ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

阿波踊り、パリでプレ公演 2016年の本番PR

2015年07月31日 20時19分08秒 | 障害者の自立

 2016年に計画されている阿波踊りパリ公演のプレイベントが今年9月30日~10月2日、現地で開かれる。有名連の踊り子らが中心市街地などで乱舞を披露するほか、市民向けの踊り教室も開いて本番をPRする。今年の徳島市の阿波踊り(8月12~15日)には、パリで日本文化を広めている団体が視察に訪れる。
 
 プレイベントは日仏の関係者でつくる「阿波踊りパリ公演実行委員会」が主催し、県阿波踊り協会と阿波おどり振興協会の踊り子ら32人が参加する。
 
 9月30日に現地の行政関係者やメディア、パリ公演のスポンサーらを招いたパーティーが日本大使館であり、阿波踊りを披露する。10月1日には日本文化の発信拠点・パリ日本文化会館で、市民ら約100人を対象に踊り教室を開催。2日はパリで最も歴史があるヴォージュ広場で乱舞を繰り広げ、市民に阿波踊りをPRする。
 
 パリを訪問する県阿波踊り協会の岡秀昭副会長(74)は「阿波踊りの楽しさを伝えたい」、振興協会の山田実理事長(62)は「踊りを通じて交流を深めることができれば」と意気込んでいる。
 
 徳島市の阿波踊りを視察するのは、パリで日本文化を伝えている団体「繋(つながり)太鼓センター」の米村ボナン鮎子さん(31)と夫のボナン・コラさん(41)ら3人。徳島市観光協会の招待で来県し、11日に前夜祭、12日に演舞場で踊りを観覧する。
 
 パリ公演は、15年5月に市庁舎やノートルダム大聖堂があるパリ4区の通りを舞台に有名連の踊り子ら約200人が踊りを披露する計画だったが、フランスで相次いだテロ事件の余波で1年延期した。

2015/7/29     徳島新聞


社会福祉法改悪案が可決

2015年07月31日 20時15分10秒 | 障害者の自立

 社会福祉法改悪案が29日の衆院厚生労働委員会で自民、公明、民主、維新の賛成多数で可決され、日本共産党は反対しました。

 法案は、実態のない「内部留保」を前提に営利企業との「公平性」を強調し、すべての社会福祉法人に無料・低額の福祉サービス提供の責務を課すとともに、「余裕財産」の地域公益活動への投下を義務づけます。

 反対討論に立った日本共産党の堀内照文議員は「格差・貧困の拡大や福祉制度の後退で生じた問題への対処を社会福祉法人に肩代わりさせようとするもので、さらなる制度後退につながる」と批判。利用者サービスの質・量の低下、労働者の処遇悪化につながり、現在の低い水準の報酬単価、配置基準を放置したまま新たな責務を課すことは許されないと述べました。障害者施設への退職共済の公費助成廃止については、「低い賃金水準のうえ、退職金も保証されなければ、人手不足に拍車をかける」と指摘しました。

 堀内氏は、制度のない頃から「自分たちで作るしかない」と苦労して共同作業所を作ってきた女性が「内部留保などとんでもない。人間らしく暮らせる場となるよう改善こそ望みます」と訴える手紙を紹介。「社会福祉制度が国民の権利であることを否定し公的責任を投げ捨て、社会福祉法人の役割の変質を迫るものであり廃案にすべきだ」と強調しました。

2015年7月30日      しんぶん赤旗


アソウ・ヒューマニーセンター「2015福岡ゴールボール大会」に出場!!

2015年07月31日 20時05分52秒 | 障害者の自立

2015年7月26日(日曜) 福岡市立 障がい者スポーツセンター「さん・さんプラザ」にて「2015福岡ゴールボール大会」が開催され、株式会社アソウ・ヒューマニーセンター(本社:福岡市中央区天神 代表取締役中島彰彦)シーズアスリート所属選手と当社社員が大会へ出場しました。

2015年7月26日(日曜) 福岡市立 障がい者スポーツセンター「さん・さんプラザ」にて「2015福岡ゴールボール大会」が開催され、株式会社アソウ・ヒューマニーセンター(本社:福岡市中央区天神 代表取締役中島彰彦)シーズアスリート所属選手と当社社員が大会へ出場しました。

ゴールボールとは障害者スポーツの一種ですが、この大会では、壁をなくし競技を通じて一般の方と障害者がふれあうことができ、とても楽しめる大会です。
パラリンピック金メダリストも参戦しリーグ戦で戦います。点が入ると歓声が沸き大盛り上がりで、パラリンピック金メダリストやゴールボール選手の投げる球の速さや動きの速さには驚きました。
一般の方もアイシェードをして臨む為、視覚以外の感覚を研ぎ澄まし、普段とは違う方法で一生懸命コミュニケーションを図る姿も見どころです。

アソウ・ヒューマニーセンター シーズアスリートはこれらの活動を通じ、障害者スポーツの理解と発展、企業における障害者雇用の促進を啓蒙するとともに、自ら「良き社会人」として後進の目標となり、障害者の方や障害を持つ子ども達の「自立」への一助になることを使命としております。
 
         
 
【ゴールボールとは】
 目隠しをしながら鈴の入ったボールを転がし、ゴールに入れることで得点する視覚障害者の球技で障害者スポーツの1つ。1チーム3人で対戦する。第二次世界大戦の傷痍軍人のリハビリテーションとして考案され、ヨーロッパでは盛んに行われている。パラリンピック正式種目。
http://athlete.ahc-net.co.jp/goalball/index.html
 
■障害者スポーツ選手雇用センター C’s Athlete  http://athlete.ahc-net.co.jp/

名  称  障害者スポーツ選手雇用センター C’s Athlete(シーズアスリート)
設  立  2005年5月
事 務 局  株式会社アソウ・ヒューマニーセンター
      〒810-0001 福岡市中央区天神二丁目8番41号 福岡朝日会館
      TEL:092-711-1800 
事業内容  障害者スポーツ選手の仕事と競技の両立支援・講演・講習会(ゴールボール体験講習など)・
      ヘルスキーパー・出張理療・CCフィットネス・名刺点字入れサービス

【障害者スポーツ選手雇用センター C's Athlete(シーズアスリート)について】
障害者スポーツの振興と障害者の新しい雇用開発を目的に2005年、株式会社アソウ・ヒューマニーセンターが運営主体となり、企業や個人が会費を出し合い、障害者アスリートの雇用の場を作り、活動費を支援する全国初の取り組みです。

世界に向けて一人でも多くの障害者アスリートの「仕事と競技の両立」を実現させるため、会員の皆さまのご支援のもと活動しております。

【本件に関するお問合せ】
株式会社アソウ・ヒューマニーセンター    経営企画推進室 092-733-8290    http://www.ahc-net.co.jp/

東京五輪まで5年 責任検証と理念の再構築を急げ

2015年07月31日 20時02分37秒 | 障害者の自立

 新国立競技場の建設計画見直し騒動が尾を引く中、2020年東京五輪・パラリンピックまで、あと5年を切った。 
 メーン会場の白紙撤回は、理念の欠如と深刻な準備の遅れを象徴する。政府は、60億円近い経費をどぶに捨て、国際コンペからやり直す計画を9月にも策定、来年1月には発注して間に合わせる予定。旧計画では「五輪後に不可欠」としていた開閉式屋根を見送る方針も固めた。 
 だが、工期や費用ありきで最も重要な理念を置き去りにし、焦って計画を作り直してもまた同じ轍(てつ)を踏みかねない。まずは「失敗」の原因を究明し、住民やスポーツ関係者の意見も取り入れた上で、選手が使いやすく周囲の景観や歴史、環境に配慮した、後世の負担が少ない競技場を目指さねばならない。 
 しかし、宙に浮いた責任問題が「再出発」の足を引っ張る。時間と税金を空費したあげく計画を投げ出した責任を誰一人取らないまま、粛々と準備を進めることは到底許されない。 
 「大変迷惑している。私には関係ない」(大会組織委員会の森喜朗会長)「間に合わせる仕組み作りが私の責任」(下村博文文部科学相)「最終的には、私の責任だ」(安倍晋三首相)…。言葉だけの、恐るべき無責任体制というほかない。 
 しかも一昨日、担当者だった文科省局長の辞職が発表されたが、下村文科相は「後進に道を譲る勇退」「定例人事」などと説明、事実上の更迭であることさえ認めなかった。事務方に責任を押しつけながら「引責」を否定するなら、自身が辞任すべきだ。近く発足する第三者機関の検証で時間を稼ぎ、内閣改造まで居座るのであれば、政治への信頼は完全に失墜しよう。 
 「2度目の東京」は、約50年の間に急速な高齢化と人口減が進む「成熟都市」に変貌した。今こそ身の丈に合った五輪で、都市を再構築するチャンス。その意味で、新競技場に勝るとも劣らず重要なのは、パラリンピック開催地にふさわしい、障害者や高齢者に優しいバリアフリー化やユニバーサルデザイン仕様の街づくりである。 
 日本は欧米より遅れており、国際基準を満たしていない施設が多い。国土交通省は、全国の主要な駅や空港のバリアフリー化の20年度完了を掲げ、施設向け指針も今週改定した。また、組織委や都が国際パラリンピック委員会(IPC)の基準を参考に策定中の指針では、手すりの高さやスロープの幅などの基準案約180項目が示された。しかし、残りはまだ600項目もあり、まとまるのは来夏ごろという。今から改修を急がねば到底間に合わない。 
 五輪を「よい口実」にして、「障害の有無にかかわらず安心して暮らせる共生社会の実現」(15年版障害者白書)を加速させたい。誰もが暮らしやすい都市への再生こそ、五輪の豊かな「遺産」。その理念と決意を持って準備を進めてもらいたい。

 2015年07月30日      愛媛新聞


非暴力で差別と闘った人―キング牧師の生涯(2)非暴力の思想と出会う

2015年07月31日 19時58分23秒 | 障害者の自立

1949年1月。インドの指導的人物マハトマ・ガンジーが暗殺されたというニュースが世界を駆け巡り、多くの人が無抵抗主義によって差別と闘ったこの偉大な人の死を悲しんだ。その年のクリスマスに、ハワード大学学長のモルデカイ・W・ジョンソン博士の呼び掛けで、世界平和者会議がインドのベンガルで開かれ、宗派を超えて34カ国から人々が集まった。博士は、ガンジーが非暴力をもって差別という悪と闘った、その尊い意志を引き継いで、自分たちもまた非暴力によって、この国を引き裂いている人種差別と闘うべきではないかと述べた。

この会議に出席した若きマーティン青年は、心に大きな感動を覚えた。彼はイエスの「右の頬を打たれたら左をも差し出しなさい」「迫害する者を呪わずに祝福してあげなさい」という教えとガンジーの信念がとても似ていることに気付いた。

(そうだ。私は、聖書が教える愛をもってこの悲しむべき差別主義と闘おう)

彼は、そのように決心した。

1951年。彼はクローザー神学校を卒業。神学博士の学位を取り、さらにボストン大学大学院で勉強するために当地に赴いた。在学中に彼はコレッタ・スコットという美しい黒人女性と知り合い、恋に落ちた。彼らは信仰も価値観も、ビジョンも同じで、気持ちがしっくり合うのを覚えた。それから1年ほどの交際期間を経、1953年6月18日、彼らは結婚したのだった。そして大学院の課程を終えた時、彼はアラバマ州モントゴメリーにあるデクスター・バプテスト教会の牧師として赴くことになった。この地を選んだことが、彼のその後の人生を大きく変えることになろうとは、誰一人予測していなかったのである。

さて、このモントゴメリーの町は、市民12万のうち黒人が4割を占めており、その多くは貧しかった。なぜなら彼らの仕事は限られており、男性は雑役夫か肉体労働で日銭を稼ぎ、女性は白人の家のメイドに雇われるくらいしかなかった。そして、白人はほとんど自家用車を持っていたが、黒人は車を持てず、バスの乗客の70%は黒人であった。しかも、このバスは白人優先であった。前の座席4つは白人用で、彼らは前のドアから自由に乗り降りできたし、どの席に座ってもよかった。それに対して黒人席は、後ろの狭い部分に仕切られ、老若男女を問わず、病人であろうと、身体障害者であろうと、命じられれば白人に席を譲らねばならなかった。こうしたことは黒人にとって非常な屈辱であったが、法律上そのように定められているのだった。

そんな時、南部諸州で公立学校における白人・黒人の共学を命じた最高裁判所の裁定に異議を唱える白人たちの市民会議が続々と設定され始めた。キングはNAACP(有色人種地位向上協会)の地元支部に属していたので、各支部を通じ最高裁判所の裁定を覆し、差別撤廃の運動を展開する準備を整えた。

こうした最中に、1955年8月28日、シカゴからやってきた14歳の黒人少年エメット・ティルが、ミシシッピでリンチを受けるという事件が起きた。この事件に激高した黒人たちは、「連邦政府は黒人の権利を保障せよ」と要求し、運動は全国的な盛り上がりを見せた。しかし、裁判所の裁定はこれを全く無視するものだった。

「いくら黒人が主張してもだめさ」。一人の黒人は、吐き捨てるように言った。「結局のところ、法律は白人に有利なようにできているんだから」

そのうち、今度はキングの前任者のバーノン・ジョーンズという牧師が白人のために屈辱を味わった。彼がバスで白人専用の席に座ろうとすると、運転手はバスを止めて、後ろの席に移るよう命じた。彼が拒否すると、運転手は怒って、料金を返すこともせずに彼をバスから引きずり降ろして、そのまま行ってしまったというのだ。

また別の日、キングの所にクローデット・コルビンという女子高生が泣きながらやってきた。

「バスがすごく混んでいて、後ろの席に行かれなかったんです。それで、たまたま前の席が空いたのでそこに座りました。そうしたら、運転手は乗ってきた白人の男性に席を譲れと言うんです。私が嫌だと言うと、運転手はバスを止め、他の乗客と一緒になって私を縛り上げて警察に突き出したのです。私は一週間刑務所にいました。何も悪いことをしていないのに。どうして黒人はこんな目に遭わなくてはならないのでしょう」

キングが所属しているNAACPには、このような訴えが日々寄せられた。いよいよキングは黒人のきょうだいたちのために立ち上がることになった。

■ 非暴力で差別と闘った人: (1)

栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(イーグレープ、2015年4月)がある。

2015年7月30日     クリスチャントゥデイ