日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

「蛍狩り」作詞*ケンちゃん/作曲*じいじさん♪ by yoki

2021-06-30 22:17:34 | Weblog

「蛍狩り」作詞*ケンちゃん/作曲*じいじさん♪ by yoki

 

 最近、fumiel-shimaさんのブログでお知り合いになったKenちゃんさんが作詞を手掛けられていると知りました。

 そして、聴かせて頂いた訳ですが... すっ...素晴らしい!

 

 子供のころから、私が苦手だったことの一つに、『詩を書く』ということがありました。小4になると、国語で一行詩を書く訳ですが、全く浮かばず、困り果てたものでした。

 これが歌詞になると、ストーリーが一曲の中に凝縮される... なんて考えてみたら、凄い事ですよね。

 しっとりと聴かせる楽曲も、Yokiさんの落ち着いた大人の声も素敵です。あー語彙力も表現力もない私で、申し訳ないです💦

板谷こういん&Koh Pochi 時空のどこかで オリジナル曲

 

 こちらもラブソングです💕 

私が出来ないこと、その2。弾き語り。 弾きながら歌うと、手が止まります。Σ(゚д゚lll)ガーン 弾けば、口が動きません! 2つのことを同時に行うって...凄すぎませんか? 

その前に、私、オンチだしなぁ。

板谷こういんさんのギター演奏に憧れますが、こういんさん、なんと、最初は、ウクレレから始めたそうです。

 

 男性側の恋心を歌った曲を2曲紹介させて頂いたところで、乙女の恋心を歌った曲といえば... 竹内まりやさんの『駅』 一年生さんが竹内まりやさんの曲の中では、一番好きだということで、アンサンブル用の楽譜を一人で弾けるようにアレンジし、エレクトーン用のレジストレーションも自分で作成したという、懐かしい~曲です。結構、時間をかけて、頑張ったので

竹内まりや 駅

エレクトーンアレンジは、私

 

 

 次回は、『若者たちへ~ エール』のテーマの楽曲を紹介させて頂きます

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『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する 著:亀山郁夫

2021-06-30 21:23:49 | 読書

 光文社の新訳シリーズの翻訳を手掛けた亀山郁夫氏による『考察』と恐らく、続編は、こんな内容になったのではないか?という、かなり納得な内容でした。

 私は最初、小説のような形式で書かれているのかと思ったのですが、そうではありませんでしたが。

 続編を空想する上でのポイントがいくつかありますが、大きな鍵を握っているのは、『序文』

「私の主人公アリョーシャは、たいした男ではない」と序文にはありましたが、1巻から5巻まで、全編を通して読み終えるまでもなく、1巻のみ読み終えた時点での私が、ブログに何と感想を書いたかといえば、

「まるでカオス状態。多くの登場人物の中で、アリョーシャだけが、唯一、まともだ。」でしたよね。

 実は、ドストエフスキーがなくなった 直後、ロシアでは、

「第二の小説では、アリョーシャが皇帝暗殺に関わる筈だったらしい」と噂になったとか。

しかし、序文を見る限り、たとえ未遂で終わっても、皇帝殺しに関わる人の名が無名な訳がない、だから、アリョーシャは関わっていない、というのが亀井氏の意見。私もそう思います。あの天使のようなアリョーシャが、皇帝殺しだなんて...その後の13年間に何があったとしても、そこまで人格が変わるだろうか? どう転んでも...というのが感覚的に思うことです。

 亀井さん曰く、「結論から述べる。恐らくアリョーシャが皇帝暗殺者そのものとして名をはせることはなかった。序文にいう、「彼は有名ではない」がその動かぬ証拠である。そしてその実際の役割は、コーリャ・クラソートキンが担う。」(138ページ15行目~139ページ2行目)

 

 コーリャ・クラソートキン。アリョーシャに認めてもらいたくて、背伸びをしつつ会話していた、そして動物虐待など、残虐な面がある、あの少年ですね。

 実際、最後の5巻の最終章では、アリョーシャと12人ほどの子供達が、将来の誓いを立て、話し合う場面で終わります。あの中で、少年達は爆弾を作り、(おもちゃのような、という断りはありますが)試してみたり、コーリャが線路に寝そべって、列車が走ってきても逃げずに寝たままでいられるか!?肝試しのようなことを過去にしたことがある、という話題が出てきたり...

