日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

千代の富士

2016-07-31 21:02:05 | Weblog

 千代の富士がすい臓がんで亡くなられた。まだ若いのに…突然の訃報に驚いてしまい、ショック。私にとっては輪島、高見山、貴ノ花が最初の相撲ファンになった時代であれば、千代の富士は その次の世代の横綱に登りつめ、大活躍したお相撲さんだった。若貴の父に勝ち、若貴の父が引退を決意したような時代だった。そして忘れもしない、千代の富士が貴ノ花の息子に負けて引退を決意。世代交代だーっ、こんなことってあるんだなあと思ったっけ。ご冥福をお祈り申し上げます。

 東京都知事戦は、小池氏が女性初の東京都知事に。ホークスは昨夜、五十嵐投手、ゲットボール押し出しという痛すぎる負け。そして今日もニュースで知ったが負けてしまったらしい。ゲーム差は3に… 一時期10ゲーム以上突き放していたが、7月になって疲れが出てきたのかも。昨年も暑かったが、今年も暑い。でも この暑さも 1か月。あっという間さぁ~と開き直ることにする! ホークスファイト!8月ドーム入りしますっ!

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

登山

2016-07-31 07:11:29 | Weblog

 今日も蝉さんの大合唱で一日が始まりました。そしてラジオ体操。日曜日なので、テレビと同時放送です!久々に生で母と一緒にやってみました まだ頭も身体も半分、目覚めていない状態でしたけど(苦笑)

 昨日、甥っ子は長野県槍ヶ岳に向けて出発したそうです。登山にまったく縁がないというか、やってみようと思ったこともない私には、話を妹経由で聞くだけでも驚きの連続!!! 最初、何処の山に登るのかも知らない状態の時は、初心者の中学生が登る山と聞いて、3000メートルは桁が一つ間違っているんじゃ…まさか初心者が富士山級の山に登るなんて…ねぇ…と思ったくらいです。 ほんまに3000メートルだった!300メートルの丘じゃなくて

 今朝は3時半起床&登山開始というから、もうすでに…と想像もできないけれど、遂、考えてしまうわ~ 3泊4日だっけ? 頑張って~ 無事に帰宅することを願うのみ

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪名高き皇帝たち(20) ネロ皇帝

2016-07-30 19:16:59 | 読書

 皇帝クラウディウスが妻の野望により命をたたれたあとを継いだのは、わずか16歳の前皇帝にとっては義理の息子、すなわち2番目の妻アグリッピーナの連れ子であるネロだった。アグリッピーナはまだ少年でしかなかった息子、ネロの方が自分の意のままに操れるとでも思ったのかもしれないが、ネロとて いつまでも少年ではない。アグリッピーナが息子の教育係に…と選んだ哲学者であり教育係ともいえるセネカは、生まれはスペインだが、著者、塩野氏によると、本国ローマ以上にローマ人といえる人だった。若くして皇帝となったネロに、国を統治するとはどういうことか? 何が必要かを問いている。それが何とも深い。2000年近くも後の時代を生きる自分たちにとっても深いので、以下、21ページ1-3行目より抜粋して紹介したいと思う。

 「同情とは、現に目の前にある結果に対しての精神的対応であって、その結果を生んだ要因にまでは心が向かない。これに対して寛容は、それを生んだ要因にまで心を向けての精神的対応であることから、知性とも完璧に共存できるのである」

 もう一つ興味深いことは、「教育の成果とは、教える側の資質よりも教わる側の資質に左右されるものである」と塩野氏が述べている点だ。遂、教わる側としての自分はこれまでどうであったか、或は逆の立場では?と自分に置き換えて考えこんでしまう。さてネロ皇帝の場合はどうか?

