見えなくてもきれいでありたい――。目が不自由でも自分でできる化粧法が編み出され広がり始めています。視力を失った女性は外出する勇気を取り戻し、先天的に目が見えない女性は念願の鏡を買いました。その前で紅をさすと幸せな気持ちになると言います。
■口紅はお守り代わり
「お昼、何にしよ?」
「イタリアンか、中華か……。駅前のカフェでサンドイッチでもつまもか」
「そやね!」
大阪市の繁華街。白杖(はくじょう)をつきながら、同行援護従業者の女性と街歩きを楽しむ松下恵さん(55)。口元にはピンクベージュの口紅。「引きこもりがちだった私が、こんな風に外を歩けるなんて思いもしませんでした」
松下さんは13年前、網膜剝離(はくり)で右目を失明。その後、わずかに見えていた左目も視力を失った。右目の失明直後は覚えている手の感覚を頼りに化粧をしていたが、娘たちから「口紅がはみ出てる」と指摘されるように。下を向いて慌てて紅をぬぐう度、「もう私は化粧ができない」と落ち込み、外出をためらうようになっていった。
転機は4年前。視覚障害者の口コミで、目が不自由でもきれいに仕上げられる化粧法があることを知った。10回ほどレッスンに通って、1人でできるようになると自信を取り戻した。月1回ほどだった外出の機会は週数回に。おしゃれをして、介助役の同行援護従業者らとランチや買い物に行くのが楽しみになった。
一番うれしかったのは3年前にあった三女の結婚式。
「長女のときは化粧崩れが心配で必死にこらえたけど、思いっきり泣けました」
松下さんが身につけたのは「ブラインドメイク」という化粧法だ。日本福祉大大学院研究生の大石華法(かほう)さん(50)=大阪市=が考案した。
「お化粧ができない」という視覚障害者の悩みを大石さんが知ったのは7年前。同行援護を通じて出会った女性は「口紅は持ち歩くけど、お守り代わり」と言った。切ない思いに触れて、化粧法を考えた。
試行錯誤の末にたどり着いたのが、スポンジや筆といった化粧道具は使わずに、手や指で化粧を施す方法だ。
ファンデーションは液状のものを両手のひらで温め、なじませてから、顔に何度も押し込むようにのせていくと塗りむらを防げる。眉、アイシャドー、チーク、口紅は、指先に色をのせて、両手を左右対称に同時に動かすことで、きれいに仕上がる。
自分で化粧をしたいという目の不自由な女性たちに化粧法を広めていこうと、大石さんは同行援護従業者や、眼科で検査や補助具選びを担当する視能訓練士らにその教授法を伝えてきた。
現在は3人の女性がそれぞれの居住地(新潟、愛知、島根)で視覚障害者に化粧法を教えている。来春からは大阪市内の美容や医療福祉の専門学校でも教授法の講座をスタートさせ、さらに裾野を広げていく予定だ。
視覚障害者のケアに詳しい済生会新潟第二病院の眼科医、安藤伸朗さん(62)は「視力を失った人のリハビリは歩行訓練など日常生活の回復のイメージが強いが、ブラインドメイクはそのもっと先、個人の幸せ、尊厳の回復をもたらすものだ」と語る。
■あこがれの三面鏡を買った
生まれつき目が見えない女性も化粧を楽しめるようになった。
福岡県筑紫野市の澤村富士子さん(58)が化粧を意識したのは10代後半。当時通っていた鍼灸(しんきゅう)の専門学校で話題になった。化粧に挑戦する弱視の友人もいたが、「全盲の自分にはできない」とあきらめてきた。
昨秋から月1回化粧法を習い、自宅でも毎日練習した結果、ひとりでできるようになった。幼い頃、母から「鏡の前で化粧をして美しくなる」と教わり、憧れていた三面鏡も買った。毎朝30分、その前で化粧をする。鏡にふれ、きれいになったであろう自分を想像すると気分が華やぐ。
結婚して約30年。妻の化粧を見た夫の徳(いさお)さん(65)は「きれいですよね」と照れ笑い。「でも、もっとうれしいのは、彼女が明るくなって、『どうせ私なんか目が見えないし』と言わなくなったこと」と話す。
ほほえむ澤村さんの目元には、夫婦で買いに行った淡いオレンジのアイシャドー。「自分に自信が持てるようになった気がします」
ブラインドメイクの問い合わせは日本ケアメイク協会にメール(info@caremake.jp)で。
ブラインドメイクのレッスン風景。アイシャドーのパレットの色の位置を教わる視覚障害者の女性(左)=新潟市
2015年11月12日 朝日新聞デジタル