日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

旅行記の途中ですが…(2)

2010-04-29 12:25:22 | Weblog

 昨日は月に一度、行われる勉強会(他にも家族会の方々と一緒に行う「お話合い」&食事作り、カンファ等、色々あります)の日でした。昨日の勉強会は発表者がいて、それぞれ意見を出し合うので、プレゼンテーションに近い感じです。 夜勤者一人を除く、スタッフ全員参加なので、19時に始まり、この日、早番の人は、何処かで時間をつぶし、(前回がそうでした。さくらへお買いものへ行ったっけ)お休みの人も出てきます。(今回、私はお休みでした)

 勉強会は「もし、自分が認知症になったら」を疑似体験してみるもので、大変有意義なものでした。なかなか普段は考えてみることがないでしょう。「まだまだ老後は先」だとか、「自分は大丈夫」と何となく思っている人が多い気もします。

…と、ここまで書いて、電話があったので、保留にしたまま、この時刻。12:21。

昨日はホークス全員安打で大勝しましたね!!! 22時10分前にバスで帰宅し、一番に「ホークスはどうなった?」と聞きました。

「勝ったよ! 小久保選手の満塁ホームラン、芝原選手のホームラン! 松中選手だけが最後まで安打がなかったけど、打ったよ」

…と母。

9連戦の内、最初から2連勝、おめでとう。 今日はディゲーム。今夜から2や連続の夜勤の私は「ちらっと」見る程度に留めて置かないと…。

選手の皆さん、今日もナイスプレーを見せて下さいね。 どんたくシリーズももうすぐ…。

 ただいま、夕方16時を回ったところ。

ホークス戦は、「ちらっと」観る程度に…と誓ったものの(夜勤だから)、観始めるとそういうわけにもいかず、結局、真剣に観てしまいました。

テレビ放送が9回表、2アウト満塁で終わってしまい、慌ててラジオに切り替え。

馬原投手が踏ん張ってくれて、楽天戦3タテ。 おめでとう~です。 逆転負けなんてことになったら、夜勤へ気持ち良くいけなーい(汗)と思っていたところでした。 勝って良かった、よかった♪宗リンを始め、松田選手も良く走った試合でもありましたね。この試合で6つの盗塁!! すご~い。松田選手のニックネームがマッチ(近藤雅彦を思い浮かべるのは、私がアラフォーだからか!?)…だと知ったのは、タムのブログを通してでしたが、秋山監督も「マッチがボール球を良く打った」 と言っていました! 秋山監督が若いから、今日の試合を見ていると、チーム全体が若く見える。小久保選手も頑張っているし、客席には斎藤和己投手の姿もあり、リハビリ中だと知りました。早く復帰してほしいですね。ホークスの本来のエースだから。

http://ameblo.jp/kazumi-saitoh/  ←クリックしてね。斎藤和己投手のブログです! 今、検索して見つけました。驚いたことに、アメーバブログだったのですね。5年前は他でブログを書いていたと記憶しています。滅多に更新していないようだったので、続けて見ることがなかったのですが…。福岡に帰る、と書かれてありました。(今日のこと)リハビリ頑張ってね。

明日は好調ロッテを福岡ドームに迎えての3連戦。 今、パリーグ3位のホークス。ここで勝てば上位に食い込んでくるものね。

では、一時間ほど、ゆっくりして、夜勤に臨みます。

すず

 

 

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原爆ドーム

2010-04-28 09:19:43 | 広島

みなさん、おはようございます。お久しぶりの更新です。いつもながら、仕事は忙しく、突発的なこともよくある人間相手のお仕事なので、(すべての仕事は人間相手ではありますが^^;) ブログ更新さぼっていました。 でも、元気に毎日過ごしております。皆さんもお変わりなくお過ごしのことと思います。

昨日からホークスは9連戦! 阪神タイガーズならば、毎年夏の甲子園の時期にやってくる連戦のようなもの。でも、タイガーズは長~いロード。ホークスは地元も含むので、まだいいよね。 タムは私の希望通り、彼の同点ホームランで勝利した試合後、ブログを更新してくれました。 タム、ありがとうです。

昨日の試合は残念ながら、仕事で最後の放送時間が終わる直前しか観ることが出来ず…でも、 ラジオに家族全員で耳を傾けました。 宗リンのホームラン、流石ですねぇ~。あとで知りましたが、彼の好プレーもあったのですね。 

「まさか、ホームランになるとは…思いました」

というヒーローインタビュー。 大笑いしてしまいましたよ。 いつものように、仕事が仕事なだけに、疲れ果てて帰宅しましたが、彼の台詞に一気に疲れも吹き飛びました。 選手の力ってすごいです。  秋山監督を始め、選手の皆さん、いつもありがとう。 昨日は宗リンのお母様の誕生日だったそうで、母へ向けたメッセージにも、じ~んときました。  まもなく博多どんたくシリーズも始まります。 昨日の勝ちで勢いつくことを願います。 試合は勝つか、負けるか、引き分けか。 どのチームも必死に勝ちにくる中での勝負。 私のような凡人には分からない苦労が多いことでしょう。 (特に負けた時の外野の声など) 勝っても負けても 「次に繋がるプレーをしたい」 というタムの言葉通り、そんなプレーにファンも毎日、支えられています。 今夜は勉強会に19時から出席するため、ラジオですら試合経過を見守ることが出来ませんが、いつでも応援しています。 頑張ってね。

