ゴエモンのつぶやき

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三条市社協のジュニアサマースクールでブラインドサッカーを体験、日本代表の主将も指導に

2015年08月12日 01時11分33秒 | 障害者の自立

三条市社会福祉協議会は4、5、6の3日間、4年生以上の小学生25人を生徒にジュニアサマースクールを行い、2日目の5日は三条市総合福祉会館で視覚障害者のためのサッカー、ブラインドサッカーを体験してもらった。

夏休みの子どもたちから福祉について体験学習をしてもらおうと毎年開いているスクール。初日は野外で火起こしや飯ごうでご飯炊き、3日目はスーパーで高齢者疑似体験や車いす体験を行った。

2日目に体験したブラインドサッカーは、県央地域でおそらく初めて紹介された。選手はアイマスクを着け、鈴を入れて音が鳴るようにしたボールを使って行う5人制の室内サッカー。アイマスクで視覚情報を閉じるため視覚障害者と健常者が同じように力を合わせてプレーできる。

三条市社会福祉協議会のジュニアサマースクールでブラインドサッカーを体験

夏休みの子どもたちから福祉について体験学習をしてもらおうと毎年開いているスクール。初日は野外で火起こしや飯ごうでご飯炊き、3日目はスーパーで高齢者疑似体験や車いす体験を行った。

2日目に体験したブラインドサッカーは、県央地域でおそらく初めて紹介された。選手はアイマスクを着け、鈴を入れて音が鳴るようにしたボールを使って行う5人制の室内サッカー。アイマスクで視覚情報を閉じるため視覚障害者と健常者が同じように力を合わせてプレーできる。

新潟県ブラインドサッカー協会事務局の浅間光一さんが指導し、スペシャルゲストとしてブラインドサッカー日本代表の主将、落合啓士さん(38)も指導に訪れた。目の不自由な落合さんがシュートなどのプレーを披露してから、子どもたちにアイマスクを付けてブラインドサッカーの一端を体験した。

ブラインドサッカーのプレーでは、声によるコミュニケーションが重要になる。落合さんはウォーミングアップ代わりのいろいろな動作の手本を見せ、子どもたちは一部がアイマスクを着け、アイマスクを着けていない子どもが落合さんの動作を見て、それをアイマスクを着けた子どもに言葉で教える練習をした。

ブラインドサッカー日本代表の主将、落合啓士さんが手本を見せる

全員がアイマスクを着けて血液型や誕生日の早い順に並んだり、アイマスクを着けていない子どもの言葉にしたがってアイマスクを着けた子どもが三角コーンのところまで歩いたり。アイマスクを着けたままボールに入った鈴の音をたよりに転がってるくるボールをキャッチしたり、ボールを蹴って三角コーンに当てたりと、スイカ割りのバリエーションのようにいろいろなゲームに挑戦した。

一ノ木戸小4年相場美憂さん(9つ)は「落合さんは目が見えないにすごいと思った。目隠しして歩いたり走ったりは絶対、無理」、裏館小5年吉村結仁君(10)は「難しかった。人がいっぱいいると目隠ししてるとぶつかって怖いと思った」と視覚障害を疑似体験していろいろなことを感じとっていた。

ブラインドサッカーの体験が実現したのは、ブラインドサッカー歴1年半の三条市の会社員岡田賢也さん(33)がきっかけ。三条市社協から岡田さんをに講師派遣などを依頼した。

岡田さんは知り合いの勧めで、県内唯一のブラインドサッカーチーム「新潟フェニックスファイヤーズ」の所属したのが、ブラインドサッカーとの出会い。県内にはほかにチームがないので常に新潟県代表で、「すぐに全国の頂点を目指すことができる」とできると岡田さん。「練習すればするだけ目に見えて結果がついてくるのがおもしろい」と魅力を話している。

