『焼肉ドラゴン』
この映画の批評を新聞で読んだ時、シドニーのお土産屋さんで出会った元気な夫婦を思い出した。映画は、戦後復興が進む中、立ち退きを迫られる大阪で生きる在日コリアンの家族の絆の物語。映画は自分が生まれた頃が舞台。ドラム缶や焼き肉を囲む賑やかな歌や大声で罵りあう喧嘩や、砂埃や町のごちゃごちゃ感。これらすべてが、どこか懐かしい感じがした。あの時、今からかれこれ20年程前、異国の地で出会った自分の親世代のご夫婦も、きっと時代に翻弄され、「ここしかない」と日本で生きてきたんだろうか。そうかもしれないし、違うかもしれない。
オーストラリアの当時のお土産屋さんでは、「羊の皮のコート」或は「カンガルー皮のコート」を店員が一着、売るたびに、5ドルのコミッションが貰えた。当時の時給は8ドル50セントだったから、(私は7ドルスタートで50セントずつ、上がっていった。一年未満で1ドル50セントアップというのは、最低賃金引上げ以外の理由でしかアップしない日本のバイトよりずっと昇給は早い!)まぁ、、日給に加えてコミッションが5ドル~20ドル、一日で頂けるというのは有難かったし、大いに励みになったものだ。羊のコートやジャケット、ベストを買ってくれるのは、新婚さんや年配ご夫婦の旦那さんが多い。そういう訳で、あの日も台湾出身の留学生、キャロルと店先に立って、朝から客引きじゃないけど、「お土産品、見ていきませんか~」と声をかけていた。午後から大学があるキャロルは先に上がり、授業料も生活費も稼げるだけ稼ぎたかった私は午後の休憩を挟み、その日も深夜22時まで仕事だった。
「じゃ、ちょっと寄って行こうか」
そう言って、店内に入ってくれたのが、あの「おとうさん」そして「おかあさん」だった。
割腹がいいお父さんには、ベストが似合う気がして、ハンガーから素早く外すと、
「おとーさん! これ、試着してみません?」
と肩にかけてみた。
「おいおい!おと~さんだってよ!」
奥さんに向かってそう言い、苦笑いすると、私に勧められるまま、鏡の前に立ち、自分の姿を眺めている。多少、お腹が気になるけど、色もデザインも似合ってる!
「えーっと、これはMサイズなんですけど、余裕を持たせたいなら Lサイズの方がいいかなぁ…」
という私に、
「そうだなぁ。もう一つ大きいサイズの方が腹も隠れるか」と笑う。
おかあさんの方は、カンガルー皮のお財布に興味を持っている。「あ、これも人気なんですよ」なんて、すっかり二人と打ち解けたその時、自分の背後で、「あーっ!」と叫ぶ声がした。キャロルのボーイフレンドで、同じ通りにある支店で働くケニー(韓国名はKim)だ。
「ちょっと、〇〇(私の下の名前)、俺のお客、取らないでよ。夕食終わったら、ジャケット買いに来るって約束したのに戻ってこないと思ったら… ここで〇〇(私)から買おうとしてるんだからね~ 参ったな」
ケニーが働く店と、私とキャロルが働く店のオーナーは同じ。同じ商品であれば、どちらの店舗で購入して頂いても社長は構わないだろうが、この場合、コミッションというものが絡んでくる。すでに商談成立していたのなら…ケニーの店で… と思った時、お客さんの方が驚いた様子で、ケニーに向かって韓国語で何か言った。ケニーも韓国語で笑いながら何か言っている。それまで流暢な日本語だったので、お客さんはてっきり日本人だと思ったら…
「韓国の方だったんですねぇ、おとうさん。日本語があまりにもお上手だから、日本人かと…」
ケニーは韓国生まれの韓国人で、オーストラリアにワーホリで渡豪する前、日本に留学していた。日本人にしか聞こえないくらい流暢だ。「日本人かと思いました」という私に、振り返ったおとうさんは、ひとこと、
「在日」
何だろう… あの ひとことを発した時の、低い声のトーン。能面のような表情。一瞬で凍り付いた互いの心。ガラスの破片でも突き刺さったような感覚のまま、
「じゃあ、私と同じですね」
考える暇もなく、ひとこと、気付くとそう言っていた。
一瞬、相手の顔の表情が緩んだ。「それなら お嬢さんも…?」
「あ、いいえ、私は日本生れの日本人です。でも、ここ、オーストラリアでは…何年暮らしてもよそ者なんです。 午前中、私と一緒に働いていた女の子がいたでしょう。彼女、台湾人なんですよ。だけど、アンザックデイの日、日本人と間違えられて生卵をぶつけられたそうです。バスの中で、ジャップは自分の国へ帰れ、と言われたこともあります。おとうさんも色々と…その…あったでしょう。嫌なこととか、差別とか…。だから日本人を代表して謝ります、御免なさい。 ただ、すべての日本人がㇾシストではないように、多くのオージーはフレンドリーでいい人達なので… せめて私達は仲良くしましょう!」
…
その直後、具体的に どのような会話があったとか、おとうさんは どんな顔をしたか、とか。思い出そうとしても覚えていない。ただ、何事もなかったかのように、買い物を続けてくれて、何よりもケニーではなく、殆どすべてのお土産品、勿論、ベストのみならずジャケットも!私の見立てで購入してくれたのだった。
「あの子、どうしてるかな…と。あなたのことが気になって、又、来たよ」
結局、シドニー滞在期間中、毎日、顔を見せくれた。
シドニー3日目の最終日、その日は日本人の男子大学生Shogoと私がレジに入っていたのだが…
「あれ? 君、俳優の中井くんに似てるねぇ。中井貴一よりハンサムだよ! その一方で…〇〇ちゃん、(この時、すでに名前で呼ばれていた!)顔が日に焼けて真っ黒やね。」
Shogo は上機嫌で、「いやぁ~ よく言われるんですよ」と照れ笑いし、「更に10%割引しますよ!」なんぞという!
一方、私は、「Shogoは中井貴一よりハンサムで、私は日焼けて真っ黒⁉ それって、あまりに差がありやしませんか。おとうさん! もう、割引は一切、無し!ですっ!」
「面白いねぇ。この子、本気で怒ってるよ! ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ」大笑いする、おとうさん。
「オーストラリアの紫外線で焼けたのねぇ」便乗するおかあさん。
映画、『焼肉ドラゴン』で見た、あの、おとうさん そして おかあさん。そして娘たち。ナレーションの息子さんの人生はあまりにも無情で…そこだけが どうしようもなく哀しかったけれど…。
忘れかけていた人達との3日間の出会いと交流。当時、26~27歳だった自分が、あの出会いの直後に この映画を見ていたら、どんな感想を抱いただろう。
戦争、時代、個人では どうすることも出来ない現状と闘いながら、折り合いをつけながら、人は 自分の居場所を求め、生きていく。だけど自ら死んではだめ、逃げていい。きっと、これが、ナレーションの男の子から現代を生きる我々へのメッセージ‼