日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

講習会

2013-07-28 05:27:31 | Weblog

 昨日は講習会最終日でした。あとは3回の模試のみです。(10月、12月、1月) そして本番は1月最後の日曜日。

 最後の講義は医学。 最も興味があるにもかかわらず、範囲が広く難しい分野ですねぇ。 まぁ、とにかく覚えては忘れ、覚えては忘れ…を繰り返している内に定着することでしょう。 なんとか短期記憶から長期記憶へと移行させたいところです。 ミニテストは全問30中、29問正解。 この時期としては、まあまあでしょう。 復習あるのみ。

 それにしても 昨日も蒸し暑くて。 教室の中は一応冷房は入っています。しかし人数が多いので 冷えていませんし、なにせ設定温度も高めですから…。 窓際の席だったため、尚更暑かったのだと思います。(反射熱)

 外へでると、これまた蒸し暑い日でした。 やはり駅前は 何処を歩いても照り返しが強く、40℃近いんじゃないかなぁ…。

 さて、今日は施設で 「英会話レクリエーション」を行います。 色々なことに追われ準備万端とはいきませんが、今日も一日頑張ります

 

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爽やかな朝

2013-07-27 06:07:08 | Weblog

 6時8分。 室内の気温は 27度と、爽やかです。 窓から入ってくる空気も今朝は全く問題なし。いつもは蝉の鳴き声で目が覚めるのですが、今朝はカラスが網戸に激突する音で目が覚めました。 

 今年は例年より蝉の抜け殻や穴を多く見かけます。 蝉の大合唱も納得!! 梅雨明けと同時に一気に “夏到来” となったことが原因でしょうか~? ところ狭し、と蝉さんたちが居場所を求め、木々のみならず、葉っぱにまで止まってる そこをカラスに襲われるのか カラスが我が家の窓に激突なんて自体が発生するのか…

 「蝉の頭がない…可哀そうな亡きがらが庭に落ちていた

と、母が言っていました。

しょっちゅうカラスがドーン!と屋根にぶつかる音がすると同時に蝉が「じぇじぇ」 いや違う? 「ジュジュッ!!」と悲鳴のようになくのも、今年になって始めて。 

弱肉強食の自然界ですね… 

 7月も残りわずか。 暑さも8月上旬頃までがピークでしょうか。 この夏を乗り越える為にはスタミナつけないと… 自然界の弱肉強食の話をしていると、焼肉定食が食べたくなってきちゃった。

 そういえば、20年以上前の受験の国語の問題で、 4字述語を完成させよ! 

問題 〇肉〇食

これの解答欄に 焼肉定食と書いた受験生がいて、正解にしようか悩んだ…という話を化学の教師から聞いたことがあったなぁ。 あの先生から教わった 「化学」については 何も記憶に残ってない(?)くらいなのに、 こういう話はよく覚えているんだよねぇ。弱肉強食ね、正解。

 今日は9時40分から16時半まで講義に参加してきます。毎週土曜日、3週連続の最終日。

 最後にもう一つ。 今はロッテで活躍中の井口選手、2000本安打達成おめでとうございます ダイエーホークスのユニホームを着て、和製カルテットの一人として大活躍していた頃を懐かしく思い出します。 最も印象に残っているのは? とインタビューで聞かれ、 「初打席初ヒットと2000本安打」と答えた井口選手。 王監督が育てたプロ野球界のですね。 

 「松中選手も2000本安打達成可能な位置にいるのに 元チームメイトの活躍は嬉しい半面、1軍でプレー出来なくて悔しいだろうね」と母。 私も同じことを思っていました。  秋山監督…

 では お出かけの準備をします

 

 

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只今、蝉さんもお目覚め(^^;)

2013-07-26 05:18:58 | Weblog

 今朝、蝉さんが鳴きだした時刻は5時16分。 ほんの3分前です。 夜中に突然ザーッ!と (晴天続きの北部九州にとっては待望の)雨が降り出し、そのせいかは知りませんが、いつもよりお目覚めが15分ほど遅かったみたい 

 昨日は大気汚染の酷さで(5月下旬以来、基準値を超えたとか)窓をあけられず、とうとう(電気料金の設定上)ピーク時の13時~16時にエアコンを入れました すでに市内の小中学校は夏休みに入っている為、昨日の英会話レッスン時間は いつもより1時間繰り上げ。 この時、初めて外へ出ましたが、空は灰色…  暑い中、生徒さんたちは歌ったり踊ったり(幼児クラス) 暗誦大会に向けて、第一段階の仕上げとして、初めてテキスト&CDなしで。つまりは“暗誦”してもらいました。 まずまずgoodでした 翌日から毎日、時間を決めて、家族の前で 暗誦発表をすることを課題に。 本人は この提案に 「え~っ」 でもお母さまは御協力下さるそうで 最後は生徒さん本人も了解しました。 よし! 大会当日まで あと一カ月を切りました。 共に頑張ろう!!