…というわけで、ここから広島旅行記が始まります。 前置きが長くなりましたが、その前にブレイクファーストといきます。   予定では、ビザトーストと、すず特製のトマトスープとバナナとヨーグルト。 この下に更新記事を足していきます。 ひとまず、さよなら…さよならさよなら

 

私達が平和公園に到着すると、中国人の学生達と先生らしき人達が、記念写真を撮っていました。 全部で50人くらいの学生達。 日本で言う修学旅行のようなものでしょうか…? 喋っている言葉から、中国人だとすぐに分かりましたが、勿論、何と言っているのかは分かりません。 上記の説明を読みながら学生同士、何か熱を込めて喋っていました。   

    テレビや写真では何度も観ている原爆ドーム。

段々と近付くにつれ、生々しさが迫ってきます。それは、後に訪れる資料館で読んだ、『あの日、広島の朝、快晴。 この日が広島の運命を決めた…』 『身体中に火傷をおいながらも自宅近くまで行きつき、母親の元で翌朝亡くなった…』 「焼け焦げたお弁当箱と、本人が口にすることがなかったご飯』…あまりにも衝撃的な、あの日、広島で起こったことを思いながら、再び今、こうして自宅へ戻り、目の前で見た原爆ドームを思い出すからかもしれませんね…。

当時の多くの建物は、解体作業が行われ、広島の街から消えてなくなってしまったそうです。 資料館で模型を見ながら、出来れば残して欲しかった…と思う建築物も多かったです。そんな中、この原爆ドームも 「解体すべきでは?」という時期もあったのですね。こうして残してくれて良かったと、多くの海外から訪れている人達の思いつめた表情を見ながら尚さら思いました。 原爆の恐ろしさは、この原爆ドームを目の当たりにしてこそ、胸に迫ってくる、そんな気がしました。

 

↑↑ 瓦礫の山も、そのままに…残されていました。

私の隣では、アメリカ人男性が熱心にカメラのシャッターを切っていま

した。

「柵を乗り越えないで下さい。防犯ブザーがなります」

と、表示されています。慌てて後ろへ下がりました。

「カァ~…カァ~…」

という鳴き声に、思わず目線を下から上空に向けました。

「ピカドン」 

資料館でも、社会科の授業でも、毎年夏に聞いた広島・長崎特集番組でも、体験者が口にする 「ピカドン」

一瞬で広島の街を焼け野原にした原爆の恐ろしさを今に伝える原爆ドーム。

しばらく言葉もなく、アメリカ人のおじさんと二人、きっと思うことは同じだろうと感じつつ、その場に立っていました…。

 

 「水が欲しい」 「身体が熱い」

ここに飛び込んで亡くなられた方々に、思わず手を合わせました。 資料館では、市民の方々が描いた、『あの日の広島』の絵を拝見しましたが、その中にもこの川の、あの日の様子が地獄絵のように描かれていました。 思わず息をのんだほどです。

広島市内でも、原爆ドームでも、そして資料館でもー。

多くの外国人観光客を見かけました。皆、一つ、ひとつの展示物の前で食い入るように資料を読み、目を見張り、一瞬、目を背けては再び目を開き、ゴクッと飲み込み、呼吸をすることすら忘れて…という表現がぴったりのように真剣なまなざしに多く出逢いました。 言葉が英語なら、何を言っているのか分かるため、日本では誰でもよく目にする写真や広島の廃墟化した街の写真も、海外ではそれほど知られてはいないどころか、それこそ、どれもこれも初めて目にする資料であるケースが多いのでは? 原爆の恐ろしさを世界に知らせるのに、「広島原爆ドームと資料館」こそが 世界に向けて非核を訴える生きた教材なんだと、肌で感じました。 原爆ドームが世界遺産となったことは大きな意味を持ちますね。 ここへきて、資料と合わせ、外国から来た人達のショックで何も言えない表情を見つつ、色々なことを思いました。 

詳しくは、明日以降の記事にて…。

上記の写真は、原爆ドーム前にて。熱心に資料を読みながら、想像を絶する被害状況に驚きを隠せないと語る外国人観光客達。 多くの人達にこの地を訪れて欲しい、そう思いました。私も、もっと早く来るべきでした。ここへ。 核廃絶は広島から世界へ向けて訴えて行こう、と頑張っていらっしゃる方々こそ、ノーベル平和賞を授与されるべきでしたよね? そう、米大統領より先に…。

すず   

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旅行記の途中ですが…

2010-04-24 17:29:50 | Weblog

え~っと。臨時ニュースです。いや、ニュース速報???

ホークスが勝ちました!!!

甥っ子ちゃんが生まれた年、2002年以来の先発、小椋投手、初の勝ち☆おめでとう!!!

