最初は我が家の『猫とピアノの思い出』について書くつもりだった。
だからタイトルは「ピアノと猫」としたんだった。
ところがー
書き進める内に、何故か話は全く違う方向へ~ということが私の場合はよくある。
仕方がないので、では、元々書くつもりでいたお話については次回に…と書いたはいいが、タイミングを逃してしまうと、すでに書けなくなってしまう。そう。書けないまま数日が経過してしまった。
日付けが変わってすぐ『ピアノの森』を観ていて、はっとした。
「ピアノはあくまで楽器。猫がピアノの鍵盤の上を歩いても音はなる。
…。
しかし、大切なのは君自身。
君はどんなショパンを奏でる?」
我が家の猫は、私がピアノを弾きだすと、鍵盤に跳び乗っていた。
更には上へジャンプし、そこで眠る。
その姿は まるで猫のぬいぐるみ。
当然ながら鍵盤の上を数歩、歩けば、ピアノの音が鳴るのよね。
高音から中盤の音がチャラチャラン~と。
楽譜に出来ない音がなる。
それが面白くて‼。
ところがある日、ピアノの蓋が閉じた状態の時に猫が跳び乗ったものだから、つるつるした蓋の上で猫は滑り落ちそうになり…
自力で這いあがれない猫を慌てて抱っこした。
その後の記憶は どういう訳か全くない…。
その場に親はいなくて… 自分が白状するより先に母親が気付いたのか!?
いずれにせよ、
「何? この猫の爪あとは!」
と母親に叱られることとなった。
「土足でピアノの鍵盤を歩いていい訳がない!」
と、面白がる私とシーくんの両方にオカンムリだったから。
今でもピアノを時折磨きながら、
「この傷あとはシーくんの…。」
(猫の名前はシーくん)
と、母親がこぼすことがある。
インコが人間の言葉を覚えるのは、(チコちゃんに叱られるによれば)
「飼い主に恋をしているから」らしい。
ってことはつまり、セキセイインコのピッキーが私そっくりな声で「オハヨウ ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪」と繰り返していたのは、私に恋していたから~ってこと!?
負けず劣らずシーくんも、身体をすりよせては甘えた声で鳴いていた。
小学生だった私が日記を書いていると、テーブルの隅に跳び乗り、前足(両手?)を私の肩にぴょんと乗せては「にゃ~ん」と鳴き、
「僕にかまってよ~」と言っているように聴こえたものだ。
当時、日記には 「弟のシーくんが…」と書いており、ペットというよりは弟という認識。家族の一員だったことは確か。
ここで生まれ育った甥っ子が7か月になり、お昼寝から目覚めてハイハイしてくる姿を見た時、
(シーくんの生まれ変わりかも。そっくりだ~)
と何度か思ったこともある。
ピアノに残ったあの傷は…
シーくんが確かに存在した「あかし」なのよね。
もう書けない、と思ったけれど。
取りあえず、メモ程度に。