思春期精神病様体験者が日本でも15%いることが最近解かったこと(都立松沢病院・岡崎祐士院長調査)、未治療期間が短いほど予後が良いこと、しかもこの大事な時期に役立つ医療支援がなかったことが明らかになり、日本でも取り組みの準備が始まっていることを、私は「日本の児童の15%が精神病様体験あり」で報告しました。
その後、東京都最大の自治体である世田谷区でこの問題への関心が高まっています。ここで、世田谷区議会、区行政の現状を報告し、あわせて厚生労働省の動きもおしらせします。
世田谷区議会定例本会議で論議が始まる
9月16日から始まった世田谷区議会、今年第三回定例会本会議の初日、高橋昭彦議員(公明)は、精神保健で重要な質問をしました。思春期精神病様体験者の早期支援の必要性を訴え、三重や長崎での調査を紹介し、世田谷区内でも1万人以上の悩みを持つ若者が苦しんでいることが予想できる、全国に先駆けて若者のこころの悩みに対する啓発と早期支援をするよう質しました。続いて、10月6日、9日の決算特別委員会(全議員出席)では、福祉所管分、文教所管分それぞれで、諸星養一(公明幹事長)、高橋昭彦(公明政審会長)議員が質問に立ちました。
3回合わせて1時間近くをさいて、若者の精神病様体験について区にとりくむことを要請したのです。特に中学校でアンケートによる実態調査をはじめることを求めました。そして「8月末までこの問題の所在を知らなかった。知るにおよんで問題の重要さ、深さを考えた」と区の積極的行動を促す趣旨の発言をしました。区の教育次長は、最後には「頑張ります」と決意を述べて各党から「裏切るんじゃないぞ」とヤジと激励を受けていました。
私たち、精神障害者の家族会「世田谷さくら会」は、7月から8月にかけて区議会各会派への要請行動を行い、このなかで早期支援・家族支援の必要性を訴えてきました。公明党がまず応えたのです。質問した議員たちは、岡崎院長に直接会いヒヤリングを受けてきました。
早期支援・家族支援への態度に変化が出てきた世田谷区と厚労省
世田谷区では障害施策推進課、保健所、教育委員会が関連します。それぞれに8月から検討を始めたようです。議会での回答だけではわかりませんが、少しずつ積極的な姿勢が見えてきましたし、庁内では区議会の実況中継が注視され、家族会の会員に対する対応からも好意的な姿勢が読み取れます。
他方厚労省ですが、8月21日の「今後の精神保健医療福祉のあり方に関する検討会」でも、岡崎院長と都精神医学研究所の西田淳志研究員が有識者ヒアリングに呼ばれました。英国における精神保健改革の説明と家族支援の明確化、家族支援法による施行の紹介をおこなったのです。さらに9月3日の「……あり方検討会」で、論点整理・今後の方向性の中に「家族を支援する体制整備、家族同士のピアサポートや、精神障害者を取り巻くものに対する支援等を検討すべき」という文章が入りました。
日本では、1900(明治33)年の精神病者監護法以来、家族は監督義務を課せられ、1950(昭和25)年の精神衛生法でも引き継がれ、当事者の治療を受けさせる義務、自傷他害防止監督義務、医師への協力義務、医師の指示に従う義務を負わされてきました。1999(平成11)年の精神保健福祉法改正で義務が廃止されるまで、家族は「社会防衛」の側に縛りつけられ、当事者本人のニーズとの乖離に苦しめられ続けてきました。
いまだに当事者のみならず家族は、家の中、地域で孤立を強いられているのです。この家族への監督義務化が、日本の精神障害の入院中心の施策に色濃く反映し、社会サービスへの転換を阻んできました。自立支援法になっても利用できる精神障害者が他障害に較べて極端に少ない(障害者自立支援法の見直しに向けて-社会保障制度審障害者部会)のは、80%近くが家族と同居しているといった“当事者・家族問題”があること(……あり方検討会の提出資料より)などが原因となっています。
精神疾患を抱えた当事者や家族が地域生活をするうえで必要としているのは、適切で満足できる支援サービスです。混乱したときはいつでもどこにでも訪問してくれる支援チームです。残念ながら、家族支援サービスは供給者側の都合が優先されて、私たち需要者側のニーズは実現されていません。その意味でも、言葉だけでも家族支援に踏み込んだのは画期的なことのようです。
思春期精神の疾患は診察室で診るのが本当に良いのか
私たちは重要な問題に直面しています。思春期に幻覚・妄想といった精神病のような体験をする若者が6人に1人(国によっては4人に1人)いるとして、それではこの若者たちは、現在の日本の医療に任せていいのでしょうか。
私たちの家族会では、いま、伊藤恵子・著『心病んだ息子が遺していったもの』(日本文学館・発行)が回し読みされています。ご子息を医療機関の不適切な治療で殺された母親の手記です。こうした事例は枚挙に暇がありません。同書でも紹介されている笠陽一郎医師の著『精神科セカンドオピニオン』(シーニュ社発行)をご覧ください。笠医師自身が開設しているウェブサイト「毒舌セカンドオピニオン」からの情報は親たちの不安と憤りで溢れています。
