老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

   渡し舟

2020-04-30 15:54:26 | さみしいシニア




ここは何年か前、西田利行の映画「夢を売る男」?
でロケのされた吉野川。

そこから10キロくらい上流の町が私のふる里。

今では、四国三郎、吉野川には何本もの大きな橋が架けられているが、私の子供の頃は、私の町と河を挟んだ隣町には橋が架かっていなかった。
(上流、野球の蔦監督で有名になった池田高校のある町、そして下流の養蚕で栄えていた町には大きな橋が架かっていた。)

それらの橋を渡るには何十キロも離れていた。

子供の頃は本が好きだった。
私の町には本屋が一軒も無く、本を買うには大河を挟んだ隣町へ行かなければならぬ。

写真のような河(水潜橋、この河幅よりもっと広い河の幅だったような記憶)に町の渡し舟があった。

両岸を太いロープが渡ってい、そのロープに繋がれた渡し舟を船頭さんが操る。
その頃の乗り物は自転車。自転車が14~5台くらい、人は30人も乗れただろうか。
河に底は浅かったように思う。

4~5分で渡りきれた、?もっと時間はかかった?

毎月、小学館の雑誌を買いに、お金を握ってこの舟に乗った。
月に一度乗るこの舟が楽しく嬉しかった。

夏は涼しいが冬は寒い。
舟を待つ両岸には大きな葉の付いたままの竹で編んだ風除けが設置されていた。
ビュービューとうなる川風、凩、今、耳を澄ますと聞こえるか?(うそ~)

寒いのは、気にならなかった。川面に湯気が立っていた寒い日の想い出もや河原で蒟蒻芋を蒸していた大きな釜を囲んでいた人の事が浮かぶ。
寒烏の黒い群が気味悪かった。
田舎町のはづれの渡し場。それでも懐かしい場所だ。まな裏に浮かぶ。

夏は日よけに、、、、灼けた石に座りこの竹の陰で向う岸から来る舟を待つ。
買ったばかりの本をちょっと拾い読みをしながら、、、

新しい月の雑誌を買う喜びが、いろんな苦労より、勝っていた。

一人でも客がいると船頭さんは、舟を動かしてくれた。
町の職員だったそうだ。子供の頃はそんなことには無頓着だった。
町に橋が架かり、渡し舟が廃止と決まった時、船頭さんが、学校の職員に転職すると聴いて、な~んだ!苦労をして舟を漕いでいた船頭さん、少しは楽になるのか?などと思ったことだった。


     


今頃だと、夜は青葉づくの声が聞こえるだろう。
家の縁側に出ると、最終の列車が鉄橋を渡の灯が見えた。

もっと深夜になると、吉野川の流れの音が枕辺まで聞こえる。

半世紀も前の子供の頃の記憶。
母ちゃん、姉ちゃん、みんな、あっちの国へ逝っちゃった。


     🎣     兄ちゃんは川釣り名人河鹿なく

     🎣     新妻を置いて今夜も夜振かな

     🎣     河鹿笛釣果なく日は傾ぶけり






コメント (2)
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