「馬を見る天才」と言われた岡田繁幸氏が亡くなった。
「ラフィアン」という一口馬主会社を設立し、「マイネル(牡馬)」「マイネ(牝馬)」の名前で知られる競走馬を育てた名伯楽だ。
「安い馬で高額な馬たちに勝つ」というのがコンセプトで、2流種牡馬や名も知れぬ牝馬から産まれた馬たちで、果敢に勝負を挑んだ人だ。
社台が「トヨタ」だとすれば、ラフィアンは「スズキ」か「ダイハツ」だろう。
まあ駄馬も結構いるので、「スズキ」「ダイハツ」には失礼かも知れないが、地味だが着実に成績を残している。
とにかく馬の見方が独特で、しかも語り口が丁寧なので、ラフィアン自体の人気はともかく、解説者としてはとても貴重な存在だった。
実は、私も現役の一口馬主であるが、始めた当初はラフィアンに入会していた。
とにかく「安い」のが魅力だったので、血統とか馬体についてまったく知識のなかった私としては、入りやすかったわけだ。
そして、どこの一口馬主会社でも同じだと思うが、秋頃に会員によるパーティーが開催される。
そこで、岡田氏の天才である一面を間近で見させてもらったことがある。
まずは会員になった1992年の秋。
この時は、菊花賞の前日である11月7日(土)に開催された。
当時の菊花賞は、皐月賞・ダービーと圧倒的な強さで逃げ切ったミホノブルボンが、ここでも圧倒的一番人気だった。
しかし、パーティーの入口で会員全員に手をされたのは2枚の馬券だった。
一つはライスシャワーの単勝馬券と、ミホノブルボン-ライスシャワーの馬連馬券(当時は、まだ馬単も3連単もなかった!)
2枚とも100円馬券だったが、みんな一様に「え~っ」という感じで受け取っていた。
その後も、会員同士のゲーム大会などで渡される商品は、全部この2種類の馬券だった。
確かジャンケン大会では、優勝者にはこれが1万円馬券だったと思う。
そして、恒例の(私は初めてだったが)岡田氏の挨拶、という名の独演会が始まった。
ここで岡田氏は、翌日行われる菊花賞について、「ライスシャワーが勝ちます」と断言したのだった。
細かい解説は忘れたが、自身満々に話をし、そして「ミホノブルボンは2着です」と明言したのだが、この2頭で決まりということで、あの馬券配布につながっているわけだ。
下手をすれば、ぜ~んぶただの紙切れになるところなのだが、結果は皆さんご承知の通り。
ライスシャワーが最後の直線で逃げるミホノブルボンをあっさりと交わして優勝。
配布された馬券は、ぜ~んぶ当たりでした!
さらに、次の1993年。
今度はジャパンカップが行われる前の日ということで、11月17日(土)にパーティー開催された。
この時は、馬券の一斉配布はなかったものの、恒例の独演会で岡田氏はこう言っていた。
「ジャパンカップはコタシャーンが勝ちます」
実は、前年にこの馬を岡田氏自身が購入していたのだが、単なる「オレの馬が勝つ」という話ではなく、ここでも自信満々に宣言していた。
そして結果は・・・残念ながら2着でした。
これまた皆さんもご存じの通り、コタシャーンに騎乗していたデザーモ騎手が、最後の直線を大外から猛然と突っ込んできたが、何とゴール版を見間違えて、一旦手綱を持つ手を緩めてしまい、再度追ったものの、わずかに届かなかった、という結果になったわけだ。
もう一度当時のレース映像を見てみましたが、まあゴール版を見間違えなかったとしても、やはり2着だったような気はするが・・・
とは言え、やはり岡田氏の言う通りの走りを見せてくれたわけで、この時には「この人スゴい!」と思うようにはなっていた。
しかし、このパーティーでの岡田氏の発言によって、私はラフィアンを退会することにした。
岡田氏は、よくも悪くも会員を「家族」のように思っている人、というのが彼を知る人が口を揃えて言うことらしいのだが・・・
それが裏目に出るような発言をした(正確には「された」)からだ。
