久しぶりに「共済」という文字を目にした。兵庫県川西市で障害者たちと他の人とが共に地域で働く場を運営している「川西市障害者共働作業所あかね」(〒666-0017川西市火打1-5-19、電話/FAX 072-755-4101))が編集している「あかねニュース」(第55号、2008年02月15日)に冨田啓子さんが「どげんかせんといかん!?」と題して文章を書かれている。いつもこの機関誌の記事を楽しく読んでいる。今月号には巻頭の「『がんばろう』談義」や「バラにトゲあり」など、興味深い記事が満載である。毎号ぜひ、直接に手にとって読んでほしい。転載を了解していただいたので、ここに掲載する。原文に私が題名を改正し、中見出しも追加した。
■ 地域で暮らすことを望んできたが・・・
知的障害者を持つ親として、自分の息子も、地域の中で生きる事を望んで・・・活動を始めて32年。『あかねはうす』『共働作業所あかね』『あかねの夢』『老人福祉センター喫茶あかね』と、障害者が働くところが無いのだから働く場所を作ろう!ということで、地域の方々の応援を得て、4ヶ所の仕事場ができました。
あれから30数年。親も70歳をまじかに迎えようとする今。『私が死んだらこの子は・・・』いや『あかねの子らはどう生きていくんやろ』
■ なんとかしなくては・・・
今は、仕事が終わると親の元へ戻り(すでに親が亡くなった人も)また朝になると通ってくる。しかし、その親たちも高齢化し、生活面での保護が出来なくなる日が迫っている。
『なんとかせなあかん!』この10数年、ずっーと親亡き後の生活を考え続けてきましたが、名案などありません。
世の中はどんどんと人間同士のつながりなど薄くなり、お互いに助け合いましょう、共に生きましょうと声高に叫んでもシラケている世の中にあって、失望ばかりしている時間ももうないのです。
■ 大きな施設から地域への転換
10数年前までは、障害者の親亡き後は、『入所施設』老人は『特別養護老人ホーム』など大きな施設で過ごすのが定番でした。しかし、今は国も方針転換し『地域の中で・・・』ということになったのですが、受け皿づくりは、いっこうに進みません。
医療が進んでいなかった時代には、それなりに障害者の寿命も短命で、社会問題化しなかったのですが、今や障害者も高齢者も弱者とされ、社会問題化し長生きしていることが喜べない時代になっているのではないでしょうか。今こそみんなで知恵をしぼり、人と人のつながりを強くして、楽しく心は元気に長生きしたいものです。
■ 社会貢献を柱にした共済
そんなことを考えているとき、・・・私は、中川博迪というすごい人に出会っています。彼は共済を立ち上げ、ロードサービス、生命保険など、いくつかの事業を通して世の人々が人間らしくつながり、助け合い、幸せにいきるために活動し組織し、また、日本中を講演して回っておられます。
いろんな共済が全国にたくさんあるとは知っていましたが、弱者への社会貢献を柱に置き、人間同士のつながりと助け合いを最重点におかれた彼の理念は、私たちが、共に生きる社会つくりを目指すものと共通し、私の心をとらえました。わずか1年前のことでした。
今後、私自身が病気になり、息子を誰かに預けて入院した時、何が一番必要で準備しておかなければならないのか・・・など考えているとき、保険を思いついたことがご縁でした。
■ 自分たちも作りだす仕組みづくり
それから1年、その組織のこと、集まる方々との出会いを得て、私もエージェント(代理店)としてやってみようと決意しました。福祉の仕事を30年続けて思うことに、地域の皆さんのご好意を受ける機会が毎日のようにあり、自分たちの活動の中にややもすると人間のおごりが出てきてしまいます。
つねに自分を律し、努力することを忘れないように、自分をひきしめなければなりません。社会貢献をしてくださる方々の想いを、受けとめる側として、充分に活動に生かすためには、受ける側が限りなくその心に近づかなければなりません。
受け取って当たり前の世界にしない為には、自分自身を磨く努力を常々しなければなりません。私も人間である以上ややもすると忘れがちです。
■ ギブ・アンド・テイクで対等に
そこで、エキスパート・アライアンスという共済(今年04月01日から保険会社へ移行するそうです)と出会って、まずは私はエージェントとして努力してみよう。その上で、あかねが今抱えている障害者の生活(グループホーム・生活ホームなど)を実現するために、社会貢献として、一緒に考えて頂きたいと思っています。
常にギブ・アンド・テイク。その上で対等に人間が人間らしく生きるための知恵をもらいたいと願っています。次回、中川博迪さんが考えておられる『世のため人のためちょっと自分のため』『世の中を変えよう』をみなさんといっしょに考えてみたいと思います。
冨田 啓子
以上が「あかねニュース」に掲載された冨田さんの文章である。
■ 親たちが安心できる社会を創り出せなかった私たち――大谷のコメント(1)
障害者の親たちは多くの場合「親亡き後」の心配をされている。それに対して、親がいなくなっても、障害者たちが安心できる社会を作ると、言ってきた。親たちは障害者たちが安心できる社会や、自分の姿をどうどうと表現できる社会が創り出されると望んだことであろう。
しかし、本当に実現するように動いているとは思えない。つまり、社会はどうもそうした方向に向っているのだろう。人々がその理想を現実のものにするために、動いていることは事実だ。本人たちや家族も、力を出してきた。でも、社会は(あるいは人々は)なかなか変わらない。
親たちだけに背負うように求めていたのではないか。自己決定という名のもとに、本人たちだけに迫っていたともいえる。社会の人々も、親たちに「なんとかしなければ・・・」と考えるように無意識のうちに迫っていたともいえる。冨田さんの原文の題名が「どげんかせんといかん!?」となっているのも、そうだろう。
■ 自分たちも拠出することで社会を作りかえる――大谷のコメント(2)
冨田さんの文章にあるように、福祉を作りだし自分たちも暮らしやすい社会に変革するには、自分たちも社会的な活動を行なう。一人一人がわずかなお金を出し合って、必要なときにはお金で支援をうける。その具体的な姿が共済(互助)、友愛組織である。
たしかに、この仕組みは近代社会に幅広い影響力をもつ自助努力の範囲内にある。自分たちで互いに支え合う。相互扶助ともいう。宗教的な背景もあるとも言われる。支援を受ける人々も、いざというときに自分たちで備える。社会保障制度や福祉国家論の基礎には、切羽詰った人々が互いに支え合う仕組みがあると思う。
かつて連帯社会を労働者の友愛組織、つまり共済組合から作り直す提案をしたことも私にはある。無関係とはいえない。公的な制度による社会保障制度・福祉制度がずたずたに切り刻まれ、保障される水準も引き下げられている今の時代には、より必要とされる自主的な制度である。
人々が自分たちでお互いに資金を出し合い、貯めて置く(基金を形成)。生活を営むうえであるいは、損失補償や出なおすために資金が必要なときには、メンバーはだれでも遠慮なく利用できる。お互い様をお金を通じた拠出・給付でむすびあう。人々の連帯を組織化したものが、社会の基礎になるはずだ。その社会の土台には「お互い様」とでもいう人々の営みがあると思う。
■ やはり自主的な共済制度に辿り着く人々の営み――大谷のコメント(3)
もちろん、こうした相互扶助の仕組みに対応する社会的制度は、社会保険である。社会保障政策とすれば、たとえ財源の形態は「税金」であっても、同じ連帯原理が働いている。
もっとも、保険的なアクチュアリーが存在しないなど、共済制度には保険業界とは違うリスク面もある。そのかわり、掛け金は安くてすむ。市場主義政策(小さな政府論で運営されている)が政界・財界の主流になっている日本では、最近、共済制度について「金融改革」の一環として変革を迫る動きがある。また、保険業界への侵食を防ぐ面もあり、また消費者保護の一環としても、共済(とくに無認可共済)のあり方について政府やマスコミ、人々の批判が集中している。
自分たちで自分たち(あるいは家族、あるいは社会の中で力を発揮できにくい状態にある人々)のために準備する。信頼できる社会の仕組みの始まりだ。支援する者と支援を受ける者が対等な関係を作り出せる。それをより安定化し、大規模化した制度が、社会保障政策とか福祉政策であろうし、根底から連帯型社会を作ることに取り組むきっかけになるだろう。
社会の人々や社会的な政策が変わるのをまっていることは出来ない。切羽詰っているし、急いでいるのだ。だから自分たちでとりあえず、なにかしてみようといろいろと考えた冨田さんたちの労苦を自分たちが引き受けなくてはならないだろう。
■ 地域で暮らすことを望んできたが・・・
知的障害者を持つ親として、自分の息子も、地域の中で生きる事を望んで・・・活動を始めて32年。『あかねはうす』『共働作業所あかね』『あかねの夢』『老人福祉センター喫茶あかね』と、障害者が働くところが無いのだから働く場所を作ろう!ということで、地域の方々の応援を得て、4ヶ所の仕事場ができました。
あれから30数年。親も70歳をまじかに迎えようとする今。『私が死んだらこの子は・・・』いや『あかねの子らはどう生きていくんやろ』
■ なんとかしなくては・・・
今は、仕事が終わると親の元へ戻り(すでに親が亡くなった人も)また朝になると通ってくる。しかし、その親たちも高齢化し、生活面での保護が出来なくなる日が迫っている。
『なんとかせなあかん!』この10数年、ずっーと親亡き後の生活を考え続けてきましたが、名案などありません。
世の中はどんどんと人間同士のつながりなど薄くなり、お互いに助け合いましょう、共に生きましょうと声高に叫んでもシラケている世の中にあって、失望ばかりしている時間ももうないのです。
■ 大きな施設から地域への転換
10数年前までは、障害者の親亡き後は、『入所施設』老人は『特別養護老人ホーム』など大きな施設で過ごすのが定番でした。しかし、今は国も方針転換し『地域の中で・・・』ということになったのですが、受け皿づくりは、いっこうに進みません。
医療が進んでいなかった時代には、それなりに障害者の寿命も短命で、社会問題化しなかったのですが、今や障害者も高齢者も弱者とされ、社会問題化し長生きしていることが喜べない時代になっているのではないでしょうか。今こそみんなで知恵をしぼり、人と人のつながりを強くして、楽しく心は元気に長生きしたいものです。
■ 社会貢献を柱にした共済
そんなことを考えているとき、・・・私は、中川博迪というすごい人に出会っています。彼は共済を立ち上げ、ロードサービス、生命保険など、いくつかの事業を通して世の人々が人間らしくつながり、助け合い、幸せにいきるために活動し組織し、また、日本中を講演して回っておられます。
いろんな共済が全国にたくさんあるとは知っていましたが、弱者への社会貢献を柱に置き、人間同士のつながりと助け合いを最重点におかれた彼の理念は、私たちが、共に生きる社会つくりを目指すものと共通し、私の心をとらえました。わずか1年前のことでした。
今後、私自身が病気になり、息子を誰かに預けて入院した時、何が一番必要で準備しておかなければならないのか・・・など考えているとき、保険を思いついたことがご縁でした。
■ 自分たちも作りだす仕組みづくり
それから1年、その組織のこと、集まる方々との出会いを得て、私もエージェント(代理店)としてやってみようと決意しました。福祉の仕事を30年続けて思うことに、地域の皆さんのご好意を受ける機会が毎日のようにあり、自分たちの活動の中にややもすると人間のおごりが出てきてしまいます。
つねに自分を律し、努力することを忘れないように、自分をひきしめなければなりません。社会貢献をしてくださる方々の想いを、受けとめる側として、充分に活動に生かすためには、受ける側が限りなくその心に近づかなければなりません。
受け取って当たり前の世界にしない為には、自分自身を磨く努力を常々しなければなりません。私も人間である以上ややもすると忘れがちです。
■ ギブ・アンド・テイクで対等に
そこで、エキスパート・アライアンスという共済(今年04月01日から保険会社へ移行するそうです)と出会って、まずは私はエージェントとして努力してみよう。その上で、あかねが今抱えている障害者の生活(グループホーム・生活ホームなど)を実現するために、社会貢献として、一緒に考えて頂きたいと思っています。
