昨夜、読み終えた本は、久々に大好きな吉本ばななさんのエッセイです。昔は…20代から30代の頃は特に吉本ばななさんと林真理子さんの本ばかり読んでいました。彼女の著書の中では何といっても『キッチン』が一番好きですが、エッセイもなかなか面白く、遂、自分の日記(或はブログ)まで、ばなな口調になってしまい…いや、ちょっと違うな、それは…。ばななさんのご意見と、海外で数年暮らした自分が当時、感じていた事が、あまりに似ていて。例えば以下のような…過去のブログ、2007年12月11日から~ 思い出した次第です。(現在は保留状態としてあります)コピペ↓↓
私が小さい頃の東京では、まだ外食は珍しくて、TVは白黒だった。
自家用車はお金持ちのもので、玄関に鍵をかけるなんてありえなかった。その辺にとんぼやバッタやかまきりがいっぱいいた。
今、そんなことはみんな、夢のように思える。遠い昔のことみたいに。
でも、私達の肉体は、大昔からそんなに変わっていないし、一日は二十四時間。そんなにたくさんのことができるわけがない。それなのにこの時代の日本が人に要求することは、ほとんど超人になれというようなことばかりだ。
たまに海外に行くとほっとする。日本みたいなわけのわからないがんばり方を要求されないからだ。
みんな普通に汗臭いし、古いものを着たりしているし、その人なりに太ったりやせたりしているし、親切だし、ぶつかっても殺されたりしないし、強盗はたいてい命を取らない。
普通に仕事に遅刻してくるし、それに堂々と怒ったりもするし、普通に許したりもめたりしている。そして何よりも普通の事をエンジョイしている。
イタリアの浜辺ででっかいおばさんとおじさんがみんなビキニみたいなのを着て、肉をはみ出させながらごろごろ寝ているのを見るとき、何となくほっとする。
勿論、例外はどんな場所にもあるから、他の国に楽園を見出したりはできない。
でも、外国にいるとふっと肩の力が抜けて、朝は朝、夜は夜、明日のことはあくまで明日のこと、になる感じがする・・・・・それは確かだと思う。
マスコミでは、一部を誇張した成功者の話ばっかりが、いいふうに毎日流されて、人はみなあおられてしまう。みんな罪悪感を持っている。生きていることそのものに、自分の平凡さにだ。みんな自分にうんざりしていて、超人的に頑張らなくては自分を好きでいられないような心境になっているように見える。
どう考えても無理だと思う。
でもがんばりやさんでまじめでいい人たちは、どうしてもそれをやろうとして、ストレスが楽しいことや生きやすさを上回ってしまい、壊れてしまう。人生は一度しかないし、自分はひとりしかいない。そんないちばん基本的なことを忘れてしまう。
私たちは、食べるために生まれてきたのではなく、もちろん金のためでもなく、楽をするために生まれてきたのでもなく、子孫を残すためでもなく、長生きするためにでもなく・・・・・・自分の情熱を燃やすために、向いていることをこの人生でやりつくすために生まれてきたのではないだろうか。愛する人びとへの愛情を抱きながら、たくさんのよき思い出をつくって、それを大事に抱えて悔いなく死ぬためにここにいるのではないだろうか?
忙しくいらいらして働いて、一回も立ち止まらず、人生を捨てた形でいつも自分は何かが足りない、劣っていると思いながら、死に急ぐためでは絶対にない。
それだけは私のおバカさんな頭でもわかる確かなことだ。
もう、ひとりも負けないでほしい。時代に押しつぶされて、かけがえのない笑顔を失わないでほしい。
上記、紫色の部分はすべて 引用
(よしもとばなな 単純に、バカみたいに(P163~ 168) 『人生の旅をゆく』 NHK出版(2006年6月25日第一刷発行)
「愛する人びとへの愛情を抱きながら、たくさんのよき思い出をつくって、それを大事に抱えて悔いなく死ぬためにここにいるのではないだろうか?」
先週、小雨が降った。
朝10時から出勤だったため、ちょっと早めに家を出て、9時ちょっと過ぎには図書館に着いた。
まだ、し~んとした館内には、いつもの緑のエプロンをしたおじさまがいて、「おはようございます」と挨拶を交わす。
それまで借りていた数冊の本を職場へ持参すると、重たいから・・・・・という単純な理由でここへ寄ったのだが・・・。
まだ、誰もいない図書館で返却の手続きをし、(これ、お願いします! といって、本を手渡すだけだが) 急いで本棚を見て回るのは 何処か神秘的だ。
これまで読んだことが無い作家の作品を順に読んでいる最中の私だが、今朝は出勤前で時間が無い。
ひとりでに、普段、好んで読んでいる作家の作品が集められている棚へ足が向いた。
『人生の旅をゆく』 よしもとばなな
彼女のエッセイは珍しい。
大学を卒業後、レストランでウエイトレスをしながら、小説を書き続けた彼女の処女作、『キッチン』
この一冊で、彼女の大ファンになった。
この作品と私が出合ったのは、まだ、私が大学に入学して間もない頃のことだ。
世の中、バブル経済の真っ只中で、浪費・贅沢・ジュリアナ東京とボディコンに沸いていた!(爆)
周囲が派手だろうとなかろうと、本来質素な私は見た目は(ふけて、痩せた以外)あまり変わらない。