4回までが精いっぱいだろう…という解説者の御意見を聞きながらの応援だったので、長谷川選手のヒットで一気に3点が入り、4-1になった時は、大喜びしたけれど、

その後は ひやひやしましたねぇ。特に6回の摂津投手、ストライクがなかなか入らなかったから…。

でも、その後を任された外人しゃんも 滅茶苦茶打たれたシーンの印象が強くて、祈るような気持ちでしたが、あの (一部、ファンから 「王監督率いるWBC出場を蹴るなんて非国民!」 と言われた…)井口マンを仕留めたときは、やったね♪って思いました。

今、我が家にはラジオがありません。壊れてしまいました…。

だから、ネットで状況を調べつつ、内心どきどきしていました。

だって、8回に井口選手が三振、チェンジになったあと、放送時間いっぱいでテレビ放送は終わってしまったからです。

 今日は、多村選手も同点に追いつくホームランを打ちました!

流石です。 最近、更新が多いタム。

今日もブログ、書いてくれるかな。

今夜、楽しみにまっていようっと

…というわけで、ホークスが勝利致しましたことを伝え、臨時ニュースを終わります。

 

すず、でした。 (←全く飲めないくせに、ビールの画像だけ)

 

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広島の「あし」

2010-04-24 06:21:13 | 広島

広島名物、お好み焼きを食べたあとは、ツアーの集合場所でもある 「平和公園」へ戻ります。「連れ」は一生懸命に添乗員さんが配ってくれた地図を見ていましたが、私にはある考えがありました。 日本へ一時帰国するときは、大抵JALなど乗り換えなしの便ではなく、海外の航空会社を選び、ストップオーバーして、「ついで旅行を楽しむ」…ということをしていました。

現地の乗り物を乗りこなすこと。歩くこと。

そこから思いがけない体験をしたり、出逢いがあったり、掘り出し物を見つけたり…。今回のような「連れ」がいる場合の「日帰りツアー」では難しいかなと思いつつも、お好み焼き村で解散した後は、(解散とはいっても、それぞれに食べる場所もペースも違う為、実際には到着時点で解散。。。) 現地の乗り物に是非とも乗って見よう…と計画を練っていました。

その前に、商店街を歩きました。写真は撮りませんでしたが、結構にぎわっていました。観光地の中心だからでしょうか。 私の地元の商店街も私が幼児の頃は、こんな風に人がいっぱいいて、チンドン屋さんが賑やかで…と、少しタイムスリップした感じ。それに、外国人が多いのも広島市の特徴です。観光客もいれば、いかにも「くらしています」という雰囲気で颯爽と歩いている人とか…。こうして歩きながらも街を行きかう人々を眺めることが楽しいですね。

(上記の写真は人が写っていると困るので、あえて誰も写っていないものを使用しています)

 広島の足といえば…

そう! 路面電車。 我が市でも私が子供の頃が全盛期だったと思います。 路面電車に乗り、買い物へ行ったり、おじいちゃんが入院していた病院へお見舞いに行ったりした記憶があります。その路面電車で動物園へ行ったこともありましたっけ。残念なことに、一時期、ほとんどの路線が「廃止!」になり、路面電車に代わってバスが主流になりました。 今でも路面電車は我が市でも残ってはいます。でも、動物園へはバスになったのよね。 あの路線を維持出来なかったのが残念ではあります。 環境面でも路面電車の方がいいのでは…??? 違うのかな? 

 信号待ちの「ふり?」をしつつ、「連れ」を待たせて、(どこかへ消えそうでしたが)路面電車が入ってくるところを狙います。おっ! ついに、やってきましたよ~! たぬき部長、見えますか? え? 見えないって? 確かに、この日の広島は、曇り空でしたね。 えっ? そういう問題じゃない??  しばらくお待ちを…今、画像をアップしますんで。

 

ほらぁ~! 見えてきたでしょ? でしょ、でしょ?? たぬき部長、見えますか?

今回は、たぬき部長の為に特別企画でお送りしております。

スポンサード BY 日清食品。メーカーのお兄さん、元気? たぬき部長に愛される坦々麺を届け続けて早、何年? 今日もお仕事頑張ってね! 職種は違っても、「人と関わる仕事。美味しいを届ける愛ある仕事」 すずもブログを通じて皆さんに前回、「食べられない画像だけの広島お好み焼き」届けましたぁ。  褒めて つかあさい。(ちょっと龍馬風おしゃべり?

ほら、ほら! 近付いてきましたよ!

