日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
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ノモンハン事件について 2018年8月23日の日記から

2020-08-10 12:39:25 | Weblog

 

 

ノモンハン事件

2018-08-23 13:30:59 | 読書

 ノモンハン事件について~ 書こう、書こうと思いながら、日数だけが過ぎていきました。

 

 毎年、8月になると戦争についてメディアが一斉に特集番組を組むことを『戦争月間』という、というようなことを新聞で読みました。8月以外は忘れているという皮肉も感じられる、とありましたが、それでも それまで全く知らずにいた歴史的事件、知れば知る程、「ノモンハン事件」は「事件」というより旧ソ連と日本の戦争と呼んでいい規模のものではないか?と。昨年はインパール作戦でしたが、今年、NHKが特集を組んだのは、第二次世界大戦に日本が参戦する前に起こった 「ノモンハン事件」についてでした。

 ノモンハン事件について当時の新聞は、”敵の戦闘機、〇〇機云々”と、関東軍が発表する数字をそのまま記事にしたらしいですが、詳細については、意図的に国民には伏せられていた、ということでした。『はじめてのノモンハン事件』著:森山康平(2012年PHP新書)より。以下、この記事の引用抜粋はすべて『はじめてのノモンハン事件』からです。本来であれば、複数の参考文献に当たるべきですが、今回は 無知な自分がノモンハン事件を知る導入部分として…ということでご了承下さいませ。メディアで観たこと、断片的に知ったことを次は実際に書物で読んでみたい、その事件が起こった頃、日本は世界の中で、どのような状況下にあったのか、もう少し詳しく知りたいと思ったことがきっかけです。

 

 ノモンハンは何処にあったのか?

 

当時の地図です。(51ページ)清王朝が倒れた後、中華民国へ、そして上記の地図が中華民国は認めないにしろ、当時の日本の認識地図ということになるでしょうか。

事の始まりは、モンゴル(…とはいえソ連)、そして満州国(日本、もっと細かく言えば関東軍)の間に、国境線を巡る ”いざこざ”が存在した、というところから。

  53ページより抜粋

日本側が主張する国境線はハルハ河。帝政ロシアが1906年(明治39年)に作成した地図や中華民国参謀本部が1918年に作成した地図を根拠としたそうです。 一方、ソ連とモンゴルが主張する国境線は清朝時代に紛争が絶えなかったハルハ族とバルガ族の勢力争いを清王朝が1724年に調停し裁断したラインなのだそうです。ハルハ族はその後、モンゴルという国を作り、バルガ族は満州国に組み込まれたのだから、その境界線が そのままモンゴルと満州国の国境で治まっていれば良かったものを…と思うのは、自分が のちの世の人だからでしょうか。

 

 世界情勢における当時の日本の状況はどうであったか、というと…

支那事変(1938年10月、ノモンハン事件の前年)

こちらは「事変」ではなく「日中戦争」と現在は呼ばれていますが、米国(ハルノート)の日本に対する輸出規制等により孤立を深めていた時期。当時の日本軍は日中戦争の最中で、蔣介石は村一つを水没させ、自国の人民の命を犠牲にしてでも徹底抗戦。戦闘機等近代兵器を持たない当時の中国に対し、地上戦のみならず、日本陸海軍航空隊は重慶を空襲していた…これにより市民4300人が死亡。参謀本部の稲田大佐は、中国に勝つことを最優先とし、このような時期に、「ソ連との大規模な戦に発展するかもしれない紛争を引き起こしてはならない」と強調。(78ページ11行)

 参謀本部稲田大佐

何処に書いてあったか、誰の台詞だったかは忘れましたが、砂漠で何もない場所を多少つつかれたからと言って反応するな、たいして違いはない、放っておけ、近代的兵器を揃えるソ連を相手に戦えない、それより中国だというのが、その頃の参謀本部に流れる空気だったようです。

最初は関東軍司令部も慎重で、「ソ連蒙軍が一歩、国境超えしたからといって早急に、しかも不用意に出動するのは急襲成功の道ではない。」と出動に積極的だった小松原師団長に告げている。(84ページ)要するに出動は見合わせよ、ということだが、NHK特集でも触れていたように、はっきりと「今は出動するな!」と言わない、これが当時の「高級軍人のたしなみ」だったとか。今現在も、はっきりと物を言わないのが日本人の伝統的気質だとは思うのですが…。 このはっきりしない”曖昧さ””が 「独断専行のタムスク爆撃」を生み、更に極限になってくると、引くにひけない、No(ノー)といえない、全体主義的な心理状態へと次第に追い込まれていったのではないか…と。