 やはり天窓も開けず、密閉状態だと朝になっても室内の気温は30度。(いつもは27度まで下がります) 今朝は昨日よりは ずっとまし。良かった… 夜中の雨が少しは汚染された空気を洗い流してくれたかも。 

 では、今日も元気で

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ジョーが鷹に復帰かも?

2013-07-24 01:02:53 | ホークス

ソフトB、城島氏の入閣調査で面談へ(日刊スポーツ) - goo ニュース

 昨日、父が 「ブログを読んでみろ。 スポーツ紙に 城島がコ―チでホークスに戻ってくるかもしれんって書いてあったぞ!」

 父はインターネットは全くしないため、ブログの意味が分かっていないようでしたが、ネットのニュースで確認してみろってこと。

 …で、早速、(もう こんな時間になってしまいましたが) 調べてみました。

プロ野球関係のニュースを探っていき、ありましたよ~

確かに 「交渉ではないが、面談という形で」

コ―チ、はたまた 将来の監督候補、とあります。

やった~☆です。

阪神へ行ってしまってからも 私の中では ホークスのジョーでした。

引退後は 魚釣りを楽しんでいるお正月番組等で拝見しましたが…

いつか 必ず 野球界へ 

その時は ホークスへ戻ってきてくれるはず。

そう 信じて待っていました。

球団が乗りだしたことで、城島氏の こころが 動くといいんですけど。

「ユニホームを脱ぐときは、福岡で」

ファンに そういって 大リーグへ 旅立っていったジョー。

それなのに 阪神か… 応援しつつも ガッカリした あの日。

でも 現役ラストゲームは こちらの球場だったんだよね。

城島捕手のこころは 最後はやはりホークスにあり。

そう思ったものです。

 

また、ホークスのユニホームを着た彼の姿を近い将来、観ることが出来ます様に…

 

秋山監督、松中選手の1軍復帰、まだですか?

 

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暑中お見舞い申し上げます

2013-07-23 06:03:40 | Weblog

 新聞を取ろうとしたら、

「ジュジュッ!!!」

と、お出迎え。

慌てて撮影したら、その0.5秒後、逃げていってしまいました。

 今年は ひときわ蝉さんたちの鳴き声が大きい気がします。

夏布団を新たに2セット準備したり、何を食べさせようか~何処へ連れて行こうか~ 夏休みの計画を立てている最中。

誰かを我が家に迎えるって、忙しいながらも 幸せな時間ですね

 暑さ厳しいですが、夏の思い出を いっぱい作っていきましょう~

 

 

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小倉祇園山笠

2013-07-22 05:42:52 | Weblog

 土曜日の夕方、講義を終えて駅へ向かうと、丁度、小倉駅南口側からJR九州の御神輿が出陣するところに出くわしました。 この日は朝から浴衣を着た女性グループを結構 見かけました。 コピーを取りにコンビニへ寄るつもりだったので、そのまま山車の後から付いていくことに…。

 歩道橋の下で、一旦、停止。 周囲に人が集まってきます。 歩道橋の上から小倉祇園山笠を見学している方も。 特等席ですね

この日の気温も35度。

夕方とはいえ、都会のビルの谷間って、照り返しの方が強くて、日傘も半分、役には立たず…

昼食休憩で外へ出た時、都会の辛さを実感。

(きたきゅうは、「地方都市」とNHK「仕事発見伝」では紹介されていましたが…)

私は一旦、コンビニへ…

すると、また、シャンシャンシャン…と鈴の音が聴こえてきました。

こちらは JR九州とは違う山車ですね。

ブルーの衣装は まるで新撰組みたい。

商店街の中・・・

翌日、仕事を控えていたし、講義疲れ&歩き疲れた私は 商店街の中を通って駅へ向かいました。

 

 

