若年性認知症の妻の介護を続ける京都市南区の会社員、富田秀信さん(65)が「千代野(ちよの)ノート 仕事と介護20年」を出版した。妻の介護と仕事を両立しつつ、多彩な市民運動を続けてきた20年の軌跡を描いている。
妻千代野さん(69)は1996年4月、心臓発作で倒れた。脳へのダメージで、記憶や言語に障害が残った。当時は介護保険制度(2000年4月施行)の導入前。若年性認知症の人を救済する施策がなかった。おおむね65歳以上を対象とする高齢者福祉政策からは「お宅の奥さんは若すぎる」との一言ではねつけられた。しかも3人の子どもは専門学校、高校、中学に通学し、教育費がかかる年代。富田さんに離職の選択肢はなかった。
「施策もなく、特別の経済力もなく、大家族でもない。どうやって生きていくか。『人の力』に頼るしかなかった」
格好をつけず、正直にSOSを出した。友人、知人はもちろん、初対面の近所の人にも声をかけ、千代野さんを預かってくれる人を探した。
介護保険制度の導入後は、ヘルパーを頼み、デイサービスにも通えるようになった。だが、千代野さんの要介護度は最も重い5。富田さんは勤務する神戸市の旅行会社にも協力を呼びかけた。午後3時には仕事を切り上げ、5時に帰宅。デイサービスから戻ってくる千代野さんを迎える。
苦労話も率直につづっている。千代野さんが倒れて入院した時、富田さんはキャッシュカードや預金通帳の場所が分からず困った。JR大阪駅では、富田さんがトイレに行っている間に、千代野さんが一人で電車に乗り、滋賀県長浜市まで行ってしまった。夫妻で駅のホームで一夜を明かしたことも。
注目されるのは、富田さんが千代野さんの介護をしつつ、障害者福祉、環境、文化、平和など様々なテーマの市民運動を続けてきたことだ。しかも沖縄、米国、ベトナムなど国内外の市民運動の場に千代野さんを連れて行った。
富田さんは「積極的に外に出て様々な人と出会うことが妻にも私にも刺激になっている」。千代野さんは多くの記憶を失ったが、人に会うことがきっかけになり、朗読したり、歌を歌ったり。保育士をしていた頃の力を発揮するようになった。富田さんも介護の体験を仕事に生かしている。福祉や介護、医療関係者と人脈を築いて旅行を受注したり、介護のシンポジウムで講師を務めたり、ホテルや旅館に家族が一緒に入れる風呂場づくりを提案したりした。
「多くの人が介護に関わる今、介護と仕事が両立できるように、私たちの体験が生きればうれしい」と富田さんは話している。
今回の本は富田さんがNPO法人「福祉広場」(北区)のホームページへの連載や新聞への投稿などをまとめた。
ウインかもがわ刊、440ページ。税込み2376円。問い合わせは、かもがわ出版(075・432・2868)へ。
「千代野ノート」を著した富田秀信さん(左)と妻千代野さん
2016年5月15日 朝日新聞デジタル