ゴエモンのつぶやき

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「お菓子をどうぞ」障害者がお届け 中原区の支援施設「おかし工房しいの実」

2015年08月24日 01時24分08秒 | 障害者の自立

 手作りの菓子を詰めた箱を市内企業の職場に届け、そこに置いて社員などに買ってもらう-。そんな障害者支援施設「おかし工房しいの実」(川崎市中原区)の取り組みが人気だ。障害者の収入増につながるほか、自ら商品の納品まで携わることで社会と触れ合う機会も増え、働くことへの自信につながっている。 

 「お菓子をどうぞ」。JR武蔵中原駅前にある富士通川崎工場のオフィスビルに、しいの実で働く橋本信也さん(41)と薄井美世子さん(32)が菓子箱を届けた。A4サイズの木箱にはラズベリーを練り込んだラスクやコーヒー味のクッキーなどが丁寧に包装され、三十個ほど入っている。

 箱はフロアの棚に置かれ、従業員らが仕事の合間などにお菓子を取っていく。その際、そばの料金箱にお金を入れる。一つ百~百五十円。野菜の無人販売所などと同じ仕組みだ。

 同社担当者は「安くておいしいので皆楽しみにしています。男性の利用者も多い」。「いつもありがとう」と声をかけられた橋本さんと薄井さんは「食べておいしいと言ってくれるし、うれしい」と笑顔を見せた。

 週に一度、商品の入れ替えと集金に訪れる。しいの実の主任澤井麻里さんは「施設利用者にとっては仕事の責任が生まれ、働きがいや自信につながっている」と話す。

 約四十人の知的障害者が働くしいの実は普段、店で菓子を製造販売しており、保存料や着色料を使わない素朴な味が「おいしい」と評判。販路をさらに開拓して障害者の収入アップにつなげようと、川崎市やNPO法人「ピープルデザイン研究所」(東京都渋谷区)などが菓子箱の取り組みを発案してくれ、しいの実は五月から始めた。

 人気を呼び、当初四つだった受け入れ先の企業も市内十三事業所まで増えた。富士通では川崎工場のほか、近くの社内教育機関「FUJITSUユニバーシティ」も協力する。「届けてくれた時に会話して交流できるのもいい。少しでも地域貢献につながれば」と同社担当者。

 地域の支援も心強い。中原区のイタリアンレストラン「Asuto」は店内に菓子箱を置き、客に勧めている。食べた客が気に入り、自分の勤める会社で置くようになったこともあるという。オーナーの松尾好(よしみ)さんは「こういう取り組みを地域で支え、広げていくことが大切」と力を込める。

 しいの実で働く障害者の平均工賃は月額約二万六千円。障害者年金のほか、自立した生活を送るには五万円ほどの工賃が必要という。菓子箱の取り組みによる利益は、年度末に各障害者の収入に反映される。収入が将来、十分増えれば、好きな趣味を楽しんだり、一人暮らしができるようになる。しいの実施設長の野村喜代美さんは「協力してくれた方々に感謝し、今後も提供先を増やすなど皆で頑張っていきたい」と語る。問い合わせは、おかし工房しいの実=電044(434)5527=へ。

オフィスで手作りのお菓子を手渡す「おかし工房しいの実」の利用者ら

2015年8月23日      東京新聞


障害者と地域交流 きょう栃木市でチャリティーイベント

2015年08月24日 01時21分32秒 | 障害者の自立

 栃木市都賀町臼久保の公園「つがの里」で二十三日、障害者の就労支援に取り組むNPO法人ハートフルふきあげによるチャリティーイベント「吹祭(ふきさい)」が開かれる。

 障害者と地域の交流を目的に行われ、六回目。公園内に設置する特設ステージで、テノール歌手新垣勉(あらがきつとむ)さんのライブや演歌歌手の歌謡ショーがあるほか、気球の試乗会や千本のろうそくをともすキャンドルナイト、花火の打ち上げも予定される。

 景品が当たる抽選会や、よさこいなどを一緒に踊る企画もある。会場内には募金箱が設置され、来場者から寄付を募る。湯沢晴香実行委員長は「地域の方にたくさん来てもらい、障害者と交流してもらいたい。夏の風物詩になれば」と話している。午後零時半~同八時二十分。入場無料。