 話題は変わり…

昨日は仕事を終えて、一旦、自宅へ戻り、急いでシャワーをしてから選挙へ。

4時時点での投票率は26%くらいだったと思います。

余りの低さに、 「こりゃ~ 張ってでも投票所へ行って、わずかならがも投票率を上げてこなきゃ!!」

19時を回っていたからか、少なかったですね… 係員の数の方がずっと多い…

選挙のため、早目に始まった大河ドラマに熱中している間は、もう すっかり心は会津へと飛んでいました。

「そうだ! 会津は逆賊なんかじゃないぞ!! 薩摩も いい加減、攻撃をやめんかい!!」

遂にドラマは 開城、、、降伏、、、そして選挙の方も開票開始。

結果は自民の圧勝でしたね…

 

今朝も蝉の大合唱がすでに始まっています。

福岡は連日35度超えの猛暑日。

暑い夏は まだまだ続きそうです…

 

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アケボノインコのハンガー落としPart2

2013-07-20 05:49:42 | Weblog

アケボノインコのハンガー落としPart2

NHK特ダネ 投稿DO画は こちら → http://nhk.jp/doga/?545806

 妹宅の あけぼのインコの まるちゃん。

今日も元気に 遊んでいるようです

ペットにとっても 子供にとっても 大人からみれば なんてことはない品々が 思わぬ 遊び道具となりますよね。

頭の良さに感服致します!!

甥っ子のゆうちゃんも 鍋や段ボール箱を使って遊んでいました。

お鍋については、まだ1歳の頃、台所の引き戸を開け方を覚え、そこから鍋を引っ張りだし、積み上げて遊ぶようになりました。

「駄目ですよ~」と注意はせず、取りあえず どうするのかなぁ…という気持ちで、観察していました。

すると、鍋を 一つ、またひとつ、と積み木のように積み上げて遊び出したのです。(このことを題材にしたエッセイを毎日新聞西日本版の「キッズ」欄に投稿したところ、掲載して頂きました。もう10年近く前のことですが)

この 鍋の積み木?遊びは、 しばらく ゆうちゃんのお気に入りの遊びでした。

ある程度の年齢に達すると、(2歳くらい) 自然とやらなくなりました。

今度は調理器具の方に興味を持ち出したので、卵を混ぜてもらったり、(いつまでも やっていましたが…) キャベツをむしってもらったり。 こちらも遊びながら自然と料理好き(私に似ず)になっていきました。

3歳の頃は 「コックさんになりたい」と言っていました。

その後、清水寺をみて 「建築士」など、色々と夢も変化しているようですが、なんとも頼もしいことです。

 

 最近、気になることがあります。

公園から遊具が撤去され続けていることです。

私達姉妹が子供だった時代、公園にはジャングルジム、シーソー、ブランコが当然のようにありました。

特にアパートの前の公園がお気に入りで、シーソー、ぶらんこで連日、夏休み中、遊んでいた記憶があります。

例えばシーソー。 始めてトライした時は、お尻が ガクン!! となり、子供ながらに頭の てっぺんまで響いた気がして、子供ながらに衝撃だったこと。 未だに記憶にあります。 シーソーが下に完全に降りる前に両足着地!! ポイントはすぐに掴めました。

ぶらんこも同じく。 最初は背中をゆっくり母親に押してもらいながら乗っていました。 その内、自分でこぎたくなります。 座ったままだと、大きい近所のお姉ちゃん(小学生)のようには いきません。 徐々に立ちこぎをするようになり、バックスウィングの時は膝を曲げながら伸ばし、前へスウィングする時、再び膝を曲げて伸ばすと、より大きなスウィングになるって自然と覚えて行った気がします。

危険回避の仕方も 遊びながら学んで行くみたいな…。 私の記憶では、誰かが飛び降りたブランコがバックで飛んできて、誰かの頭にゴツンと当たって軽い怪我をしたこともあったし、大けがはないにしろ、すり傷は絶えなかったような…。 

でも、親が市に損害賠償を求める訴訟を起こした、というようなニュースは、当時子供だったからか!? 耳にしたこともなく、また、遊具のロープをカッターナイフでわざと切断するような悪質な悪戯が多発するようなこともなかった(これは北九州の公園で起きた事件)ですよね。

その公園には防犯カメラが設置されたそうです。

あけぼのインコのまるちゃんを観ていて、そんなことをふと思った土曜の朝でした…。

今日は介護福祉士講座の日。 2時間後に出かけます。

しっかり勉強してきますね~

 