 

「慎重論」に対し、辻正信参謀は、ありとあらゆる場面で一貫して「積極一撃論」を展開。

ソ連&モンゴルとの戦闘については割愛しますが、兵器も兵士の数においても圧倒的不利な日本が大敗し、司令部との連絡網も途絶えた中、戦場で指揮を執った井置中佐は脱出を決断。当初の司令部の命令は「陣地死守」。それは形式上は命令違反だが、停戦後、井置中佐は自決を強要されている。(267ページ)

戦後、「辻参謀があの場にいれば、どう戦ったというのか」と問うた人もいたらしい。

多数の参考文献からなる著書、「はじめてのノモンハン事件」を読む限り、折角、生き延びた戦場指揮官に対する自決の強要には、NHK特集同様、やはり疑問が残ってしまう。

NHK特集では、彼の身内がTV取材に答えていました。他に主犯がいる筈で、誰かの命令に従ったに過ぎないといった趣旨を述べていた通り、辻正信氏も戦後、著書を残しているので、それを取りあえず読まないことにはフェアではないと確かに思います。

 

2万人を超える死者を出したノモンハン事件終結後、日本は第二次世界大戦へ…という道を辿ることになるのです。

 

 

 

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14 Comments

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みみさんへ (すず)
2020-08-12 00:58:53
みみさん、ありがとうございます。
了承を得ることが出来て、感謝☆
早速、公開コメントに変更しました。

ご主人様は被爆二世…
そうだったんですね。
先日、テレビで紹介された被爆者の方も、戦争はずっと続いていると。
生と死の狭間で、命尽きるまで、終わりのない戦いだと想像しただけで、胸が苦しくなります。
井伏鱒二 『黒い雨』
という小説を思い出します。
被爆者であることが周囲に知れると、嫁にも出せない、と偏見にも怯えながら日々を暮らし…
最後まで読むことも辛い小説でした。最後まで読みましたが…

宗教は…これも難しいですね。
お寺も神社も参拝し、教会で式を挙げる多神教が当たり前のような感覚の日本人には、仰天することもありました。
一日に何回も立ったり座ったりして お祈りしたり…
ただ、日本へインドネシアから来た人は、
「日本では、何時何分に何をして…と分刻みで仕事が決められ、日常がイスラム教より厳しい宗教のようだ」と言ったそうです。
(隣の部署の上司から聞きました)

お互いが信じる神が違っても、何かを信じている、という事実があれば、尊敬する、そういう考え方の人が友の中には多かった気がします。
無宗教といえば、間違いなく馬鹿にされました。
私は神道だと答えていましたが…。

みみさんは、高齢者の方にお食事を提供されているのですね…
お疲れ様です!!
閉鎖になってしまったデイサービス時代は、利用者様と同じお食事をスタッフも注文すれば、食べることが出来ました。
冬にはあったかいものを。
おせちなど季節に合った食材で、行事にも合わせたメニューを楽しませて頂いておりました。
食事に対して愚痴が多いのは。。。な世代で、(言えませんが!)飢えたことなど、一度も経験ないからかもしれません。
イスラム教徒のラマダンでも経験しない限り…

予防で通っていらっしゃった利用者さんたちは、確かに何でも美味しいと話していました。
検食も回ってくるのですが、「おいしかった、と書かないように。ここが●●だったと書いておいて!」と自分の感想とはかけ離れたことを書かざるを得なかったことも。
そんな時は、具体的に利用者さんの実際の感想を口頭で伝え、事情を説明していました。(古株職員には逆らえない)

戦時中も戦後も、甘い物…お砂糖がなかなか手に入らない品物だったでしょうから、甘い物は最高の贅沢だったのでしょうね。
だけど、それを口になさらない…健気ですね…

馬鹿な輩が攻めてきたら…
丸腰で迎える訳にはいきません…
古代ローマが滅亡したシーンを読みながら思いました。
丸腰で、どうぞ、何でも欲しいものを持って行って下さい、という態度で敵を迎え入れ、
これで終わらず、また、敵はやってくる。
そして滅亡…

海上保安庁は実際、国境の最前線で大変でしょうね…

私もみみさんと同じく、日々の暮らしを大事にするよう心掛けて…
秋の虫が鳴きだしました。👍

PS コメント欄の小さな枠に文章を書き込むって、40代まで感じませでしたが…
結構、見にくいですよね。
改行も含めて。漢字変換も、投稿したあとで読み直すと、あちゃ~ってこと、しょっちゅうです。
返信する
fukurouさんへ (すず)
2020-08-11 23:52:36
fukurouさん、こんばんは!

