例のフランス週刊誌銃撃事件です。
テロに屈せず言論の自由は守らなければならないというようなこと、マスコミは言っています。
もちろんテロはいけませんが、「言論の自由」は不可侵の権利ではあっても自由な言論がすべて正しいとは限らない。
今回の週刊誌はイスラムの風刺画を掲載しましたが、フランスでは以前、福島の原発事故の被害者を差別する内容の風刺画がありました。
イスラムや原発事故に対する風刺の底にはフランス人のアジアに対する差別意識が見て取れます。
フランスで日本人が差別的な扱いをされた話もしばしば聞きます。
さらにかつてフランスは中東も含めアジアで暴虐な植民地支配を行いました。
現代のムスリムの欧米に対する反感にはそうした過去の記憶もある。
もし今回の週刊誌の風刺画の基底に、アジアに対するそうした優越心と差別意識があったなら、銃撃の犠牲者は言論の自由に殉じた尊い犠牲者と言い切れるとは限らない。
そして言論の自由は不可侵でもすべての言論が正しいとは限らないならば、不当な言論に対する究極のコミュニケーションとしてのテロも存在理由をもつことになりますがサテどうか。
テロに屈せず言論の自由は守らなければならないというようなこと、マスコミは言っています。
もちろんテロはいけませんが、「言論の自由」は不可侵の権利ではあっても自由な言論がすべて正しいとは限らない。
今回の週刊誌はイスラムの風刺画を掲載しましたが、フランスでは以前、福島の原発事故の被害者を差別する内容の風刺画がありました。
イスラムや原発事故に対する風刺の底にはフランス人のアジアに対する差別意識が見て取れます。
フランスで日本人が差別的な扱いをされた話もしばしば聞きます。
さらにかつてフランスは中東も含めアジアで暴虐な植民地支配を行いました。
現代のムスリムの欧米に対する反感にはそうした過去の記憶もある。
もし今回の週刊誌の風刺画の基底に、アジアに対するそうした優越心と差別意識があったなら、銃撃の犠牲者は言論の自由に殉じた尊い犠牲者と言い切れるとは限らない。
そして言論の自由は不可侵でもすべての言論が正しいとは限らないならば、不当な言論に対する究極のコミュニケーションとしてのテロも存在理由をもつことになりますがサテどうか。