枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

相性は、旧暦にあり。

2010年06月19日 | Weblog
 暦の中には、自分の干支が書かれていると思うが、もうちょっと気をつけてみてもらいたいのが、そのルーツです。きのえ・きのと・ひのえ・つちのえ等ありますが、本来、木と土は合います。でも火には合いません。また金と火は合いますが、水と火は合いません。従って、職場の人事配置も、こういったことを少しでも取り入れられば、チームワークが上手くいったり、諍いが耐えなかったりとの結果になるのです。但し、人間としての、考えが根本になければ、どのような人物とも合わないのは、日を見るより明らかですが。

 自分を印象つけるのには、相手の長所を見つけて、認識していくことですが、これらに全く当てはまらない方もいます。仕事上のことを、プライベートで喋る。最悪、他人の悪口しか言わない。然も、影でこそこそ言う。勤務時間での公私をきちんと分けていれば、そういったことにはならないように思うが、相手のことを何等考えないで、自分が楽をすることばかりしようとするから、そこに行き違いが生じて、声を荒げたり、雑な行動になっていく。
人の振り見て、と言うが、充分に気をつけて行動したいものだと思いを強くした。

 高齢者の認識できない状態には、その方の思いが強い部分に強調されて、言えば幼い頃に還っているのだが、子どもではありません。こちらの言うことを聞かそうとしても、認識できていないのですから、知らん顔をするか不信になるのです。自分の都合ではなくて、その方の心に添わなければこちらには振り向いてくれません。その方の生きてこられた今日までと、正面から向き合っていかないと、心は視えません。こちらの常識や都合勝手では、決して居心地のよい場所とは言えないのです。

 近所に、虫を嫌う人が居ますが、先ず挨拶はしません。ゴミは自分の家の中はきれいにしますが、我が家の方に掃き出します。塵取りは使いません。他所の敷地内でも、自分の都合で駐車します。こちらが出られなくて困っていると、言えば退ける。とでかい態度。我が家の鉢をキャッチボールで壊しても、謝らない子どもに、弁償しない大人。いくら気のよい私でも、勘違いの甚だしさに、一昨年堪忍袋の尾が切れました。

 枇杷の実に袋をかけているのが、育っているのだろう。枝が撓ってきている。実付きを心配したが、3個くらいのもあって、それが大きくなっているので、重そうです。来週には収穫できそうです。うふふ、たのしみだなぁ。きっと美味しいよ。それに無農薬だしね。ネットでの注文ではたくさんだと、送料が無料になるが、味が極端に落ちる。しかたのないことだが、熟す前に収穫するからだ。

 果物の鮮度が落ちたら、商品価値はありません。枇杷などは本来、木から捥いで食べるものですが、高級化して、何というのか・・・。旬の味が消えているのですね。我が家でたくさんの枇杷の実が生りだしたら、あちこちに送ってあげたいのですが。木村さんのりんごではないが、約束はできないのです。食べてもらいたい人に贈るしかないかな?

 今年の清明の日に撮りました。白枇杷の苗木ですが、南から北東に移して、新芽が出た以外には、さっぱり花がつきません。茂木の赤枇杷は、4年目で結実したのですが。でも南側のだけです。東側のは、1個生ったきりで、花芽はつくものの、結実はしていません。
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