老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

   むかし 昔

2020-04-29 13:32:24 | さみしいシニア


 パッチワークをしながら、かっての子供の頃の家族が履いていた下駄を重い出しながら、チクチクと刺した。(何年か前の作品)

母の下駄、兄の下駄、姉達の下駄、そして私のも。

      
    (私が子供の頃履いていた上履きに似ている)

皆、その頃は貧しかった。
小学校で冬になっても、教室では足袋や靴下のままで上履きを履いていない子も少なくなかった。

体操靴が上履きになったのは高学年になってからだ。
一年生の時は畳表の裏はタイヤのチューブを貼った草履、私は「あさぶら」と呼んでいた記憶があるけれど、そのあさぶらと称する草履を履いていたのはクラスでも少数で、草鞋を上履きにしていたクラスメートが大方だった。

そんな事をふと思い出した。暇だから。

今朝から頭が重い。熱を計った。平熱だ。
私は目下、コロナ鬱、コロナノイローゼに罹っている。

昔の子供時代を想い出すのも、それが関係をしているかもな。

     

何年か前訪ねた小学校。
この、二宮金次郎の像は小学校の校門をくぐると直ぐにある。

かくれんぼの鬼になると、この金次郎さんに向かって目を閉じて10まで数えた。
一杯、パイの想い出のつまっている金次郎さんだ。

何の苦労もなかった時代。
学校には、図書室が無く、おのおののクラスに学級文庫があった。
自分のクラスの学級図書は全部読み尽くし、他のクラスの本も読み尽くし、掃除当番の時は校長室の戸棚にある教科書を読みあさった。
教科書がたくさん並んでいた。他の県、国に使っている本だと思う。

校長先生は近所のおじさん。
私と眼が合うと黙って校長室から出て行った。
自由に戸棚のガラス戸を開けて社会や国語の本を読んだ。世界地図を見るのも好きだった。

そんな事が、今朝はボーッとした頭に記憶として甦ってくるから~、、
私に異変がおこる前兆でないかと思いながら、ブログを書いている。

最近は県立も私立も図書館は閉鎖中。
新聞の広告で読みたい本を本屋に注文をする。手元に届き、ページを開くが、いつの間にかうとうとと、、、
本は連れ合いが自分の机に持って行って積んでいる。読んでいる。


情けない!
今日も息をしていました。
家に籠もっておとなしくしています。
さあ 明日は何を想い出そう!


      👠     芙蓉咲くたらちねいつもちびた下駄



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする