生まれつき右肘から先がなく、ゆえに上半身の筋力強化がままならない。競泳のリオデジャネイロパラリンピック代表、一ノ瀬メイ(19)=近大=が抱えていた悩みは、ある出合いによって解消した。
昨春から、筋力トレーニング時の“相棒”となったのが義手だ。ロープを引っ張ったり、重りを持ち上げたりできるようになり、上腕や背中、肩甲骨周りは見違えてたくましくなった。「だいぶパワーがついた。義手をつくっていただいたおかげ」と感謝する。
手がけたのは、義肢装具メーカー「中村ブレイス」(島根県大田市)の那須誠さん(39)。五輪3大会に出場した近大水上競技部の山本貴司監督(37)からの依頼を同大OBの中村俊郎社長(68)が快諾。「持っている技術のすべてを注いでほしい」と那須さんに白羽の矢を立てた。
所属は「メディカルアート研究所」。乳がんで乳房を失った女性や、事故で手や指を欠損した人たちのために、シリコーンゴムで精巧に模した製品をつくるのが本来の業務だ。肌の色や質感はもちろん、指紋や体毛にいたるまで本物そっくりに再現。那須さんがこれまでに携わった製品は約5千人分にも上るという。
アスリート用の義手を手がけるのは初めてだったが、「われわれの部署に教科書はないんです。自分たちで考えてできるところにおもしろさがある」と依頼に向き合った。素材には水に強く、経年劣化しないシリコーンゴムを選択。接合部がぐらぐらしないよう、硬さの違うものを二重に重ねる工夫を凝らした。
あえてロボットの部品のような見た目にしたのは、一ノ瀬からのリクエストだった。実物と見まがう義手の提供も打診したが、本人はまったく興味を示さなかったという。「彼女は自分を障害者だとは思っていないんです。個性だと」
日々の鍛錬が実り、一ノ瀬は3月のパラリンピック代表選考会で自己記録を4秒以上更新。大舞台への切符をつかんだ。那須さんは「世界と戦う選手のお手伝いができるのはやりがいを感じる。少しでも記録を伸ばしてほしい」とエールを送る。
世界遺産、石見銀山の麓にある作業場で、長年かけて磨き上げた熟練の技。傷ついた人たちを元気づけてきた職人が、アスリートの競技力向上にも一役買っている。
9月に開催されるリオパラリンピックに向けて鍛錬を続ける選手たち。そんなアスリートを技術や環境面で支える人々を紹介する。
一ノ瀬メイ選手の義手を手がけた那須誠さん。本物そっくりの乳房や手、指などを製作し、事故や病気で体の一部を失った人たちに元気を与えている
那須さんの作製した義手で筋力強化を図ることができた一ノ瀬メイ
2016.5.30 産経ニュース