 どうして、こういった話が、最終章のここで、語られなければならないのか?違和感は確かに残りはしました。 亀井氏が 将来、イエス・キリストの弟子の同じ数の12人の子供達(この日、亡くなった少年一人を含む)が皇帝殺しに関わっていきますよ...という暗示だろうと、指摘されて、ああ、そうか!と納得。

 当時のロシアでは、皇帝や政府高官を狙ったテロが相次ぎ、皇帝が乗った列車が通ることを予想して、線路に爆弾を仕掛けたテロがあったそうです。未遂で終わったそうが。ドストエフスキー自身、一度は有罪判決を受け、死刑を宣告されているものの、皇帝による恩赦で死刑は免れた経緯あり。

「一度は死んだ。そして恩赦により、生き返った」という自らの体験を踏まえた「第二の小説」となって当然という気がします。

 

 第一の小説のテーマの一つは、「父親殺し」

 書かれなかった第二の小説のテーマは、「皇帝殺し」

 そして~小説全般を通して大きなテーマとしてあるのが、キリスト教。

 

 このキリスト教。宗派が沢山あり、ロシアの場合は、どうなっているのか、全く知らなかったのですが、例えば、イワン・カラマーゾフの世界観は、

「Anti-cosmic dualism 「反宇宙的二元論」とは、悪や罪といった否定的なプロセスが存在する限り、この世界は認められないとする、実存的な立場」だそうです。(204ページ3~4行)

一方、「アリョーシャのキリスト教観は、汎神論とも通じ合う、大地信仰がまじりあっていた。元々ロシア正教そのものが、スラブ異教の地に外部からもたらされたことから生じた二重信仰(異教的要素たぶんに含んだキリスト教)に起源があった。」(204 7-9行目)

 

更には、ドストエフスキー自身の世界観は、きわめてラディカルな終末論で、教会を介さず、直接的に神を体験すれば、また大地や自然との一体化という神秘的体験があれば、それだけで神を信じたことになるという、(日本の神道のようですね)ラディカルな感性である」(204 11-13行目)

 

人は生まれながらに悪であり、罪びとである、という考えに違和感がある私には、イワン・カラマーゾフの立場も分かる。また、自然豊かな日本も大地信仰というより、自然そのもの、二重信仰というよりは多重信仰なので、アリョーシャの世界観も分かる。最後に、ドストエフスキー自身の世界観は、最もしっくりくる。

 

232ぺージ12~13行目には、「人間中心の西欧のキリスト教とはおよそ異なった、東方キリスト教に共通する独自の世界観を見てとることができる。」

 

森羅万象の調和。我々日本人に、最もしっくりくる世界観かもしれませんね。

ドストエフスキーは、世界が「個々のばらばらな部分」(第1巻10ページ)に分断され、孤立する中で、人類は一致して この世界観(東方キリスト教的世界観)を取り戻さねばならない、

「神のためならテロも許される」という過激思想に走った(かもしれない)コーリャたちを諭す役目をアリョーシャに託したのかも。ちょうど現代のように、なんたらファーストで分断されつつある世界や言論の自由を許さない覇権国家を見ていると、ドストエフスキーと親しかったロシアの哲学者、ゾロヴィヨフがいう、「分断」から「統合」へ~ という思想を「カラマーゾフの兄弟」「カラマーゾフの兄弟と子供達(第二の小説)」で伝えたかったのかもしれない、という亀井氏の空想も納得です。

 

 

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ワクチン2回目、その後(母の場合)

2021-06-29 00:31:23 | Weblog

 日曜日の早朝に収穫した黄色いトマト🍅

この状態で、完熟です👍

 

 

 母、父に遅れること一週間後の土曜日、2回目のワクチン接種完了✋

接種日は1回目同様、腕の痛みのみ。平熱。

翌日の午前中。体温36.4度。昼食を終えるまで、いつもと変わらず過ごす。

「発熱しないでよかったね~」と午前中は話していた母だったが、

午後、1時を回った頃、

「なんだか熱っぽい気がする」と母。その後の体温は37度台。(気になる母が、1時間置きに測定したため‼)昼食はすでに食べていたので、午後からは横になったら?とアドバイス。

 

「クラシックでも聴かない?」と私。

ショパンとドボルザークの2枚を私もお米を洗ったりしながら、一緒に聴く。

カレーライスの夕食は、ご飯はいつもより少な目を希望した母だったが、完食。

熱は、夜9時過ぎが最も高く、37.9度。

とにかく母が接種した日が土曜日で助かった!

翌日は日曜日で私が自宅に居たから。

翌朝、月曜日。37.1度まで下がり、とりあえず私は仕事へ~

仕事中、母が自宅でどうしているか気にはなったが、父は休みなので(かえって昼食の準備とかして忙しくなるかも?とは思ったが...)「また熱が上がるようなら、病院受診したら?」と言い、仕事へ出かけた。

帰宅後、母に熱はないか聞いてみると、

「あの後は36.4度まで下がって、立ち上がる時、ちょっとふらつく程度」とのこと。

実際、夕食も 「おいしい」と普通に食べ、今は35.9度。母の平熱になったので、ひと安心。

発熱は接種翌日(2日目)から3日目の朝にかけて~だった。

熱が上がり切ったところで、解熱剤を~と甥っ子と母の二人が、ほぼ同時にインフルになった17年前、医師からアドバイスされていたので、敢えて薬局へ買いに走ることもせず、様子見だった。(38度を超えることは、結局なかったので)

夕方から夜にかけて~ 母はテレビを見て過ごしていた。(昨日から寝すぎて背中が痛い、とのこと)

 

さて~私の方は、母の様子を見ながら、鶏肉と野菜たっぷりスープ作り。

 本日のスープの材料。キャベツは下に隠れております。

 冷凍鶏肉、次に冷凍コーンを投入。

キャベツ4分の1、ズッキーニと人参は1本、小松菜2把、ジャガイモ3個、カボチャ4分の1、トウモロコシ、以上7種類の野菜とキノコ(ぶなしめじ)、鶏肉。栄養バランス的にOK

炊飯器をON & 約一時間、スープを煮込んでいる間に、絵手紙を~

 そろそろ終わりでしょうが、春バラ🌹

 遊んでみました。

準備するものは、朱肉と絵手紙用のハガキ、そして~~~こちら↓↓

 小松菜の端っこの部分です✋

オクラは紫陽花に。小松菜はバラに変身。

 野菜たっぷり鶏肉スープの出来上がり。

他に刺身こんにゃく、生協のコロッケ(冷凍食品)

「子供の頃は、祖母の傍で、コロッケ作りを毎回、手伝ったよね~ 祖母がジャガイモを俵型にして、それを小麦粉、卵、パン粉の順にくぐらせるのが、子供(私)の役目だったね~ お陰で、初めてシドニーのアパートで一人でコロッケを作った時、初トライで成功したよ👍」

(職場では よく新婚時にコロッケが油の中で爆発した、黒焦げになったと👂にしたけれど)

…という昔、懐かしコロッケ作りの話で盛り上がった。勿論、シドニーでも結構、よく作ったメニューの一つだった。茹でたジャガイモと炒めた玉ねぎ、人参、ミンチを混ぜた時点で食べられるので、鶏肉のから揚げのように、中までちゃんと火が通ったか、気にする心配もなく、気楽に作れたし...

しかし今現在は、レンジで チンコロッケである。

手作りもいいけれど、こちらもなかなか...いける。

 

『いいね!光源氏くん』昨夜、パートⅡ最終回。母と二人で笑いながら観る。

平安貴族が絵巻物から飛び出し、現代社会へ~ 有り得ないけれど、楽しい恋愛ドラマだった。

たまには こうした ほっこりドラマもいいなぁ。

 

 

 

 

 

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胡蝶蘭&お絵描き

2021-06-27 08:16:27 | Weblog

 おはようございます。

 昨日は朝から雨~その後、曇りのち晴れ。昨夜から雨が降り出し、今朝は5時に目覚めてしまいました。折角の週1の休日なのに。いつもの時間には目が覚めてしまいます。

 毎年、暖房を入れる時期の2月に室内で開花することが多い胡蝶蘭ですが、今年は5月に蕾。今、満開の状態です。

  先々週の日曜日、もっとも生き生きしていた紫陽花を描いてみました。絵手紙は1か月以上、全くやっていなかったので、絵筆を持つ手が震えました(≧▽≦)

 月一回の教室へ通わなくなって2年近くになりますが、教室では毎回、最初に筆の先端を持ち、真っすぐ線を描くことから始めていました。横線、縦線、ぐるぐるとカタツムリのような線。これが意外と難しいです。ガタガタな線、太すぎる線になりがちです。心の状態が見えるよう。つい、呼吸を止めてしまいがち。そこも要注意(^▽^;)

 

 本当は、オクラを使った「オクラスタンプで紫陽花を描く」をするつもりでしたが、母が炒め物にしてしまいました。(;O;)

