はぶて虫のささやき

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(旧:はぶて日記)

映画評1013 ~ 竜とそばかすの姫

2021-07-18 | 映画評
今回は「竜とそばかすの姫」です。

『おおかみこどもの雨と雪』や、アカデミー賞長編アニメ映画賞にノミネートされた『未来のミライ』などの細田守が監督を務めたアニメーション。“もうひとつの現実”と呼ばれる巨大インターネット空間の仮想世界を舞台に、心に傷を抱え自分を見失った17歳の女子高生が、未知の存在との遭遇を通して成長していく。企画・制作は、細田監督らが設立したアニメーション制作会社・スタジオ地図が担当する。


<ストーリー>
高知の田舎町で父と暮らす17歳の女子高生・すずは周囲に心を閉ざし、一人で曲を作ることだけが心のよりどころとなっていた。ある日、彼女は全世界で50億人以上が集うインターネット空間の仮想世界「U」と出会い、ベルというアバターで参加する。幼いころに母を亡くして以来、すずは歌うことができなくなっていたが、Uでは自然に歌うことができた。Uで自作の歌を披露し注目を浴びるベルの前に、ある時竜の姿をした謎の存在が現れる。


もともと期待していたわけではない。

細田守監督の作品では「サマーウォーズ」と「未来のミライ」を見ただけだが、「おおかみこどもの雨と雪」や「バケモノの子」は見ていない。

タイトルだけ見て、とても面白そうには思えなかったからだけど、それでも敢えて見た「未来のミライ」はヒドかった。

今回の「竜とそばかすの姫」も、タイトルだけでなく、予告編を見た限りでは、とても興味をひくものではなかった。

それでも、いちおう話題作ではあるし、この人の画は嫌いではないので見ることにしたわけだけど・・・

結果から言うと、ベースが「サマーウォーズ」で、内容はほとんど「美女と野獣」で、それに「アナと雪の女王」などディズニーに出てくるようなシーンがたくさん出てきて、最後は「君の名は。」である。

ツッコミどころ満載なので、思いつくままに書いてみる。

まず、冒頭で主人公・すずの母親が亡くなった時の描写が出てくるが、地震による鉄砲水(?)のせいで、川の中州に取り残された赤の他人の子供を、「行かないで」と泣いているすずを置いて、わざわざ助けに行ってそのまま帰らぬ人なる、というものなんだけど、何で亡くなったのかよくわからなかった。

それくらいわけのわからない設定だった、ということもあるが、行方のわからなくなった母親を探して泣き叫んでいるすずのまわりの人たちに、まったく動きがなかったのが気になった。

助けられた子供の親もいたはずだろうに、そのあたりの描写が何もないので、何とも違和感のあるシーンだった。

続いて、すずが「U」と呼ばれる仮想世界に「ベル」というアバターで参加するのだが、そこで普段はまったくできなかった歌を歌うことをでき、瞬く間に大人気となる。

確かにいい歌だったけど、あれを全世界が魅了するような歌とするには、ちょっと無理があると思う。日本語だし。

世界で50億人が参加している、などと大袈裟な設定にするから、こういうところで違和感が出てくるのだと思うのだけど。

それはいいとして、大人気なったベルの元に、賛辞のメールが大量に届くのだけど、その中に「はじめまして鈴」というのが(確かに)あった。

どこの誰だかわからない設定だったはずなのに、どうして?

間違えたとはとても思えないので、もしかしてここは後でツッコミを食らうことを期待(?)してわざとやったの?

その後、突如として竜が出現する。

この竜に対峙する「ジャスティン」とかいう正義の味方モドキが出てくるが、見ていて何だかダサいし、竜とのバトルもかなりチャチだ。

それで、「結局、こいつらはいったい何だったの?」という謎解きは一切ないし、考えてみるに、このジャスティンがアンベイル(アバターの正体を暴く)する能力を持っているので、終盤でベルが正体である「すず」として歌を歌うというシーンがあるが、そのためだけに作ったキャラクターということが言えると思う。

だって、竜とジャスティンとのバトルには、ほとんど意味が見出せないし。

その竜とベルとの出会いだけど、ベルが歌っている会場に突如現れて、コンサートをムチャクチャにしたあげくに、どうして?と尋ねるベルに対して「オレに近づくな」と言う。

じゃあ、何しに出てきたの?と思ってしまう場面だけど、なぜかベルは竜の住んでいる城にたどり着く。

そこでもベルを拒否する竜だけど、その後いったい何があったのかはわからないが、突如竜とベルが仲良く(?)なる。

ここは、ホントに理解不能だった。

物語の流れから言って、当然この竜はすずの周りにいる誰かだろう、と誰もが思うに違いないのだけど、結論から言うと、竜はまったく関係のない人である。

しかも、それまでにまったく出てきていない人であり、それこそテレビのワイド劇場で、それまでほとんど登場しなかった人間が犯人だった、というのによく似ている(?)

