本棚の整理をしていて、ふと「ナンシー関の棚」に目がいき、「すっとこ人名辞典」という消しゴム版画に一言コメントを添えた作品集を見て驚いた。
森光子の項目だけど、ここにはこう書いてあった。
『「恋人」と呼ぶ東山紀之、「お姉ちゃんみたい」と呼ぶ滝沢秀明、どっちにしろ将来ジャニーズを束ねるのは、この二人のどちらかだろう』
これって、スゴくない?
2001年の作品なので、19年も前のものだし、この時滝沢秀明はまだ19歳だ。
にもかかわらず、こう予想していたナンシー関って・・・
亡くなったのが2002年ということなので、もう20年近くたつ。
彼女の書籍も、30冊前後あるが、たぶん出るたびに購入していたはずだ。
もちろん、亡くなった後に「総集編」みたいな形で出版された本は買っていないが・・・
彼女の残した言葉で有名(?)なものと言えば、ヤワラちゃん(田村亮子)に対する「10年後には、きっと国会議員になっていると思う」というやつだろう。
これは、1995年の言葉であるが、実際に田村(谷)亮子は2010年に国会議員になっている。
その前提となっていた出来事は何かと言うと、彼女が柔道で「前人未到」の記録(何の記録かは忘れた!)を打ち立てた時に、自分で「前人未到の記録」などと発言したことである。
これ以外にも、「偉業」と言ってみたり、普通は他人から言われるような形容詞を自ら発する、というある意味「脳みそ筋肉」の女だったわけである。
いろいろと「あら、それを自分で言うかね」という発言をしているヤワラちゃんだけど、彼女には「悪意」も「善意」もないと思う。
「私は皆から尊敬されている人間です」と思っているわけではないだろうが、そのように取れる発言を平気でしてしまう。
言葉の意味なんかほとんどわかっちゃいないのだと思う。
こういうのを受けてナンシー関が先の言葉を言ったわけであるが、つまり「この女(ヤワラちゃん)は、人から褒められても、すべてそのまま受け入れてしまうので、何も考えずに選挙に出てしまうのではなかろうか」と考えたのだと思う。
実際「神輿は軽くてパーがいい」と考えている小沢一郎に乗せられて、ナンシー関の言う通りとなったわけだ。
もちろん、何も考えていないので、政治家としての実績など皆無に等しい。
そりゃあ、そうだろう。
小沢一郎の言う通りの発言や行動しかしていないのだから。
その小沢一郎から「こいつはやっぱり使い物にならない」と思われた途端、メディアからも相手にされなくなってしまった。
このようにナンシー関は、芸能界・スポーツ界に出てくる人について、実に冷静に見ていて、私たちが思っていることをわかりやすく、かつ淡々と書き綴ってきた。
ヤワラちゃんなどの例も「慧眼だ」と言う人が結構いるが、そうではなくて、みんな思っていてもなかなか言えない(特に、その業界自体に所属している人たちは)ことを淡々と述べているだけなのだ。
さて、ナンシー関の名言(というか、「よくぞ言った」という言葉)は他にもある。
その一つが、和田アキコに関するものだろう。
和田アキコは、「ゴッドねえちゃん」だとか言われて、芸能界のご意見番のような立ち位置でコメントすることが多いが、意外と「何も知らない」ということを言っていた。
何となくそう思っていただけに、「なるほど!」と思ったことがある。
要は、まわりの取り巻き芸人から「アッコさん、アッコさん、こんなことがありましたよ」とかその都度報告が上がってくるだけで、本人が何か思っていることとか考えていることなどほとんどない。
でも「アッコさん、何か言ってやってくださいよ」とかコメントを求められるので、適当に噛みついてみた、という感じしかしていなかったからだ。
「何も知らないのに、まるで知っていたかのような立ち位置でコメントをする」のが和田アキコなら、その逆ともいえるのが黒柳徹子だろうか。
この黒柳徹子についても、次のように書いていた。
『誰かが死ぬと、必ず在りし日の姿を偲んで流されるのが「徹子の部屋」である。死にも通用する正統派トーク番組のホステスとして黒柳徹子は適しているのだろうか。「徹子の部屋」の黒柳徹子は愚鈍だ』
この最後の言葉であるが、黒柳徹子は決して愚鈍ではない。
むしろ頭のいい人だと思う。
にもかかわらず、「徹子の部屋」では、何だか愚鈍な役を演じているような気がする。
有名なのが、若手・中堅芸人に対する「無茶ぶり」だろう。
「あなた、〇〇というギャグが受けてらっしゃるんですって?」とか言いながら、前後の脈略なんか関係なく無理やりやらせる。