8月を戦争月間、と呼ぶそうですね。
マスコミがこぞって取り上げるから、ということらしいですが、私もここ数年、決まり事のように、8月になれば戦争関連の書籍を読む、ということをしてきました。

高校では日本人だから、自国の事を知らなければ…という理由で、日本史を選択しました。
現在は日本史、世界史、両方学べるように学習指導要領も変更されたようですね。

高校3年で日本史を学ぶため、受験は1月(当時は共通1次) その頃には、近代史に入ったところ…くらいでタイムオーバーとなってしまい、
「残りは各自で読むように」
自宅学習へ切り替えられました。
2月は自由登校なので、授業はありませんでしたから、どうしても省略されてしまい…
最も大切な箇所なのに。
今現在はきちんと学べているのかな。。。
fukurouさんの先生も ノモンハンは事件というより、戦争という認識だったのですね。
私も『ノモンハン事件』については、まだ読みたい本もあるので、チャンスがあれば更に調べてみようと思っています。
返信する
fumiel-shimaさんへ (すず)
2020-08-11 23:25:41
fumiel-shimaさん、ありがとうございます。

私の母がいつも父に言って聞かせる(小さな子供を諭すように…)台詞があります。

「戦後生まれの娘が、わたしら親も経験したことがない見ず知らずの人々が暮らす外国で色々積み上げてきた上で!
 たくさん本を読んで、自分なりに考察して、分かりやすく私達に話して聞かせてくれているのに。

 あんたは何で、いつも負けじと 「自分の方が詳しい」みたいな言い方になるんねっ! 30歳近くも若い娘と張り合おうみたいな態度が、どうかしてる!」

。。。以上、母の戦争に限らず、いつの時代でも日本史の話になると、母が呆れて言う、なが~い台詞のご紹介でした。

ほんと、そうなんですよね。
最初は母に話していたのに、いつもまにかテレビを観ていた筈の父の👂はダンボのごとく、こちらへ向き、私の話を遮って、主張し始めるのです。
ただ、古代ローマの歴史等については、何も言えない父です。最近、ひそかに塩野七生さんの本を借りて来て読んでいる様子ですが…。

尊敬だなんて、とんでもないです。
普段、実の父から上記のような 「取り扱い」をされている身としては、じっくりと話(ここでは文章ですが)聞いて頂ける、しかも、父親と同世代の方に…
それだけで、もう、すでに特別な事なのです。
fukurouさん、その他の方も勿論、そうですが…

私の方がfumiel-shimaさんを尊敬しております!

そして、ノモンハンの「その後」を知ろうと思った理由ですが… 理由は、たくさんあります(笑)

まず、ノモンハン事件(戦争)に限らず、歴史はずっと継続しているから…でしょうか。
ノモンハンがあって、辻参謀の悲惨な戦略(?)繋がりで、南方へ出て行き、多くの日本人、現地人が犠牲になった。その過程を知ることが、本当の意味での大戦を知ることだと思ったので…。

2)次に海外から日本を眺める機会に恵まれたから、でしょうか。国内にいる時は木を見ている、世界へ出れば森が見える;

 海外で暮らす内、自然と愛国心が芽生えました。故郷を離れれば、里心が…それに少し似ています。
しかし、行き過ぎた愛国心、またはナショナリズムは戦争の引き金になってしまう。⇒多人種の中で揉まれた実体験と、『ローマ人の物語』『海の都の物語』いずれも塩野七生さん著。
トルストイ『戦争と平和』をひっくるめて、こういう結論に達しました。(すべて感想文or 要約をブログにアップ済)

>当時の日本は日中戦争の中、ソ連との戦いには賛否両論のような葛藤もあったでしょう(略)

そうです! そこなんです!
国民は関東軍に騙された、関東軍が悪い、
というのが一般的ですが、関東軍の内うちでは、反対意見が大半を占めていたという、当時の流れもよく理解できた著書でしたし、今回、ここを強調したかったのです。
ドイツがヒトラー、ソ連はスターリン、日本は辻参謀…と勝手に思っています。 しかし、そのことは余り日本で知られていない…何故??という疑問が…


返信する
承知しました (みみ)
2020-08-11 22:42:52
すずさん、ありがとうございます。
承知しました。
下書きもなしに、ただ思い浮かんだままの文章ですが、絵手紙と一緒で下手でも、伝えたいことが伝わることのほうが大事かも知れないですね。
すずさんにはいつも背中を押して頂くばかりです(^^ゞ宜しくお願い致します。
返信する
みみさん! (すず)
2020-08-11 21:56:42
みみさん、コメントありがとうございます。
読みもしないで承認し、「アップしない方が良いと思います」と最後の一文を読み、慌てて保留にしましたが…