 以前、教室で学び、ECCジュニア生徒さんたちにも紹介し、(お楽しみ会として夏休み前に実施)先生のYoutubeもこちらにリンクしたことがありましたので、興味のある方は簡単ですから、やってみて下さいね。お孫さんと一緒に行うと、楽しいですよ。

 そういう訳でして、今回は絵筆を使って紫陽花を描いた次第です。絵手紙の場合、べた塗りはせず、白い部分を残す、そうです。その点が水彩画と違いますね...とはいえ、元々絵心がないにも関わらず、『無料着付け教室』で先生と知り合ったから始めたことでしたが。無心になれる絵手紙は、心の平穏を保つのにピッタリ。お庭の花や野菜など、(時には冷蔵庫に常備している野菜も)身近なものが題材となるため、自粛生活にぴったりです。

fumiel-shimaさんの奥様も絵手紙講師と知り、しばらく前から楽しく絵手紙交流をさせて頂いております。毎回、「やはり先生は違うねぇ~」と母と二人、感嘆の声。玄関やリビングに飾ると華やかになり、有難いことです。

 

では~素敵な日曜日をお過ごしくださいませ。

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サロメの乳母の話 塩野七生

2021-06-25 22:54:10 | 読書

 塩野七生さんによる”小説”です!

『サロメ』を読んでから、あまり日数が経っていないため、読むなら「今でしょ!」と手にした次第です。 実際、平野啓一郎さんの翻訳バージョンを読んだ「あと」、塩野さんの「サロメの乳母の話」を読む~ この順序が大切です(?) 2倍、楽しめました。

 

 歴史をよく知る塩野さんが聞き取り調査でもしたかのような内容に、にんまりとしてしまいました。 歴史書は勿論のこと、歴史を素材とした「小説」や「劇」も、勝者によって 都合がよく書かれることが多いことは、紛れもない事実でしょうけど。後世の人は、特にキリスト教徒側は、ヨハネの首を取った憎らしきサロメ!ということで、あのような内容になった可能性もあり、ってことですね。

ってことで、ちょっと箇条書きにしてみます✋

 ❶まず、ヘロデ王は ローマ帝国が統治する属州の王であった。よってローマ帝国に逆らえない。

⇒ 危険人物として牢に捕らえたヨハネの存在をローマに知られては困る。

 ❷ヘロデ王はユダヤ人だった。よって、ユダヤ教にも逆らえない。

⇒ 危険人物は抹殺したいが、もし本物のメシアだとしたら? ユダヤ教に逆らうことになり、殺すことは王には出来かねる。

 推測;すなわち、ローマ帝国とユダヤ教の狭間で、苦しい立場だったのではないでしょうか。

 

 まず、あの事件が起こった日の状況ですが...

 ❶ローマのカエサルであるティべリウス皇帝の臣下の一行が、属州の視察に来ていた。

 ❷ユダヤ各地で起こっていた、救世主、メシア待望の動きをローマ側に悟られないよう、気を配らねばならなかった。

 何よりもローマ視察団を満足させるため、宴の準備を自ら指揮していた。よって、娘を色目で観る余裕など無いに等しかった、筈!

 

  サロメの乳母(ほんとは塩野さん)曰く、

「ヨハネのことがローマの役人に知られたら、ヘロデ王はそれについての釈明を逃れられないし、ヨハネの首をなぜ斬らないのか、と詰問され、それに対する返答次第で、ユダヤの王の地位を失うかもしれないのです」(38ページから略して抜粋しました)

 宴は、ヘロデ王の努力もむなしく、ローマの役人たちは属州の田舎の宴では退屈していた。唯一、彼らの目を惹いたのがサロメの美しさ。「ローマにも、あれほどの美女はいないだろう」という役人たちの声を耳にした王。 そこでサロメに踊り子のまねごとをさせることを思い付く。

 宴を成功させる鍵を握るのは、娘のサロメ。ローマの役人たちは、実はヨハネのことも👂に入っていた。すべてを理解していた賢いサロメは、王の求めに応じ、ヨハネの首を斬れない王に代わり、ローマの客人たちの目の前で、褒美としてヨハネの首を所望したのだった...

  ...