2015年8月23日     東京新聞


語られてこなかった障害者の戦争体験 日本や独ナチスでも抑圧の歴史

2015年08月24日 01時14分35秒 | 障害者の自立

 戦後70年を迎えた今夏は、戦争関連のさまざまな報道や出版などが相次いだ。しかし、けっしてこれまで多くは語られてこなかった戦争体験がある。障害者から見た戦争だ。障害者に対する法制度がなかった戦時中、彼らはどのような体験をし、どう戦争を見つめたのか。「障害者と戦争」などをテーマにしたNHK Eテレの「シリーズ・戦後70年」を手がけるチーフ・プロデューサー、熊田佳代子氏に聞いた。

真っ先に切り捨てられるのは自分たち

 いま障害者は、ある危機感を持っていると熊田氏は言う。「戦争などの有事の際には障害者は真っ先に切り捨てられる」というものだ。

 日本の障害者運動をリードしてきた藤井克徳さんは「障害者がすべての前触れになる」とよく話すという。藤井さんは、自身も視覚障害があり、日本障害者協議会の代表を務める。世の中の“空気”が変わった時に真っ先に切り捨てられる、生きている価値がないとして「価値付け」の対象になってしまう、そういう「変化」が一番早く押し寄せるのは障害者なのだと。「平和じゃないと生きられない」ということを、先鋭的に肌身に感じているのが他ならぬ障害者たち自身だという。

 これまで障害者の戦争体験はあまり語られてこなかった。

 戦前は障害者に対する差別があり、家族も家に隠すなどして表に出したがらなかった。昨年6月に沖縄戦を扱った番組で、熊田氏らは沖縄の障害者の人たちの証言を集めたが、激しい地上戦が繰り広げられた沖縄だけに、あまりにも辛い体験だったことに加え、「大変なのは障害者だけじゃない」という状況で、思いを胸に閉じ込めてきた人が多かったのだという。

 それがここ数年、生き残った障害者が少しずつ取材に応じ始めている。自分たちの年齢も考えて「伝え残さないと」という切迫感と、時代の空気に対する危機感から声を上げ始めているのだと、熊田氏は感じている。

日本兵「邪魔になるから殺せ」

 沖縄戦をはじめとして多くの市民が犠牲になった沖縄では、障害者もまた、凄惨な体験をした。昨年6月の番組で、その体験が語られている。

 1944年10月10日の「10・10空襲」。米軍機の大群が空を覆う中、左足にマヒがあった男性は一人で逃げられない。近くに爆弾が落ちたが、死を覚悟しながら何とか生き延びた。

 沖縄戦が始まった4月。那覇から北へ避難しようとした家族には2人の障害者がいた。家族でサポートしながら逃げる最中、「障害者は足手まといになる」と周囲の人たちから嫌味を言われることもあった。そんな中、視覚障害のある娘は父親に「私たち2人は置いていっていい」と告げた。父親はそれでも最後まで家族を守り続けた。

 障害を理由に殺されかけた事例もある。脳性小児まひで体に障害がある女性は、幼年時代、母親とともに満州から山口県に引き上げてきた。そこへ日本兵がやってきて「障害のある子供は有事の時に邪魔になるから殺せ」と母親に青酸カリを手渡したという。

 戦争中、障害者は「穀潰し」呼ばわりされることもあった。右半身にマヒがある男性もその一人。障害のため、兵隊になって国のために戦えない。徴兵検査で不合格になり、「国家の米食い虫」と言われたという。

 そうした負い目や軍国教育の影響もあり、国のために戦いたいと考えた障害者もいた。障害があっても人間魚雷になら乗れる、と訴えたり、また視覚障害者は耳がいいので敵機の音を聞き分ける防空監視員になったりして、なんとか役に立ちたいと願ったのだ。

ドイツでは20万人以上が虐殺

 戦争中の障害者に対する差別・抑圧の歴史は、なにも日本だけではない。

 熊田氏は、ユダヤ人を大量虐殺したナチス政権下のドイツで、障害者が虐殺された事例を挙げる。同胞のドイツ人を含む20万人以上の障害者らが、強制断種させられたり、「ガス室」に入れられ殺害されたりしたのだ。

 藤井代表は、なぜこんなことが起きてしまったのか、なぜ止められなかったのか、関係者に聞きたいと、ドイツへ渡った。遺族に話を聞き、ガス室を取材したという。

 当時のドイツでは、知的障害者や精神障害者をいかに効率的に殺すかを、ヒトラーや医師・科学者らで話し合い、ガス室が作られたという。それがアウシュビッツの“リハーサル”になったともいわれる。