私としては、一般公開して、是非とも他の方々とも共有したい、した方が良い、と思うのですが…

個人と個人が顔を合わせて、相手を理解しようと耳を傾ければ、争いごとを避けることは可能だと体験済みなのですが、
みみさんご夫妻と同じく、この世界から”戦争”を完全に排除することは、現実厳しいと…思いたくはないけれど、ホモサピエンスは欲深くて…
その点、動物や昆虫は必要な分しか狩りをしない!
私も学びたい! 
みみさんのブログに いつも共感します♪
返信する
すずさん (みみ)
2020-08-11 21:40:42
こんばんは~。
すずさんの、根拠に基づいていないことには動じない姿勢に共鳴致します。
真実は一つですし、人生は一人称(自分がどうしたいのか)だと思います。
戦争は宗教が絡んでいたり、人間に欲がある以上は無くならないのではないでしょう・・・
というのが私たち夫婦の考えです。
主人は被爆二世ですし、私の父は満州から引き揚げて来ております。
終戦75年と言いますが、戦争は、私たちの体の中でまだ続いていると感じることがよくあります。
そして、馬鹿な連中が攻めてきたら、実際、戦争はしてはしてはイケナイという理想だけでは大切な人を守れません。難しいですね・・・
なので、私は何事もない日常の幸せをを大事に思いますし、その日、その時に何をしたらよいかと
いつも自分に投げかけております。
差し詰め今はコロナ戦争でウイルスと共生することにしています。
穏やかな暮らしというタイトルは、お馬鹿なブログですが、色々なことをひっくるめて
そう望みたいと思う気持ちから立ち上げました。

話は少しずれますが、マスクを何故日本人は付けるかという理由ですが、他人に移さないためや、自分が移らない為でもなく、一番多かったのは、
「他人(ひと)が付けているからだった」という統計が出たとFM東京で伝えられてました。
日本人は、自分がどう思われるかを気にする民族なのですね。
(全員とは言いませんが。)

私今、戦争を体験された皆さんの食事作りを担当しておりますが、皆さん誰も文句一つ言わなどころか、
「何か召し上がりたいものがありましたら仰ってくださいね」と訊いてもほとんどの方は何もおっしゃいません。
しかし七夕の短冊に「甘い物が食べたい」と数名書かれていたのが印象的でした。
戦争で青春を奪われ、今は若い人からは、生活のために施設に入居を強いられる。
そんな人生の最後を送る方たちに、老いた自分が出来ることは少ないですが、それも共生ですね。
人間は、最後まで人として尊重され、尊重したいと思って暮らしております。
取り留めもないことを書き並べてしまいました。
申し訳ありません。
でも、すずさんとできることなら、ずっと笑っていたいと思います。

このコメントはアップしないほうが良いでしょう。
すずさんの心に留めてくだされば幸いです。
すずさんの誠実な人柄にいつも救われます。
(人''▽`)ありがとうございます。


返信する
murasakiさんへ (すず)
2020-08-11 21:37:15
murasakiさん、こんばんは!

歴史にかなり詳しい私の友達でさえ、知らなかったくらいですから、殆どの方はノモンハン事件を知らないのではないでしょうか。
私もNHK特集で数年前に、取り上げられるまでは全く知りませんでした。

視聴しました、すべて信じます、はい、終わり!
とはしたくない為、ほぼ必ず、図書館へ足を運び、調べるようにしています。
調べていく内に、過去に読んだ複数の書籍の内容も思い出し、点と点が繋がったような感覚になる時もあります。

李香蘭の話は私も両親から聞いたことがあります!
日本人だと分かり、命拾いした!という話が印象的でした。
2つの故郷で波瀾万丈な人生… 心も揺れ動いたことでしょうね。
戦争さえ無ければ…
幾度もそう思ったことでしょうね…

今、私たちは当然のように政府批判も堂々と出来る、安全な国で生活している訳ですが…
香港では今日、23歳の女性活動家が逮捕され、30年禁固という最も重い刑になったというニュース報道を耳にしました。

怖いですよね…
返信する
Unknown (すず)
2020-08-11 21:21:39
滝川さん、こんばんは。
リンク先も覗いて頂いたそうで、ありがとうございます。
わざわざ時間を割いて頂き、感謝です。


