人生にとって、大学・就職・結婚は3大事業だ。だから大学生にとって、当面の最大の関心事が就職だとしても、不思議はない。「学生の本分は学業」であっても、就職先が決まるまでは落ち着いていられないという気持ちは、よくわかる。最近は「売り手市場」だが、一人ひとりの学生が「採用してもらう」弱い立場であることに変わりはない。
今年は、学生の就職をめぐって二つの問題が発生した。一つは、経団連「採用選考に関する指針」の改定により、「広報活動は3月1日以降、選考活動は8月1日以降、正式な内定は10月1日以降」になったことの影響だ。すべての企業が「右へならえ」をしたわけではなく、経団連に加盟していない企業は先駆けて内々定を出した。のちに加盟企業が選考を開始したとき、学生たちは、「すでに出ている内々定を反故にするな」、「早く就職活動を終われ」という「終われハラスメント(オワハラ)」を受けることになった。せっかく「学業に専念する十分な時間を確保するため」だった採用選考活動の早期開始自粛方針が裏目に出たともいえる。「内々定を辞退すると損害賠償を請求されるのか」、これが学生たちの関心事になった。
学生も内々定をもらった以上は可能なかぎり誠意を尽くして対応すべきだ。でも自分の将来を考えて辞退せざるをえないことはあるだろう。企業がそのような学生に「法的な責任」を追求することは、現実的でも生産的でもない。採用選考指針改定の「つけ」を学生に負わせるのは、はなはだ問題だと思う。
もう一つは、思想信条に関わる問題である。安全保障関連法案をめぐる政治的攻防のなかで、多くの若者が、自らの頭で考え、行動し、人々の心を揺さぶる発言をした。まさにカウンター・デモクラシーの幕開けを思わせる出来事だった。ところが一部の政治家から、デモ参加者は「就職活動で不本意な結果に終わるはずだ」というコメントが投げかけられた。不愉快な風評である。これにより、思想信条の自由と企業の採用の自由はどちらが優先するのか、不安を抱いた人も多かったに違いない。
思想信条を理由とする採用拒否については、三菱樹脂事件があまりにも有名である。在学中に学生運動に関わったことを面接時に秘匿したとして、東北大学出身の高野達男さんが、3か月の試用期間満了直前に本採用を拒否された事件である。高野さんは、思想信条の自由を侵害されたとして、裁判所に訴えを起こした。最高裁は、①法律その他による制限がないかぎり、企業には原則として採用の自由があるから、思想信条を理由に雇い入れを拒んでも直ちに違法になるわけではない、②採用時に知りえなかった新たな事実を試用期間中に知った場合、企業は、留保していた解約権を行使できるが、それは客観的・合理的な理由がある場合に限る、とした。そして、果たして合理的理由があったのかどうか、審理を尽くすべきとして、原審に差し戻した(最高裁大法廷昭和48年12月12日判決・民集27巻11号1536頁)。
東京高裁では高野さんの主張を全面的に認める和解が成立し、彼は13年にわたる長期訴訟の後、職場復帰した。その後は、社内で部長にまで昇進し、多くの社員に慕われ、定年後は子会社の社長になった。私は、高野さんが65歳で子会社社長を退職した直後に、札幌学院大学で講演した映像を見たことがある。企業人になっても正義をまっすぐに貫く姿勢は変わらず、退職したら社会的な活動をしたいと語っておられた。しかしその1か月後に、突然、脳梗塞で亡くなったという。立派な人であった。
最高裁判決に戻ろう。最高裁判決については、上記の①の部分が強調されることが多い。「最高裁は企業の採用の自由を認めている」というのだ。デモ参加者を非難する風評も、最高裁判決のこの部分を根拠にしているようだ。しかし、判決の肝心な部分は②であり、①は「傍論」(本論ではないこと)にすぎない。本来不要だった①の部分だけが強調されるのは問題だが、①についても注意深く読めば、最高裁が、企業の採用の自由も「法律その他」によって制限される、と述べていることが理解できる。しかも、いまやこの最高裁判決から42年が経つのである。この間に、企業の採用活動には各方面からさまざまな規制が加えられてきた。
募集・採用時の差別を禁止する法律は、数多く登場している(男女雇用機会均等法、高年齢者雇用安定法、雇用対策法、障害者雇用促進法など)。同和問題を契機に、公正採用選考のための行政指導が厳しく行われるようになり、企業には、特定の人を排除する情報収集が禁じられている(職安法5条の4)。三菱樹脂で起きたような、面接時に思想信条を質問することは、今や明白な違法行為である。惜しむらくは、三菱樹脂事件最高裁判決を覆す機会が司法に与えられてこなかったことである。理由は、純粋に採用拒否を争う訴訟が起きていないからだ。しかし思想信条を理由とする採用拒否が不法行為に該当することは、今日では司法関係者の常識である。最高裁の「傍論」はもはや完全に死文化しているのに、一部の政治家は、これをデモ参加者への「脅し」のように使ったらしい。理不尽である。
浅倉 むつ子(あさくら・むつこ)/早稲田大学法学学術院教授
略歴
1948年生まれ。1979年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程修了。博士(法学)(1993年、早稲田大学)。東京都立大学法学部教授を経て、2004年より現職。労働法・ジェンダー法専攻。
主な研究テーマ:雇用差別禁止法の研究、同一価値労働同一賃金原則
主な業績:『アルマ労働法(第5版)』(共著、有斐閣、2015年)、『同一価値労働同一賃金原則の実施システム』(共編著、有斐閣、2010年)、『労働法とジェンダー』(勁草書房、2004年)、『均等法の新世界』(有斐閣、1999年)、『男女雇用平等法論-イギリスと日本』(ドメス出版、1991年)。
浅倉 むつ子/早稲田大学法学学術院教授