 (2015.8.10)     ケンオー・ドットコム


未来照らす夜明けの光 天神岬 公園改修進む 復興臨時支局楢葉

2015年08月12日 01時02分13秒 | 障害者の自立

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から11日で4年5カ月を迎える。楢葉町は9月5日に避難指示が解除され、復興に向けて本格的なまちづくりがスタートする。町内の天神岬スポーツ公園は同19日の新装オープンを控え、改修工事のつち音が響く。
 雄大な太平洋を望む天神岬スポーツ公園。10日午前5時すぎ、波の音と鳥のさえずり、セミの鳴き声がハーモニーを織りなす中、東の空を覆った雲の切れ間から、さんさんと光を放つ太陽が顔をのぞかせた。公園に降り注ぐ陽光は、町の未来を指し示すように輝いていた。
 震災前、公園は年間20万人余りが訪れる町最大の観光拠点で町民の憩いの場でもあった。スポーツ広場やオートキャンプ場、テニスコートなどがあり、スポーツ愛好家や家族連れらでにぎわった。
 町は昨年11月、営業再開に向け約6億円を投じ、しおかぜ荘とサイクリングターミナルの改修工事に着手した。しおかぜ荘は、人気の露天風呂をそれまでの3倍の広さに拡大した。サイクリングターミナルは15ある宿泊部屋のうち、1階部分の6部屋を洋室に替え、高齢者や障害者のためにエレベーターを備えた。町は今後、公園内の遊具を更新するほか、オートキャンプ場の改修工事を進める。
 「避難指示の解除から間もない営業再開は町の復興を大きくアピールできる。従業員の確保など課題もあるが、万全の態勢でお客さまを迎えられるよう全力を尽くしたい」。公園を管理する楢葉町振興公社の松本昌市事務局長(58)は、両施設が復興のシンボルとなり、再び交流人口拡大の拠点となることに大きな期待と希望を抱いている。

9月5日に避難指示が解除される楢葉町。震災と原発事故から4年5カ月になるのを前に、地域のシンボルとして親しまれる天神岬スポーツ公園は町民の帰還を待ちわびる。町の未来を照らすように朝日が昇った=10日午前5時15分ごろ

( 2015/08/11 今日の撮れたて )  福島民報


障害年金の受給条件緩和 10月から実施、官民格差を是正

2015年08月12日 00時57分41秒 | 障害者の自立

 国の障害年金の受給条件で特定が難しく大きな壁になっている「初診日」の証明について、厚生労働省は、これまでの厳格なルールを改め、カルテなどの証拠が提出できない場合でも参考資料があれば本人の申し立てを認めるなど、認定基準を大幅に緩和する方針を決めた。

 国家公務員らの共済年金では、カルテなどがなくても本人の申告だけでも認めており、不公平が批判されていた。関連省令を改正して官民格差をなくし、厚生年金と共済年金が一元化される10月1日から実施する。

 過去に証拠を提出できずに不支給とされた人についても10月から再申請を認め、新ルールで判断する。無年金の障害者の救済につながる可能性がある。

 障害年金では、原因となった傷病で初めて医療機関にかかった「初診日」を特定することが受給の条件。状態が徐々に悪化する病気では、初診日が何年も前ということが珍しくないが、自営業者ら向けの国民年金と会社員の厚生年金では、カルテなどの書類の提出を求められ「厳しすぎる」との声が上がっていた。

 申請に必要な添付書類として「初診日を明らかにすることができる書類」と定めた厚労省令が根拠で、改正では「当該書類を添えることができないときは参考となる書類」との文言を加える。厚労省は「健康保険の給付や入院の記録など参考資料で合理的に判断できる場合は、できるだけ本人申し立てを認める」とした。

 このほか(1)日付まで特定できなくても、初診日が一定の期間にあり、保険料納付要件などを満たしている場合(2)受診した疾患まで特定できなくても、診察券で診療科が確認できる場合-などについても、参考資料があれば認める方針を示した。

2015.8.11     SankeiBiz


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2015年08月12日 00時54分16秒 | 障害者の自立

 異なる犬種を交配させた犬が最近、「ハーフ犬」「ミックス犬」などと呼ばれ、人気となっている。

 新しいかわいらしさが魅力とされるが、無理な繁殖などを懸念する声もある。

 まず向かったのは、ペット専門店「コジマ目黒店」(東京)。展示販売されている子犬のケースを見ると、チワワやトイプードルといった表示に交じり、「ハーフ犬」の文字。ベージュ色の毛がふわふわしたぬいぐるみのような犬が多く、見ただけでは何の種類かよく分からない。

 紹介欄には、「お父さん・マルチーズ、お母さん・トイプードル」などと、親の犬種が記されている。値段は十数万円。他のブランド犬よりやや安いようだ。

 店長の加藤裕一朗さんに聞くと、ハーフ犬は同店では2~3年前からトップ3に入る人気ぶりで、販売数の約2割を占めるまでになっている。「見たことのないかわいさや珍しさが魅力のようです」と話す。

 ハーフ犬、ミックス犬などと呼ばれる犬は、犬種の異なる親同士を交配させて生まれた犬を指す。トイプードルやチワワといった人気の犬種を親に持つ犬が大半だ。野犬などが自然交配して生まれた雑種とは区別し、7~8年前からこう呼ばれているという。