こうした精神科医療の惨状は、専門家の間では常識になっているようです。思春期精神病様体験者の深刻さに対する受け皿の貧弱さについて、家族は日々苦しんでいるのですが、医療関係者およびその周辺の従事者の間でもわかっているのです。
体験者の90%が満足できる支援体制がある
私たちは思春期精神病様体験を、隣近所の住人やPTAの役員、町内会の役員にわかりやすく説明しようと思いました。
とてもいい素材が出てきました。今年のノーベル文学賞を受賞したル・クレジオです。「私たちはまことに脆弱な時代に生きている」と言う彼の二作目の著『発熱』は小さな狂気に関する9つの物語ですが、私たち家族会の人たちは何の違和感もなくこの世界を了解できます。若者の苦しみとともに現れる深い洞察の契機に、重要ななにかを見出すことが出来なければ家族の絆が結ばれないからです。
こうした精神疾患の様な状態は、当人のもって生まれたものと同時に環境ストレス(養育の変化、いじめなど)によって発症率は変動します。それだけでなく適切な時期に適切な支援があれば重症化を防げることがわかりました。
では、この支援体制はどのような社会サービスシステムとして定着するのでしょうか。私たちは、WHOの「ニューキャッスル宣言」(2004年)と、とりくんでいる先進国の経験に重要なヒントがあると思っています。少なくとも15分以上診察に時間をかければ赤字になってしまうような日本の現行精神医療制度では、医療過誤はなくなりませんし、ますます薬剤依存になってしまいます。
次の記事で私は、体験者の90%が満足できる早期支援・家族支援システムがあるか、またサービスの質をどのように高めるか、要員の確保はどうするか、といった問題に取り組んだ上で報告する予定です。いまはまだその前の段階です。
思春期の若者の調査にあわせて家族会は、未治療期間の医療実態調査の準備を始めています。世田谷のみならず隣近所の家族会が協力の手を上げてくれています。隣県の家族会理事も参加しています。さらに、保健や看護、PSW(精神保健福祉士)や臨床心理、作業療法などの分野の専門家も協力することになりました。調査の主体は皆がメンバーということで、「……を推進する会」といったものになると思っています。
私たちは、医師を否定しているのではないのです。ただ、診察室の中からだけでは、若者の心も生活も、社会に直面する不安もわからないのではないかと思っているのです。
その後、東京都最大の自治体である世田谷区でこの問題への関心が高まっています。ここで、世田谷区議会、区行政の現状を報告し、あわせて厚生労働省の動きもおしらせします。
世田谷区議会定例本会議で論議が始まる
9月16日から始まった世田谷区議会、今年第三回定例会本会議の初日、高橋昭彦議員(公明)は、精神保健で重要な質問をしました。思春期精神病様体験者の早期支援の必要性を訴え、三重や長崎での調査を紹介し、世田谷区内でも1万人以上の悩みを持つ若者が苦しんでいることが予想できる、全国に先駆けて若者のこころの悩みに対する啓発と早期支援をするよう質しました。続いて、10月6日、9日の決算特別委員会(全議員出席)では、福祉所管分、文教所管分それぞれで、諸星養一(公明幹事長)、高橋昭彦(公明政審会長)議員が質問に立ちました。
3回合わせて1時間近くをさいて、若者の精神病様体験について区にとりくむことを要請したのです。特に中学校でアンケートによる実態調査をはじめることを求めました。そして「8月末までこの問題の所在を知らなかった。知るにおよんで問題の重要さ、深さを考えた」と区の積極的行動を促す趣旨の発言をしました。区の教育次長は、最後には「頑張ります」と決意を述べて各党から「裏切るんじゃないぞ」とヤジと激励を受けていました。
私たち、精神障害者の家族会「世田谷さくら会」は、7月から8月にかけて区議会各会派への要請行動を行い、このなかで早期支援・家族支援の必要性を訴えてきました。公明党がまず応えたのです。質問した議員たちは、岡崎院長に直接会いヒヤリングを受けてきました。
早期支援・家族支援への態度に変化が出てきた世田谷区と厚労省
世田谷区では障害施策推進課、保健所、教育委員会が関連します。それぞれに8月から検討を始めたようです。議会での回答だけではわかりませんが、少しずつ積極的な姿勢が見えてきましたし、庁内では区議会の実況中継が注視され、家族会の会員に対する対応からも好意的な姿勢が読み取れます。