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おはようございます

2013-07-18 04:56:32 | つぶやき・・・

  昨日は関東は雨で過ごしやすい気温だったようですが、こちら九州は蒸し蒸しして 日中、施設の中にいても、午後を過ぎると なんだか頭が もわ~っとしてきました。 そんな中、利用者さんは 立ち上がりを30回以上も頑張っていらっしゃいました。 付き添っていた自分の方が(弱音ですが)立ちっぱなしが段々辛くなり、途中、何度か1秒程 座りこんだくらいです。勿論、利用者さんが椅子に座った直後の安全な数秒間の内に。 「もう終わりにしましょう~」と声をかけても まだ 続行したいご様子。 ほんとうに頭が下がります。 脳血管障害はリハビリが命だというのは長嶋茂雄さんをみていても分かりますが、もし将来、自分が、家族が…と思うと、何処までどれだけ頑張れるだろうか…昨日の朝なんて、たわいのないことで父と口論になり、思わず利用者さん家族の頑張っている姿と自分達を重ね合わせます。 いや、重なり合わずにズレズレなんですが。 人は皆、平等に死に向かって行くことを思うと 色々と思うところがあります。 いつまでも健康でいられるわけではないのだから、日頃かかわる身近な家族関係こそ大切です。 健康を願うからこそのアドバイス(例えば「寝起きすぐにアイスクリームを食べない方がいいよ」、など)に対して、憤慨して 「お前に言われる筋合いはない!!」なんて暴言を吐かないようにしなきゃ~ですねぇ… 思わず笑ってしまう親子喧嘩の内容!!

 今朝の九州は、いくらか涼やかです。4時半頃、雨が降り出し、今現在は止んでいますが、雨のお陰で空気がひんやりしています。室内の気温は只今27度。 我が家はまだ冷房は入れていませんが、日中は公共施設へ避難し、朝夕は窓を開けることで、室内の気温は26度~28度まで下がります。 勿論、窓を開けるので空気清浄機はフル回転です。 5時を回ると蝉も鳴きだしました。 今日は蝉の寝起きも早いみたい。

 さて、木曜日。 いつもの様に英会話レッスンの準備をして、暗誦大会の備えに力を入れないと… 来月下旬にウェル戸畑にて、ECCジュニア中学生英語暗誦大会北九州ブロック地区予選が行われます。 私の生徒さんも1名、初出場です。今年度4月から中学生になりました。勿論、下のお子さん達もECCジュニア生。(あるいは将来のジュニア生かな。末っ子ちゃんは1歳) CDに合わせ、ほぼスラスラ読めるようになっているので、これをしばらく続ければ、小学生の頃のように 「自然と暗誦していた」状態になるよ、と伝えています。 小学生の頃の国語の本読みでも 記憶にありませんか? 何度も教科書を音読している内に、ある日、気が付いたら教科書を見ずとも すべて覚えていた…みたいな。 子供だからこそ出来る技でしょうか。 今欲しい、あの頃の暗記力!

 では、今日も暑さに負けず、元気に過ごすとしましょう~

 

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様変わり!

2013-07-17 00:08:27 | Weblog

 先週、元職場へ2年ぶりに立ち寄りました。 証明書の作成を依頼するためです。 玄関から一階の事務所の前で、あれ? いつもは開いている筈の時間帯にドアが閉まっています。 おまけに 「2階へお越し下さい」と案内図まで貼ってあります。 2階へはエレベーターで。 向かって右はディサービス。 左は私が かつて勤務していたグループホームです。 エレベーターに乗っているわずか数秒の間でしたが、 (利用者さん、元気かなぁ…。 当時、働いていた人達の中で何人くらい残っているかなぁ… (入れ替わりが激しい職場だったので) と思いを巡らせました。

 「チーーーーン…」

けたたましい音がして、エレベーターを降りると…

視界が ぱあ~っと広がりました。 だだっぴろいフロア。 知らない介護士が一人、テーブルを拭いていました。 もう一人、顔馴染の看護師さん。 

 「こんにちは。 お疲れ様です。随分と変わりましたね…」

かつて グループホームがあった場所は無くなっていました。 今はディサービスのみ。 利用者さんたちも当然 そこには もう居ませんでした…。 当時のホーム長もいらっしゃらないそうです。 書類は本社の方で記入するということで、コピーを取って下さり、取りあえずお願いすることにしました。 (二年ぶりに利用者さんに会える) そう思っていただけに、気抜けしてしまいましたけど…。 こんなことも 時としてありますよね。

 明日の仕事に備えて、もう休もう…

 