 ペット保険最大手のアニコム損害保険(東京)によると昨年、同社の保険に新規加入した0歳犬8万7407匹のうち、「ミックス犬(10キロ未満)」は7376匹で2008年の3286匹から倍増。トイプードル、チワワに続き、初めてトップ3に入った。

 ハーフ犬の魅力は何か。

 東京都内の男性(51)は、12年からチワワとマルチーズのハーフ犬と暮らす。「買った時はチワワ似だったのに、成長とともにマルチーズらしさが強くなり、毛色も変わってきた。予想外の変化が面白い」と笑顔。散歩中、「何のワンちゃん?」と尋ねられ、会話が弾むのも楽しみだという。

 ハーフ犬は2種類の親の特徴を引き継ぐ。この特性を生かし、国内外では毛の抜けにくい盲導犬を作る動きもある。

 「視覚障害者の中には犬の毛アレルギーなどに悩む人もいて、ニーズが高まっている」と話すのは、「中部盲導犬協会」(名古屋市)の水谷由美さん。オーストラリアでは、毛の抜けにくいスタンダードプードルと、ラブラドルレトリバーなどを掛け合わせた「ラブラドゥードル」という犬が作られ、盲導犬として活躍しているという。

 「犬の遺伝子解析が進み、組み合わせの可否や、遺伝的な疾患が子犬に出ないよう繁殖させる技術が確立されてきた。必要だからこそ、世界で努力が続けられている」と水谷さんは話す。

 世界には400種類の犬種があると言われる。日本大学動物病院院長の津曲つまがり茂久さんは、「一つの犬種を作り、保持するには長い年月と技術、知識が必要で、ブリーダーがその役割を負ってきた。しかし、ハーフ犬の繁殖は、それに逆行する行為だ。かわいさが優先され、無理に多くの子を産ませるといった安易な繁殖が行われる恐れもある」と指摘する。成長につれて姿がどう変わっていくかや、かかりやすい病気など、予測しにくい面もある。

 愛犬家の団体・ジャパンケネルクラブの広報担当者は「ハーフ犬は犬種というよりいわば商品名。特性について理解した上で購入し、最後まで愛情を注いでほしい」と話す。

犬との付き合い方 未成熟

  国立科学博物館館長・林良博さんの話 犬はオオカミを祖先とする動物。交配が繰り返され、狩りや牧羊、愛玩など、用途別に犬が作られてきた。

 欧米に比べると、日本人と犬との関係は希薄だ。戦前までは名家などで飼育されていたに過ぎず、放し飼いや野良犬が多かった。室内で飼われるようになったのは1980年代。海外から多くの犬種が持ち込まれたのもこの20~30年のことだ。

 犬との付き合い方が未成熟と言え、数年ごとに人気犬種が入れ替わるブームが起きる。ハーフ犬ブームもそのひとつだ。消費者のニーズがある限り、生産者は繁殖を続ける。ブームの起きない成熟した社会を目指すべきだ。

ドラマやCMなど影響

  人気の犬種は、ドラマやCM、著名人のペットなどの影響を受けて、数年ごとに変化してきた。シベリアンハスキーは、漫画「動物のお医者さん」で知名度が大幅にアップ。また、プードルはフィギュアスケートの浅田真央選手の愛犬のかわいさが話題となり、人気を後押しした。

作られた子犬に罪はない

  ◎取材を終えて 子どものころ、当時珍しくなかった雑種の犬を飼っていた。今、街中で見かけるのは「ブランド犬」ばかり。だからこそ逆に、「ハーフ犬」が珍重されるのだろう。

 あるペット販売業者の言葉が印象に残った。「ハーフ犬を売ることに最初は抵抗があった。でも、消費者のニーズは無視できない」。ハーフ犬にモヤモヤとした思いを抱えている人は、実は多いのではないか。作られた子犬に罪はないが、愛護センターにも雑種はたくさんいる。一度、譲渡会ものぞいてみてほしい。

2015年08月11日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

「五体不満足」の乙武さんに聞いた、子どもの個性を伸ばす方法

2015年08月12日 00時47分55秒 | 障害者の自立

今をときめく「気になるあの人」が、どのような環境で育ち、どのように親が関わったことによってその個性が磨かれたのでしょうか。その『原石の磨き方』を明らかにしていく当インタビュー特集第4回目。

【花まる学習会】"マジメ母さん"ほど危険! 高濱先生に聞いた“メシが食える大人"の育て方

大学在学中に出版した『五体不満足』(講談社)がベストセラーになり、その後も小学校教諭等を経て、様々な活動をされている乙武洋匡氏にインタビューを行いました。

※この記事はConobieで2015年7月6日に公開されたものです。

母が私に対して初めて抱いた感情は「喜び」だった

かわいい――。
母が初めて私を目にした瞬間、口にした言葉だそうです。

母と私が対面したのは、出産から1ヶ月後でした。病院側が必要な検査や、親と対面させるための準備をしてくれていたためです。

母がびっくりして気を失って倒れてしまうかもしれないからと、先生方は別室にベッドを用意するなど準備してくださっていたそうなんですが、きっと拍子抜けだったと思いますよ(笑)。

もちろん、両親にもその前後でいろんな葛藤がなかったわけではないと思います。

例えば赤ん坊のころ、両親を悩ませていたのは、とにかく眠らないことと、ミルクを飲む量が極端に少なかったこと。これにはさすがの母も不安だったようです。

でも、両親は悩んだ末に開き直ったのだとか。

「他の子と大きく違う形で生まれてきたんだから、寝る時間やミルクの量を比べたってしかたがない」「これくらいは、誤差の範囲」だと(笑)。

両親がそんな風に受け止めてくれたので、私は手足がなく生まれてきたことは、ある意味ラッキーだったんじゃないかとも思うんです。

そういう両親のスタンスが、私の人生の支えとなっている自己肯定感―自分を愛する力―を育んでくれたのだと感じています。

私の負けず嫌いは、障害に関係なく褒められたかったから

幼いころは、とにかく負けず嫌い。でも、他の子の負けず嫌いとは少し違っていたと思います。

私は、みんなと同じこと、例えば、歩く、食べる、字を書く――それだけでも褒められることが極端に多かった。ただ、どうして私だけが褒められるのだろうと不思議に思っていました。

ある時、そこには「あなたは障害者だから何もできない」という前提があるからだと気づいたんです。

そう考えると、褒められていながらも、どこか見下されているような、複雑な気持ちでした。

で、ここからが、負けず嫌いの本領発揮です(笑)。

純粋に結果としてみんなよりも秀でていれば、障害者ということに関係なく褒められる。それで褒められたなら、自分も素直に受け止められるんじゃないか――。

だから、クラスで一番勉強ができるようになりたい、一番字が綺麗に書けるようになりたい、そんな風に思うようになったんです。

担任の先生もクラスメイトも特別扱いはしなかった

小学校時代、1~4年生を担任してくれた先生の基本方針は、できるかぎり私の手伝いをしない、まわりの子どもたちにもなるべく手伝わせないというものでした。

例えば帰りの支度なんかも、私は全部自分でやるので相当な時間がかかってしまうんです。
そうしたらある時先生が、クラスメイトが私を待っている間に「ゴミを5つ拾ってゴミ箱に捨てよう」と提案したんです。

けれど先生は「乙武くん以外のみんなは」と言わなかったので、あろうことに私は自分の支度を中断してゴミを拾ってしまったそうなんです。しかも口で……。

普通ギョッとしますよね。でも、先生は驚きはしたものの、それを止めることはしなかったんです。私ができる精一杯のことをしているだけなんだから、と。

先生が私を特別扱いしなかったから、クラスメイトも「僕らは僕らの、乙武は乙武のベストを尽くす。それは、同じことだから」という感覚に、自然となっていったんだと思います。

親に認められることの大切さ

小学校の教諭をしていたときのことです。

「先生、いいでしょ!うちの娘」

個人面談で、大抵のお母さんが我が子のダメ出しから始まる中、一人だけ、第一声がそんな言葉だったお母さんがいました。

でもその子は、飛び抜けて勉強やスポーツができるわけではなかった。ただ、いつも朗らかで笑顔を絶やさず、彼女のまわりには必ず友だちが集まっていました。

私はお母さんのこの言葉を聞いたとき「ああ、こういうことなんだ」って、彼女の姿とお母さんの言葉が一本の太い線でつながった気がしたんです。

人間性を形成し、他人を満たし、惹きつける人格をつくりあげるのは、勉強や運動が優れているかではなく、どれだけ親に認められて、肯定されて育つのかが重要なんだと。

私自身、そのお母さんに親としてのあり方を学ばせてもらった気がしています。

生徒を褒め続けたことで、親子関係まで変化した

2年間同じクラス(3、4年生)を担任する中で、私がみんなの前で褒める回数がいちばん多かった、ある女の子がいました。

クラスで一番の大柄な体格で勉強も運動も苦手だけれど、人一倍頑張り屋さんで、物事に取り組む姿勢はいつも真剣。体操着が真っ黒になるくらい何度失敗しても逆上がりの練習をしたり、掃除だって大きな体をかがめてロッカーの隅までゴミをかき出したり、そんなタイプの子でした。