ラフィアン入会時に購入した馬は、ラフィアンの中では比較的高額な馬だったので、私としてもちょっと期待していた。
しかし、その後なかなか入厩(牧場から厩舎に入って、出走への準備をすること)せず、結果的にデビューさえもできずに引退してしてしまった。
すでに次の馬も購入していたので、気持ちは切り替えていたつもりでしたが、岡田氏はこの時のパーティーで、この馬についてこう言ったのだ。
「あの馬は、ホントにどうしようもなかったですね」
少し説明すると、パーティー会場の壇上には、調教師たちが10数名ずら~っと並んでいた。
彼は、その調教師たちを会員に紹介することもなく、いきなり一人ひとりに「先生のところは、今年調子いいですね」とか話し始めたのだ。
ほとんどの会員は、調教師の顔なんて知らないですから、岡田氏が誰と話をしているのかほとんどわからない。
しかし、ある調教師(実は、私の馬を委託していた人)のところで、私の馬の名前が出てきたのでわかったのですが、その時に前述の発言が出てきたのである。
そして、その調教師と笑いながら話を続けていたので、その時点で私はキレていた。
「家族のように思う」のと「実際の家族」とは全然違う。
あくまでも、岡田氏は売り側であり、私たちはそのお客さんなわけですだ。
いくら「家族のような付き合い」をしていたとしても、例えば自動車のディーラーが、リコールを出した車を購入した客に対して、「いやあ、あの車はホントどうしようもなかったですね、ハッハッハ~」とか笑いながら言ったら、その客は間違いなくキレて、二度とそのディーラーからは車を購入しないはず。
もちろん、岡田氏が話をしていた相手は調教師であり、会員に対して言ったわけではない。
でも、会場には私以外にもその馬を購入していた会員がいたはずだ。
そういう場で、あんな発言をするとは・・・
岡田氏がそんなヒドい人間だとは思わないが、そういう一面があったのは事実。
私的には、あの野村克也氏に似ているところがあると思っているのだが・・・
「勝つ」ことに集中しすぎて、まわりにファンとか会員がいることに気が付いていない感じ。
考えていないのではなく、気が付いていないだけ。
そう思いたい。
いずれにしても、「馬を見る天才」であったのは間違いなく、ホントに惜しい人を亡くしたと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
「ラフィアン」という一口馬主会社を設立し、「マイネル(牡馬)」「マイネ(牝馬)」の名前で知られる競走馬を育てた名伯楽だ。
「安い馬で高額な馬たちに勝つ」というのがコンセプトで、2流種牡馬や名も知れぬ牝馬から産まれた馬たちで、果敢に勝負を挑んだ人だ。
社台が「トヨタ」だとすれば、ラフィアンは「スズキ」か「ダイハツ」だろう。
まあ駄馬も結構いるので、「スズキ」「ダイハツ」には失礼かも知れないが、地味だが着実に成績を残している。
とにかく馬の見方が独特で、しかも語り口が丁寧なので、ラフィアン自体の人気はともかく、解説者としてはとても貴重な存在だった。
実は、私も現役の一口馬主であるが、始めた当初はラフィアンに入会していた。
とにかく「安い」のが魅力だったので、血統とか馬体についてまったく知識のなかった私としては、入りやすかったわけだ。
そして、どこの一口馬主会社でも同じだと思うが、秋頃に会員によるパーティーが開催される。
そこで、岡田氏の天才である一面を間近で見させてもらったことがある。
まずは会員になった1992年の秋。
この時は、菊花賞の前日である11月7日(土)に開催された。
当時の菊花賞は、皐月賞・ダービーと圧倒的な強さで逃げ切ったミホノブルボンが、ここでも圧倒的一番人気だった。
しかし、パーティーの入口で会員全員に手をされたのは2枚の馬券だった。
一つはライスシャワーの単勝馬券と、ミホノブルボン-ライスシャワーの馬連馬券(当時は、まだ馬単も3連単もなかった!)