さらに言うと、この竜を演じていたのは、実は虐待されていた子供なんだけど、何でこんな重いテーマを最後の最後に突然持ってきたの?と言うしかない。

ホント、よくこんな設定にしたなあ、と思う。

だから、それまでのすずと同級生(しのぶ・カミシンなど)との描写が、実は何でもなかったという、いわゆる「伏線がまったく回収されないパターン」ということになってしまっている。

どうせなら、冒頭ですずの母親が命と引き換えに助けた子供が実は竜だった、という設定の方がまだ良かったと思う。

さらに言うと、すずがこの少年たちに会う描写は、はっきり言ってムチャクチャ。

少年が映っている映像のちょっとした部分から居場所を割り出すという、まるで名探偵コナンばりの推理を見せるのだけど、バックに流れていた緊急放送用の音楽から、だいたいの場所を探り出す、というのはまだいいとしても、窓にちょっと映ったビル群から、「これは武蔵小杉のタワーマンションだ」とわかった、というところで、ちょっと笑ってしまった。

いやいや、こんなビル2つで、どうして武蔵小杉だとわかったの?

まあ、たまたまそのあたりに行ったことのあるカミシンが「あっ、このビル見たことがある」という流れにしたのは、まだ許せるとして、たったそれだけの事実で、すずは何と東京まで行くことを決意する。

この映画の舞台は高知県だから、そこから夜行バスなどで遠路はるばる行くのだが、武蔵小杉のビルが見える多摩川沿いの家、というだけで、いったいどうやって探すつもりだったのだろう。

高知県の片田舎で探すのとはわけが違う。

当然のことながら、どこにあるのかわからないので、すずは探し疲れるのだけど、そこに突如として件の少年たちが現れる。

しかも「ベルさんだね。来てくれると思ったよ」だって。

何だ、このムチャクチャな展開は。

さらに、ここで少年たちの父親とのやり取りがあるのだけど、すずに殴りつけようとした父親が、すずの態度に恐れをなして逃げ出したところでハッピーエンド!みたいな形となるが、「えっ、それで終わり?」みたいな描写だった。

「君の名は。」では、主人公と三葉が「会う」ということに意味があった。

でも、この兄弟は虐待されているという設定なのだから、会っただけで終わるわけがない。

ついでに言うと、少年たちの居場所がだいたい判明した時に、コーラス部のおばちゃんたちは、警察に「近くに虐待されているらしい家族がいる」と通報していたが・・・

そんな抽象的な情報で、警察はどう動けばいいのかまったくわからないだろう。

東京都大田区全域を捜索しろ、とでも言うつもりなんだろうかね。

この描写をわざわざ入れた理由も不明だ、というか、まったく必要ないだろう。

そもそも、このコーラス部のおばちゃんたち、なぜかすずがベルであることを知っていたり、すずがいる場所を知っていて駆けつけたりする。

小学校跡にいるってなぜわかったの?

おばちゃんたちは、見たところいいお年の人ばかりなので、この人たちが全員「U」にハマっているという設定自体無理がありすぎるし、ちょっと歌声を聞いただけで「あら、この声、すずちゃんよ」と思うわけがない。

なぜなら、すずは人前ではまったく歌えない女の子なんだから、彼女たちの前でも歌ったことはないはず。

だから、「すずちゃんの声に似てる」とさえも思わないだろうに。

とにかく、設定や描写がいいかげんすぎて、細田監督がいったい何を描きたかったのか、さっぱりわからない作品になっている。

まさか「虐待」がテーマじゃないだろ?

どうせなら、ベルがすずとして正体を現し、歌を披露したあたりをクライマックスにすればよかったのに、その後に一気に流れが変わってしまうので、映画全体がグタグタになっていた。

ということで、期待していない以上にヒドい内容だったので、評価は「D」にします。

また思い出したら、年末に書き足します。

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