他方厚労省ですが、8月21日の「今後の精神保健医療福祉のあり方に関する検討会」でも、岡崎院長と都精神医学研究所の西田淳志研究員が有識者ヒアリングに呼ばれました。英国における精神保健改革の説明と家族支援の明確化、家族支援法による施行の紹介をおこなったのです。さらに9月3日の「……あり方検討会」で、論点整理・今後の方向性の中に「家族を支援する体制整備、家族同士のピアサポートや、精神障害者を取り巻くものに対する支援等を検討すべき」という文章が入りました。
日本では、1900(明治33)年の精神病者監護法以来、家族は監督義務を課せられ、1950(昭和25)年の精神衛生法でも引き継がれ、当事者の治療を受けさせる義務、自傷他害防止監督義務、医師への協力義務、医師の指示に従う義務を負わされてきました。1999(平成11)年の精神保健福祉法改正で義務が廃止されるまで、家族は「社会防衛」の側に縛りつけられ、当事者本人のニーズとの乖離に苦しめられ続けてきました。
いまだに当事者のみならず家族は、家の中、地域で孤立を強いられているのです。この家族への監督義務化が、日本の精神障害の入院中心の施策に色濃く反映し、社会サービスへの転換を阻んできました。自立支援法になっても利用できる精神障害者が他障害に較べて極端に少ない(障害者自立支援法の見直しに向けて-社会保障制度審障害者部会)のは、80%近くが家族と同居しているといった“当事者・家族問題”があること(……あり方検討会の提出資料より)などが原因となっています。
精神疾患を抱えた当事者や家族が地域生活をするうえで必要としているのは、適切で満足できる支援サービスです。混乱したときはいつでもどこにでも訪問してくれる支援チームです。残念ながら、家族支援サービスは供給者側の都合が優先されて、私たち需要者側のニーズは実現されていません。その意味でも、言葉だけでも家族支援に踏み込んだのは画期的なことのようです。
思春期精神の疾患は診察室で診るのが本当に良いのか
私たちは重要な問題に直面しています。思春期に幻覚・妄想といった精神病のような体験をする若者が6人に1人(国によっては4人に1人)いるとして、それではこの若者たちは、現在の日本の医療に任せていいのでしょうか。
私たちの家族会では、いま、伊藤恵子・著『心病んだ息子が遺していったもの』(日本文学館・発行)が回し読みされています。ご子息を医療機関の不適切な治療で殺された母親の手記です。こうした事例は枚挙に暇がありません。同書でも紹介されている笠陽一郎医師の著『精神科セカンドオピニオン』(シーニュ社発行)をご覧ください。笠医師自身が開設しているウェブサイト「毒舌セカンドオピニオン」からの情報は親たちの不安と憤りで溢れています。
こうした精神科医療の惨状は、専門家の間では常識になっているようです。思春期精神病様体験者の深刻さに対する受け皿の貧弱さについて、家族は日々苦しんでいるのですが、医療関係者およびその周辺の従事者の間でもわかっているのです。
体験者の90%が満足できる支援体制がある
私たちは思春期精神病様体験を、隣近所の住人やPTAの役員、町内会の役員にわかりやすく説明しようと思いました。
とてもいい素材が出てきました。今年のノーベル文学賞を受賞したル・クレジオです。「私たちはまことに脆弱な時代に生きている」と言う彼の二作目の著『発熱』は小さな狂気に関する9つの物語ですが、私たち家族会の人たちは何の違和感もなくこの世界を了解できます。若者の苦しみとともに現れる深い洞察の契機に、重要ななにかを見出すことが出来なければ家族の絆が結ばれないからです。
こうした精神疾患の様な状態は、当人のもって生まれたものと同時に環境ストレス(養育の変化、いじめなど)によって発症率は変動します。それだけでなく適切な時期に適切な支援があれば重症化を防げることがわかりました。
では、この支援体制はどのような社会サービスシステムとして定着するのでしょうか。私たちは、WHOの「ニューキャッスル宣言」(2004年)と、とりくんでいる先進国の経験に重要なヒントがあると思っています。少なくとも15分以上診察に時間をかければ赤字になってしまうような日本の現行精神医療制度では、医療過誤はなくなりませんし、ますます薬剤依存になってしまいます。
次の記事で私は、体験者の90%が満足できる早期支援・家族支援システムがあるか、またサービスの質をどのように高めるか、要員の確保はどうするか、といった問題に取り組んだ上で報告する予定です。いまはまだその前の段階です。
思春期の若者の調査にあわせて家族会は、未治療期間の医療実態調査の準備を始めています。世田谷のみならず隣近所の家族会が協力の手を上げてくれています。隣県の家族会理事も参加しています。さらに、保健や看護、PSW(精神保健福祉士)や臨床心理、作業療法などの分野の専門家も協力することになりました。調査の主体は皆がメンバーということで、「……を推進する会」といったものになると思っています。
私たちは、医師を否定しているのではないのです。ただ、診察室の中からだけでは、若者の心も生活も、社会に直面する不安もわからないのではないかと思っているのです。