ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

誰もが自由に行動できる協同のまちづくりの実現に向けて

2008年10月19日 00時44分02秒 | 障害者の自立
 1999年02月06日(土)に第1回の「障害者・高齢者が歩く雪中デモ行進」が開催された。場所は札幌市西区にあるJR琴似駅から西区民センターまでの約800メートルであった。主催は「障害者福祉の充実を求める西区ネットワーク」と「介護の社会化を進める1万人市民委員会西区」であった。2008年02月09日には第10回目のデモが行われた。そうだった。1999年というときは、2000年04月の介護保険制度が始まる前で、各地で介護、ひいては福祉の社会化を目的にした市民委員会が設立されていた時代だった。もっといえば、さまざまな課題を抱えた市民が社会的に自立する動きが全国に広がった。札幌西区のデモを主催した団体の一つであった「障害者福祉の充実を求める西区ネットワーク」は、中心が障害者ワープロフロアー」であった。その活動を引き継いだNPO法人「札幌・障害者活動支援センターライフ」が、機関誌「アドボケイト」(第92号、2008年03月10日付け)で経過と参加者の感想を掲載する特集をしている。引用しながら思いついたことを書いてみる。

■ デモによってまちの様相が改善された
 雪中デモを始めたころはJR「琴似駅」(函館本線で札幌駅から小樽方面へ2駅目――大谷注)には、エレベーターがなかったという。ところが、近くにケア付き住宅があったそうだ。そこに住む人たちはJRを利用するためにわざわざタクシーでJR「桑園駅」(琴似駅よりも1駅札幌寄り――大谷注)まで移動していたという。作業所に通う人たちは凍って滑る歩道を這いつくばって通っていたそうだ。だから「冬でも自由に動きたい」という市民の願いは、雪中デモ行進につながったという。

 そういえば、温暖の地育ちの私は、札幌でバリアフリーの話をしていて戸惑った。車イスが自由に通行できる歩道の整備を主張したが、雪で車イスでの行動ができないという訴えであった。雪かきをしたらよいと答えたが、むしろ車道の雪を歩道に跳ね上げるだけとか、歩道は凍ってしまうとかが実情だった。雪がたくさん降り積もる場所では、温暖地で当然だったバリアフリー化の手段も違うことに気づいた。

 こうした雪中デモ行進や交渉の効果だろう。琴似本通はロードヒーティングや流雪溝が作られたという。数年前に行ったときも、JR琴似駅からの歩道は歩きやすかった。歩行者も増えていたように感じた。JR琴似駅にもエレベーターが設置されたという。

■ まちづくりも協同の取り組みで実現したい
 沿道には多様な反応をする人たちがいた。車の運転手は「お前らじゃまだー」とばかりにクラクションを鳴らす。商店街の人々には手を振って応援してくれる人もいた。デモ行進に入る人々も出て来るようになったとの感想もある。

 ただ、まだ多くの障害者や要介護という判定をされた人や判定を受けていない高齢者たちは、家の中に閉じこもって(あるいは閉じ込められて)、かすかにデモ行進の気配を感じ取っているだけだろう。あるいは身近な人たちに、そうした外出しにくい人たちがいるだろう。もっと多くの人たちに加わってほしい。その意味では、まだまだデモ行進を継続する意義もあると思う。

 参加した人の意見によると、デモのシュプレヒコールの内容も変わってきたそうだ。始めは「バリアをなくせ」「歩きやすい道にしろ」とか「エレベーターをつけろ」という要求型が多かった。それが「共に生き、共に働く場を作ろう」という提案型に変化してきたという。

 これに関連して「共生・協働」の活動の中から生まれた。障害者だけの活動ではなくて、高齢者や子どもたち、街の人々も関わることに意義がある。企画も「協同企画」というところに意義があると主張する人もいる。とりわけ要介護や要支援など生活課題を抱えていないように見える人でも、本当のところ困っているのだ。とりあえず、当面はなんとかやりくりできるから、表面化しないだけであろう。そうしたはっきりと主張が明確になっていない人々にも思いをはせる想像力が必要だろう。

 NPO法人札幌・障害者活動支援センターの機関誌「アドボケイト」の同じ号では、最後のページに「協同労働の協同組合法制化を求める市民の集いin北海道」の開催案内が掲載されている。協同というキーワードは同じだ。協同労働という新しい働き方を通じて人間が安心して暮らせるように社会を改革するというテーマとみた。関連しているようだ。

■ 障害者の一部や周辺の人々の意識も改革する必要
 デモ行進に参加した人はいう。障害者の意識を変えることが大切だと。どういう方向にだろうか?もっと地域に出て自立を試みるための意識改革が必要だという。その形態の一つとして、たとえばデモ行進に参加するということもある。あるいは、働く場に出勤して、給料に結びつき(これは働く意識を支える上で重要な要素でもある)、人とかかわる仕事を行なうこともあるだろう。働く場に出勤しているのに1割の自己負担を強いられることの理不尽さも感じるだろう。

 障害者や高齢者も、多くの人々も社会を支え、参画する意志が重要だと思う。それが力量やお金を通じた人と人の協同=連帯を作る。どんな状態になったとしても、今の社会の一員という意識を持ち続けたいものだ。