 当時のローマ市民には 「国家の敵」と断罪されてしまう。国家のために何もしなかったのではない。それどころかローマ市内が大火災に会った時など、暑さを避けてローマから50キロ離れた別荘にいたネロは、直ちにローマ入りし、テキパキと被災者救済の命を下した。ネロの敏速さには驚くばかりだ。「初めてのことじゃから」と言った何処かの国の高齢の首相とは違う。屋根がある公共施設すべては、避難民のために開放され、それでも収容しきれなかった避難民のために大量のテントが張られたという!ローマ人の軍隊はテント張りには慣れている。軍を指揮して被災者救済の指揮をとる若き皇帝は、ローマ市民にとって、さぞかし頼もしかったことだろう。実際、市民の支持率(世論調査などないだろうが)かなり上がったらしい。被災を免れた地区から小麦をすべて運ばせ、食料の提供も忘れなかったばかりか、すべて無料だったという。現代の日本なら…これは古代ローマの話。若き皇帝にも このようなシステムにも驚くばかりの私‼

 では、なぜネロ皇帝は、悪名高き皇帝として名を残すことになってしまったのだろうか…? それについては割愛し、どうしても憎めないどころか私にはむしろ良き皇帝で、愛着すら感じる彼について、忘れられないエピソードを書いておきたい。

 ネロはギリシア文化に魅せられていた。ギリシア発祥のオリンピック。これをローマでも始めようと提案。実際にローマンオリンピックがネロによって開催された。ただ、競技に参加するのは市民ではない。では、誰かというと、元老院の執政官たち…日本でいえば、国会議員や官僚たちだ。映画『テルマエ・ロマエ』の影響で、ローマといえば風呂好きローマ人の姿が浮かぶが、実際、古代ローマは上半身裸で風呂に入り、使用人である奴隷の前では、裸も見せてはいた。 見せてはいたのだが、競技場という言ってみれば公共の場で たるみかけた腹を見せつつは走ったり、やり投げをしたりする姿をローマ市民に披露することを好んだのでは勿論なかったらしい。皇帝の命令だから…と、元老院たちは仕方なく従ったようなのだ。「皇太子の命令だから。。。」と仕方なく安倍氏や大臣たちが競技場でかけっこをしたとしたら…市民である私は、お腹を抱えて笑い転げるかもしれない。実際、塩野氏の文章を読みながら、声を出して笑ってしまった。ネロ皇帝、やってくれるじゃない🎵ってなもんである。元老院側から見れば、苦々しく思ったようで、こうしたことも元老院を反ネロ皇帝派にしてしまったようだが…。  

 更にネロは、「歌う皇帝」でもあった。琴を演奏し、自作の歌を歌うことも好んだ文化人の皇帝は、地方で試しに歌手デビューしている。その時の拍手喝さいに気を良くしたネロは、ローマ市内で遂に中央デビューも果たした。のど自慢のようなイベントに出場し、一般市民と同じく歌い終わったあとも檀上に残り、最後の審査員の結果まで座っていたという。主催者は、ネロ皇帝には無条件に優勝を…と申し上げたらしいのだが、ネロ自身が断った! 檀上でハラハラしながら結果を待つ皇帝の姿にローマ市民の反応はどうであったのだろう。ローマンオリンピックで面白いものを見せてもらった時のように、やはり皇帝というよりは一般市民のようなネロに親しみすら感じたのではないだろうか。

 最期は自ら命を絶つという運命を辿る皇帝ネロ。私にはどうしても憎めないのだ。実際、ネロに ノーと言ったローマ市民だったが、時期皇帝が立った、わずか数か月後には、ネロを懐かしむ声がささやかれることになるのだった…。

 そして ここまで続いたユリウス・クラウデゥス朝も終焉の時を迎え、一年の内に皇帝が三人も変わるという混迷の時代となったのだった。

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

首位攻防戦 ホークスvsファイターズ

2016-07-30 18:22:43 | ホークス

 昨夜はゲーム中盤からテレビ観戦したのですが、応援に力が入りすぎて、相当疲れました。でも、結果的には第一戦を取れたので、良かったです。これで負けていたらと思うと…

 昨日の殊勲賞は、なんといっても怪我から4か月ぶりに一軍復帰した、明石選手! 相手投手を打てないジレンマに陥っていたホークスナインも、彼が追い込まれながらも粘って3塁打。そのあと、低めを見送るようになって、攻略出来たようなもの。彼の18ファウルの記憶は、今だに私の中では、とっても鮮明!