これが広島市内を走る市民の「あし」です。

カッコイイですね~。私が実際に乗車したのは、写真のものではありませんが…。

 

 路面電車で思い出すのは、オーストラリアのメルボルン。

あちらは、「トラム」と呼ばれています。2つの仕事と掛け持ちしながら大学院生活一年目を過ごしていた最初の夏休み。(オーストラリアは南半球ですので、夏休みは12月に始まります。大学/院の新学期は2月の終わりから3月の初め。小学校は1月の終わりが新学期です) 無理がたたって学期末、体調を崩した時期でしたが、無事にエッセイをすべて提出し、プレゼンテーションもすべてパス出来たことを祝って、長距離バスに乗り、メルボルンへ2泊3日の自由旅行をしたことがありました。 この時は、独り旅。 「なんで言ってくれんかったの? 一緒に行けたのに…っていうか、一度も行ったことがないメルボルンへ行ってみたかった」 と、韓国人の女性とトンガ人のケプから言われましたが、あの時は独りで行きたい気分でした。自分の体調復活を確認し、元気になったと しみじみ味わいたいときだったので。ケプはその後、独りで自家用車でメルボルンへ行き、なんと…エンストしちゃったというおまけ付き。 彼の車で行かなくて良かったねぇ…と、ホストファミリーのジーアに夕食時間に言われ、その場に居た学生、ホストパパ、全員大爆笑~となったんだ。

いやぁ…ひとことで、「路面電車」といっても、色々と思い出は尽きないですね。

メルボルンのトラムも乗り心地良かったと記憶しています。クリスマスの時期で街中も賑やかでした。

シドニーにもあるのですよ! 路面電車。 とてもカラフルです! 原色を多用している特徴ある車体が多いです。 初めてオーストラリアを訪れた両親も驚いていました。 「派手ね~」って。

  そういえば、今、思い出しましたが、私達の前に

 「では、完全フリーのオプション無しのお客様は、ここでお降り下さい」

と言われ、降りた人達の中に、実はお好み焼きツアー組だったのに、間違ってフリーの組の人達と一緒に、平和公園前で降りてしまった…。

…と言う人達がいました。女性4人グループ。

「歩いて来たのよ。疲れたぁ~」

私たちがお好み焼きをほぼ、食べ終えた頃でした…。 大幅に時間を無駄にしてしまったと嘆いておいででしたが、焦ったでしょうね…。

そうでなければ、市内を歩くことも、私達のように路面電車に乗って、街行く人を観察することも面白いんだけど。

 シンガポールでも台湾でも、バスよりは地下鉄の方が使い勝手が良かったです。広島は路面電車に一票。 大型バスで移動することが多くても、フリーがあると、こういう乗り物を利用しながら楽しむこともできます。

 今回のツアー。オプションあり、自由行動あり。お好み焼きツアーあり。色々あって、Gooでした。

 

 そして、ついに私達が乗った広島の路面電車ガ目的地に到着しました。料金は150円。何処まで行っても150円みたいでしたよ。料金は、これしか表示されていなかったから。

「150円でいいのですか?」

「はい」

「二人分なので、300円入れます」

車掌さんにそういうと、「はい」というお返事でした。 安いよね。我が市の路面電車、結構なお値段するけれど…。

 

原爆ドーム前に着きました。

 明日以降に続く…。

 

すず

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広島市内へ…広島といえば、これ! 「お好み焼き」

2010-04-21 19:24:57 | 広島

春の旅行記の続きです。 夜勤明けから、眠らないダブル日中を二日、(16時間×2日) 眠る夜を二晩…は無理だった(汗) そんな不思議体験をしている最中の…すず、です。

もうしばらく旅行記にお付き合い下さいませ。

広島造幣局で幾種類もの桜を見物し、感嘆の声を上げたあと、再びバスに乗り込み向かった先は…。

広島市内です。ここで、3時間の「フリータイム」となるのですが、オプショナルツアーもあります。

私と「連れ」は、2つのオプションを選ぶか、完全フリーにするか、いずれかの内、これまでのツアー旅行経験上、

「土地勘がない観光地で、しかも時間が限られている場所で「食事する場所確保」することは困難を極める! 時には、飲食店巡りでだけで、フリーが終わった…なんてことになりかねない!」

…ということで、「お好み焼きツアー」参加後、フリータイム♪ というオプションを選んだのでした。

「では、ここで、フリーのお客様はバスをお降り下さい」

約3分の1の方が、ここで降ります。若いカップルは、ここで降りるケースが多いですね。私は中年の仲間入りを果たしたところです。つい最近、20代だった筈の私もいつのまにやらアラフォーですから…。年の為。。。。

「今、14時ですね…。ではバスの集合時間は17時45分です」

「はーい♪♪

みなさん、元気よくお返事をしました! 私もです。

次は、お好み焼き村ツアー客がバスを降ります。

添乗員さんが近くまでご案内。

 「お好み焼き店が全部でこのビルに6つあります。何処でもお好きなものをお選び下さい。 この券を渡してくださいね!」

お好み焼きビルへ~

私達は3階を見まわしたあと、あまりにも人が多いので、2階へ降りました。

エレベーター向かって一番右のお店を選びます。

有名人の写真と、お好み焼きを焼いているおばちゃまが一緒に撮った写真がいっぱい。

美川けんいちの写真も!

「彼はここのレギュラーよん

と、何故か、この時だけ…ちょっと色気を出して、おばちゃま、答えておりました。

「お好み焼きの写真を撮ってもいいですか?」

「いいよ! バンバン撮って!!!」

バンバン撮って! と言われて遠慮なく撮影させて頂きました。

隣に居た同じツアーの奥様が、「バンバン宣伝したらいいよ♪」

まるで私の意図するところをご存じのご様子…。

お好み焼の殿堂 広島・新天地 お好み村 http://www.okonomimura.jp/←見つけました! ここをクリック!

私がお世話になった「おばちゃま」の写真も出ています! 「山ちゃん」

肝心のお店の名前ですが、ビルの中なのね。いくつもあるけど、2階の一番右。

でも、行けばすぐに分かるでしょう。 

鉄板の上で食べてもいいし、お皿に盛り付けてもくれます。

希望を聞かれますから、どちらでも。。。。

私は長女でネコ舌なので、お皿に盛って頂きました。

こちらの自慢は、らー油、油を一切使わないことだそうです。

油をひかずに鉄板の上で確かにお好み焼きを焼いていました。

もうひとつは、バラ肉ではなく赤みが多い豚肉を使っているところなのだとか。

こちらも目の前で見ていました。

ヘルシー志向の方に特にお勧めです。店主のそんなモットーで、マヨネーズですら使わないのだとか。

広島風お好み焼きにはマヨネーズ! と思っていた私には、え~っ? でしたが、必要なら持参しましょう。怒られるかな?(爆)

上記が一人前。 普通サイズの1・5倍、ありそうです。

お値段は1200円。 ヘルシーならでは、材料も良いものを使用しているので、ちょっと高めですが美味しかったです。

上記にソース、青のりをたっぷりふりかけて、出来あがり。

お好み焼き、特に広島風お好み焼きって九州にもたくさんありますが、本場で食べたのは初めて。

広島へは甥っ子&両親と、「広島ワイン工房」など、ツアーで何度か来ていますが市内は初! だったので。

勿論、本場の広島お好み焼きも人生初!

いつの日か、大阪造幣局へ行き、大阪のお好み焼きを食べたい…と思っているのでした…。(いつのことやら…苦笑)

ここでご一緒させていただいた同じツアーのご夫婦。お水はセルフサービスだったのですが、席に着くと入れて下さって…御親切にありがとうございました。

また、御縁がありましたら、何処かのバスツアーでお会いしましょう~。

「お好み焼きを焼いて、26年のベテランおばちゃま。ご馳走さまでした。お約束通り、バンバン宣伝しましたよ!

 

では、次回まで~

 

すず

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造幣局 (春の旅行記3)

2010-04-19 10:21:53 | 広島

昨日の記事の続きです。 綺麗な桜をご覧くださいませ。

みなさん、手にはカメラを持ち、写真をパチパチ。

乙女時代を思い出し桜と一緒に、にっこり微笑まれる女性も、ちらほら…。

私も「つれ」も桜と共に写真を撮ることは、しませんでした。 

桜の鑑賞だけで、充分。

ここは、広島造幣局。 大阪造幣局から、毎年少しずつ、桜が遷されているそうです。

桜って、こんなに種類があったのか…と思いました。

ぼんぼりのような桜が印象的です。

濃いピンク色。

「最初、バスを降りて、出入口では、 なんだ、大したことないな。大阪造幣局の桜の方が、ずっと綺麗だな…とおっしゃっている方が目立ちましたが、奥へ進むと、公園になっていて、種類も多いですし、わあ~と歓声を上げられる方ばかりでしたね。綺麗だったでしょう?」

…という添乗員さんの言葉に、苦笑していた方が多かったですね。

私の「つれ」も似たような発言をしていたので、「やめてよ!」 と囁くと、さらに声がでかくなり…そーーーっと離れました。 

「おつれさま」だと造幣局で警備にあたっている方に思われることが、ちょっと恥ずかしいので。 

大阪造幣局へ行ったことがない私ですが、広島造幣局の桜、とても綺麗でした。

こんなに多くの種類の桜を観たこと自体、初めてのことです。 

緑の葉のような桜もありました!! 下の写真です。

「あ! 桜の花が葉のように、緑色だっ!!!

「こんな桜は生れて初めて観たね!」

周囲の人達も驚いています。この桜の名は… 御衣黄 でした!

記念硬貨も販売されていたのですが、「今日の分は完売しました」 と看板が出ており、買えませんでした。残念です…。折角、造幣局まで来たのだから、記念に…と思ったのですが。ここでは職場へのお土産、「さくら餅」を私は購入し、「つれ」は「造幣局の紙幣せんべい」を買っているところを目撃しました。硬貨が無かったので、おせんべいだけでも…ということでしょうか。

そして、次の目的地へ向かいます。

旅行記、続く…

 

すず

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紅華

2010-04-18 16:03:28 | 広島

 山口県下関市の村田蒲鉾店を出て、ひたすらバスは走行中。。。。。

途中、15分のトイレ休憩をはさみ、やってきたのは、桜の名所。

「花のまわりみち」です。

残念ながら、大型バスを降りて、「花のまわりみち」まで歩く途中、小雨が降り出しました。 その為、画像が暗めですが、まずは珍しい種類の桜からご紹介。

下記は 「うこん」と呼ばれています。緑かかった色が特徴です。

 

 ちゃんと札がありますね。鬱(うつ)って漢字を書いて、「うこん」 初めて見ました!