 ローマ人の物語、終わりのはじまり、キリスト教の勝利、ローマ亡き後の地中海世界...etc.... と実際に見てきたかのように「読んだ」私には、塩野七生さん説の 「サロメ」の方が、納得だなぁ。

 

 聖書の中で、サロメは名前も記されず、自分の意志ではなく、母にそそのかされて~ということになっている。それが舞台劇となると、妖艶なサロメへと変化していった...。これを元に戻そうと試みたのが、平野啓一郎訳、「サロメ」だったわけでして。 まだ幼い感じのサロメでした。

 

 いや~ 面白いです。

両方読めて、良かったと思います。

 収録作品は、古代ローマからは、『ネロ皇帝の双子の兄』『カリグラ帝の馬』『師からみたブルータス』

 

 キリスト教からは、『ユダの母親』『イエスの弟』 『聖フランチェスコの母』

他にも、『ダンテの妻』『大王の奴隷の話』これなんて、今、読んでいる途中の『ギリシア人の物語 Ⅲ』の時代とかぶりますね。

 

 歴史的背景を考慮した 新しい「あの有名人」の傍で見た、聞いた、誰も知らない本当かもしれない話、みたいな。 古代ローマファン、或は、塩野七生ファンにお勧めです。

 

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お知らせ

2021-06-25 06:25:47 | Weblog

 

新たな記事として書いても良かったのですが...

『ギリシア人の物語 Ⅱ』

追加記事を書きました✒ 

帰宅後にコメントのお返事を書きます✋ では~Have a nice day! バタバタバタッ、、、、、

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小林亜星メドレー パートⅡ

2021-06-23 22:08:20 | Electone & Piano

メドレー パートⅡ

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小林亜星メドレー この木何の木気になる木 etc...

2021-06-23 21:03:20 | Electone & Piano

小林亜星メドレー この木何の木気になる木 etc...

 小林亜星メドレーです。仕事から帰宅後、5曲一気に弾きました。残念ながら、5曲一度にアップロード出来ず、2つに分けましたが... 『北の宿から』のみ、楽譜があるので、小林さんの曲だと知っていましたが、他の4曲は、訃報を知り、ニュースで初めて、「この曲も小林さんの曲だったんだ!」と、驚くものばかり。知らずしらずのうちに、耳にしていたんですねぇ。

 ...と言う訳でして、CMソング、アニメソング、演歌のメドレーです。 『北の宿から』以外は楽譜なし、練習無しの即興です。そのためいつも以上に御聞苦しいかとは思いますが...どうかご了承下さいませ。  

 最後に、心からご冥福をお祈り申し上げます。亜星さん、ありがとうございました。

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ギリシア人の物語Ⅱ 民主政の成熟と崩壊 塩野七生

2021-06-22 22:48:07 | 読書

 

 塩野七生さんの名を知ったのは、とある人が私に、次のように言ったからだった。

「最初は男性作家だと思っていた人に、塩野七生さんという人がいる。ローマ人の物語など、歴史物を書いているけど、あまり勧められないな」

 聞くところによると、そう言った本人は、歴史好きで、塩野さんの著書もよく読んでいるようなのだ。私は以前、「小学生のころから歴史が好きだった」と話したことがあったが、どうも信じてもらえていないようだな、と感じたため、証拠品(小6の社会科ノート:自分で調べたこと編)と共に『桶狭間の戦い、観た?』というタイトルでブログ記事を書いた。

 いずれにせよ、

この私にあまり勧められない塩野七生さんの本って、一体、どんな本なのか!?」

逆に好奇心を持つきっかけとなった。あっという間に『ローマ人の物語』43巻読了 

そのことを告げると、

余程の読書家で、歴史好きにしか勧められないね」という答えが返ってきた。ということはだね、つまり私は大した読書家でも歴史好きでもない、という認識だったのかああああああああ! 

 そのローマ人の物語、第1巻には、ギリシアが出てくる。遥か昔、幼児期から、最も親しみを感じた外国だ。『ソフィーの世界』でもお馴染みのソクラテスを生んだアテナイ。塩野さんが、まだ『ギリシアの物語』をその時点で(2016年)書いていなかったことが、逆に不思議に思えたくらいだ。

 21歳の頃、いつも話を聴く側だった私に、Ramirは言った。”It's your turn, Suzu. Tell me your story." (次は、すずの番だよ。何か話を聴かせて)

 少し考えた私は言った。

 "Have you ever noticed that most Japanese cars are white? "

 (日本の自動車は、殆ど白だと気付いたことある?)

当時、今から30年前は、白が好まれ、今のようにカラフルじゃなかったんだよなぁ。トヨタカローラは白が多かったし、我が家もそうだった。何より”皆と同じ”が好まれる日本人気質。レストランへ行っても、一人が注文すると、私も、私も、私も!と後に続くケースが多い日本人。ちょっと論ずるには面白い話題ではないかと思ったのだ。

 ”Your stories always begin with questions!" (君の話はいつも質問で始まるね!)