 ワッチも11勝目。審判がボウルの判定ばっか出すので、(わっち自信の投球を・・・)途中、何度も座り込む場面も! あとのスワレスも、守護神サファテも同様!外国人投手は座り込みはしないけど、顔に出すので、今のがストライクじゃないのかっ!?Oh my God!!!って語っていました。アナウンサーも 「セーフ。…? いや、ボールです」と言い直し。 解説は 「今のは(投手に)気の毒ですね…」と別の場面でもコメント。その点、相撲は行事差し違いもあるのでフェアでいいなぁ。野球の審判を審判する制度があればいいのに。

 第二戦はナイター。ラジオで応援中でです♪

 そうだ! 今日は高校野球福岡大会、決勝戦で、九州国際大学付属高が勝ちましたっ! いい試合でした~ (中盤以降から見ましたが…)夏の甲子園も楽しみ~ リオ五輪も始まる~ スポーツの夏は熱い~

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メロン

2016-07-30 00:24:19 | Weblog

 日常的に食べるのはスイカ。どっちが好きかと聞かれれば、そりゃ~、血液サラサラにしてくれるし、メロンを毎日食べたい‼と思うけれど、お値段の方が… ちなみにトマトも血液サラサラにしてくれるので、ほぼ毎日、食べています。庭にはトマトが今日まで4個ほど! 今年は遅いです。それに前半、雨が多かったからか、緑色からなかなか赤くならず、最初に収穫した分は、みずっぽかった~ ミニトマトの苗を買ったつもりだったけど、実際にはちょっと小ぶりのトマトだったのも驚き!

 ところで、こんな夜更けに蝉が鳴いている‼空耳じゃない!ちょっと早めの秋の虫でもない!蝉も日中、暑すぎて鳴く元気もないのだろうか…?!?

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪名高き皇帝たち(19)巻を今、この時代に読み終えて感じること; 古代ローマから学ぶ寛容の精神

2016-07-28 06:06:52 | 読書

 実際には悪名高いどころか前皇帝によって破綻した政治経済の舵取りを誠心誠意行ったクラウディウスだった。50代まで歴史家として生きてきて、全く思っても見なかった突然の皇位だったとはいえ、歴史に通じていたということは、古代ローマの歴史を研究する中で、歴代の皇帝の長所、欠点も理解していたであろうから、その点も役に立ったのではないかと想像する。歴史研究に没頭し、静かに暮らしていたであろう人が、突然かり出されたことで、皇帝になった当初は人前に出ると、どもる傾向にあったようだ。身なりにも無頓着であったため、市民や元老院から馬鹿にされる要因ともなっていたらしい。しかし何度も演説を繰り返す内に どもりは消えたという。後に後世に語り継がれる名演説を残すことになる。

 もう一つ、「悪名高き」皇帝となってしまった理由として、妻にまったく恵まれなかったことがある。次期皇帝は、クラウディウスと前妻の間に生まれた男子ではなく、自分の連れ子をつかせようと準備を進めていた再婚した妻、アグリッピーナ(初婚の妻、メッサリーナも悪女で市民から嫌われ破綻した、すなわち殺された)の尻にひかれていたことが、市民たちから軽蔑される理由の一つとなった。自分の連れ子であるネロを皇帝につける準備を着々と進め、彼の脇でサポートする陣営を選び抜き、登用させることに成功。(皇帝は彼女のしつこさに負けて判を押すことがしばしばあった)遂には毒キノコ入りの食事を食べさせ、毒殺したのだった。なんという最期!

