今回は「ゴジラ -1.0」です。
日本が生んだ特撮怪獣映画の金字塔「ゴジラ」の生誕70周年記念作品で、日本で製作された実写のゴジラ映画としては通算30作目。「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズをはじめ「永遠の0」「寄生獣」など数々の話題作を生み出してきたヒットメーカーの山崎貴が監督・脚本・VFXを手がけた。
主演を神木隆之介、ヒロイン役を浜辺美波が務め、そのほか山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、 佐々木蔵之介と実力派豪華キャストが共演。
主演:神木隆之介
共演:浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介など
<ストーリー>
舞台は戦後の日本。戦争によって焦土と化し、なにもかもを失い文字通り「無(ゼロ)」になったこの国に、追い打ちをかけるように突如ゴジラが出現する。ゴジラはその圧倒的な力で日本を「負(マイナス)」へと叩き落とす。戦争を生き延びた名もなき人々は、ゴジラに対して生きて抗う術を探っていく。
もう何作目か数えてはいないがゴジラ映画である。
「シン・ゴジラ」は、あまり期待していなかった分、結構楽しめたのだけど、今作も実は期待はしていなかった。
何せ予告編で、主役の神木隆之介演じる敷島がゴジラを見て「・・・許してはくれない」と言うシーンを見て、「はあ? 何を許すというの? もしかして日本が太平洋戦争に突入し、結果的に原爆を落とされたことを指しているのか?」と勝手に思っていたからだ。
つまり「日本は戦争を起こした許せない国」という意味でそういうセリフを吐かせたのかと思っていたので、見る前からイチャモンをつける気まんまんだったわけである。
ところが、内容はまったく違った。
結論から言うと、危うく感動しそう(?)になったほどだった。
ゴジラの描写自体は可もなく不可もなくで、ちょっと短気(?)な面はあるものの、特に違和感はなかった。
そのゴジラを、敗戦直後の日本がいったいどうやって退治するのか、というのが見せ所だと思うのだが、そこをうまくまとめていたと思う。
ネットでは「米海軍の戦艦もゴジラにやられていたのに、米軍が出てこないのはおかしい」という批判もあったが、そのあたりは「ソ連との関係で、迂闊に戦闘行為ができない」と一応の理由付けもしていたので、この人は映画をちゃんと見たのか?と言いたくなる。
また、極端な例では「あまりにつまらなかったので、途中で退場した」とかいうヤツもいたが、いくらつまんない映画でも、わざわざ映画を見にいっているのに、途中で退場する人なんてほぼいないと思うので、こういうコメントを残すヤツの神経がよくわからない。
まあ、そういうのはいいとしても、内容としては、対ゴジラを描くというよりは、神木隆之介と浜辺美波の関係を描くことが主眼のようだった面もあり、迫力のあるバトルを期待していた人には、ちょっと物足りなかったかも知れない。
ただ、設備も装備もほとんどない中で、いかにゴジラに対峙していくか、というところは、意外にもちゃんと考えていたと思う。
理系オタクにとっては安易に感じるかも知れないが、いちおうの説明がついていれば、科学的な理屈についてあまりツッコんでも意味がないと思う。
そんな中、主人公敷島が自分の戦争を終わらせるためにやったこと、敷島に恨みを持つ青木崇高演じる橘が、最後に敷島に言ったこと等々、人間ドラマとしてもうまくまとめていたように思います。
そんなこんなで、結構ベタな展開だったとは言え、面白く見ることができました。
ベタなシーンというのは・・・
① 終盤に4隻の巡洋艦?でゴジラを翻弄しようとして失敗しそうになった時、突如山田裕貴率いる応援部隊が大挙して登場するシーンは、「スターウォーズ」の最終話でもあったけど、それまで誰も気が付かないのか?
② 典子が実は・・・というのも、あまりにもベタすぎて、思わず涙が出そうになりました!?