>読者の関心を呼ぶ解説をされていると思いましたよ。

それは大変光栄です! ブログで長文は敬遠しがち⦅自分が⦆なので、当然、敬遠されて当然だと思っているので…💦
紙で読む本と違い、パソコンで字を追うのは、目が疲れるので… 
実は、早くも老眼ですΣ(゚д゚lll)ガーン


返信する
一年生さんへ (すず)
2020-08-11 21:10:28
今は、ゲームで何でもあるんですね。
教科としての歴史となると、興味を抱かない中高生も、これならいいのかも。
ゲームでも漫画でも、入口は何でもOKだと思います。

1か月前くらいかな…
友人がゲーム音楽で好きな作曲家を教えてくれ、ファイナルファンタジーシリーズをYou Tubeで聴いていました。
確かにオーケストラにギター演奏が入る、ちょっと異色の組み合わせでカッコよかった👍
返信する
ノモンハン事件 (fukurou)
2020-08-11 08:26:08
すず様
おはようございます。
一日遅れですね。
すずさんのスピードに追い付いていません。
この時期になると思い出したように戦争の特集が組まれます。あとはすっかり忘れて?いるのにと思ってしまいます。
ノモンハン事件のことはよく知りませんでした。そんな事件があったと言う程度ですが、高校の時の日本史の先生が、この事件は立派な戦争だと言うようなことをおっしゃたことだけ記憶に残っています。
詳しいことは記憶にはありません。学校での歴史学習は近代はどうしても手を抜かれてしまい、さっと終えられたような印象があります。
どうして馬鹿な戦争への道を軍部が突き進んで行ったのか、すずさんのブログを機会に少し勉強してみたいと思いました。
ありがとうございます。
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詳しく知ろうとするすずさんを尊敬しています。 (fumiel-shima)
2020-08-10 22:16:28
すずさん、こんばんは。
ノモンハン事件は私が生まれる3年前・・私たち高齢者ですら事件の詳しいことはよくわからない人が多いと思いますが、すずさんはその後のことも含めてもっと知りたい、詳しく知りたい・・とよく思いましたね。
すずさんが感じたようにただのいざこざが発生した「事件」というよりやはり戦争と捉えるべきでしょう。
当時の日本は日中戦争の中、ソ連との戦いには賛否両論のような葛藤もあったでしょうが、結局第二次世界大戦への引き金になったわけですからね。

私も毎年、原爆の日や終戦記念日の前後には戦争に関する本や、報道に触れ、特別に設けられた会場などへも足を運び、悲惨な戦争を振り返ることによって反戦意識を再確認するようにしています。
返信する
Unknown (murasaki)
2020-08-10 20:36:10
こんばんは、
いつもありがとうございます✨

私は ノモンハン事件の事は知りませんでした

今回の紹介で思い出したのが、
山口淑子さん、李香蘭です!
山口さんは、運良く裁判で、日本人と分かり
中国追放?から日本に帰って来られ、
日本での活躍、政治家になられ、
私が、知った時は、女優から参議院議員に当選
されて、凄く話題になった時くらいから、
興味を持ちました、

あの山口さんが、ノモンハン事件と同じくらいに
満州国におられて、波瀾万丈の激動の人生を
歩んで来られたなんて、容姿端麗からは、
考えもしなかったです、

戦争を繰り返してきた日本が戦争放棄をして
国民は自由に生活してますが、
その歴史には、大変な抑圧と制裁があったことも
正しく知る事をされている
すずさんには、感心するばかりです✨
返信する
すず様へ (Unknown)
2020-08-10 20:02:39
すず様の読書好き、歴史も好き、なるほどね・・・
長文も厭わないのも解るような気がしています。

私は本をあまり読みませんが読者の関心を呼ぶ解説をされていると思いましたよ。
浅学の身ですが、こうしたことはヨクヨク読み込んでいないと出来ないことだろうと思っています。凄いね!
滝川~
ps;先日のコメント、リンク先にとび見ました。
返信する
Unknown (一年生)
2020-08-10 19:56:53
こんばんは

正直ノモンハン事件は戦争のシミレーションゲームで位しか知りませんが。

こういうのに興味があれば

大日本帝国の最後パート1
https://www.nicovideo.jp/watch/sm978302

パート2
https://www.nicovideo.jp/watch/sm979655

パート3
https://www.nicovideo.jp/watch/sm983996

今では元のflash動画がなくなり

ニコニコ動画のこんなのしかないみたいですが

内容自体は戦前~戦後までのいきさつが、結構勉強になると思います。

自分はパート3が好きで見たら泣けてきますね~



音楽もなかなか素晴らしい。
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