芥川賞を受賞した田中慎弥氏。
その受賞に関わる会見での発言が物議を醸している。
過去に4度も落選していて、今回やっと受賞したせいか、終始不機嫌で、言いたい放題だったとか。
でも、「そんなに面白いか?」という気もする。
高校卒業後、働きもせず、プー太郎生活で、ずっと小説を書き続けていた39のおっさんだ。
まともな(?)人間であるはずがない。
よく言えば、そういう「器」と言えなくもない。
相当自信もあるのだろうし。
だいたい、あんな会見なんて、普通イヤだろう。
小説を書くことに明け暮れている人間が、人前で明るく元気に対応できるはずもなかろう。
それに、わざわざ「石原慎太郎の評価が低かった」などということについて、感想を求められたって、困るだろうに。
それとも、わざと石原慎太郎氏に対してボロくそ文句を言うことを期待して、あんな質問をしたんだろうか。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120117/art12011723490012-n1.htm
そんなことより、今朝のニュースで、過去の芥川賞受賞者3人に、いろいろと聞いていたそのやり取りの方が気になった。
質問の中身は「普段、小説を書く場所は?」とか「受賞後、生活はどう変わりましたか?」とか「もらった賞金は何に使いましたか?」とか、まあ他愛もないものばかりだったのだが、その中の一つ。
「芥川賞を取るのに、才能は必要ですか」という質問。
これに対して、3人とも「×」を出していた。
うち一人は、「いかに小説が好きか、ということだと思います。後はどれだけ努力するか、ですかね」という意味のことを言っていた。
うん、そんなわきゃないわな。
小説だろうが何だろうが、賞を取るとか、合格するとか、活躍したりするのに、「才能がある」ということは大前提だ。
努力は、その才能を「持続させる」とか、それに上乗せして「もう一歩上を目指す」ために必要なだけ。
中には、「努力なんかしてるの?」って人だっているのに・・・
赤川次郎なんて、あの人の「超人的な多作」は、努力の結果なのか?
「才能」以外の何ものでないだろう。
では、3人とも謙遜してそう答えたのだろうか。
それもあるかも知れない。
まさか「私には才能はなかったけれど、一生懸命努力しましたから・・・」などと思ってはいないだろうし。
「才能」が大前提であることくらい、誰にだってわかることだ。
つまり・・・
そんなアホな質問をぶつけるな、ということだ。
「努力すれば、何でも叶えられる」ということは、幼い子供には言ってもいいか知れないが、ある程度成長すれば、自分の能力について知らしめる必要は当然あると思う。
「身の程を知る」というわけだ。
田中慎弥みたいに、働きもしないで、自分のやりたい道を突き進んで、それが成功することなど滅多にない。
今でも、プー太郎のくせに「オレは、いつかビッグになってやるぜ」とかほざくアホがたくさんいるとか。
「ゆとり教育」なんかやるから、こんなバカが増産されてしまう。
バカに対しては「お前はバカなんだよ」と教えてやらないといけない。
本人が将来困るのはもちろんだけど、働かなくて税金を払わないとか、結果的に国全体が困ることになる、ということがなぜわからないんだろう。
それにしても、純文学などという高尚なものを読まなくなってから久しいので、芥川賞作家なんて、ほとんど知らない。
今朝の3人のうちの一人に「藤沢周」という人がいたので、「おっ、あの人も受賞していたのか」と思ったのだが・・・
後で調べてみると、あの「藤沢周平」ではなかった。
中年のおっさんだったので、「へえ、あの人って、そんなに若かったっけ?」と思ったのだけど、よくよく考えてみれば、藤沢周平はすでに亡くなっている。
その受賞に関わる会見での発言が物議を醸している。
過去に4度も落選していて、今回やっと受賞したせいか、終始不機嫌で、言いたい放題だったとか。
でも、「そんなに面白いか?」という気もする。
高校卒業後、働きもせず、プー太郎生活で、ずっと小説を書き続けていた39のおっさんだ。
まともな(?)人間であるはずがない。
よく言えば、そういう「器」と言えなくもない。
相当自信もあるのだろうし。
だいたい、あんな会見なんて、普通イヤだろう。
小説を書くことに明け暮れている人間が、人前で明るく元気に対応できるはずもなかろう。
それに、わざわざ「石原慎太郎の評価が低かった」などということについて、感想を求められたって、困るだろうに。
それとも、わざと石原慎太郎氏に対してボロくそ文句を言うことを期待して、あんな質問をしたんだろうか。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120117/art12011723490012-n1.htm
そんなことより、今朝のニュースで、過去の芥川賞受賞者3人に、いろいろと聞いていたそのやり取りの方が気になった。
質問の中身は「普段、小説を書く場所は?」とか「受賞後、生活はどう変わりましたか?」とか「もらった賞金は何に使いましたか?」とか、まあ他愛もないものばかりだったのだが、その中の一つ。
「芥川賞を取るのに、才能は必要ですか」という質問。
これに対して、3人とも「×」を出していた。
うち一人は、「いかに小説が好きか、ということだと思います。後はどれだけ努力するか、ですかね」という意味のことを言っていた。
うん、そんなわきゃないわな。
小説だろうが何だろうが、賞を取るとか、合格するとか、活躍したりするのに、「才能がある」ということは大前提だ。
努力は、その才能を「持続させる」とか、それに上乗せして「もう一歩上を目指す」ために必要なだけ。
中には、「努力なんかしてるの?」って人だっているのに・・・
赤川次郎なんて、あの人の「超人的な多作」は、努力の結果なのか?
「才能」以外の何ものでないだろう。
では、3人とも謙遜してそう答えたのだろうか。
それもあるかも知れない。
まさか「私には才能はなかったけれど、一生懸命努力しましたから・・・」などと思ってはいないだろうし。
「才能」が大前提であることくらい、誰にだってわかることだ。
つまり・・・
そんなアホな質問をぶつけるな、ということだ。
「努力すれば、何でも叶えられる」ということは、幼い子供には言ってもいいか知れないが、ある程度成長すれば、自分の能力について知らしめる必要は当然あると思う。
「身の程を知る」というわけだ。
田中慎弥みたいに、働きもしないで、自分のやりたい道を突き進んで、それが成功することなど滅多にない。
今でも、プー太郎のくせに「オレは、いつかビッグになってやるぜ」とかほざくアホがたくさんいるとか。
「ゆとり教育」なんかやるから、こんなバカが増産されてしまう。
バカに対しては「お前はバカなんだよ」と教えてやらないといけない。
本人が将来困るのはもちろんだけど、働かなくて税金を払わないとか、結果的に国全体が困ることになる、ということがなぜわからないんだろう。
それにしても、純文学などという高尚なものを読まなくなってから久しいので、芥川賞作家なんて、ほとんど知らない。
今朝の3人のうちの一人に「藤沢周」という人がいたので、「おっ、あの人も受賞していたのか」と思ったのだが・・・
後で調べてみると、あの「藤沢周平」ではなかった。
中年のおっさんだったので、「へえ、あの人って、そんなに若かったっけ?」と思ったのだけど、よくよく考えてみれば、藤沢周平はすでに亡くなっている。
赤川次郎氏の場合「結末を考えないで書き始める人」だといわれていますし、奥さんにケツを叩かれながら書いている、とも言われていますが、それであんなに書けるのですから、やはり「才能」以外の何ものでもないと思います。
まあ、面白いかどうかはともかく、という部分その通りだと思いますが・・・