枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

師走、上弦・小潮

2018年01月25日 | Weblog

 天気である。蒲団を干すには寒い、と断念したが、風もなく穏やかではある。寒中のこととて気温が低いのは当然だが、冬眠中のようになってしまう。上司に晩御飯の約束があり、夕方の研修に間に合えばいいので、ゆっくりとしていたが、準備にかかる。湯たんぽの温度には問題はないが、何分時間が経てば湯温は冷める。

 新しいパソコンの付属品には、マウスの新型が入っていた。パソコンと繋がなくてもいいし、雑音もしない優れものだ。すばるには気になる物らしく、動かせると手を出す始末で、遊ぶ物だと思っている。今も、カーテンをよじ登り、足にもつれ、甘噛みをしてくる。痛いのであるがじっと見上げて、甘えてくるのが可愛い。

 暦では、初天神であり、法然上人忌でもある。各地を歩かれて、皆平等であると説かれたそうです。どんな小さなものにも命があり、人間だけが尊いのでもなく、そのことに感謝することが生かされる。信仰も仏心もないが、説かれることには同意できる。宇宙に祈りを忘れず、心して感謝することも大切なことでしょうね。

 クリスマスローズの蕾は見えるのですが、未だ硬くて開きそうにない。寒い時の花だと聞いていたが、こう気温が低いと、固まってしまうだろう。人間の生活は確かに、便利で豊かになって、お金さえ出せば、何でも手に入る世の中だ。でも、どんなに時を超えても、心ばかりは可能性が低い。愛は不変の事柄でもあるんだ。

 外は可なり風が出てきた。枇杷葉が揺れているのが見える。そろそろ奈良の若草山の山焼きが近い。二月堂の修二会・お水取りも迫ってきた。旧暦であればこういった一連の行事を得て、お正月へと向かう。大石内蔵助は、昼行燈と仇名されているが、中々どうして、主君を想い、藩の存続をかけての決行に及んだ。忠臣蔵。

 今年は、今月の30日に中る。雪の降りだした中を、吉良邸に向かい、明け方近くにやっと主君の仇を討つ。直ぐ側には回向院があるが咎めを恐れて、固く門を閉じていたそうだ。一行は、吉良の首を槍に括り付け、泉岳寺まで辿る。雪の中を歩く浪士の思いは如何ばかりであったろう。本来は上京して偲びつつ歩きたいが。

 初夏には、林檎の花が咲きだすので、今年こそ実現させたいもの。予定を組んではいるが、日数のこともあるし、はり灸さんでの治療もしたい、リエさんにも逢いたい、暁子さんの墓参りも、と贅沢なことを目論んでいる。単独で行動したいが、地理に疎しである。余りにも無謀な計画とは、自分でも思っているが・・・。

 昨年咲いた、クリスマスローズの緋色だ。買った時には覚えていたが、咲いてから分かった八重である。一重のも薄い桃色がきれいです。

 

コメント
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