2枚とも100円馬券だったが、みんな一様に「え~っ」という感じで受け取っていた。
その後も、会員同士のゲーム大会などで渡される商品は、全部この2種類の馬券だった。
確かジャンケン大会では、優勝者にはこれが1万円馬券だったと思う。
そして、恒例の(私は初めてだったが)岡田氏の挨拶、という名の独演会が始まった。
ここで岡田氏は、翌日行われる菊花賞について、「ライスシャワーが勝ちます」と断言したのだった。
細かい解説は忘れたが、自身満々に話をし、そして「ミホノブルボンは2着です」と明言したのだが、この2頭で決まりということで、あの馬券配布につながっているわけだ。
下手をすれば、ぜ~んぶただの紙切れになるところなのだが、結果は皆さんご承知の通り。
ライスシャワーが最後の直線で逃げるミホノブルボンをあっさりと交わして優勝。
配布された馬券は、ぜ~んぶ当たりでした!
さらに、次の1993年。
今度はジャパンカップが行われる前の日ということで、11月17日(土)にパーティー開催された。
この時は、馬券の一斉配布はなかったものの、恒例の独演会で岡田氏はこう言っていた。
「ジャパンカップはコタシャーンが勝ちます」
実は、前年にこの馬を岡田氏自身が購入していたのだが、単なる「オレの馬が勝つ」という話ではなく、ここでも自信満々に宣言していた。
そして結果は・・・残念ながら2着でした。
これまた皆さんもご存じの通り、コタシャーンに騎乗していたデザーモ騎手が、最後の直線を大外から猛然と突っ込んできたが、何とゴール版を見間違えて、一旦手綱を持つ手を緩めてしまい、再度追ったものの、わずかに届かなかった、という結果になったわけだ。
もう一度当時のレース映像を見てみましたが、まあゴール版を見間違えなかったとしても、やはり2着だったような気はするが・・・
とは言え、やはり岡田氏の言う通りの走りを見せてくれたわけで、この時には「この人スゴい!」と思うようにはなっていた。
しかし、このパーティーでの岡田氏の発言によって、私はラフィアンを退会することにした。
岡田氏は、よくも悪くも会員を「家族」のように思っている人、というのが彼を知る人が口を揃えて言うことらしいのだが・・・
それが裏目に出るような発言をした(正確には「された」)からだ。
ラフィアン入会時に購入した馬は、ラフィアンの中では比較的高額な馬だったので、私としてもちょっと期待していた。
しかし、その後なかなか入厩(牧場から厩舎に入って、出走への準備をすること)せず、結果的にデビューさえもできずに引退してしてしまった。
すでに次の馬も購入していたので、気持ちは切り替えていたつもりでしたが、岡田氏はこの時のパーティーで、この馬についてこう言ったのだ。
「あの馬は、ホントにどうしようもなかったですね」
少し説明すると、パーティー会場の壇上には、調教師たちが10数名ずら~っと並んでいた。
彼は、その調教師たちを会員に紹介することもなく、いきなり一人ひとりに「先生のところは、今年調子いいですね」とか話し始めたのだ。
ほとんどの会員は、調教師の顔なんて知らないですから、岡田氏が誰と話をしているのかほとんどわからない。
しかし、ある調教師(実は、私の馬を委託していた人)のところで、私の馬の名前が出てきたのでわかったのですが、その時に前述の発言が出てきたのである。
そして、その調教師と笑いながら話を続けていたので、その時点で私はキレていた。
「家族のように思う」のと「実際の家族」とは全然違う。
あくまでも、岡田氏は売り側であり、私たちはそのお客さんなわけですだ。
いくら「家族のような付き合い」をしていたとしても、例えば自動車のディーラーが、リコールを出した車を購入した客に対して、「いやあ、あの車はホントどうしようもなかったですね、ハッハッハ~」とか笑いながら言ったら、その客は間違いなくキレて、二度とそのディーラーからは車を購入しないはず。
もちろん、岡田氏が話をしていた相手は調教師であり、会員に対して言ったわけではない。
でも、会場には私以外にもその馬を購入していた会員がいたはずだ。
そういう場で、あんな発言をするとは・・・
岡田氏がそんなヒドい人間だとは思わないが、そういう一面があったのは事実。
私的には、あの野村克也氏に似ているところがあると思っているのだが・・・
「勝つ」ことに集中しすぎて、まわりにファンとか会員がいることに気が付いていない感じ。
考えていないのではなく、気が付いていないだけ。
そう思いたい。
いずれにしても、「馬を見る天才」であったのは間違いなく、ホントに惜しい人を亡くしたと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
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