これは、ある意味黒柳徹子の「善意」だと思う。
ホントは、その日に登場するゲストのことをよく調べていて、だからこそ「今、〇〇でブレイク中」ということも知っていて、それをどのようにやらせるかを考えて・・・というのでは疲れるので、いきなりぶっ込む。
彼女が「実は頭がいい」と思った理由は、「世界ふしぎ発見!」での彼女の正答率の高さだ。
一時「あれって、事前に答えを教えてるんじゃないの?」と言われていたが、これを真っ向から(?)否定したのが、司会をしている草野仁だった。
かなり昔のことだけど、会社が主催した講演会に草野仁が招かれた時に、彼が誰に質問されたわけでもないのに、いきなり自分からこの話を始めたのを覚えている。
そして「決して答えを教えてはいません。ただ、事前にその日のテーマはお知らせしています」と彼は言っていた。
「なるほど、そういうことか」と当時は思ったものである。
もちろん、いい意味ではない。
別に「やらせ」をしているとは思わないが、事前に知らせるテーマの中に例えば「次回はエジプトのピラミッドについて問題を出します」というのがあったとして、そのピラミッドについて書かれた資料かなんかを事前に渡して、それを黒柳徹子が一生懸命に覚えたとしたら・・・
問題が出るのは、その資料の中に書いてあることなので、ちゃんと覚えていれば答えられるし、覚えていなければ間違える。
黒柳徹子は、勉強熱心なので、事前に渡されたものには必ず目を通している。
簡単なことだ、と思ったわけだ。
現在、それをやっているのが「東大王」における山下真司だ・・・と勝手に思っている。
何だか長くなったので、最後に一つだけ。
笑福亭鶴瓶に関するものだ。
『笑わせることが下手。ものすごく単純な欠点であるが、単純なだけに「まさか」と思う心が、「鶴瓶はおもしろくない」という判断を先送りしている原因ではないだろうか』
鶴瓶を面白いと思ったことがほぼないのだけど、それをこのように表現していたことに驚く。
確かに、彼は人を笑わせるのではなく、むしろ笑われる側だ。
気の利いたことを言うわけでもなく、その都度ツッコミをされるが、うまい返しをすることもない。
何で、こういうおっさんが芸能界で重鎮みたいな立ち位置にいるのか不思議だ。
以上、ナンシー関の思い出でした。
森光子の項目だけど、ここにはこう書いてあった。
『「恋人」と呼ぶ東山紀之、「お姉ちゃんみたい」と呼ぶ滝沢秀明、どっちにしろ将来ジャニーズを束ねるのは、この二人のどちらかだろう』
これって、スゴくない?
2001年の作品なので、19年も前のものだし、この時滝沢秀明はまだ19歳だ。
にもかかわらず、こう予想していたナンシー関って・・・
亡くなったのが2002年ということなので、もう20年近くたつ。
彼女の書籍も、30冊前後あるが、たぶん出るたびに購入していたはずだ。
もちろん、亡くなった後に「総集編」みたいな形で出版された本は買っていないが・・・
彼女の残した言葉で有名(?)なものと言えば、ヤワラちゃん(田村亮子)に対する「10年後には、きっと国会議員になっていると思う」というやつだろう。
これは、1995年の言葉であるが、実際に田村(谷)亮子は2010年に国会議員になっている。
その前提となっていた出来事は何かと言うと、彼女が柔道で「前人未到」の記録(何の記録かは忘れた!)を打ち立てた時に、自分で「前人未到の記録」などと発言したことである。
これ以外にも、「偉業」と言ってみたり、普通は他人から言われるような形容詞を自ら発する、というある意味「脳みそ筋肉」の女だったわけである。
いろいろと「あら、それを自分で言うかね」という発言をしているヤワラちゃんだけど、彼女には「悪意」も「善意」もないと思う。
「私は皆から尊敬されている人間です」と思っているわけではないだろうが、そのように取れる発言を平気でしてしまう。
言葉の意味なんかほとんどわかっちゃいないのだと思う。
こういうのを受けてナンシー関が先の言葉を言ったわけであるが、つまり「この女(ヤワラちゃん)は、人から褒められても、すべてそのまま受け入れてしまうので、何も考えずに選挙に出てしまうのではなかろうか」と考えたのだと思う。
実際「神輿は軽くてパーがいい」と考えている小沢一郎に乗せられて、ナンシー関の言う通りとなったわけだ。
もちろん、何も考えていないので、政治家としての実績など皆無に等しい。
そりゃあ、そうだろう。
小沢一郎の言う通りの発言や行動しかしていないのだから。
その小沢一郎から「こいつはやっぱり使い物にならない」と思われた途端、メディアからも相手にされなくなってしまった。
このようにナンシー関は、芸能界・スポーツ界に出てくる人について、実に冷静に見ていて、私たちが思っていることをわかりやすく、かつ淡々と書き綴ってきた。
ヤワラちゃんなどの例も「慧眼だ」と言う人が結構いるが、そうではなくて、みんな思っていてもなかなか言えない(特に、その業界自体に所属している人たちは)ことを淡々と述べているだけなのだ。
さて、ナンシー関の名言(というか、「よくぞ言った」という言葉)は他にもある。
その一つが、和田アキコに関するものだろう。
和田アキコは、「ゴッドねえちゃん」だとか言われて、芸能界のご意見番のような立ち位置でコメントすることが多いが、意外と「何も知らない」ということを言っていた。
何となくそう思っていただけに、「なるほど!」と思ったことがある。
要は、まわりの取り巻き芸人から「アッコさん、アッコさん、こんなことがありましたよ」とかその都度報告が上がってくるだけで、本人が何か思っていることとか考えていることなどほとんどない。
でも「アッコさん、何か言ってやってくださいよ」とかコメントを求められるので、適当に噛みついてみた、という感じしかしていなかったからだ。
「何も知らないのに、まるで知っていたかのような立ち位置でコメントをする」のが和田アキコなら、その逆ともいえるのが黒柳徹子だろうか。
この黒柳徹子についても、次のように書いていた。
『誰かが死ぬと、必ず在りし日の姿を偲んで流されるのが「徹子の部屋」である。死にも通用する正統派トーク番組のホステスとして黒柳徹子は適しているのだろうか。「徹子の部屋」の黒柳徹子は愚鈍だ』
この最後の言葉であるが、黒柳徹子は決して愚鈍ではない。
むしろ頭のいい人だと思う。
にもかかわらず、「徹子の部屋」では、何だか愚鈍な役を演じているような気がする。
有名なのが、若手・中堅芸人に対する「無茶ぶり」だろう。
「あなた、〇〇というギャグが受けてらっしゃるんですって?」とか言いながら、前後の脈略なんか関係なく無理やりやらせる。
これは、ある意味黒柳徹子の「善意」だと思う。
ホントは、その日に登場するゲストのことをよく調べていて、だからこそ「今、〇〇でブレイク中」ということも知っていて、それをどのようにやらせるかを考えて・・・というのでは疲れるので、いきなりぶっ込む。
彼女が「実は頭がいい」と思った理由は、「世界ふしぎ発見!」での彼女の正答率の高さだ。
一時「あれって、事前に答えを教えてるんじゃないの?」と言われていたが、これを真っ向から(?)否定したのが、司会をしている草野仁だった。
かなり昔のことだけど、会社が主催した講演会に草野仁が招かれた時に、彼が誰に質問されたわけでもないのに、いきなり自分からこの話を始めたのを覚えている。
そして「決して答えを教えてはいません。ただ、事前にその日のテーマはお知らせしています」と彼は言っていた。
「なるほど、そういうことか」と当時は思ったものである。
もちろん、いい意味ではない。
別に「やらせ」をしているとは思わないが、事前に知らせるテーマの中に例えば「次回はエジプトのピラミッドについて問題を出します」というのがあったとして、そのピラミッドについて書かれた資料かなんかを事前に渡して、それを黒柳徹子が一生懸命に覚えたとしたら・・・
問題が出るのは、その資料の中に書いてあることなので、ちゃんと覚えていれば答えられるし、覚えていなければ間違える。
黒柳徹子は、勉強熱心なので、事前に渡されたものには必ず目を通している。
簡単なことだ、と思ったわけだ。
現在、それをやっているのが「東大王」における山下真司だ・・・と勝手に思っている。
何だか長くなったので、最後に一つだけ。
笑福亭鶴瓶に関するものだ。
『笑わせることが下手。ものすごく単純な欠点であるが、単純なだけに「まさか」と思う心が、「鶴瓶はおもしろくない」という判断を先送りしている原因ではないだろうか』
鶴瓶を面白いと思ったことがほぼないのだけど、それをこのように表現していたことに驚く。
確かに、彼は人を笑わせるのではなく、むしろ笑われる側だ。
気の利いたことを言うわけでもなく、その都度ツッコミをされるが、うまい返しをすることもない。
何で、こういうおっさんが芸能界で重鎮みたいな立ち位置にいるのか不思議だ。
以上、ナンシー関の思い出でした。
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