鬱の金で 「うこん」 人間誰しも、うつうつする時もありますが、「鬱金」を眺めていると、気持ちも落ち着いてくるということでしょう。

 

お次は、「楊貴妃」 薔薇のようですね…。

 お天気が悪く、空が灰色。

青空なら桜の花も更に綺麗に見えるのに…と、言いながら写真を撮ってしまいました。でも、まだ、満開ではない桜の木も多く、この週末には 更に綺麗に咲いていることでしょう。 週末は晴れて良かったですね!

 桜を見物をする人々…。

さくらだけ撮って!」

私が映ったら、桜が泣くが・・・

そんな会話をしながら桜をカメラに収めているグループを ちょっと離れた所から、パチリ

桜の陰に隠れて、顔は見えませんから。

 空が青空だったら、ホント良かったよね。

(まだ、言ってる!)

 

  

何だか、雛祭りを思い出させませんか? 明りをつけましょう。ぼんぼりに…。みたい。 薄色ピンクの可愛い桜。 そして、ついに…

今年の主役の登場です!!!

北海道松前町の浅利政俊氏が実生の中から選出育成した桜だそうです。

『濃紅色の花が密生して咲き、咲き方が華やかであるところから、この名が付いた』、と頂いたパンフに説明書きがありました。

その名の通り、紅色が華やかな桜です!

思わず、うっとり…してしまいました。

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九州脱出~p(^-^)q  旅行記 その1

2010-04-17 19:24:47 | 広島

 

2010年4月16日。朝、8時半に自宅を出て 「つれ」と共にバスに乗り込みました。

今年になって、初めての旅行です。

今回はバス旅行。大型バス22台福岡から同じ目的地へ向かいました。凄いでしょ? 

私たちが乗ったバスは6号車。

最初の到着場所は、上記の写真のパーキングエリア。 

九州と本州を結ぶ玄関口。 福岡県北九州市門司区にある布刈です。

関門海峡は、JR電車で地下を走る他、上記の関門橋を渡ることもできれば、地下トンネルを歩いて渡ることもできます。私も一度、歩いて渡りました!! 

福岡県 山口県と道路に書かれてあり、

本州と九州を股にかける男!

と、言いつつ写真撮影をすることを勧められますので、貴方も是非、トライして下さいね。

関門海峡を渡っているところ。

今回はバスなので、関門橋を渡ります・・・・!!!

玄界灘だよぉ。

古くは平氏と源氏の壇ノ浦の戦い。

潮の流れが非常に早いことで有名です。

 ちょっと先には宮本武蔵と佐々木小次郎の決戦;巌流島も近く!

歴史ロマンを感じる場所、それが福岡の門司。山口の下関。

もし、そこの貴方!! が、すずを訪ねて来られた場合は、この周辺へご案内しますね。いっぱい歩きましょ~。(車無いの、私

関門海峡を渡り終えると、そこは山口県。 

遂に本州上陸~です!

 

途中、かまぼこ店へ寄り、母世代の人だかりに圧倒される若いカップルとおじちゃま集団をなにげに見学し…。

おばちゃまパワー、恐るべし

と、次々と完売していく蒲鉾類の山を眺めていたのでした…。

味見しましたが、ふぐの竹輪、美味しかったですよ。

下関のお土産に是非、どうぞ~

では、旅行記の続きは、後ほどね。

すず

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明日から…

2010-04-15 22:45:33 | 広島

海を渡り、本州へ旅行します。
九州を出るのは、いつ以来だっけ…? 
家族で島根へ行って以来かも。
桃から生まれたもも太郎で有名な岡山の方が先だったよね…。(デンマークへもついで旅行したっけ)

帰宅したら、旅行記を書きますねぇ。
すぐにはスタート出来ないかもしれませんが。
旅行から戻った翌日は朝7時から勤務の早番ですので。
その翌日は、欠席者を対象にしたECCの春の研修日ですし、予定がぎっしり。

まだまだ寒い今年の4月。
体調管理に気をつけてお過ごし下さいね。

では、明日、行ってきます。

すず

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父の背中 (ショートショート フィクション)

2010-04-15 01:12:25 | Weblog

 朝靄の中、先っぽが尖った三角帽子をかぶったピエロが踊っている。「う~ひひっ!」 意地悪な笑い声。 カエルのように伸び縮みする両手両足。  ピエロの顔は見えない。 でも、それが誰なのか、私には…今夜の主人公、「しずく」には分かっていた。しずくが必死になって追いかけて、やっと追いつきかけるとピエロは背を向けて走り出す。朝靄の彼方へ小さくなったピエロの影が消えかけた、その時、

