ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

共済活動を通して世の中を変える

2008年10月20日 00時10分34秒 | 障害者の自立
 久しぶりに「共済」という文字を目にした。兵庫県川西市で障害者たちと他の人とが共に地域で働く場を運営している「川西市障害者共働作業所あかね」(〒666-0017川西市火打1-5-19、電話/FAX 072-755-4101))が編集している「あかねニュース」(第55号、2008年02月15日)に冨田啓子さんが「どげんかせんといかん!?」と題して文章を書かれている。いつもこの機関誌の記事を楽しく読んでいる。今月号には巻頭の「『がんばろう』談義」や「バラにトゲあり」など、興味深い記事が満載である。毎号ぜひ、直接に手にとって読んでほしい。転載を了解していただいたので、ここに掲載する。原文に私が題名を改正し、中見出しも追加した。

■ 地域で暮らすことを望んできたが・・・
 知的障害者を持つ親として、自分の息子も、地域の中で生きる事を望んで・・・活動を始めて32年。『あかねはうす』『共働作業所あかね』『あかねの夢』『老人福祉センター喫茶あかね』と、障害者が働くところが無いのだから働く場所を作ろう!ということで、地域の方々の応援を得て、4ヶ所の仕事場ができました。

 あれから30数年。親も70歳をまじかに迎えようとする今。『私が死んだらこの子は・・・』いや『あかねの子らはどう生きていくんやろ』

■ なんとかしなくては・・・
 今は、仕事が終わると親の元へ戻り(すでに親が亡くなった人も)また朝になると通ってくる。しかし、その親たちも高齢化し、生活面での保護が出来なくなる日が迫っている。

 『なんとかせなあかん!』この10数年、ずっーと親亡き後の生活を考え続けてきましたが、名案などありません。

 世の中はどんどんと人間同士のつながりなど薄くなり、お互いに助け合いましょう、共に生きましょうと声高に叫んでもシラケている世の中にあって、失望ばかりしている時間ももうないのです。

■ 大きな施設から地域への転換
 10数年前までは、障害者の親亡き後は、『入所施設』老人は『特別養護老人ホーム』など大きな施設で過ごすのが定番でした。しかし、今は国も方針転換し『地域の中で・・・』ということになったのですが、受け皿づくりは、いっこうに進みません。

 医療が進んでいなかった時代には、それなりに障害者の寿命も短命で、社会問題化しなかったのですが、今や障害者も高齢者も弱者とされ、社会問題化し長生きしていることが喜べない時代になっているのではないでしょうか。今こそみんなで知恵をしぼり、人と人のつながりを強くして、楽しく心は元気に長生きしたいものです。

■ 社会貢献を柱にした共済
 そんなことを考えているとき、・・・私は、中川博迪というすごい人に出会っています。彼は共済を立ち上げ、ロードサービス、生命保険など、いくつかの事業を通して世の人々が人間らしくつながり、助け合い、幸せにいきるために活動し組織し、また、日本中を講演して回っておられます。

 いろんな共済が全国にたくさんあるとは知っていましたが、弱者への社会貢献を柱に置き、人間同士のつながりと助け合いを最重点におかれた彼の理念は、私たちが、共に生きる社会つくりを目指すものと共通し、私の心をとらえました。わずか1年前のことでした。

 今後、私自身が病気になり、息子を誰かに預けて入院した時、何が一番必要で準備しておかなければならないのか・・・など考えているとき、保険を思いついたことがご縁でした。

■ 自分たちも作りだす仕組みづくり
 それから1年、その組織のこと、集まる方々との出会いを得て、私もエージェント(代理店)としてやってみようと決意しました。福祉の仕事を30年続けて思うことに、地域の皆さんのご好意を受ける機会が毎日のようにあり、自分たちの活動の中にややもすると人間のおごりが出てきてしまいます。

 つねに自分を律し、努力することを忘れないように、自分をひきしめなければなりません。社会貢献をしてくださる方々の想いを、受けとめる側として、充分に活動に生かすためには、受ける側が限りなくその心に近づかなければなりません。

