魔化したり、臭いものに蓋をするのがイヤだから。いまも「障害者」と書いている。「障害」というのは本来、我ら自身のことではなく、外部の環境によって障害を被っている(邪魔されている)者、それを障害者と呼ぶ、と考えているからでもある。また、障害者といえば人間はすべてどこかに障害があるわけで、「健全者」「健常者」なんて実際には誰一人として存在しない、架空のものなのだ。

 ということは対意語の「障害者」も地球上には誰一人存在しない、というわけだ。実際に存在しない者に対して、正しい、間違い、と騒ぐのはバカげている。まぁこの程度のことなので、それぞれが自分の考えに即して表現すればいいと思うけれど、誤魔化したり、臭いものに蓋はしないでほしい。

 以上が、牧口さんの文章全体である。

■ 私の周りでも多く使われるようになった――大谷のコメント(1)
 この文章を読んで、抵抗なく(かな?)嫌がらずに、こんなものだろうと深い考えもなく使ってきた私に反省を迫った。まぁ、最後に牧口さんが書かれているように「まぁこの程度のことなので」に、いつもながらホッとした。牧口さんの文章には、いつも救いがあるなぁ、と思った。

 私の勤め先でも表現方法を「障害者」から「障がい者」に変えようという動きがでている。障害者本人に尋ねると、本質が変わっていないのに、表現だけを変える必要はないともいう。私が長く付き合っている障害者だから、こういってくれるのだろう。

 また、私は、大阪府のいくつかの委員会にもかかわっている。大阪府の行政関係文書では、本文中にあるとおり、一挙に「障害者」から「障がい者」に変更された。これまでと同じように使用されている。つまり、本質はなにも変わっていないのだ。さらに、市町村行政文書や窓口表示も「障害者」から「障がい者」を使う場合が増えている。

 さらには、NPOなども、それぞれの文章表現では「障害者」表記ではなく「障がい者」表記になってきた。この点では自治体行政にしたがっている。まぁ、べつにこだわらなくてもかまわないと考えたのだろうか?

■ 「障害者」表記を続けている実例――大谷のコメント(2)
 私も、とあるNPOの団体に文章を書いたことがある。その編集者は「障害者」表記を「障がい者」と変えるように依頼してきた。なぜ?と思った。私には判断ができなかったので、ある人の文章を添付した。今なら、この牧口さんの文章を紹介したら、良かったはずだ。

 その時に添付した文章は翻訳家の青海恵子さんの「訳語について」である。青海さんは「障害者」という表現を使い続けるといわれている。この文章は、障害児を普通学校へ・全国連絡会編『障害者権利条約――わかりやすい全訳でフル活用!!』(2007年、千書房)に収録されている。青海さんはポリオで車いす利用者と紹介されている。

 たしかに「障害者」という表現にはギョッとする。言い換えたくなる。でも、牧口さんも言われるとおり「障害をマイナスと認識している現代社会では」多分無理だろう。私をなるほどと、思わせた表現は「<健全者><健常者>なんて実際には誰一人として存在しない、架空のものなのだ。」という文章である。