 世間の軽蔑にもろともせず、元歴史家らしく政務に没頭し、破綻した経済を立て直した皇帝クラウディウス。途中、島に隠居したかのように見世間からは見られてはいたが、(居心地よい家庭ではなかった)監視の目を緩めず離れた島から指示をだし、キッチリ最期まで政務を行った第二皇帝ティべリウスと重なる部分もあり、全くもって立派な皇帝であったと思う。著者である塩野七生さんも述べているが、いつの時代も自分たちが生きている時代が「大変な時代だ」と一般市民は思いがちであり、また政治に対して素人であるゆえ、人気取りのような政策(第三皇帝カリグラが税金を廃止し市民を喜ばせたが、国庫が破たんしたように)、パフォーマンスに騙される。どこかの国の何処かの政治家や国民のようだけど…。そして平和であったからこそ、ローマ市民は皇帝の身なりや妻などゴシップのような話題に関心を寄せる暇も十分あり、蹴散らすこともできたのかも…

 ここで歴史に残る演説の紹介を…。それは、開国路線を宣言した時のものだった。元老院の欠員をどのように補充するか?という問題が持ち上がった時のことである。ローマの議員の大量補充の必要性の事実を知ったガリアの部族長たちが、自分たちにもその議席を…と訴えてきたらしい。これに対してローマのエリートで占められている元老院たちは、猛反発した。歴史をみれば、統治先(元は敵国)から議員を大量に補充した最高司令官に、ユリウス・カエサルがいた。それが暗殺される原因となりはしたが…。ここは元歴史家で恐れを知らぬクラウデゥスらしい。元老院の反発には、次のように述べたという。

 「わたし個人の先祖を思い出すだけでも、その最も古い人と言われているクラウススは、サビーニ族の出身だった。その彼がローマに移住した紀元前50年、ローマ人はこの他部族出身者とその一家族を自分たちと同等のローマ市民にしただけでなく、クラウススには元老院の議席を与え、貴族の列に加えたのである。これら先人たちが示してくれたやり方は、われわれの時代になっても統治の指針になりうると考える。それは出身地がどこであろうと出身部族がかつての敗者であろうと、優秀な人材は中央に救い上げるべきとする考え方である。

 われわれはユリウス一門が、三代目の王トゥルス・ホスティリウス(紀元前673-641)によって征服されたアルバからの移住者であることを知っている。…(ここで あらゆるローマの名門といわれる一門も元は敗者からの移住等の歴史、そしてカエサルによるルビコン後の国境と敗者を組み込んできたローマの歴史を延べている)

 スパルタ人もアテネ人も戦場ではあれほども強かったのに、短期の繁栄しか享受できなかった。その主因は、かつての敵を自国の市民と同化させようとせず、いつまでも異邦人として閉め出すやり方を続けたからである。(以下、略)」『ローマ人の物語(19)』引用:133ページ11行~135ページ12行

 古代ローマにあった寛容の精神こそが、ローマ帝国繁栄の理由であっただろう。殺伐とした現代を生きている私達(障害者施設で起こった事件や世界中で多発するテロなど、他者を受け入れないとする考え方etc)今、求めるものは、古代ローマ帝国を繁栄させてきた根底にある寛容の精神だと思う。共存共栄の答えが、彼の演説に集約されていると思うのだが…。歴史家皇帝だからこそ生まれた演説であり統治のあり方だったのか。私達が歴史を学ぶ意義、現代に生かす意味を考えさせられる。 事件当日はショックすぎて何も語れず書けず触れることさえ出来ずだった、あの事件…しかも犯人は元職員だなんて… バングラデシュのテロからも まだ完全にショックが消えていなかったのに。今度は国内で、しかも障害者施設という自分にとっても馴染みのある場所で奪われた命…ご冥福を心からお祈り致します。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塩野七生:著 『ローマ人の物語』 ~悪名高き皇帝たち~ (17)(18)巻

