ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

ミッキー・ミニーが施設を訪問

2015年08月12日 00時44分12秒 | 障害者の自立

ディズニーのキャラクターたちが、松山市の知的障害者施設を訪れ、ディズニーリゾートの夢と楽しさを届けた。ミッキーマウスとミニーマウスが訪れたのは、松山市の社会福祉施設「日野学園」。施設には、知的障害や発達障害を抱える人たち、約100人が入所していて、ミッキーとミニーは、まず、入所者を前に、ダンスを披露した。この訪問は、東京ディズニーリゾートを訪れることが難しい施設の入所者や病院の入院患者に、ディズニーの夢を届けようと全国で行われている。ミッキーとミニーは、入所者一人ひとりに握手をして回るなど触れ合いを深めていた。

[ 8/10 15:03 南海放送]

「未来を灯す」炬火誕生 田辺市で集火式

2015年08月12日 00時38分09秒 | 障害者の自立
紀の国わかやま国体と全国障害者スポーツ大会(紀の国わかやま大会)に向けた和歌山県田辺市の集火式が9日、同市新屋敷町の紀南文化会館であった。旧市町村ごとで作った五つの炬火(きょか)を合わせたものは「悠久のみち未来を灯(とも)す田辺の火」という名称に決まった。 

 各地区から小中学生や市スポーツ推進委員、観光協会長が登場。壇上でそれぞれの炬火を一つの受け皿に点火した。その後、市体育連盟の桑原久仁夫会長が集火ランナーの田辺中学校3年桑野光加さんに炬火を手渡した。 

 桑野さんは市の代表として、9月26日に和歌山市の紀三井寺公園陸上競技場である国体の総合開会式に参加する。「夢のような舞台に参加できて光栄。市内各地で炬火に携わった方々の思いを届けられるよう、大役を全うしたい」と意気込みを語った。 

 炬火の名付け親は、市消防本部職員の安田浩二さん(53)。25人から計38点の応募があり、選考で選ばれた。 

 真砂充敏市長は「国体、大会では、一人一人の明るい笑顔とおもてなしの気持ちで多くの人たちを迎えたい」と話した。 

 式では、明洋中学校吹奏楽部の演奏に合わせ、東陽中学校合唱部員らが国体・大会のイメージソング「明日へと」を合唱。田辺東部小学校の児童でつくるグループ「レッツ!スマイル」は、元気よくダンスを披露して会場を沸かせた。式には約250人が参加した。 

【五つの地区でできた炬火を一つにして、「悠久のみち未来を灯す田辺の火」が誕生した(9日、和歌山県田辺市新屋敷町の紀南文化会館で)】

2015年8月10日更新)     紀伊民報


[川内再稼働へ] 課題が残されたままだ

2015年08月12日 00時34分26秒 | 障害者の自立

 九州電力川内原発1号機がきょう再稼働する。制御棒を引き抜けば、半日ほどで臨界に達する見通しだ。

 1号機は東京電力福島第1原発事故の2カ月後に定期検査に入って、そのまま止まっていた。発電と送電は14日にも再開される。

 2号機も10月には再稼働する。九電は2基の運転で月150億円の収支改善を見込む。

 「フクシマ」後に地震や津波対策は強化されたが、「事故ゼロ」が保証されたわけではない。

 地元自治体が策定する住民避難計画にしろ、巨大噴火への備えにしろ、多くの課題が残されたままの再稼働である。やはり見切り発車と呼ぶべきだ。

 川内原発周辺ではこのところ、集会やデモが連日のように開かれている。

 脳性まひがある男性は、「障害者と原発の共存は不可能」と抗議の声を上げた。

 「電力会社や政府は一般の人が声を上げるのを最も恐れている。一人一人が声を上げよう」。福島で農業をしていた元宇宙飛行士、秋山豊寛さんはそう訴えた。

 民意は反対している。それなのになぜ今、原発を再稼働させる必要があるのか。電力会社も、電力会社を支持する政府も説明が足りない。

 原発事故から約4年半、一時期を除いて日本は原発ゼロで電力需要をまかなってきた。

 一方、化石燃料への依存度が高まり、電気料金が上がったことは確かである。だが、原発再稼働が電気料金値下げの切り札となるかは疑わしい。

 電力会社の燃料購入費が高騰した背景には、円安や資源価格自体の高騰があった。さらに新たな規制基準への対応や事故対策の強化などによって、原発のコストは上昇傾向にある。

 政府は地球温暖化対策も、再稼働を必要とする根拠に挙げた。

 しかし、再生可能エネルギーというリスクが低く、国民の支持も大きい選択肢がある。上昇傾向の原発コストに対して、再生可能エネルギーのコストは急速に低下している。

 必要性を明示しないまま再稼働をなし崩しに進めれば、安倍晋三首相が言う「原発依存度の可能な限りの低減」は不可能だろう。

 過酷事故が起きたら住民は大きな被害を受ける。それを納得させるだけの説明がなされ、同意が得られたとも思えない。

 地方の犠牲の上に都市が安住していていいのか。フクシマで誰もがそう痛感したはずだ。教訓を思い返す時である。

( 8/11 付 )    南日本新聞