Belongings ....right? 賢いRamirにはすぐに隠されたテーマを見抜かれてしまった!まぁ、10歳もあちらが年上だったわけだし。お陰で会話から多くを学ばせてもらった。

 その2年後、豪州の下宿先で出会った、かの国(K国)出身者から、毎晩のように「米国の州の数はいくつか?」などの問題が出され、即答出来なければ、

「そんなことも日本人は知らないのか!」

と大いにバカにされたものだった。当時の回答者は、🐭Disneylandでミッキーマウスと一緒に踊っていたという日本人女子留学生、(スタイルが良く可愛いだけでなく、感じのいい子だった!)何故か私をディスコへ誘うことに熱心だった(踊れないし、行かないっていってるでしょ!)大阪出身の男の子、そして私の3人。

いつもは、さして気にしない私も、一度だけ、

「サモアを知らないの? オーストラリアに住んでいて、米国の州の数より、こっちの方が知っておくべきなんじゃないの?」

と遂、言い返してしまった。珍しく、K国の相手が しゅんとなったのを見て、これまでの鬱憤を晴らすかの如く、日本人チーム3人で

「イエーイ やったね!」

と、ハイタッチした。

その頃はまだ、ソフィーの世界は出版されておらず、ソクラテスの言葉は知らなかったが、かの国の彼に馬鹿にされる度に、私は言ったものだぁ~

"The only thing I know is the fact that I know nothing. Life is too short for me to learn everything!!"

(私が唯一知っていることは、実は私は何も知らない、ということ。人生はすべてを学ぶには短すぎるから)

 

『ソフィーの世界』を読んで、何が自分を興奮させたかといえば、何かを軽く議論するつもりである場合、(それが出来る相手は極めて稀ではあるけれど)

質問で始まる自分の話」

「何も知らない自分...という自覚

...という若かった頃の自分の特徴と、

(20代後半の自分は、23歳までが若く、それ以降は婆だと思っていた

あの哲学者、ソクラテスと自分に共通点があるではないの!ってこと。

着るもの(衣装)に拘らず、シンプル イズ ベスト👍な考えも 同じである。 アテナイ(アテネ)に生まれていたら、弟子入りしたのに! という興奮だった。 それ以来、よく知りもしないのに、心の中では、「ソクラテスこそ、わが師」だと思っている。

思うのは自由です

 

       

 

『ギリシア人の物語 Ⅰ』

 

ここから本題です。(長っ!)

紀元前480年と479年、2度に渡るペルシア戦役。海はサラミスで、アテネ主導で完勝。翌年、陸のプラタイアでスパルタ主導により圧勝。

騎兵隊、歩兵隊、ガレー船の数ではペルシアの10分の1程度だったアテネ、スパルタ、その他のギリシア都市国家による連合軍が、一体、どうやって勝利したのか!?

 

思えば、その後の時代に登場するハンニバル、スキピオ・アフリカヌス、カエサルも同じ布陣を取った。

...と、いうことは、つまり、『ハンニバル戦記』 或は 『ユリウス・カエサル ルビコン川 前・後』をワクワクしながら読破した方は、『ギリシア人の物語 Ⅰ』の後半とⅡも、同じように楽しめる筈。ただ単に、戦術や闘いぶりに目を見張りながら...というだけではなく、アテネ市民をまるごと疎開させ、都市をモヌケノ殻にした! (非戦闘員の命を守った)等、民主政アテネで暮らしていた人々を想像しながらお読み下さいませ。そういう訳でして、ここでは敢えて詳細には触れないことにしませう。

 

ギリシア人の物語 Ⅱ

 ペルシアの脅威から ギリシアの都市国家はその後も協力し合うべく結成されたペロポネス同盟。スパルタの呼びかけにより結成。しかし、スパルタは今で言うトランプ元大統領時代の米国、「一国主義;アメリカファースト」と似たようなもので、一国平和主義で、他国に無関心。(いや、米国とはちょっと違うか!)