変わったとすれば、将来に明るい未来を予想しなくなったことだろうか。
昔は頑張る事が楽しかった。
落ち込んでも立ち直りが早かった。
人の噂が気にならなかった。
迷いが無かった。
頑張れば頑張っただけ、結果が付いてきたものだ。
自分ひとりのことならば・・・・ね。
初めてつまずいたのは、自分の意思とは反対に、身内の都合で帰国を余儀なくされた後だ。
自分らしく生きられる街、一緒にいて疲れない人達、生活基盤、仕事、友人たち、永住権獲得のチャンス・・・
目に見えるものの内、ほとんどを帰国と共に失った。
それでも友達は連絡をくれるし、実際に会うと時間が一瞬で戻る事は確信できる。
『過去を振り返ることはいけない。思い出を本当に大切にする事は、今を頑張る事だ』 と中学生の時、教師から言われたことがある。
ずっと、納得できなかった。
今も納得などしてはいない。
『過去を振り返ることは後ろ向き』という考えに。
新しい恋人ができると、前の彼女の写真を破って捨てることも。
再婚した父と暮らす娘が実母の話を父親と義母の前で意識的にしないことも。
「愛する人びとへの愛情を抱きながら、たくさんのよき思い出をつくって、それを大事に抱えて悔いなく死ぬためにここにいるのではないだろうか?」
今現在、一緒に職場で働いている人
(複数の人・・・いずれも男性)
が、過去の恋人について語った時、私はとても驚いた。
これまでも、結構過去の恋人、初恋の人、片思いだった人、別れた彼女のことを・・・さらりと・・・或は重々しく語られる方だが、日本人男性に、こういう話を真面目にされたことが 余りなかったからだ。
忘れなくてもいい、と思う。
思い出すことが、今現在のあなたを苦しめているのなら、、、思い出さない方がいいよ、早く忘れて!と単純に言ってしまうけれど。
愛する人びとへの愛情を抱きながら、
うん。毎日、愛情を抱きながら日々、暮らしている。
近くにいても。 今、会えなくても。
たくさんのよき思い出をつくって、
みんなで素敵な思い出、たくさん作ってきたね!一緒に泣き笑いしてきた。今も思い出を積み重ねている。
それを大事に抱えて、
過去の思い出と共に、今、一緒に過ごす日々の想いも大事に抱えているよ。毎日、一日を振り返りながら。
悔いなく死ぬためにここにいるのではないだろうか?
古い友人が・・・親友が言った。自分が死ぬ時は、きっと笑顔で逝くだろう。あなたの微笑を思い浮かべて。だから絶対に泣かないでほしい、自分の死を悲しまないでほしいーーーと。
悔いなく死ぬために、
みんなと こうして出会えた事に心から感謝して。
わたしも、
「愛する人びとへの愛情を抱きながら、
たくさんのよき思い出をつくって、
それを大事に抱えて悔いなく死ぬためにここに」いたいと思う。
図書館から職場へ着くころには雨も上がっていた。
「今朝、駐車場の近くが工事中でしたね。図書館からぐるっと回ってきましたわ」
プラットホームで曽我くんに言うと、
「図書館? へえ・・・図書館を利用してるんだ・・・。おい、ハマグリ、お前、本とか読む?」
「ハイ、イメージが湧きやすい物とか読みますねえ。ファンタジー、例えば、ハリーポッターとか」
「ハリー・ポッター?英語か!?」
「あら、私、途中の巻までなら、英語の本、持ってるよ!シドニーで買ったんだけど、読む?貸すよ」
「いっ・・・いいえ。 英語だと・・・いっ・・・イメージ、わかないっす!」
「お前が分るのは、I と You くらいやろ?」
「そうっすね。あと、OUTとか、あると、一発、食らったのかな?と思うっすね」
「キャハハハハ!」
段々と日が照ってきた。
東の空は明るい。
こんな風に、「単純に、バカみたいに、」
バカ話?をして、
笑って、
難しく考えないで、
元気に過ごせたらいいよね。
なんでもない時間が、実は一番大切だったと、あの時も、思ったじゃない?
カトちゃん。
さくらへお帰りなさい。(注;一度、新店舗へ異動。年末に『さくら店』へ再び異動)
みんな、それぞれに忙しくて、ゆっくり話す暇もないけれど、
戻って来てくれて、ありがとう。
私達は、つい、カトちゃんに頼りきって、
あてにしちゃって、
ごめんね。
これからも、カトちゃんに仕事が集中してしまいそうだけど、
桃木副店長も曽我君も、スタッフみんな、心の何処かで安心している。
これで年末を乗り切れる!って。
今日もお疲れ様でした。(まだ、仕事か、遅番だからね)
来月は熊本へ行けるといいね。
下旬には、お店も落ち着くでしょうから。
(わたしは第二の故郷、シドニーへいつか、遊びに行きたい。でも、遠い)
カトちゃんにとっては、熊本なので、親しい人達に会って、心の充電をしてきて下さいね!
今年も残りわずか。
これからも宜しくね。
鈴木鈴子
ここから~現在、2021年2月21日です🖊
今、読み終えたのは、よしもとばなな、改め、吉本ばなな、と再びデビュー当時のペンネームに戻した吉本ばなな 著 『パイナップル ヘッド』エッセイです。
彼女のエッセイ、久々~ だけど、文庫本は1998年刊行です。彼女が31歳の時、つまりは私が帰国してすぐの頃と同じ年齢ってこと。すっかり忘れていた当時のことをふと思い出したのでした… 終わり