昨日は、朝日新聞の阪神支局が暴漢に襲われて2名の記者が亡くなった事件から、25周年だったらしい。
これに対して、天声人語がトンデもないコラムを書いていた。
おそらく、朝日新聞のほとんどの社員は、こういう意識なんだろう、というコラムで、ゼヒ後世のために残しておきたいので、前文引用する。
<5月3日の天声人語>
小欄には多くのご意見をいただく。不完全な人間が限りある時間と紙幅で書く話だけに、どんなご指摘もありがたい。匿名の声ほど言葉は荒いが、いかに一方的でも、言論による訴えは歓迎だ▼朝日新聞阪神支局が散弾銃で襲われ、記者2人が問答無用で殺傷されて25年になる。脅迫文に「われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言いわたす」とあった。いきなり戦場に引き出された思いで、負けられぬと誓ったものだ▼同世代の小尻知博記者(享年29)とは家族の年齢もほぼ重なる。父上は昨夏、83歳で旅立った。妻裕子さん(52)はピアノ教師を続け、娘の美樹さん(27)はテレビ局で働く。かたや目出し帽の男は生死も不明、数ある未解決事件の中でも見たい顔の一つだ▼一連の襲撃で彼らが目の敵にしたのは、本紙の論調だった。この国の風土や文化を愛し、歴史のほとんどを誇り、日本語を相棒とする新聞が「反日」のはずもないのだが、ともあれ言論へのテロである▼この四半世紀、インターネットの登場で、表現の自由をめぐる環境は一変した。65歳の憲法21条に守られ、自由を謳歌(おうか)するネット世界。そこで言論テロといえば、大手メディアによる言論「圧殺」も指すらしい。新聞やテレビはすっかり敵役だ▼大手だろうが個人だろうが、異論を許さぬ言説は何も生まない。社会を貧しくする、言葉の浪費である。誰もが発信できる言論空間を守り育てるためにも、形を変えて横行する「覆面の暴力」に用心したい。
それにしても・・・
これは相当ヒドい。
ピントがずれまくっている。
まず、犯人の脅迫文に対して、『いきなり戦場に引き出された思いで、負けられぬと誓ったものだ』とは、どういう意味か。
仕事場は、ある意味「戦場」であり、それでなくても、朝日新聞などのせいで、日本全体がシナやチョウセンからの攻撃に晒されている現状で、何を今さらという気がする。
それはいいとしても、「負けられぬと誓った」とは、どうするつもりなのだろうか。
暴論を承知で、誤解を恐れずに言えば、犯人が行ったことは、法的に許されないこととは言え、多くの人たちが「朝日新聞の人間なんか、みんな死んでしまえ!」と思っているはず。
亡くなったのが、下っ端(?)の記者だったので、朝日新聞もしら~っと「被害者面」をしているが、これが社長だったり、「竹島をあの国に譲ったらどうか」とほざいた若宮啓文、シナの走狗である早野透や加藤千洋などであったら、世間の反応はどうだっただろうか。
大半は「ざまあみろ」だったはずだ。
つまり、非難されているのは「無差別」だったからであって、朝日新聞に対する「殺意」は、ある意味多くの人が持っている。
だいたい、この事件に対して、犯罪に裁きを下すのは当たり前としても、そもそも「なぜ襲われたのか」という反省が、朝日新聞にはまったくない。
その証拠が、少し後の文章である。
『この国の風土や文化を愛し、歴史のほとんどを誇り、日本語を相棒とする新聞が「反日」のはずもないのだが』
ここは、笑うところなのか?
それとも、日本人に対して挑発しているのか?
この国の文化を破壊しようとし、歴史を捏造し、ただ日本語で書いてある、というだけの「反日」新聞が、ここまで人をバカにしたことが書けるものだと思う。
ただ、日本語が単なる「相棒」というのは、まるであの国の芸能人みたいな感覚なんだろうな、とも思う。
その後の文章も、もう「反吐が出る」としか言いようがない。
『そこで言論テロといえば、大手メディアによる言論「圧殺」も指すらしい』と言うが、誰も朝日新聞が「言論を圧殺している」とは言っていない。
事実を捻じ曲げて報道して世論を動かそうとするメディアそのものが「害悪だ」と言っているのである。
むしろ、大手メディアの方が、ネットの中の正論を圧殺しようとしているではないか。
『異論を許さぬ言説は何も生まない』は一見正論だが、朝日新聞が言うと、皮肉にもなっていない。
久しぶりに胸糞の悪くなるコラムだ。
いずれにしても・・・
朝日新聞が、ずっとこんな意識でいるとしたら、やはり改善(改心)する可能性などない。
やはり、潰すしかないと思う。
<ご参考>
http://habutemushi.cocolog-nifty.com/blog/
これに対して、天声人語がトンデもないコラムを書いていた。
おそらく、朝日新聞のほとんどの社員は、こういう意識なんだろう、というコラムで、ゼヒ後世のために残しておきたいので、前文引用する。
<5月3日の天声人語>
小欄には多くのご意見をいただく。不完全な人間が限りある時間と紙幅で書く話だけに、どんなご指摘もありがたい。匿名の声ほど言葉は荒いが、いかに一方的でも、言論による訴えは歓迎だ▼朝日新聞阪神支局が散弾銃で襲われ、記者2人が問答無用で殺傷されて25年になる。脅迫文に「われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言いわたす」とあった。いきなり戦場に引き出された思いで、負けられぬと誓ったものだ▼同世代の小尻知博記者(享年29)とは家族の年齢もほぼ重なる。父上は昨夏、83歳で旅立った。妻裕子さん(52)はピアノ教師を続け、娘の美樹さん(27)はテレビ局で働く。かたや目出し帽の男は生死も不明、数ある未解決事件の中でも見たい顔の一つだ▼一連の襲撃で彼らが目の敵にしたのは、本紙の論調だった。この国の風土や文化を愛し、歴史のほとんどを誇り、日本語を相棒とする新聞が「反日」のはずもないのだが、ともあれ言論へのテロである▼この四半世紀、インターネットの登場で、表現の自由をめぐる環境は一変した。65歳の憲法21条に守られ、自由を謳歌(おうか)するネット世界。そこで言論テロといえば、大手メディアによる言論「圧殺」も指すらしい。新聞やテレビはすっかり敵役だ▼大手だろうが個人だろうが、異論を許さぬ言説は何も生まない。社会を貧しくする、言葉の浪費である。誰もが発信できる言論空間を守り育てるためにも、形を変えて横行する「覆面の暴力」に用心したい。
それにしても・・・
これは相当ヒドい。
ピントがずれまくっている。
まず、犯人の脅迫文に対して、『いきなり戦場に引き出された思いで、負けられぬと誓ったものだ』とは、どういう意味か。
仕事場は、ある意味「戦場」であり、それでなくても、朝日新聞などのせいで、日本全体がシナやチョウセンからの攻撃に晒されている現状で、何を今さらという気がする。
それはいいとしても、「負けられぬと誓った」とは、どうするつもりなのだろうか。
暴論を承知で、誤解を恐れずに言えば、犯人が行ったことは、法的に許されないこととは言え、多くの人たちが「朝日新聞の人間なんか、みんな死んでしまえ!」と思っているはず。
亡くなったのが、下っ端(?)の記者だったので、朝日新聞もしら~っと「被害者面」をしているが、これが社長だったり、「竹島をあの国に譲ったらどうか」とほざいた若宮啓文、シナの走狗である早野透や加藤千洋などであったら、世間の反応はどうだっただろうか。
大半は「ざまあみろ」だったはずだ。
つまり、非難されているのは「無差別」だったからであって、朝日新聞に対する「殺意」は、ある意味多くの人が持っている。
だいたい、この事件に対して、犯罪に裁きを下すのは当たり前としても、そもそも「なぜ襲われたのか」という反省が、朝日新聞にはまったくない。
その証拠が、少し後の文章である。
『この国の風土や文化を愛し、歴史のほとんどを誇り、日本語を相棒とする新聞が「反日」のはずもないのだが』
ここは、笑うところなのか?
それとも、日本人に対して挑発しているのか?
この国の文化を破壊しようとし、歴史を捏造し、ただ日本語で書いてある、というだけの「反日」新聞が、ここまで人をバカにしたことが書けるものだと思う。
ただ、日本語が単なる「相棒」というのは、まるであの国の芸能人みたいな感覚なんだろうな、とも思う。
その後の文章も、もう「反吐が出る」としか言いようがない。
『そこで言論テロといえば、大手メディアによる言論「圧殺」も指すらしい』と言うが、誰も朝日新聞が「言論を圧殺している」とは言っていない。
事実を捻じ曲げて報道して世論を動かそうとするメディアそのものが「害悪だ」と言っているのである。
むしろ、大手メディアの方が、ネットの中の正論を圧殺しようとしているではないか。
『異論を許さぬ言説は何も生まない』は一見正論だが、朝日新聞が言うと、皮肉にもなっていない。
久しぶりに胸糞の悪くなるコラムだ。
いずれにしても・・・
朝日新聞が、ずっとこんな意識でいるとしたら、やはり改善(改心)する可能性などない。
やはり、潰すしかないと思う。
<ご参考>
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