 受け取って当たり前の世界にしない為には、自分自身を磨く努力を常々しなければなりません。私も人間である以上ややもすると忘れがちです。

■ ギブ・アンド・テイクで対等に
 そこで、エキスパート・アライアンスという共済(今年04月01日から保険会社へ移行するそうです)と出会って、まずは私はエージェントとして努力してみよう。その上で、あかねが今抱えている障害者の生活(グループホーム・生活ホームなど)を実現するために、社会貢献として、一緒に考えて頂きたいと思っています。

 常にギブ・アンド・テイク。その上で対等に人間が人間らしく生きるための知恵をもらいたいと願っています。次回、中川博迪さんが考えておられる『世のため人のためちょっと自分のため』『世の中を変えよう』をみなさんといっしょに考えてみたいと思います。

冨田 啓子

 以上が「あかねニュース」に掲載された冨田さんの文章である。

■ 親たちが安心できる社会を創り出せなかった私たち――大谷のコメント(1)
 障害者の親たちは多くの場合「親亡き後」の心配をされている。それに対して、親がいなくなっても、障害者たちが安心できる社会を作ると、言ってきた。親たちは障害者たちが安心できる社会や、自分の姿をどうどうと表現できる社会が創り出されると望んだことであろう。

 しかし、本当に実現するように動いているとは思えない。つまり、社会はどうもそうした方向に向っているのだろう。人々がその理想を現実のものにするために、動いていることは事実だ。本人たちや家族も、力を出してきた。でも、社会は(あるいは人々は)なかなか変わらない。

 親たちだけに背負うように求めていたのではないか。自己決定という名のもとに、本人たちだけに迫っていたともいえる。社会の人々も、親たちに「なんとかしなければ・・・」と考えるように無意識のうちに迫っていたともいえる。冨田さんの原文の題名が「どげんかせんといかん!?」となっているのも、そうだろう。

■ 自分たちも拠出することで社会を作りかえる――大谷のコメント(2)
 冨田さんの文章にあるように、福祉を作りだし自分たちも暮らしやすい社会に変革するには、自分たちも社会的な活動を行なう。一人一人がわずかなお金を出し合って、必要なときにはお金で支援をうける。その具体的な姿が共済(互助)、友愛組織である。

 たしかに、この仕組みは近代社会に幅広い影響力をもつ自助努力の範囲内にある。自分たちで互いに支え合う。相互扶助ともいう。宗教的な背景もあるとも言われる。支援を受ける人々も、いざというときに自分たちで備える。社会保障制度や福祉国家論の基礎には、切羽詰った人々が互いに支え合う仕組みがあると思う。

 かつて連帯社会を労働者の友愛組織、つまり共済組合から作り直す提案をしたことも私にはある。無関係とはいえない。公的な制度による社会保障制度・福祉制度がずたずたに切り刻まれ、保障される水準も引き下げられている今の時代には、より必要とされる自主的な制度である。

 人々が自分たちでお互いに資金を出し合い、貯めて置く(基金を形成)。生活を営むうえであるいは、損失補償や出なおすために資金が必要なときには、メンバーはだれでも遠慮なく利用できる。お互い様をお金を通じた拠出・給付でむすびあう。人々の連帯を組織化したものが、社会の基礎になるはずだ。その社会の土台には「お互い様」とでもいう人々の営みがあると思う。

■ やはり自主的な共済制度に辿り着く人々の営み――大谷のコメント(3)
 もちろん、こうした相互扶助の仕組みに対応する社会的制度は、社会保険である。社会保障政策とすれば、たとえ財源の形態は「税金」であっても、同じ連帯原理が働いている。

 もっとも、保険的なアクチュアリーが存在しないなど、共済制度には保険業界とは違うリスク面もある。そのかわり、掛け金は安くてすむ。市場主義政策(小さな政府論で運営されている)が政界・財界の主流になっている日本では、最近、共済制度について「金融改革」の一環として変革を迫る動きがある。また、保険業界への侵食を防ぐ面もあり、また消費者保護の一環としても、共済(とくに無認可共済)のあり方について政府やマスコミ、人々の批判が集中している。

 自分たちで自分たち(あるいは家族、あるいは社会の中で力を発揮できにくい状態にある人々)のために準備する。信頼できる社会の仕組みの始まりだ。支援する者と支援を受ける者が対等な関係を作り出せる。それをより安定化し、大規模化した制度が、社会保障政策とか福祉政策であろうし、根底から連帯型社会を作ることに取り組むきっかけになるだろう。