 「こっち! こっち! しずく! 早くしないと置いて行くぞ!」

突然しずくの方へ振り返り、ピエロは言う。 いや、32歳の父は言う。若い、といえる年齢なのだろうか。 32歳って…? 少なくとも幼児だった しずくにとっては、相手は大人だ。身体の大きさからいっても。 そして何よりも おどけているピエロは、しずくにとっては血が繋がった父親なのだから。 小さな子供にとって、父親は大人の筈だもの。しずくの方が大人みたいって心の中で、こっそりと思うことが多かったとしても。でも、声に出しては言えない。誰もいないとき、「親の言うことが聞けんのか!」って殴られるから。母親に話せば庇ってくれる。でも、そんな母も24時間しずくと一緒に居る訳ではない。だから置いてけぼりにされそうになることも、もちろん秘密。あの人に後でもっと叩かれるから。

 幼い しずくにとって、父と共に出かける道中は、恐怖そのものでしかなかった。昭和と呼ばれた時代。 メインストリートは真夏には溶けだしそうなアスファルト。だけど一歩、横道に逸れると、雨の日には水溜まりだらけになる、でこぼこ道だった。

 夢の中のピエロは、あぜ道を好む。実際に しずくが知る父も、幼い しずくを連れて歩く散歩の途中で、横道に逸れることが大好きだった。突然しずくの視界から消えては、よその家の倉庫の影に息を顰めて隠れている。倉庫の隙間から、不安げな幼子の様子をこっそり見ては喜ぶのだ。

 大企業の社宅へ引っ越してきて、まだ日が浅かった頃、しずくは見慣れない家々やビル、知らない人々とすれ違う度に、「いなかのお家へ帰りたい! 牛さんや馬さんたちと、それからおじいちゃんとお母さんと一緒に暮らしたい。昔のように、お父さん一人で社宅に居ればいいのに」 と強く願った。 3歳まで離れて暮らした父と二人でお使いへ行かされる時は決まって 津波のように不安が押し寄せてきたものだ。迷子になって、自分のアパートがどれなのか、見つけ出せないかも? って。 永遠に 「お母さん」に会えなかったら、どうしよう。もし、そうなったなら、しずくは もはや生きてはいけない。しずくの歩調に合わせて一緒に景色を眺めながら歩いてくれたおじいちゃんが天国っていう遠い空の彼方へ旅立ってしまったあと、ほっとできる背中の持ち主は、しずくにとっては母だけだった。あのピエロは誰? あんなの父じゃない。 父の背中はもっと広くて貫録があって、安らぎを与えてくれる筈だもの。 30歳になった、しずくは夢の中で思う。 今、しずくは夢を見ているだけなのよ。そう、今は夢の中だと おぼろげながらに分かってはいても、引き離されまいと、必死で走る! もがく! 「お父さん、待って! しずくを置いていかないで! お家へ帰れなくなっちゃうから」 息切れして声にはならない叫び声。何度も転びそうになりながらも遂に、しずくは父の背中に追いついた。

 ところが父は、、、いや、ピエロは、、、いや、違う。ピエロの衣装をまとったは、、、にやっと笑みを浮かべると、再びダッシュで駆け出す。十数メートル離れた時点で、「うっひひ~」と奇妙な声で笑いながらクルリと回転し、「ここまでお出で~」 と笑う。

 やっと追いついたのに…。しずくは何とも言えない感情に襲われる。その場に座り込みそうになりながらも決して泣くまいと必死に耐えている。くやしさと怒り、そして何よりも 「置いて行かれる」という恐怖心から、しずくは再び必死になってピエロの背中を追いかけた。 しずくの太くて ぽよっとした短い足が縺れていう事をきかない。 でも、急がなきゃ。もっと早く走らなきゃ! しずくが石ころに躓いてこけても、父は助けにもこない。それどころかピエロは、しずくが半ベソかいて追いかける様子を満足げに眺め、最後はニタッと笑う。 この世にこれほど愉快なことなどない、という面持ちで、我が子である筈のしずくを眺めている。 幼いしずくは心底ぞっとした。 「お前は橋の下に捨てられていたから、拾ってきた」 時折、冗談だよと笑いながら、父は言ったものだった。 もしかしたら、本当かもしれない。大人になったら調べようって幼いしずくは何度か思った。 走っても走っても追いつけないピエロを、いや、父の背中を憎んだ…。

 時々、しずくは思う。しずくにとって父親って何だろう? 血の繋がり以外に、人はどうやって父と子を実感するのだろうって。 しずくには分からない。 朝もやの中で、いつも走っては振り向き、両手を伸び縮みさせている人がピエロではなく、しずくの本当の父ならば…。尚更、分からなくなる。 