私は、保護者の方とは1対1の時間をできるだけつくりたいと思って、各家庭にまめに電話を入れるようにしていたのですが、彼女の自宅に電話をする回数が一番多かったと思います。

ただ、私が彼女のことをいくら褒めても、お母さんは「うちの娘が?」と半信半疑でした。

彼女はすごくがんばり屋さんだけれど、みんなと同じようにできないことが多かったために、お母さんは娘さんが褒められることに戸惑っていたのかもしれません。

それでも、私は継続して電話をかけては彼女のことを褒め続け、毎回最後には「夕飯の時にでもぜひ褒めてあげてくださいね」と伝えていました。

4年生の運動会の時、それまでは人前で積極的に何かをするタイプではなかったその女の子が、なんと応援団に立候補してくれたんです。それから1ヶ月間、いつもの彼女らしく、本当に頑張って練習していました。

運動会当日。彼女のお母さんに会うと、ピカピカの一眼レフカメラを首から下げていたんです。聞くと「娘の晴れ舞台を撮ってやろうかと思いまして」と。

お母さんは、娘さんが運動会で活躍する姿を見られるなんて想像してなかったのかもしれない。それが自ら立候補して、頑張って、晴れ姿を見せてくれることになるなんて、本当に嬉しかったんだと思うんです。私は校舎の裏に行って、一人で泣いてしまいました。

教師として、子どものいいところを見つけ、とにかく褒めて、自信をつけてあげる。それを継続していけば、親御さんの見方もきっと変わる。そんなことを学ばせてもらいました。

子育てで悩むことはあまりない

今、私は二男一女の父親でもあるのですが、子育てをしていて悩んでいることって、実はそこまでないんですよ。これじゃ記事にならないですかね、すみません(笑)。

それは、子どもたちに対して、こうでなくては困るという概念があまりないからかもしれない。

ただ、親として、子どもたちがどんな突拍子もない道に進みたいと言い出したり、「普通」という枠からはみ出るようなことがあったりしても、「それもいいんじゃない」と肯定してあげられるよう、親としての準備やトレーニングは常にしておきたいと思っています。

個性が真っ直ぐ伸びていくのを、親は邪魔しないこと

子育てをしていて痛感するのは、子どもは生まれながらに個性を持っているということです。

長男と次男、「それぞれこういうふうに育てよう」なんて考えていないのに、結果的に性格が正反対ですからね。個性は伸びる。けれど、思い通りに伸ばすことはできないと思います。

だから、その子が生まれ持った個性で、そのまま真っ直ぐ伸びていくのを、親はなるべく邪魔しないであげたいなと思っています。

もしも、お子さんの個性が見つけられなかったら、まずは他の子との「違い」をいっぱい探してみてください。

違いをたくさん見出して、それをどう強みにしていけるのかをお子さんと一緒に考えていってほしいのです。

たとえその違いがマイナスに思えることであっても強みにできるかもしれないし、例えマイナスでもそれを矯正してばかりいるよりは、良い所を伸ばすほうに労力を使ったほうがよっぽどいいですから。

 「障害は個性」と言われるけど、私は全てにおいてそうとは思っていません。

私にとっての障害とは、最初はただの違いでしかなかった。
でも、その違いを認め、受け入れ、「他人と比べてこんな違いのある私には、いったい何ができるだろう」と考えた時、やっとそれを個性として捉えられるようになったのだと思います。



■乙武洋匡 プロフィール
1976年、東京都生まれ。大学在学中に出版した『五体不満足』(講談社)がベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、東京都新宿区教育委員会非常勤職員「子どもの生き方パートナー」、杉並区立杉並第四小学校教諭を歴任、教育への造詣を深める。都内で、地域との結びつきを重視する「まちの保育園」の運営に携わるほか、2013年2月には東京都教育委員に就任、2014年4月には地域密着を目指すゴミ拾いNPO「グリーンバード新宿」を立ち上げ、代表に就任。2015年4月より政策研究大学院大学の修士課程にて公共政策を学ぶ。主な著書『自分を愛する力』(講談社現代新書)、『ありがとう3組』(講談社)、『だから、僕は学校へ行く!』(講談社文庫)、『オトことば。』(文藝春秋)、『オトタケ先生の3つの授業』(講談社)、『だからこそできること』(武田双雲氏との共著、主婦の友社)ほか。二男一女の父。

乙武洋匡 公式サイト twitter    8月11日10時00分提供:ウレぴあ総研

取材・文: 山本初美 / 写真:奈良英雄