作家、火野 葦平さんのことを知ったのは、遂、先月のこと。
北九州市民吹奏楽団の演奏会を聴く目的で、若松市民会館へ足を運んだ際、偶然にも火野 葦平展も開催中でした。
演奏会には、まだ時間があったため、立ち寄ってみることにし、その時、地元北九州市の有名な作家であることを 恥ずかしながら初めて知ったのです。展示品の中には、インパール作戦の従軍記、戦地で書いたメモやノートまで! とても貴重な品々がありました。多くの死者を出した、あのインパールへ行き、無事に帰って来ることが出来ただけでも奇跡的のように思えますが、メモまで残っていることが更に驚きでした。
赤紙が届き、遺作となることを覚悟の上で書いたであろう小説を図書館で借りて読みました。
いわゆる社会の底辺で生きる主人公。
水洗トイレになる前の時代をギリギリ知っている世代なので、昔は「汲み取り屋さん」と呼んでいたんだっけ…などと思い出しました。(少なくとも自分の田舎では…)
短編ながらどれも深く、面白く読んだのは、人間そっくりな河童のお話が詰まった『河童曼荼羅』短編集です。
ギリシャ神話を始めて読んだ、小学校低学年の頃と同じ気持ちになり、「神様も河童も人間とさほど変わらないんだな」と笑ったり、驚いたり、気の毒になったり、恐ろしくなったり…。
特に飢餓で苦しむ河童の様子が書かれた話。河童の内、一人が偶然、大量の胡瓜を見つけます。仲間達のことを忘れ、一人、胡瓜をむさぼる河童。博愛の精神は、心も胃袋も(?)満たされてから生まれるものなのか(?) 瘦せ衰えていた時は、するりと大量の胡瓜がある穴の中へ入れたのに。食べ過ぎで太ってしまい、穴から脱出出来なくなった河童を想像しながら考えてしまいました。そこへ河童の彼女がやってきて… 続きは是非、お読み下さい。
不幸だからこそ、美しく見える?
満たされることがないからこそ、生きられる?
10枚無いと分かっていながら、毎晩、
「お皿が一枚、お皿が二枚…」
と数え続ける女(実は人間じゃない)
そんな女に魅力を感じ、恋に落ちた河童。
女の為に、歴史を学び、10枚目のお皿まで見つけてあげた河童。
ところが、お皿を手にしたとたん、女は幸せそうに高笑いし、憂える女性の美しさが消え去ったと感じる河童。
人間の面白さを河童に投影し、描かれることで、”人”という生き物が、より面白くなる、そんな『河童曼荼羅』。
芥川龍之介の短編や、『山椒魚』を書いた井伏鱒二さんの小説にも通じるものがある‼と感じました。
今まで全く知らずにいた小説家や作品を知るって、それだけで楽しいものですね。
火野氏は、絵を描くことも得意で、実に多才な人!
上記は、映画にもなったという(両親は観たことがあるらしい)作家の出身地と同じく、北九州市が舞台の小説、『花と龍』の一部。