 今、しずくには幼い息子がいる。片道20分の坂道を息子と二人、買い物へ出かける。行きは下り坂。 でも、帰りは見事な上り坂だった。

 「少し休憩しようか。雄太、疲れたでしょう? お茶を飲もうね」

しずくは息子用の水筒を取り出すと、膝に座らせた。3歳にしては筋肉質の雄太の足をさすってあげる。

 「歩ける? 歩けそう?」

 「うん」

初夏の風が雄太としずくの頬を撫でる。汗ばんだ身体がひやっとし始めた頃、雄太としずくは再び歩き出す。最後の山場を迎えたとき、しずくは雄太を背中におんぶする。 

 「雄太、しっかりお母さんの肩につかまっていてね!」

 「うん、分かったよ!」

この坂を上りきったら、我が家だ! …と、そのとき、しずくの肩からバックがズリ落ちた。 バックの紐が肩から落ちないように必死で持つ、雄太の柔らかい手。

 「お母さん、僕、もう歩けるよ!」

 「大丈夫よ、雄ちゃん。もう少しだから」

そういいつつも、雄太の気持ちに答えたいと思った時は、坂を上りきる直前に、背負った雄太を降ろした。

 「雄太がお荷物、持ってあげる!」

そういいながら、しずくの腕から買い物袋を受け取ろうとする雄太。その内、一番小さなものを雄太に手渡しながら、何度も「雄ちゃん、ありがとうね。優しい子に育ったね」とほほ笑んだ。

 「だって、お母さんがいつも雄ちゃんに優しいもん!」

雄太の台詞に、しずくの胸は熱くなった。何度も。何度も。繰り返された日常だった。

それは雄太と、雄太の祖母、つまりは しずくの母と、雄太しかしらない 「母の背中」の思い出だった。

 今夜も しずくの夢の中では、父の背中が遠のいて行く。 段々見えなくなる…。 でも、必ず振り返って道化が笑う。

 「しずく! 追いつけるなら、追いついてごらん。置いていくぞ!」

こんな恐怖心に満ちた親子関係は、しずくで断ち切ろう。 それが出来て良かった。 今夜も夢に出てくるのだろうか? あのピエロが。 そうしたら、教えてあげようっと。

 「大丈夫よ。私は貴方から親として、絶対にしてはいけないことを きちんと学べている」、と。 

 先日、しずくは本屋さんで、こんな短編集を見つけた。『税金兵衛』 商征 著

http://www.intel.co.jp/jp/tomorrow/#/book/read?isbn=5794838789213&page=15 (←クリック )

 「きっと、あの子だ」

著者名を見て、しずくは一瞬、どきっとした。急いで本を手に取ってみる。短編集の中の、ひとつ、『税金兵衛』を読んだとき、さらに驚いた。やっぱり彼だ。 何度も引っ越しを繰り返してきたしずく達だったが、ほんの半年程暮したあの町のことも、わずかながら覚えている。しずく達一家が引っ越す前、割と近所だったけれど、殆ど話をすることも無かった。だけど、とても風変わりな名前だったから、商くんのことは覚えている。あの男の子のお父さんのことも。 しずくが憧れる「父の背中」そのものだったっけ。 しずくが実体験したことがない形の 「父の背中」を あの男の子と、彼の父親を通して知ることだって、できたのだった。 

 (元気なんだね。今はお父さんと一緒に暮らしているんだ…)

小説だから、どの部分が実話で、どの部分がフィクションかなんて、実際のところは分からない。でも、あの町で暮らした、あの男の子を思い浮かべるとき、何となく、「あの おじちゃん、もう80歳を超えたのね。でも、元気なんだ…」って、しずくは安心できた。そして、しずく自身が描く「父の背中」のイメージに、かなり戸惑ったのも事実だった。

 私は恥ずかしい。 ほんの数日前だって、父親に対して感謝の気持ちを抱いてはいなかった…。でも、これだけは、言わせてほしい。 「虐待された子は、やがて親になり我が子に虐待する」 それは言い訳だと思う。 そうはならないケースだってあるんだから! 読書体験だって、ある程度、傷付いた人達が誤った道へ進まぬよう、ある程度は救ってくれると思う。 そう信じて今日も小説を書いている人達が大勢いるのだから…。 私に、しずくに出来ることは何だろう? 今夜はここに紹介すること。ただ、それだけ。 それだけでも何もしないよりは遥かにマシかもしれない。 

すず

 

追伸: 深夜に ざっと書いたものを再び読み返し、手を加えたので少し長くなりました。作者の説明が多すぎてもいけないし、伝えたいメッセージを作者が語り過ぎるとNGですものね。 かといって、語らずに作者の独りよがりでも、また、NG。読者がついていけないから。難しいところです。…と素人の私。

ところで、『税金兵衛』はFrank Yoshida作品の中でも、特に私が好きな小説。この、短編なのに短編を思わせない、行間を読むような物語と、作中にも出てくる言葉、「父の背中」に惹かれます。 一読して、色々な「父の背中」が夢の中にまで浮かんでくる、という。 なんていうのかな、読者に物語の続きを見させてくれたり、さらに広げてくれるという点でも、好きですねぇ。 文字通り、Frank作品から目が離せない私なのですが、ネットで読ませて頂けて嬉しい限りです。(本ならもっといいですが…) チャンスがあれば、是非、お読みくださいね。小説の力は大きいなって、読者として思う今日この頃です。

本日、夕方からレッスンの…

すず、でした^^。 (作者のFrank Yoshidaさんには秘密で こっそり紹介してしまいました… いたずら好きの…すず

 

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