 ギリシア南部のペロポネス半島にある都市国家を集めて結成されたため、この名となった。(79ページ4行目)

 いざとなれば、スパルタの戦士が救援に駆けつけてくれるという期待を持って、加盟したのでしょうね。 分担金を支払う必要もなかったそうなので。(81ページ)

 

 遅れること70年、イオニア地方の都市や島に住むギリシア人が結成を持ち掛け、結成されたのがデロス同盟。この人達が頼りにしたのは、こちらは加盟国となるにサラミスの海戦で勝利し、その翌年、エーゲ海のペルシア海軍基地となっていたサモス島奪還に成功したアテネだった。加盟国となるには、負担金が必要だった点がペロポネス同盟と異なる。海軍は陸軍よりお金がかかるから、らしい。(84ページ)

 

 実際には、祖父、そして父の代に コテンパンに ギリシアの都市国家に海上で「やられた」様子を父と共に丘の上から眺めていたペルシアの王は、ギリシアに攻め込むことはしなかった。

 こうして円熟期に入ったアテネとスパルタの30年。

 ところがその後、コルフとコリントの争いで点火した火が他の地まで飛び火。アテネを統治していたペリクレスと、スパルタの王、アルキダモスは1歳違い。アルキダモスは、プライベートでペリクレスの別荘を訪問する仲だったらしい。 飛び火からアテネとスパルタは 止むを得ず戦闘を開始することとなるのだが... お互いを熟知した統治者と王は、言葉を交わさずとも、お互いが考えることは分かった筈だと、塩野氏。実際、

 陸のスパルタは、アテネが管轄する陸地(アッティカ地方)をちょこっと荒し...

 海のアテネは、スパルタが管轄するペロポネソス半島をちょこっと荒し...

 お互い、正面衝突することを避け、一年目の戦役は終了✋した。

 塩野さんの仮説通り、このまま5年間休戦したあと、再び30年の和平協定を結ぶということになった「かも」しれないのに。

 

 翌年には、ギリシア全土を襲った不幸 (チフスではないか、という噂も)により、『ペロポネソス戦役』は不幸にも27年も続いてしまったのだった。

 しかも、開戦2年目に、長年、アテネとギリシア一帯の平和維持に貢献した一人である、アテネのペリクレスは病死した。享年66歳。更には、同じくギリシア平穏に貢献したスパルタの王、アルキダモスも、その2年後に亡くなった。更にさらに、ギリシア世界の平和維持に遠くペルシアから貢献した、ペルシア王アルタ・クセルクセスも2年後にこの世を去った。

 

 パクス・ロマーナならぬ、パクス・ギリシアに貢献した3人が相次いで亡くなったことで、いわゆる「終わりのはじまり」となっていく。

 ペリクレスが亡くなった年、ソフォクレスの悲劇、『オイディプス王』が上演された。神頼みだった、この時代において、最もリアリスティックで現実的だったペリクレス。 塩野さん曰く、

「予言によって定められた運命に逆らう想いで一生を生きてきたのに、結局は予言されたとおりの一生をおくってしまった人間の哀しみを、深く極めた傑作である」

「ペリクレスは生涯にわたって、運命とは神々が定めるものではなく、われわれ人間が切り開くものだと言い続けてきた人である。だが、最後になって、考えていた『大戦略』は、彼自身の死によって中途での挫折を強いられる。これが運命でなくて、何が運命であろうか」と...。 (175ページ10行目~15行目)

 

ここまで第一部。 『ギリシア人の物語 Ⅱ』後半、ペリクレス以後(紀元前429~404年までの26年間)は、明日の夜、読む予定。(182ページ以降)

 

 

 ここから~追記; 

 後半も読み終えた。昨夜&翌日、職場の昼休みに読了。帰りに図書館へ寄って返却したため、本はすでに手元にはない。

 27年続いた『ペロポネソス戦役』の舞台は、最後の数年間、アテネからもスパルタからも遠く離れた東方へ移った。ペルシアに利があったため、裏で誰かが糸を引いていたの「かも」。あくまで仮説。当時から謎なのだから、現代の歴史家の間でも謎。

 もしも、ペリクレスが生きていれば...三大悲劇の作者ソフォクレスまで担ぎ出されたのだから。彼はすでに80歳代。本国アテネにいて、実戦に加わることはなくとも、ちょっとばかし長生きしたために、アテネの哀しい行く末を見守ることになってしまった。

 

 ペリクレスであれば、和平交渉に入ったであろう場面で、アテネは無益な戦役を続行してしまう。

ペリクレス亡き後、アテネには、市民の不安を煽り、扇動していく、いわゆる扇動者が幅をきかせる。彼の名は... 忘れたが、こういう輩は、批判すること、反対することが目的だから、「では、どうぞ、ご勝手に」と、実際になったのだが、何も出来なかった。今で言うところの、日本の野党やマスコミのような存在。