常にギブ・アンド・テイク。その上で対等に人間が人間らしく生きるための知恵をもらいたいと願っています。次回、中川博迪さんが考えておられる『世のため人のためちょっと自分のため』『世の中を変えよう』をみなさんといっしょに考えてみたいと思います。
冨田 啓子
以上が「あかねニュース」に掲載された冨田さんの文章である。
■ 親たちが安心できる社会を創り出せなかった私たち――大谷のコメント(1)
障害者の親たちは多くの場合「親亡き後」の心配をされている。それに対して、親がいなくなっても、障害者たちが安心できる社会を作ると、言ってきた。親たちは障害者たちが安心できる社会や、自分の姿をどうどうと表現できる社会が創り出されると望んだことであろう。
しかし、本当に実現するように動いているとは思えない。つまり、社会はどうもそうした方向に向っているのだろう。人々がその理想を現実のものにするために、動いていることは事実だ。本人たちや家族も、力を出してきた。でも、社会は(あるいは人々は)なかなか変わらない。
親たちだけに背負うように求めていたのではないか。自己決定という名のもとに、本人たちだけに迫っていたともいえる。社会の人々も、親たちに「なんとかしなければ・・・」と考えるように無意識のうちに迫っていたともいえる。冨田さんの原文の題名が「どげんかせんといかん!?」となっているのも、そうだろう。
■ 自分たちも拠出することで社会を作りかえる――大谷のコメント(2)
冨田さんの文章にあるように、福祉を作りだし自分たちも暮らしやすい社会に変革するには、自分たちも社会的な活動を行なう。一人一人がわずかなお金を出し合って、必要なときにはお金で支援をうける。その具体的な姿が共済(互助)、友愛組織である。
たしかに、この仕組みは近代社会に幅広い影響力をもつ自助努力の範囲内にある。自分たちで互いに支え合う。相互扶助ともいう。宗教的な背景もあるとも言われる。支援を受ける人々も、いざというときに自分たちで備える。社会保障制度や福祉国家論の基礎には、切羽詰った人々が互いに支え合う仕組みがあると思う。
かつて連帯社会を労働者の友愛組織、つまり共済組合から作り直す提案をしたことも私にはある。無関係とはいえない。公的な制度による社会保障制度・福祉制度がずたずたに切り刻まれ、保障される水準も引き下げられている今の時代には、より必要とされる自主的な制度である。
人々が自分たちでお互いに資金を出し合い、貯めて置く(基金を形成)。生活を営むうえであるいは、損失補償や出なおすために資金が必要なときには、メンバーはだれでも遠慮なく利用できる。お互い様をお金を通じた拠出・給付でむすびあう。人々の連帯を組織化したものが、社会の基礎になるはずだ。その社会の土台には「お互い様」とでもいう人々の営みがあると思う。
■ やはり自主的な共済制度に辿り着く人々の営み――大谷のコメント(3)
もちろん、こうした相互扶助の仕組みに対応する社会的制度は、社会保険である。社会保障政策とすれば、たとえ財源の形態は「税金」であっても、同じ連帯原理が働いている。
もっとも、保険的なアクチュアリーが存在しないなど、共済制度には保険業界とは違うリスク面もある。そのかわり、掛け金は安くてすむ。市場主義政策(小さな政府論で運営されている)が政界・財界の主流になっている日本では、最近、共済制度について「金融改革」の一環として変革を迫る動きがある。また、保険業界への侵食を防ぐ面もあり、また消費者保護の一環としても、共済(とくに無認可共済)のあり方について政府やマスコミ、人々の批判が集中している。
自分たちで自分たち(あるいは家族、あるいは社会の中で力を発揮できにくい状態にある人々)のために準備する。信頼できる社会の仕組みの始まりだ。支援する者と支援を受ける者が対等な関係を作り出せる。それをより安定化し、大規模化した制度が、社会保障政策とか福祉政策であろうし、根底から連帯型社会を作ることに取り組むきっかけになるだろう。
社会の人々や社会的な政策が変わるのをまっていることは出来ない。切羽詰っているし、急いでいるのだ。だから自分たちでとりあえず、なにかしてみようといろいろと考えた冨田さんたちの労苦を自分たちが引き受けなくてはならないだろう。