 社会の人々や社会的な政策が変わるのをまっていることは出来ない。切羽詰っているし、急いでいるのだ。だから自分たちでとりあえず、なにかしてみようといろいろと考えた冨田さんたちの労苦を自分たちが引き受けなくてはならないだろう。


放火?:障害者施設で 15日に続き2階焼く--横浜 /神奈川

2008年10月20日 00時07分58秒 | 障害者の自立
 18日午後5時半ごろ、横浜市戸塚区川上町の障害者自立支援施設「東戸塚地域活動ホームひかり」(林茂雄施設長)2階作業室から出火、約8平方メートルを焼いた。15日にも2階の1室が全焼しており、戸塚署は放火の疑いが濃いとみて捜査を始めた。

 調べでは、18日の出火時は男性職員(29)と女性職員(29)、利用者(14)の計3人がホームにおり、火災に気付いた男性職員が119番した。15日は午後2時50分ごろ出火、約10メートル離れた倉庫兼更衣室(約25平方メートル)が焼けた。

 ホームは通所型施設で、鉄筋コンクリート3階建て。職員約40人が勤務、約40人が通所している。同署は施設内の構造に詳しい人物が放火した可能性が高いとみて、トラブルの有無などを調べている。【

神奈川・綾瀬の知的障害者施設放火 「聖書の教え」挫折

2008年10月20日 00時05分09秒 | 障害者の自立
 3人の命が奪われた神奈川県綾瀬市の知的障害者施設「ハイムひまわり」の放火事件から4カ月余。建物の所有者で元施設世話人の志村桂子容疑者(64)が現住建造物等放火罪で起訴された。事件の背後に「奉仕の心」を全うできなかった志村被告の挫折が浮かぶ。

 亡くなった入居者の一人、磯崎昭さん(当時57歳)の兄政洋さん宅に1枚のちぎり絵が残る。色鉛筆で塗ったカラフルな絵を見ながら、政洋さんは「昭が、こんな絵を描けたなんて驚いた」と話した。

 昭さんは幼少時、発達に障害があるダウン症と診断された。ハイムには94年8月の開設当初から入居、平日は社会福祉法人「聖音会」(鎌倉市、小原勉理事長)が運営する知的障害者施設「綾瀬ホーム」でプラスチック製の持ち手を紙袋につける作業に従事した。

 遺作の絵は、昭さんの告別式式次第の表紙にも使われた。司式を務めた鈴木伸治牧師(69)は「明るく、誰からも愛された昭さんの人生は、神から示された愛に生きたと思う」と語り、聖書のことばを贈った。

 「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます」

     ■

 「ハイムひまわり」は、志村被告が自らの資金で、自宅の隣に建設した。動機は、クリスチャンだったことが大きい。

 10代に相次いで両親を亡くし、自宅が建つ土地約1000平方メートルを相続した志村被告は、資金として自宅建物と土地を担保に4000万円を借りた。キリスト教系の「聖音会」に知的障害者グループホームとケアホームとして賃貸した。自ら「人の役に立ちたい」と申し出たという。

 年齢40歳ぐらいより上を対象に定員は7人。綾瀬ホームの佐竹敬園長が施設長を兼任していたが、障害者のみで生活する施設のため、当初は志村被告は世話人として食事の支度をしていた。

 友人の女性(60)は3年前の夏、ハイムの食堂で料理をごちそうになった。「志村さん、志村さん」。入居者の女性が志村被告について歩き、離れなかった。しかし一昨年春再訪すると、同じ入居者が「志村さんはいない」と玄関を閉め、ちょうどハイム前の庭に来た志村被告に「お前の来るところじゃない」と大声を出していたのを覚えている。志村被告が世話人をやめたのはこのころだ。

 志村被告は90年ごろから精神的に波があり、入居者用の夕食を作らない日もあったという。綾瀬ホーム側は00年から報酬や家賃を減額し、ぎくしゃくしていたのは事実のようだ。

 「園長や入居者と折り合いが悪くなった。火をつけてなくしてしまいたかった」と供述しているという志村被告。「思い当たることはない」とする施設側。言い分は食い違う。

     ■

 終戦後、連合国軍総司令部のマッカーサー最高司令官が降り立ち、米軍厚木基地が市面積の2割を占める綾瀬市は、大都市のベッドタウンとして発展、ハイムも、住宅密集地にあった。