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社会の理解 その2

2013-07-16 09:22:29 | Weblog

 なんと前置きだけで、ブログの記事1つ。。。 そのまま前記事に続けて書いても良かったのですが、新たに書くと致します。

 ここからは私自身の復習をかねて、講義で学んだことを 単なる羅列ではなく、物語風に書いてみようと思います。

介護士、週一回英会話講師、時々ノン・プロ作家(一応、絵本、小説、エッセイ本、計5冊をNPO法人goodbook事務局より発売中。「いわおまゆみ」で検索)という不思議な肩書きの わたくし… 羅列を暗記するのが苦手でも、物語風であれば、記憶の留まりやすいかもってことで

 先日、職場の反省会(一日を振り返る)にて、何故だか それこそ話の流れで、昔話になりました。現在50代、60代の先輩職員の皆さんの子供時代を語っていらっしゃったので、昭和20年代後半~のお話です。 今では差別用語として 使用されることはもちろんのこと、耳にすることすら無くなりましたが、「こじき」「物乞い」というもの。 「昔は 乞食が居たねぇ…」 「何処どこの路地裏に居ましたよ」 みないな話になって… 

 「あの頃は 今のような制度が無かったもんねぇ」 という話に。 

 「社会の理解」の講義を受けた翌日の反省会だったため、学んだことが記憶に新しい私は思わず、 「(当時も社会保障制度は)ありましたよ」 と、余計なことを言ってしまいました。  先輩が言う 「今のような制度」、とは、恐らく 「介護保険制度」のような私達が現在携わっている職務のことを言っていたのだと思います。 

 では、現在の介護保険法に繋がってくる社会福祉は いつ頃 始まったのでしょうか。

 意外と早く、混乱の戦後すぐなんですよね。勿論、大正時代にも 更に遡って犬将軍の時代にも それらしきものはありました。 日本は実は世界に先駆けて福祉国家の骨組みを お侍さんの時代に作り上げた実績があったんで…ってこれについては井原氏の「逆説の日本史」を参照して下さい。

 何でしたっけ?  そう、「乞食」という言葉が使われていた頃のお話です。 私も子供の頃、聞いたことはありました。器にチャラン…と小銭を投げいれる、そんなイメージです。 時代は先輩方が過ごした戦後の昭和。 あの頃の法制度はどうなっていたかというと、戦後間もない昭和21年。 家族のきずなが今より強かった当時としては、まず何よりも 世帯ごとに救う必要性がありました。 世帯ごとに…ここは講義で念を押された部分です。 個人より世帯。 例えば家族の中で一人は失業していても、世帯で誰かが働きに出れば、世帯は食べられる訳です。 戦後を描いた朝ドラでも、 そういうシーンって数多くみられました。 今でも一部の東南アジア、南アジアはそうですよね。 私の友人の中にも 多かったのですが、アジアに住んでいる若い学生が、オーストラリアに移住している従妹や叔父叔母を頼って、やってくる…俗にいう「出稼ぎ」ですが、遠い親戚も当然のように助け合う…ドラマで知る戦後の日本みたいだなぁ…と、思ったものです。 一方、オーストラリアの場合、世帯より個人なんですよね。 夫に仕事があっても、妻が失業すれば、次の仕事が見つかるまで半永久的に生活費は保障される 働かなくても いいやんか…みたいな ちょっと怠け癖が出てきそうな行きすぎた、いや、手厚い社会保障制度です。 そのせいか問題点もあるんですがね。 例えば 実際には子供達から 「パパ、ママ」と呼ばれ、夫婦として暮していながら、「シングルマザー/ファザーには子供が18歳になるまで生活費を保障する」という制度を利用して、わざと籍を入れなかったり。 見つかれば罰せられます、念のため。

 家族で助け合う意識が強かった戦後日本。 まずは世帯を救おうということで、スタートしたのが 昭和21年 生活保護法です。 昭和25年に改正されますが、現在の生活保護法が 戦後の混乱の中、即効で制度化されていたとは驚きです。 

 世帯を救うと、次に 救う必要性が高かったのは 誰でしょう~? 世帯から あぶれる人達… いわゆる戦争孤児です。 両親共に 或いは親戚も亡くなってしまった… そんな子供達も多くいたことでしょう。 そこで生活保護法の翌年、昭和22年にスタートしたのが 「児童福祉法」でした。

 世帯を救い、戦争孤児を救う。 その頃、私の祖父母達のように 外地から引き揚げてくる人々、抑留から やっと解放された兵隊さんたちが日本へ戻ってきます。 心身共に元気で戻ってくることが出来た人もいるでしょうが、軍人さんなど、身体障害者になった方も…そこで児童福祉法から更に2年後、昭和24年にスタートしたのが 「身体障害者福祉法」でした。