などです。
ただ、敗戦直後の日本(とは言っても、ほぼ東京)を描いているので、タイトルにある「-1.0」はあまりセンスがあるとは思えない。
また、主人公の敷島は、実は特攻隊員で、最後の特攻を命じられたものの、怖くなって途中にある整備用の飛行場に逃げてしまう。
そこにゴジラを現れるのだが、当然銃で対処できるわけもなく、敷島は整備兵である橘から飛行機に装備されている20mm砲で撃退することを依頼されるが、これまた怖くなって逃げ出してしまう。
結果的に島にいる整備兵が一人を残して全員殺されてしまうのだが、敷島とともに唯一生き残った橘は、「敷島のせいだ」とずっと思っており、一方の敷島は「自分のせいで全員殺された」と思っている。
でも、たかが20mm砲で対処できるわけもないので、橘の方はいわば筋違いの恨みなのだが、問題は敷島の方である。
敷島が「悪いと思っている」相手は、映画では島の整備兵ということになっているが、それ以前にこいつは特攻を命じられたにもかかわらず、一人逃げたわけだから、同じ境遇で死んでいった仲間たちには、何とも思わなかったのだろうか。
しかも、その後の敷島は、ある時は急に強気になったり、ある時は逃げ腰になったり、とにかく態度がはっきりしないので、実はあまり感情移入ができなかった。
細かい部分でも、ツッコミどころがいくつか。
敷島が戦地から帰還した時、最初敷島の実家はたぶん跡形もなく吹き飛んでいたように思えたが、次のシーンでは、敷島だけでなく浜辺美波演じる典子もちゃんと寝泊りできるような部屋が残っていた!?
隣の安藤サクラ家もそうだけど、敗戦後で物資のない中、あんな短期間で家って修復できるものかね。
さらに、その後機雷の除去という危険な仕事を請け負うことにより、ある程度のお金を貯めることができるのだが、次のシーンでは敷島の家だけが、異様なほど新築感バリバリだったので、かなり違和感があった。
敷島がその典子と出会うシーンもちょっと違和感があった。
典子は、確か官憲か何かに追われていたのだが、逃げてきた典子を敷島は通せんぼするように行く手を遮ったのはなぜ?
捕まえるつもりだったのなら、わざわざ赤ん坊を受け取るのも変。
こういうところも、もしかして優柔不断なの?
その後典子も銀座で働くようになったのだが、ゴジラが出現し、まさにその銀座に向かっているという時に、典子も銀座にいたのだが、政府は何の警報も発しなかったのか?
そして、典子たちが乗った電車がゴジラに襲われ、なぜか典子だけが電車にしがみつきながらもギリギリ生き残る。
ちょっとやり過ぎだろう。
そして、池に飛び込んで何とか助かったものの、呆然として歩いていた典子は、あんな広い地域なのになぜか敷島と奇跡的に再会する。
しかし、ゴジラは依然として暴れ回っているので、人々は逃げまわっているのだが、戦車軍団が登場し、ゴジラに砲撃を加えた瞬間、なぜか人々は立ち止まってこの光景を見ていた。
みんなアホなのか?
ゴジラが退治されるかどうかには関係なく、砲弾が飛び交っているのだから、かなり危険な状況だろうに、この人たちは「これで助かった!」とか思ったのだろうか。
余談だけど、この逃げ惑う群衆の中に、あの名優・橋爪功がいたような気がしたのだが、気のせいか?
そして、典子がゴジラのせいで吹き飛ばされてしまうシーンも、ちょっと変だった。
典子は敷島をビルの谷間に突き飛ばして、敷島だけを助けようとしたのだろうが、別に自動車に轢かれそうになった子供を母親が自らを犠牲にして助けた、というような状況ではない。
単に、典子が敷島に覆いかぶさるようにしてビルの谷間に一緒に倒れ込めばいいだけ。
もちろん、典子を亡き者にする(?)ためのシーンなんだろうが、ここも違和感があった。
さらに、政府が頼りにならないので民間人だけでゴジラを退治しようとなった時に、集められた元軍人たちの前で、招集側である元幹部や吉岡秀隆演じる野田が作戦について説明した後、元軍人の一人が「私には家族がある。そんな危険な業務につくつもりはない」と言うシーンがある。
これに対して、元幹部は「これは命令ではない。強制するわけにはいかない」と言い、これにより何人かが退出する。
こういうのって、最初に言わないか?
「これから説明することは危険が伴うことであり、命の保証はない。強制ではないので、参加する意思のある者だけ残ってほしい」と言ってから説明するのが普通だと思うのだが・・・
だいたい、呼ばれた方は一体何の話だと思ったんだろう。
それでなくても、ゴジラ対策なのだから、危険を伴わないわけがない。
しかも、説明の途中でざわざわと実にうるさい。
説明を最後まで聞いてから質問しろよ。
説明に文句を言い、その後わさわさと出ていく元軍人たちを見て、ちょっと情けなく感じたのは私だけだろうか。
・・・ということなどが挙げられるが、全体としてはまずまずだったと思います。
その他の登場人物も、普段はヘタくそ!としか思わない吉岡秀隆も、過剰演技が目立つ佐々木蔵之介も、なかなか存在感があってよかったです。
ということで、あまり期待していなかったことはありますが、結構楽しめたので、評価は「B」にします。
日本が生んだ特撮怪獣映画の金字塔「ゴジラ」の生誕70周年記念作品で、日本で製作された実写のゴジラ映画としては通算30作目。「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズをはじめ「永遠の0」「寄生獣」など数々の話題作を生み出してきたヒットメーカーの山崎貴が監督・脚本・VFXを手がけた。
主演を神木隆之介、ヒロイン役を浜辺美波が務め、そのほか山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、 佐々木蔵之介と実力派豪華キャストが共演。
主演:神木隆之介
共演:浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介など
<ストーリー>
舞台は戦後の日本。戦争によって焦土と化し、なにもかもを失い文字通り「無(ゼロ)」になったこの国に、追い打ちをかけるように突如ゴジラが出現する。ゴジラはその圧倒的な力で日本を「負(マイナス)」へと叩き落とす。戦争を生き延びた名もなき人々は、ゴジラに対して生きて抗う術を探っていく。
もう何作目か数えてはいないがゴジラ映画である。
「シン・ゴジラ」は、あまり期待していなかった分、結構楽しめたのだけど、今作も実は期待はしていなかった。
何せ予告編で、主役の神木隆之介演じる敷島がゴジラを見て「・・・許してはくれない」と言うシーンを見て、「はあ? 何を許すというの? もしかして日本が太平洋戦争に突入し、結果的に原爆を落とされたことを指しているのか?」と勝手に思っていたからだ。
つまり「日本は戦争を起こした許せない国」という意味でそういうセリフを吐かせたのかと思っていたので、見る前からイチャモンをつける気まんまんだったわけである。
ところが、内容はまったく違った。
結論から言うと、危うく感動しそう(?)になったほどだった。
ゴジラの描写自体は可もなく不可もなくで、ちょっと短気(?)な面はあるものの、特に違和感はなかった。
そのゴジラを、敗戦直後の日本がいったいどうやって退治するのか、というのが見せ所だと思うのだが、そこをうまくまとめていたと思う。
ネットでは「米海軍の戦艦もゴジラにやられていたのに、米軍が出てこないのはおかしい」という批判もあったが、そのあたりは「ソ連との関係で、迂闊に戦闘行為ができない」と一応の理由付けもしていたので、この人は映画をちゃんと見たのか?と言いたくなる。
また、極端な例では「あまりにつまらなかったので、途中で退場した」とかいうヤツもいたが、いくらつまんない映画でも、わざわざ映画を見にいっているのに、途中で退場する人なんてほぼいないと思うので、こういうコメントを残すヤツの神経がよくわからない。
まあ、そういうのはいいとしても、内容としては、対ゴジラを描くというよりは、神木隆之介と浜辺美波の関係を描くことが主眼のようだった面もあり、迫力のあるバトルを期待していた人には、ちょっと物足りなかったかも知れない。
ただ、設備も装備もほとんどない中で、いかにゴジラに対峙していくか、というところは、意外にもちゃんと考えていたと思う。
理系オタクにとっては安易に感じるかも知れないが、いちおうの説明がついていれば、科学的な理屈についてあまりツッコんでも意味がないと思う。
そんな中、主人公敷島が自分の戦争を終わらせるためにやったこと、敷島に恨みを持つ青木崇高演じる橘が、最後に敷島に言ったこと等々、人間ドラマとしてもうまくまとめていたように思います。
そんなこんなで、結構ベタな展開だったとは言え、面白く見ることができました。
ベタなシーンというのは・・・
① 終盤に4隻の巡洋艦?でゴジラを翻弄しようとして失敗しそうになった時、突如山田裕貴率いる応援部隊が大挙して登場するシーンは、「スターウォーズ」の最終話でもあったけど、それまで誰も気が付かないのか?
② 典子が実は・・・というのも、あまりにもベタすぎて、思わず涙が出そうになりました!?
などです。
ただ、敗戦直後の日本(とは言っても、ほぼ東京)を描いているので、タイトルにある「-1.0」はあまりセンスがあるとは思えない。
また、主人公の敷島は、実は特攻隊員で、最後の特攻を命じられたものの、怖くなって途中にある整備用の飛行場に逃げてしまう。
そこにゴジラを現れるのだが、当然銃で対処できるわけもなく、敷島は整備兵である橘から飛行機に装備されている20mm砲で撃退することを依頼されるが、これまた怖くなって逃げ出してしまう。
結果的に島にいる整備兵が一人を残して全員殺されてしまうのだが、敷島とともに唯一生き残った橘は、「敷島のせいだ」とずっと思っており、一方の敷島は「自分のせいで全員殺された」と思っている。
でも、たかが20mm砲で対処できるわけもないので、橘の方はいわば筋違いの恨みなのだが、問題は敷島の方である。
敷島が「悪いと思っている」相手は、映画では島の整備兵ということになっているが、それ以前にこいつは特攻を命じられたにもかかわらず、一人逃げたわけだから、同じ境遇で死んでいった仲間たちには、何とも思わなかったのだろうか。
しかも、その後の敷島は、ある時は急に強気になったり、ある時は逃げ腰になったり、とにかく態度がはっきりしないので、実はあまり感情移入ができなかった。
細かい部分でも、ツッコミどころがいくつか。
敷島が戦地から帰還した時、最初敷島の実家はたぶん跡形もなく吹き飛んでいたように思えたが、次のシーンでは、敷島だけでなく浜辺美波演じる典子もちゃんと寝泊りできるような部屋が残っていた!?
隣の安藤サクラ家もそうだけど、敗戦後で物資のない中、あんな短期間で家って修復できるものかね。
さらに、その後機雷の除去という危険な仕事を請け負うことにより、ある程度のお金を貯めることができるのだが、次のシーンでは敷島の家だけが、異様なほど新築感バリバリだったので、かなり違和感があった。
敷島がその典子と出会うシーンもちょっと違和感があった。
典子は、確か官憲か何かに追われていたのだが、逃げてきた典子を敷島は通せんぼするように行く手を遮ったのはなぜ?
捕まえるつもりだったのなら、わざわざ赤ん坊を受け取るのも変。
こういうところも、もしかして優柔不断なの?
その後典子も銀座で働くようになったのだが、ゴジラが出現し、まさにその銀座に向かっているという時に、典子も銀座にいたのだが、政府は何の警報も発しなかったのか?
そして、典子たちが乗った電車がゴジラに襲われ、なぜか典子だけが電車にしがみつきながらもギリギリ生き残る。
ちょっとやり過ぎだろう。
そして、池に飛び込んで何とか助かったものの、呆然として歩いていた典子は、あんな広い地域なのになぜか敷島と奇跡的に再会する。
しかし、ゴジラは依然として暴れ回っているので、人々は逃げまわっているのだが、戦車軍団が登場し、ゴジラに砲撃を加えた瞬間、なぜか人々は立ち止まってこの光景を見ていた。
みんなアホなのか?
ゴジラが退治されるかどうかには関係なく、砲弾が飛び交っているのだから、かなり危険な状況だろうに、この人たちは「これで助かった!」とか思ったのだろうか。
余談だけど、この逃げ惑う群衆の中に、あの名優・橋爪功がいたような気がしたのだが、気のせいか?
そして、典子がゴジラのせいで吹き飛ばされてしまうシーンも、ちょっと変だった。
典子は敷島をビルの谷間に突き飛ばして、敷島だけを助けようとしたのだろうが、別に自動車に轢かれそうになった子供を母親が自らを犠牲にして助けた、というような状況ではない。
単に、典子が敷島に覆いかぶさるようにしてビルの谷間に一緒に倒れ込めばいいだけ。
もちろん、典子を亡き者にする(?)ためのシーンなんだろうが、ここも違和感があった。
さらに、政府が頼りにならないので民間人だけでゴジラを退治しようとなった時に、集められた元軍人たちの前で、招集側である元幹部や吉岡秀隆演じる野田が作戦について説明した後、元軍人の一人が「私には家族がある。そんな危険な業務につくつもりはない」と言うシーンがある。
これに対して、元幹部は「これは命令ではない。強制するわけにはいかない」と言い、これにより何人かが退出する。
こういうのって、最初に言わないか?
「これから説明することは危険が伴うことであり、命の保証はない。強制ではないので、参加する意思のある者だけ残ってほしい」と言ってから説明するのが普通だと思うのだが・・・
だいたい、呼ばれた方は一体何の話だと思ったんだろう。
それでなくても、ゴジラ対策なのだから、危険を伴わないわけがない。
しかも、説明の途中でざわざわと実にうるさい。
説明を最後まで聞いてから質問しろよ。
説明に文句を言い、その後わさわさと出ていく元軍人たちを見て、ちょっと情けなく感じたのは私だけだろうか。
・・・ということなどが挙げられるが、全体としてはまずまずだったと思います。
その他の登場人物も、普段はヘタくそ!としか思わない吉岡秀隆も、過剰演技が目立つ佐々木蔵之介も、なかなか存在感があってよかったです。
ということで、あまり期待していなかったことはありますが、結構楽しめたので、評価は「B」にします。
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