 こうした障害者の悲劇について、ドイツでも家族らは今まで声を上げてこなかった。沖縄の場合と同じで、当時障害者は差別の対象になっていたからだ。

 医学界は、精神障害者らを殺害することは、優生思想や安楽死的な考え方から「正しい」と考えていた。むしろ積極的に殺りくに関わっていたわけで、ナチスはそれを利用した。加害者側の精神医学の学会は5年ほど前まで殺害を公に認めてこなかった。

 なぜ止められなかったのか。街の声には「『おかしい』と言うと次は自分がターゲットになってしまう」という意見があった。藤井代表は「これくらいならいいだろう」とみんなが思っているうちに、とてつもないホロコーストへとつながって行ったとみる。そして警鐘を鳴らす。「ちょっとおかしいなと思った時に、誰かが声を上げて大きなうねりにしていかないと」。

今も変わらない「危機感」

 戦後、日本は日本国憲法の下、新たな道を歩み始めた。1947年施行の憲法に「社会福祉」が初めて明記され、障害者への法制度もスタートした。先進国の中では「まだ遅れがある(熊田氏)」とはいえ、遅ればせながら2014年1月、国連の障害者権利条約も批准した(国連総会での採択は2006年)。現在の日本で、もし仮に再び戦争が起きたら、障害者の人権は、かつての戦争の時代よりも守られるのだろうか。

 藤井代表は、4年前の東日本大震災での死者数を参考にこう指摘する。震災で亡くなった障害者の数は、一般の人の2倍だった。震災のような大災害は、普段の社会状況を「丸裸」にする。仮に戦争が起こった場合、「障害者が危険な状態にあることは、今も変わっていない」。

 震災時にも、逃げ遅れる、置いて行かれる、情報が届かない、そういう状況が重なって障害者が命を落としている。被災地の避難所でも、医療機器がないと生きられない。しかし、そのためにみんなの貴重な電気を使えるか。また、発達障害のある子が声を上げてしまう。避難所では周囲から「眠れない」と言われ、居づらくなる。震災でも障害者は厳しい状況に置かれた。

 戦争のような有事の際は、ともすると、国のためになるか、という「優先順位の社会」になりがちだ。そこでは、人間は平等であるという価値観が忘れ去られてしまう。それは私たち自身にも突きつけられる問題だ。「共同体の中で『優先順位の社会』になると、真っ先に切られるのは弱者」。藤井代表は、今も変わらない危機感を抱いている。

         ※      ※
 ハートネットTV(NHK Eテレ)の「シリーズ・戦後70年」では、「障害者と戦争」をテーマにした番組を8月から9月にかけ全5回放映する。「ある知的障害者の戦中戦後記」(8月19、20日)、「ナチスから迫害された障害者たち」(8月25日、26日、9月15日)の予定。

2015.08.23       THE PAGE


障害者の差別解消、配慮学ぼう 宇都宮で9月に学習会

2015年08月24日 01時11分36秒 | 障害者の自立

 障害者差別のない社会を目指し、差別や障害者に必要な配慮について学ぶタウンミーティングin宇都宮が9月5日午後1時から、宇都宮市中今泉3丁目の市東市民活動センターで開かれる。

 障害者団体で国際的な非政府組織「DPI」に加盟するDPI日本会議と自立生活センターとちぎ、栃木障がいフォーラムが主催。

 障害者差別解消法と改正障害者雇用促進法の施行を来年4月に控え、同会議は当事者らの声を反映したガイドライン作成を目指し、全国から差別の事例を収集。当日は今村登(いまむらのぼる)同会議事務局次長の基調講演のほか、事例を基にグループワークなどが行われる。

8月23日 朝刊     下野新聞


マラソンや卓球に汗 盛岡で障がい者スポーツ大会

2015年08月24日 01時03分45秒 | 障害者の自立

 盛岡市障がい者スポーツ大会(実行委主催)は22日、同市三本柳のふれあいランド岩手などを会場に開かれた。2016年希望郷いわて大会を控え、障害者スポーツ振興の機運や関心が高まる中、出場者はそれぞれのペースで体を動かし、スポーツを楽しんだ。

 障害者約370人がふれあいマラソン、アーチェリー、卓球など8競技に出場。学生ら約140人がボランティアスタッフとして運営に携わった。

 ふれあいマラソンは、200メートルトラックを5周し、事前に申告したタイムと実際のタイムの差の小ささを競った。出場者は雨が降る中、家族らの声援を受けながら懸命にゴールを目指した。

 大会は15回目。競技の他、ふれあいランド岩手には福祉事業所14店が出店し、利用者らが製作した菓子や雑貨などを販売した。

【写真=雨の中で勢いよく走りだすふれあいマラソンの出場者】

(2015/08/23)     岩手日報