 参加者中の感想を読むと、たとえば「一人の力は弱いけど皆の力は強いこと」に気づいたとある。確かにデモ行進やストライキなど集団行動で社会に訴えを主張するときに、よく使われる言葉だ。そういった面もあることは否定しない。とともに、一人でも十分に社会に自分を主張する力を持っていると思う。ただ残念ながら、今の社会にはそうした一人の主張を受け止める力が不足しているのだろう。だから、そうした社会を変革するために力を発揮しているのだろう。多くの力が集まれば、社会をより効果的に変革できることにつながる。社会は変革可能であること、人々も変わりうることを、確かな力として信じるためにも、デモ行進やストライキなどの集団の行為があるのだろう。社会を信じることにつながるだろう。もし北欧諸国が福祉社会=連帯社会であるとすれば、社会に対する信頼感に鍵があるのだろう。

■ 集団の行動が少なくなっている現在日本だからこそ、継続してほしい
 雪中のデモは、企画する人も参加する人もそれぞれに辛い。でも、その成果として地元のバリアフリー化も進み、沿道の人々も冬も動きやすくなった。なにより地域の人々の障害者や高齢者に対する考え方が少しではあっても改善されたように思えることは、最大の成果であろう。

 参加者たちが団結・連帯する経験を重ねてきたことも、誇ってよい。日本では人々が集まって直接に社会に働きかける行為は、だんだん少なくなってきた。そうした時代だからこそ、こうした企画を継続してほしいと思う。遠くにいるために、現場で直接に企画し実行する機会はほとんどないとはいえ、札幌の地域でこうした取り組みが続いている事実を誇りにしたい。

 たしかに区切りとか一段落をつけることは、こうした企画には必要だと私も思う。とはいえ、社会の人々にとっても、本人たちの声を聞く機会は(しかも集団で)他にはあまりなくなっている感じがする。それが個人主義化を増している悪循環に陥っていると思う。とくに、千葉県に見られる障害者差別禁止条例を制定する運動(たとえば、野沢和弘さんの『条例のある街――障害のある人もない人も暮らしやすい時代に――』を参照)を広げようとするためには、あるいは国連の障害者差別禁止条約(各種の訳がでているが、たとえば障害児を普通学校へ・全国連絡会編『障害者権利条約――わかりやすい全訳でフル活用!!』)を日本でも批准する行為にともなって、国内の諸法令を見直す動きなどを少しでも成功させようと思えば、とりわけ行動で障害者とは関係ないと思っている社会の多くの人々に働きかけることが重要になるだろう。

 また、道で戸惑っている子どもたちも、親たちや大人たちと一緒にデモに加わると面白い。福祉社会という北欧では、たとえばデンマークのように、子どもたちがのびのびと過ごせる社会がある。子どもたちが普通に暮らせる社会だから、障害者や高齢者も当たり前に日常生活を送ることができると、私は北欧について書かれている書物を読んだものだ(私のwebsiteにある「お勧め情報、勝手に紹介」で取りあげている北欧についての書物など)。


学生無年金障害者訴訟 原告の父「生きがいもらった」

2008年10月19日 00時40分04秒 | 障害者の自立
不支給取り消し・最高裁決定
 学生時代に統合失調症と診断された遠野市の佐々木拓也さん(2007年に43歳で死亡)への障害基礎年金の不支給処分を取り消すとした今月15日の最高裁決定を受け、拓也さんの父・五郎さん(78)が17日、県庁で記者会見した。「言葉に言い表せない思いだ。これからの生きがいをもらったような感じ」と心境を語った。

 同様の訴訟を巡っては、最高裁が今月10日、東京の原告の訴えを棄却。その直後だけに、五郎さんは「私たちもそうなるのかと思っていた。奇跡的な判決だ」と喜びをあらわにした。

 拓也さんは07年2月、仙台高裁の判決が出る前日に亡くなった。「息子からは、おやじは年だから無理するなと言われていた。墓前に勝ったよと報告してきた」と五郎さん。最初に拓也さんの障害基礎年金の審査請求をしてから10年。五郎さんは「裁判は長くかかると覚悟していたが、やってよかった。弱い立場の人がもっと救われてもいい」と強調した。


学生無年金訴訟 障害者考慮した制度保障構築を

2008年10月19日 00時38分39秒 | 障害者の自立
 学生無年金訴訟で、障害基礎年金を受け取れなかった統合失調症の男性(故人)の勝訴が確定したのを受け、男性の父親の佐々木五郎さん(78)=岩手県遠野市=らが17日、岩手県庁で記者会見し、「障害者が安心して生活できる制度をつくってほしい」と訴えた。

 佐々木さんは「息子が死んで1年半、年金請求から10年間は長かった。仏前に報告した」と語り、国には「精神障害者は差別もあり、働きたくても働けない。親がいつ死んでも大丈夫な制度保障を築いてくれることを願う」と求めた。

 元学生の男性は1983年、20歳で統合失調症の疑いがあると診断された。98年に障害基礎年金の裁定を請求したが、不支給とされ、社会保険庁を相手に2001年、不支給決定の取り消しと2000万円の損害賠償を求めて盛岡地裁に提訴した。

 一審に続き二審仙台高裁も、国民年金法が受給を認める20歳前の発病だったと認定。15日には最高裁が社保庁側の上告を受理しない決定をした。