国内では数少ない脊髄損傷者専用のトレーニングジムを運営し、自らも車いす生活を送る伊佐拓哲たくのりさん(33)(東京都墨田区)が、歩行訓練に励んでいる。
他界したジムの創業仲間がスローガンとした「回復に限界はない」を身をもって示すため、22日に損傷者が集まって開かれる歩行イベントで歩く姿を披露する。
伊佐さんは東海大3年生だった2002年、アスレチック競技に挑むテレビ番組の収録中、50キロある巨大な球体の下敷きになって首を骨折。胸から下が動かせなくなった。
約1年入院して、米国のサンディエゴにある脊髄損傷者のジムを訪れた。この時、帯同してくれたのが、現地で留学中の中高時代の同級生、渡辺淳さん(29歳で死去)だった。ジムでは損傷者たちが必死の形相でまひの残る部位を鍛えており、2人は衝撃を受けた。
体を傾けることさえできない伊佐さんに必要なのはこうした訓練だと、渡辺さんは教師になる夢を捨て、トレーナーの卵としてこのジムに就職。伊佐さんも渡米し、二人三脚で1年半鍛えた結果、車いすから床にある物を拾えるようになった。
07年に帰国した2人は、神奈川県内に脊髄損傷者のジム「ジェイ・ワークアウト」(今は江東区)を開いた。トレーナー兼社長の渡辺さんが掲げたのが、先のスローガン。ただ、渡辺さんは10年11月、ジムの会員を奮い立たせるために挑戦したマラソンの途中に心臓発作で倒れ、帰らぬ人となった。
伊佐さんは昨年7月、ジムの3代目社長に就任。会員に「回復に限界はない」と発破をかける立場になり、自分も今まで以上に激しいトレーニングを積んだ。その結果、つかまり立ちができるまでになった。
22日に江東区の東京国際交流館で開かれるイベントは、会員340人のうち「回復が著しい」と判断された損傷者が、仲間に努力の成果を示して勇気づけるためのもの。伊佐さんは渡辺さんへの感謝を胸に、スタッフの力を借りて歩く。「自分はあいつに何もしてやれなかった。恩返しの思いを込めて、精いっぱい歩きたい」と話している。