 扇動されれば、市民は熱狂的になる。和平交渉、という選択肢よりも、民主政のアテネの市民議会の結論は、『ペロポネソス戦役』の状態続行。当時、世界最強と言われたアテネの海軍を 市民たちはイケイケドンドンで、熱狂的に送り出している。

 そんな市民たちの期待に反して、状況が劣勢になる。ここへきても『撤退』ではなく、『続行、及びに追加派遣』を決めたのは、市民たち。民主政では、法案を出すのは統治者でも、可決か否かを決めるのは、選挙権を持つ市民だったから。

 アテネの国庫がカラになろうとも、市民たちは自分の身を削ってでも、カンパで造船に協力した。ソクラテスは免れたらしいが、殆どの家庭から歩兵隊を送り出している。しかも高揚した市民たちに見送られて...

 

 しかし結果は惨敗。生き残り、シラクサから本国アテネへ戻れた人は一人もいなかったらしい。

悪いニュースほど、アテネ本国に早く届く。

ひとことでいえば、ソクラテスは正しかった。

敵は自分自身の中にある。

塩野さんの言葉でいえば、アテネは自滅した。

アテネは もはやギリシアの覇者ではなくなってしまった。

アテネという都市国家を更地にし、女子供は奴隷として売り飛ばせ!とシラクサは意気込む。(スパルタの王によって、それは免れた。)捕虜となった男たちの中からアテネ人、3000人を選び出し、全員斬首。その他のポリスの連合軍の生き残りは、石切り場で強制労働させられたのだ。

石切り場といっても、地下へ、地下へと掘っていき、食事は一日に地上から地下へと投げ込まれるわずかなパンと水のみ。夜になれば、地上のフタは閉じられる。要するに、地下はそのまま、牢獄だった。

戦いの後で怪我人もいたらしいが、何の手当も処置もなく、亡くなってもすぐには地上へ引き上げてもらうこともなかったそうだから、悪臭も凄かっただろう。

これでは健康な人も病気になる。『タイムマシン』の地下に住む種族を思い出してしまった。もしかしたら、ウェルズは、この歴史を念頭に書いたのでは?と思ってしまった。

 

 平和は主要国のパワーバランスが取れて、ようやく成し遂げられるもの、だと思ってしまう。50年続いた平和は、ペルシア、アテネ、スパルタという3つの覇権者のパワーバランスが保たれていたから...こそだ。

 米ソの冷戦時代も、とりあえずは戦闘状態にならなかったのも、パワーバランスが...とはいえない? 当時の首脳陣は、各国、個性派、リーダーたるリーダーたちだったように思う。サッチャー、ゴルバチョフ、レーガン、中曽根氏...

 今現在は、かつて世界の警察官といわれた米国の力は弱まり(世界の中で)中国があまりにも...

日本国内には、いわゆる市民の不安を煽り、扇動していく、扇動員なら、いくらでもいる。野党も国民も悪い方へ、悪い方へと...

 ペリクレスは、民主政の中にあって、市民を話術でもって、先導していくことに長けていた。だからか、のちの歴史家たちからは、「独裁」統治者、と呼ばれているらしい。何かを成し遂げるには、多くの敵も持つことになる。いわゆる反対派。彼の手腕が時には「独裁」と映ったとしても、「安定」「平和」のみならず、彼は「繁栄」までアテネとギリシアにもたらしたのだから! 

 日本にも、『扇動』ではなく、『先導』してくれる総理大臣が欲しいところだ。

 

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清い流れ

2021-06-20 21:49:47 | Electone & Piano

清い流れ

『エリーゼのために』に挑戦し始めてから、早、半年が過ぎました。練習をさぼったり、浮気ものでして、他の曲に目移りし、放置したり... ペダルの使用方法も難しく、また、強弱のピアニシモもメゾピアノも上手くいかない~💦

 そんな時、Youtubeで交流させて頂いているネネさん演奏の「清い流れ」を聴き、(テキスト出版年により、タイトルが違うようです)感動を覚えました。「そうだ!この曲を再度、練習してみよう!♪」 ペダル使用、ピアニシモやピアノで弾く曲だった筈! と思い立ち、本日、ようやく弾いてみました。録画すると、「ここ、テンポがズレた!」「まだ音が強すぎる~」と思ったら、鍵盤を押さえて(弾いて)いても、音が出ていない!などなど。エレクトーンに慣れてしまい、押さえれば音が鳴る電子楽器とは大違いです。色々と勉強になるものですね。

 

我が家の庭に咲いています

 

 

カボチャの花も咲きました~ 

 

 

 

 

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