ゴエモンのつぶやき

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中村一座:演劇集団、障害者の視点からエイズ理解を訴え /岐阜

2008年10月28日 01時15分03秒 | 障害者の自立
 障害者だけでつくる演劇集団「中村一座」が「障害者は愛や性について触れる機会が限られている」と考え、障害者ならではの視点で舞台を続けている。いまは、12月1日の世界エイズデーを前に劇「エイズって、なに?」に取り組んでおり、26日には7回目のステージを岐阜市日光町の日光コミニティーセンターで披露した。

 中村一座は05年、市内の障害を持つ若者が演劇を通して人間関係をはぐくむ目的で旗揚げした。現在、知的障害や自閉症などの14~25歳の約30人が所属している。一座が取り組む劇では、恋愛感情を素直に伝えられなかったり、正確な性知識がない障害者の若者に劇を通して理解を深めてもらう内容が多い。

 「エイズって、なに?」は、学校の教室が舞台。風邪をひいてマスクをつけた女の子に数人の男子が「あいつは、ばい菌を持ってる」「エイズやろ?」などと、言葉の正確な意味を知らずに使って、女の子を傷つけてしまう。その後、女の子の兄から病気の知識や予防策を学び、仲直りするストーリーだ。

 台本は、劇団の事務局長で約30年間、岐阜市内の中学校で特別支援学級の担任を務めた渡辺武子さん(63)が、劇団員との会話をヒントに書き上げた。「エイズって大豆の仲間?」「コンビニに売っとるの?」。こんな実際の会話も取り入れた。笑い声が漏れる場面もあるが、真剣に見入る若者の姿が目立った。

 渡辺さんによると、障害者の中には「男女交際はいけないこと」という意識があったり、性徴期の体の変化に戸惑うケースがある。渡辺さんは「障害を持つ人も同じ人間なのに、当たり前のことを学ぶ機会が奪われている。一座のステージが、障害者が置かれた状況を少しでも変えるきっかけになれば」と話している。

 次は11月30日、午後1時15分から日光コミニティーセンターである「世界エイズデー in GIFU」の中で上演する。問い合わせは渡辺さん(058・274・8190)。

支局長からの手紙:障害者条例をめざして /兵庫「脊髄損傷」(4)障害者初の監督ライセンス

2008年10月28日 01時06分34秒 | 障害者の自立
市民らからの寄付金を資金力の乏しいボランティア団体などに分配助成しているNPO法人「しみん基金・こうべ」(黒田裕子理事長)が23日、神戸市内で公開審査会を開きました。今年度の助成先を決めるための審査会で、昨年に続いて私も審査員の一人として参加しました。

 助成総額は300万円。宗教法人・高野山真言宗(和歌山県)からの寄付金が原資です。審査会には応募78団体のうち書類審査を通過した21団体が参加。神戸や尼崎などの8団体が選ばれましたが、その中の「自立生活センター リングリング」(中尾悦子代表、神戸市兵庫区)という団体が印象に残りました。

 リングリングは障害者自身が組織・運営する団体で、障害者が自立して生活できる社会の実現を目指しています。しかし、障害者を取り巻く環境は依然、厳しいものがあります。

 「他の客が嫌がるから」とレストランへの入店を断られた。車椅子が乗れるノンステップバスなのに、「使い方を知らない」と運転手に乗車を拒否された……。残念ながら、障害者への差別は日常の交通利用から教育、雇用などさまざまな場面で残っています。

 国連は06年に「障害者権利条約」を採択しました。障害者への差別を撤廃し、社会参加を促すのが目的で、障害者を対象にした初の国際条約です。しかし、日本は条約に署名はしたものの、批准には至っていません。国内法の整備が進んでいないからです。

 そこで、リングリングは兵庫県での「障害者差別禁止条例」制定に取り組むことにしました。06年に千葉県で成立した全国初の条例を参考にしたのです。メンバーで自身も交通事故による障害がある楠本哲郎さん(51)が言います。「法律ができれば、行政も企業も対応が変わるはずです。まず自治体で条例を作り、地方から法律制定の機運を高めたいのです」

 来年、千葉県の条例制定運動にかかわった行政書士や、国連の条約作りに日本代表として参加した弁護士を神戸に呼び、講演会を開く予定です。「行政の担当者も招き、理解を深めてもらい、一緒に条例作りをしたい」と楠本さんは話します。

 一方で、障害者から差別の具体的な事例を集める作業を既に始めています。千葉県の条例も、議会の一部や経済団体などが難色を示し、修正が加えられるなど曲折がありました。それでも成立にこぎつけられた要因の一つが、約800件もの具体的事例が県に寄せられたことだったそうです。

 行政や多くの市民団体を巻き込んだ運動に発展すれば、条例制定は十分に可能だと思います。事例集めを含め、問い合わせはリングリング(078・578・7358)へ

「脊髄損傷」(4)障害者初の監督ライセンス

2008年10月28日 01時01分05秒 | 障害者の自立
スペインで5年間サッカー指導者として学び、2000年に帰国した。日韓共催ワールドカップ開催を前に、サッカー熱が高まっていた。

 テレビのサッカー番組の解説や原稿執筆の仕事が舞い込んだ。だが、「現場に立ちたい」思いがまさった。

 03年、プロの監督への道が開けた。日本サッカー協会に、資格取得を目指す講習への参加を認められた。

 監督修業に、東京の強豪校、暁星高のコーチを務めた。練習は、朝と放課後の1日2回。サッカー解説の仕事も続けた。「寝る時間もありませんでした。でも、グラウンドに行くと元気になりました」

 念願かない、06年、Jリーグの監督に必要なライセンスを取った。車いすの障害者では初めて。暁星高も、13年ぶりに全国大会に出場した。

 「1人でも多く、Jリーガーを送り出したい」

 監督に就いたカマタマーレ讃岐の練習場には、いつも妻まゆみさん(43)の姿がある。選手に、おにぎりを握り、マッサージをし、陰で支える。

 「グラウンドに立てるのは、彼女のおかげ」。二人三脚でJリーグの舞台を目指す。

 (文・利根川昌紀、写真・中原正純)(次は俳優、唐渡(からと)亮さんです)