 ハイムの入所者は朝夕、近くの公園を散歩し、近所の人たちとあいさつを交わした。町内会の盆踊りでは、志村被告らと一緒に、子供たちに交じって踊った。

 だが、周辺を歩くと、入居者と普段の付き合いがあったという人は少ない。ハイムに出入りしていた女性(64)でも「3人が亡くなりかわいそうだと思うが、ハイムがなくなっても地域に影響はない」と話し、微妙な距離感をにじませた。

     ■

 3人の子供を育て上げ、国際交流にも熱心だった志村被告は、自宅前で服や筆記用具の寄付を募り、訪問先のカンボジアでは孤児らに布からスカートやズボンを縫ってあげたりしていた。事件5日後の6月7日には、数カ月の予定でブラジルへ出発することになっており、知人には「老人施設でボランティアをする」と話していたという。

 かつては、亡くなった磯崎昭さんら入所者と一緒に鈴木牧師の訪問を受けてハイムでの礼拝もしていた。

 昭さんの告別式で鈴木牧師が読んだのは、「ヨハネの手紙」の4章「神は愛」(7~21節)の一部だが、読まれなかった部分にこんな一節がある。

 「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です」

 現在、神奈川県警の留置場で過ごす志村被告の元には、家族から聖書が届けられているという。

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 ■ことば

 ◇ハイムひまわり放火事件
 起訴状によると、志村被告は6月2日午前2時すぎ、ハイムひまわりの1階物置に火を放ち木造2階建て施設約320平方メートルを全焼させた。入居者7人のうち男女計3人が亡くなり男性1人が重傷。県警は殺人と現住建造物等放火容疑で逮捕。横浜地検は、鑑定留置の結果「刑事責任は問える」と判断し10月3日に起訴したが、殺人罪については「殺意があったか疑問」と不起訴とした。


「心の病」急増 道内の「精神障害者手帳」交付は10年で4倍超 後編

2008年10月20日 00時01分53秒 | 障害者の自立
虐待、事件、災害、ギャンブル、酒などさまざまな問題が起因。


  「精神障害者保健福祉手帳」の交付は、知的障害を除く精神疾患を有し、長期にわたり日常生活や社会生活に制約のある人が対象。精神保健指定医などの診断書をもとに障害の重い順に1級、2級、3級のいずれかに判定され、所得税の障害者控除などの支援策が講じられている。

 道内での1998年度の交付は5,809人(1級1,551人、2級3,587人、3級671人)だったが、01年度に1万人を突破。06年度には2万人を超え、昨年度は2万4,271人(1級2,453人、2級1万5,520人、3級6,298人)にのぼった。手帳の交付者はこの10年間で4倍超。95年度の1171人(1級244人、2級700人、3級227人)と比べると、実に20倍である。

 精神障害者保健福祉手帳の判定業務を行っている北海道立精神保健福祉センターの田辺等所長は、手帳交付の急増を次のようにみている。

 「統合失調症の発生率が上がっているという根拠はないが、軽症のうちに自ら受診する人も増えている。うつ病などの人は、複雑な社会や価値観の多様化などから生き方に迷ったり、リストラ、仕事や経済のシステム変換がストレスになりやすい。社会に福祉の支援が必要という理解が広がり、手帳を取得するための福祉サービスの質が高まって、公的支援を受ける人が増えた。そのため、潜在的な人を把握しやすくなったこともある」

 精神疾患の増加は職場での長時間労働や成果主義の導入も、原因のひとつとされているが、虐待やDV(ドメスティック・バイオレンス)、地震などの災害、事件の被害者や遺族としての悩み、ギャンブルや買い物、アルコールの依存症、発達障害、引きこもりといったさまざまな問題が起因している場合も少なくない。

 道内における07年(1月~12月)の精神障害者把握数は12万9,330人(98年度は6万7,193人)。内訳は、うつ病性障害などの気分障害4万1,110人、統合失調症3万9,325人、離人症障害や不安障害などの神経症性障害1万3,056人、アルコールなどによる精神作用物質による精神・行動の障害5,840人、器質性精神障害(認知症)4,747人。

 同センターでは道民(詳細は関連サイト参照)を対象に、医師、保健師、精神保健福祉士(PSW)、作業療法士などが、来所相談、こころの電話相談、こころの電子メール相談に応じている。