2016-07-27 22:23:36 | 読書

 著者の塩野さんは、「悪名高き~」と述べているが、これは逆説的な言い方だ。現代を生きる我々から見ると、少なくとも一人の皇帝を除けば、カエサルが練り、アウグストゥスが実行に移した帝政ローマを盤石なものとし、統治する能力という点に置いては間違いなくティべリウスは優れた皇帝であった‼といえる! アウグストゥスは跡継ぎに血を受け継いだ者を望んだが、彼の息子たちは相次いで亡くなったため、後継者となったのがティべリウスだった。彼は身内にこだわらず、適材適所に優れた者を登用し、カエサルが描いたローマの姿を完成させた。それなのに、なぜ、当時を生きたローマ人や歴史家、知識人から不評だったかといえば、小泉劇場のような人気取りのパフォーマンスは一切やらなかったから。彼の右腕、左腕となって活躍した数名を除いては、知人関係にいたっても大勢の人に囲まれて…というタイプではなかったこと。そして何よりも、アウグストゥスによって離婚させられた妻が忘れられず、その後、政略結婚させられた妻とは折りが合わず、その他諸々理由はあったあっただろうが、晩年になって首都ローマを離れ、島に引っこんでしまったことだ。市民や元老院の目には、皇帝が政治を放置し逃げ出したかのように映ってしまったようなのだ。しかし彼は何処にいても使者を本国ローマに送り、監視の目を怠ることなくローマを統治し続けた。老いてもティべリウスは何処までもティべリウスだった。カエサルのようにカリスマ性があった訳ではないが、見事なまでにカエサルが描いていた帝政ローマをほぼ完成させていた。時期、皇帝となったカリグラは、この上なく完璧に近い形でローマの第3代皇帝となる。

 「一人を除き」優れた皇帝だったと先に私は言ったが、この「一人」の悪名高き皇帝こそ、カリグラだった。前線で活躍し人気者だった父、ゲルマ二クスが本来であれば、ティべリウスの前に皇帝になるであろうと思われていた人物だった。30代で若くして亡くなったゲルマ二クスの息子であるカリグラが皇帝になった時、当然市民や元老院たちから大歓迎された。ローマ市民にとって最も大切な小麦の生産量もインフラ整備も周辺諸国との平和維持も、いってみれば すべてが順調に回っている状態での皇帝就任だったカリグラ。先の皇帝、ティべリウスのお蔭で国家資金も豊富にあった。若いカリグラは減税を行い市民に歓迎されはしたが、浪費癖があった。エジプト王のような巨大な船を作るなどし、あっという間に国家資金は減り、わずか4年の在籍期間で底をつき、地に落ちてしまったのだから呆れる。カリグラは、彼の父、ゲルマ二クスの下で働いていた近い側近によって暗殺され、生涯を終えたのだった。しかし この場合、暗殺した方が苦しかっただろうと察する。尊敬する師、ゲルマ二クスとは余りに掛け離れた息子、カリグラの悪政ぶりに…。 父、ゲルマ二クスと共に国境沿いで育った幼きカリグラのことを「小さい軍靴」と親しみを込めて兵士達は呼んでいたくらいなのだから…。

 何はともあれ、悪名高きカリグラによる時代は、側近による暗殺によって幕を閉じ、急遽、時期皇帝にされたのは、クラウディウスだった。彼はそれまでは歴史家として54歳まで生きてきた。最初は乗り気でなかったようだが、元老院によって『第一人者』、すなわち皇帝に推薦されると、(古代ローマは あくまで表向きは市民、元老院、による共和政だった。ユリウス以下、実質は皇帝による統治となっていたが…)「受け入れる」ことにする。ここに第四皇帝が誕生したのだった。

 破綻しかけたローマの経済と外交の立て直し。やるべきことは山ずみだったが早速、クラウディウスは取りかかる。…とはいえ、彼一人では到底出来ない仕事量だった。そこで彼が考えだしたのが、信頼できる3人の解放奴隷に仕事を振り分けることだった。クラウディウスに会いたければ、まず、元老院の面々も解放奴隷出身の秘書を通さねばならなくしたのである。プライド高き元老院には、不評だったようだ。だがこのシステムは機能し、のちの官僚政治の原型であるとも言われているそうだ。彼もまた、妻に振り回され、いいなりになるところがあった。なんというか…黙々と無言で仕事をこなした皇帝という点で、第二皇帝ティべリウスとクラウディウスは重なる。正直で、本当にローマのことを思い、ただ黙々と信じたことを突き進む… 決して市民受けするような、人気取りのようなことはしない。日本でいえば、元・福田首相(息子)の顔が浮かんでしまう。ただ、「小泉政権の尻拭い」といいつつ、途中で退任してしまった福田氏なので、島に引っこんでもなお政治のかじ取りをしていた先のティべリウスほどの政治家ではなかったのだろうけれど。非常に残念ながら…。