 昭和21年生活保護法、昭和22年児童福祉法、昭和24年身体障害者福祉法、 この3つを合わせて 「福祉三法」と呼びます。

 更に1960年代に入ると 身体障害のみならず、昭和35年(1960年) 精神薄弱者福祉法(現:知的障害者福祉法)がスタートします。 おんな子供、そして老人が社会的弱者と呼ばれる中、遂に3年後の昭和38年「老人福祉法」、更に翌年には 「母子福祉法」(現:母子及び寡婦福祉法)がスタート。 これで すべての弱者を法の上で守ったことになります。

 先の福祉三法と合わせ、ここまでを福祉六法と呼びます。

 こうして流れをみると、成程~と納得!!ですよね

 私が注目したいのは、昭和38年に始まった「老人福祉法」です。 なんといっても、現在は高齢者福祉に携わっていますから。 独学しているとき、まぎらわしかったのが、介護保険法と 老人福祉法の中身です。

 老人福祉法が昭和38年にスタートした制度だと しっかり分かっていれば、その内容に関する? だった部分も納得です。

 例えば 第一条 …(略) 老人に対し、その心身の健康の保持及び生活の安定のために必要な措置を講じ…以下、略

 当時は 「あなたは何処どこの老人ホームに入居して下さい」と上から目線で割り当てられる「措置制度」だったでしょうが、現在は 利用者が納得して選ぶ「契約」です。

 そして こうした問題点を改めスタートしたのが 2000年、シドニーオリンピックイヤーに施行された 「介護保険法」。 同じ年、昭和26年にスタートした「社会福祉事業法」が現代の「社会福祉法」と改称されます。 社会福祉法は、実は事業所について定めた法律だったのだ、と知ることで、条文も推測できます。 実際の国家試験問題では、色々な法律の条文が ごちゃまぜにされ、その中から 「社会福祉法」に定められた 正しいものを選べ みたいに出題されてますものねぇ。 流れが整理されていないと 混乱します。

 個人的に おお! オーストラリアの福祉に遂に追いついたか…という感想を持った、(世間では当時、「障がい者にまで働けというのか」みたいにバッシングされましたが) 「障害者自立支援法」  この制度は今年度から 「障害者総合支援法」と名を変えてスタートです。

 このように福祉に関する法律は 目まぐるしく変わるため、常にチェックが必要です。民間企業の高齢者雇用率も昨年のテキスト(中央法規)は1.8パーセントでしたが、今年度は2パーセントにアップしています。 問題を解きながら、 「あれ?」と思った点でしたが、講義の中でも指摘されていました。 講師は 「確か1・7%だったと思う」と仰っていましたが、正しくは昨年までは1.8% ねっ? 講師ですら 全て覚えてはいないのです。 それが試験で試される… 

 こまごま書けば、本1冊では収まらない「社会の理解」という科目。 でも、おおまかな流れは、こんな感じ。後は それぞれの制度の中身、仕組みを理解すること、ですね。 細かいですが。

 週一回の英語講師という職業柄、「教え方」にも関心が向きます。 間の取り方、注目のさせ方、テンポ、進め方…等など。 レクリエーションリーダーをやっていても、ここが一番のポイントのような気がします。 準備万端で臨めば 不安は解消されますが、 ウケてくれるか 楽しんで頂けるか、実際にやってみないと分からないものです。 …で、結果的に 「楽しかった~ あっという間の一時間だった」と笑顔で感想を頂けた時、(前回の「体操の時間」レクなど) 充実感でいっぱいになります。

 そういう意味でも、色々な講義を受けてみたいし、何かしら「教える立場」としての収穫もある、そんな 筆記試験対策講座、第一日目でした。 単なる試験のための勉強に留まらず、深く広く学びたい、そんな方にはお勧めの講座でした。

 最後に 勉強が楽しくなる もう一つの方法…。 学んだことを 自分が教える立場になったと仮定してみる。 想像力がいりますが、私がレクの準備中、必ずやってみることです。 「あ、これ、使えそう」と思ったら、メモるのですが、そこに自分流のアレンジを加え、これは いけそうだ、と直感したら テンション上がります。 「社会の理解」の勉強においても、「講師になったつもりで」両親に話して聞かせる、これっていいかも

 取りあえずは 皆さんに 文で読んで頂いたような形ですが、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。 (もちろん、飛ばして読んでも斜め読みでも結構ですよん

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