今年最後に読んだ本は…ジャジャジャジャーン!
昨年、今年と読みに読みまくった井沢元彦さんの「常識」の日本史。
逆説の日本史シリーズの感想、まとめの方で詳しく過去にも書きましたが…
こちらの本では、以下の重要項目が更にピックアップされ、分かりやすく解説されていました。
例えば、「聖徳太子はなぜ憲法十七条を制定したのか」
日本人気質といえますが、答えは、「一人のリーダーが物事を決めることを極端に嫌う、話し合い主義、だから」
他の言葉でいうと、根回し主義、とも言えます。会議は形だけ。事前に関係者とコンタクトを取り、大方の了解を得るのが常識とされる、よって、当日の会議で 疑問をぶつけたり、意見を誰かが述べることを嫌う、、、 そういう体験を結構、してきた人なので💦
井沢さんが言うように、「談合が生まれやすい」 その通り!
この日本人気質といえる、世界でも珍しい、「話し合い主義」は、日本が一神教ではないため、1つの神様が絶対的に正しい、有無をいわせず、という考えが殆どないということも根底にあるだろうと。 これも井沢さんに賛成。 一神教同士が宗教を語れば喧嘩になり、争い、戦争の始まりに… 塩野七生さんの著書、十字軍物語が主にそのことを証明してくれています。
ただ、これが日本には全く無かったわけではない、それが、「織田信長は宗教弾圧者か」という問いになります。 違います。弾圧者どころか、坊主が武器を放棄し、寺同士の闘争をやめさせた人、それが織田信長。
寺の坊主は最強の軍隊だったのですが、
【武装解除すれば、】自由な布教を許している! 比叡山延暦寺焼き討ちばかりがクローズアップされますが、最初に焼き討ちをしたのは比叡山の方、だということは歴史で殆ど語られずにきました。学校教育も大河ドラマも。
お寺の坊主の丸腰は、当たり前!という状況を作ったのは、織田信長。 それ以前の…例えば、武蔵坊弁慶が良い例ですが、武器を持って、武士より強かったくらいですよね。
楽市・楽座の導入で、経済を活性化させ、庶民の暮らしが良くなった… それまで寺が経済を牛耳っていたため、比叡山延暦寺などは激しく反発。織田信長の 「武装解除しなければ、焼き討ちするぞ」という警告を無視。 その結果があれ… 「話し合い主義」の日本は、「強いリーダーシップ」がある織田信長などを嫌い、誤解されることが多い武将ですが、経済、文化の発展、新しいシステム作り、政治家としての手腕も優れていたのだなぁと、子供のころに抱いていた怖い人、というイメージが抜けました。 (数々の大河ドラマの影響です)
井沢さんが、この著書を通じて最も言いたかったことは、歴史学の権威、と呼ばれる先生方は、「日本書紀」など、いわゆる正史、と呼ばれる政府見解の歴史書のみが正しい、という考え方の人が多い。 現代でいえば、自民党が発表することがすべて正しく、海苔弁当のような書面(隠ぺい)は過去の歴史であり得なかった、とでもいうのか?と。(井沢さんは、こんな表現はしておりませんが)
昨夜のNHKスペシャル、第一部、『NHKスペシャル未解決事件・松本清張と帝銀事件 第1部ドラマ 事件と清張の闘い』
ここでは、事件に関与した元日本陸軍とGHQの存在が明らかになっていきます。公式発表だけが事実ではない、或いは真実は隠されていた、過去も現在もずっとあることです。「正史だけが正しい」とする日本の歴史家(すべてではありません、勿論)にとっての「常識」こそが「非常識」。研究、研究で 人との関わりが一般人より少なく、狭い世界で生きているので、人としての「常識」が備わっていないということです。
1957年、「点と線」や「眼の壁」など次々とヒット作を手がけ日本中に名を轟かせ始めていた松本清張(大沢たかお)。次なる題材として注目していたのが12人が毒殺された「帝銀事件」だった。逮捕された画家・平沢貞通(榎木孝明)は真犯人ではないと疑いを抱いた清張は、文藝春秋編集長の田川博一(要潤)と共に独自に取材を開始。やがて警察が軍関係者を追っていた事実を突き止め、事件の底知れぬ闇へと分け入っていく―。
ここまで~ 何だか久々に文章を書いた気がする!(苦笑)
今年の読書数は、222冊!
分かりやすい数字となりました。
毎年、150冊は最低読んでいる筈ですが、きちんとカウントし、読み終えたすべての本についてブログに記載したのは初めてでした。
自分にとっての 今年の漢字を上げるとすれば…
充実の 「充」です。
今年前半はウクレレも結構、弾けるようになりましたし、4月からはオタマトーン、おたま歌舞伎くん。そしてラスト2か月はヴァイオリン。昨年まで約120名だった、ユーチューブの登録者数も、なんと現在、322名! 一年で約200名、増えました。 (日々、増えたり減ったりですが💦) 有難いことです。
ラジオビジネス英語も9月までほぼ視聴出来ました。(10月からは4月~9月放送分の再放送)
自分が二十歳の頃に抱いていた50過ぎとなった、未来のオバサンのイメージとはかけ離れた自分…
まさか、この年齢で次々と新しいことにチャレンジできる、何かを学べる、そんな53歳はイメージ出来ませんでした。 良い意味での裏切り!
健康でいれば、来年は 充実をさらに 実らせることが出来るかなぁ…と。「実」にしたいものです。ここ数年は、資格試験に挑戦していないため、来年は英検1級を久々に受験したいと思います。
ただ…年賀状の絵だけ描いたまま放置しており、あて名書きがまだです。 元旦には届きませんので~~ 何もかも順調、とはいかないのが人生です。