 クラウディウスの話だった!続きは明日以降に…

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お祭り

2016-07-26 20:05:40 | Weblog

 地域の子供神輿も日曜日に終わりました。あいにく この日は九州国際大へ行っていたので、お神輿をみることは出来ませんでした。子供会でお神輿の綱を引くだけでも、なんだか大きな仕事をしている気分になって、わくわくしたものです。当時は今のように高温な夏ではなく、もっと過ごしやすかったと思うのですが、近年は大変ですよね。熱中症が…

 好きなお祭り。北九州市の 「わっしょい百万祭り」

小倉祇園、戸畑祇園、黒崎祇園など、市内のお神輿が一同に集う、見応えあるものとして、今から25年ほど前に始まった筈です。当時、大学生だった私も初めて見に行き、あの時は、提灯山笠の「戸畑祇園」に魅了されました。一時期、戸畑祇園だけ、百万祭りに参加していない時期があったと記憶しています。今は、どうなのでしょう…? いずれにせよ、お祭りは 日本の夏には欠かせない存在。この暑さの中、神輿を組み立てたり担いだり、高齢化も進み、地域によっては維持すら大変そうなんですが、なんとか伝統を守っていけたら… と何も出来ない自分が言うのもなんですが… 小倉祇園の際は、外国人も法被で参加していましたし、日本のお祭りも国際化しているのかも。これも良い傾向ですよね

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

来場所に…

2016-07-24 18:59:45 | Weblog

日馬富士が横綱対決制し8度目優勝 名古屋場所

望みをつなげることができたことが大きい!稀勢の里が千秋楽、負けてしまったら、降りだしに戻るところだったから。先場所と全く同じ台詞になるが、「来場所にお楽しみを持ち越したと思えば…!」簡単ではないだろうと思うけど、稀勢の里の底力を信じて応援します!

今日は3年ぶりくらいかな?TOEIC受験。高校生もいたよー!ECC生かも~と思ってしまう。センターの先生が昨年秋頃からBS(L1 L2)生に受験を勧めるよう言っていたし、私も在校生に早めの受験を勧めているので。準一級とTOEIC どちらも ほぼ同じ時期に受験することになったので、比較するのに役に立つだろうと思う。

夏本番で毎日暑いけれど、被災地や介護等で頑張っている人達を思えば…あと1か月、暑さにやられないで頑張らなきゃね。

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑い、熱い、名古屋場所

2016-07-21 23:50:25 | Weblog

1敗力士が4人! 昨年も混戦模様の名古屋場所だったのですね。今年も同じく荒れにあれている名古屋場所です。今場所の稀勢の里にはツキもある気がするので、明日の二敗同士の対戦…絶好調の横綱日馬富士との一戦。簡単には勝てないとは思うけれど、いい相撲を見せてくれると信じています。白鷗は結びで敗れるという波乱。一歩後退した白鳳。とはいえ、稀勢の里との直接対決もあり、まだまだ分かりませんよね。名古屋場所は力士同士のぶつかり合いも熱い一方、名古屋の観客の皆さんも熱いわぁ~ 稀勢の里の似顔絵に横綱と太文字で書かれた絵を掲げ、応援しているファンがテレビに映し出されました。 現実になる!と信じて明日も応援します。

 

今日はECC暗唱大会 先週のレッスンでバッチリだったので、心配はしていませんでした。いざ、みんなの前で発表!となると、事情は違ってくるようです。私も緊張型なので、ものすごーく気持ちが分かる… そんな緊張マックスな状態で始まった暗唱でしたが、全員とても上手でした この調子で今後も頑張ってくれることでしょう

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする