老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

いやだ~な~まったく

2016-12-16 22:35:42 | 俳句
     

もう みじめ惨めだ。
車が故障をした。
ドアのガラス窓が閉まらなくなった。
駐車場で窓を開けて駐車カードを入れたまではよかった。
窓を閉めようとしても窓ガラスが上がらない。
ガガガーと大きな音がしたそうである。
車屋へ修理に行くから、帰りが遅くなると電話があった。
それが昨日のこと。
師走で修理屋も忙しく代車は出はらって一台も無いので、車の窓を開けたまま運転をした。
身体がちぢみあがるほ寒かったと帰って来た。
ドアの部品が無いので、取り寄せます。
明日の午后二時頃に来て下さいと修理屋に云われたからと、夫は話す。

古いぼろっちい車はドイツの車。
壊れるたび、買った車屋でなけでば修理が出来ない。
そのたびに、車屋に車を預けて代車を借りる。
部品を、取り寄せるのに何日もかかることがある。
この代車の料金が馬鹿にならない。
修理代 + 代車代。
はずかしいけれど、愚痴が出る。
現役時代ならともかく、年金生活の今はこれがこたえる。
免許証を返して、車を手放す?
もう少し乗っていたい。
病院通いに欠かせない。
新車を買うか?
いえいえ、このぼろっちい車が困った困った古くなったと云いながらも愛着がある。

持ち主が齢をとると同時に、車も猫もみんな古くなった。

     

アメリカ生まれの 姫 は夜に写真を撮ると。目が真赤になる。
ご主人さまの悩みは知りません。我儘いっぱいにふるまっている。
美味しい餌でなくては、餌の皿の前に行って、ぷい と横を向いて食べようとしない。
あああ 、、  いやになっちゃった。

車の修理は終わった。
もう故障をしないで。

     💌  年詰る今年も赤字の文字踊る

川柳みたい。

     💌    冬霞巨船のやうな小豆島
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忙中閑あり の ひと時

2016-12-15 23:56:48 | 俳句


のっけから愚痴!
ストレスのはけ口は?
無理か?
はじめから一升しか入らない枡に目一杯の水が入っていたのに、一升二合、いや三合もの余計な水を入れようとした。
今日はネット俳句の締切日。
連歌の投句と重なる。
俳句の素直に単純、かつ季語偏重は解り尽くしている。
それが出来ない。これは深く考えては駄目。感動を思ったまま詠めばいいのだが、、、感動が、アッ これ俳句だとビビビとくるものにゆきあたらない。
連歌は「こつ」が呑み込めない。
難しい。お手上げである。
一升でも頑張ってやっと附いて行っていたのに、連歌にまで、触手をのばしてしまった。
途中で敗退をするのは簡単であるが、折角という気持ちとやはり背伸びをし過ぎたという反省がストレスとなっているようだ。
後二合、三合の水を入れる余裕は私の空っぽの頭の容器には無かったんだ。

日本一に骨のある先生だ。
妥協は一切ない。厳しい。

    

今日の栗林公園はとても綺麗であった。
もう紅葉は終わったと思って散歩に行く。良い方に期待が外れた。
残る紅葉がなんと美しいことであろう。

    

日本野鳥の会香川県支部探鳥会部担当監事の 川股氏 とお知り合いなれた。
公園で写した野鳥を観光客の人に説明をしていたところに出くわしたのだった。
彼は自在に鳥の鳴き声をまねる。いわゆる鳥語をまねる。
色々の鳥が彼の吹く鳥声に誘われて飛んでくる。

    

教えてもらって撮った カワセミ。
冬の カワセミ はふくら雀のように羽が膨らんでいると思う。

    

次は青鷺。
池や田圃の畦でひたすら身じろがずにいる鷺とは感じが異なる。
これも羽を膨らませて丸くなっている感じ。


川股氏 と歩きながら、現地でのマンツーマンの鳥に関する勉強をさせていただく。
机上で、鳥に関する季語に親しんでいたつもりであったけれど、底が浅いと思い知らされた。
追々、勉強をさせていただこうと思う。

    

日暮亭の庭も散り紅葉の美しいこと。
今日はお休みであった。

     

     🐣    小鳴と耳聡き人袖をひく

     🐣    返り咲くつつじの繁み地鳴きして

     🐣    萩枯るる霧吹で吹いたやうな雲

     🐣    紅葉散る鯉ゆつくりと潜りゆく


ブログを日記の代わりに書いて、少し何かを忘れて、ゆっくり眠ることができれば悩みも軽くなるかな。
公園で癒され、川股氏と探鳥をさせてもらい、これ以上幸せはないではないか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空っぽの頭 どうにかならぬか

2016-12-14 23:42:47 | 俳句
    

門入ダムの東側の湖畔にある石のモニュメント。
庵治石だと思う?
いかんせん、鑑賞眼が無い。曲線と直線の組み合わさった造形としか解らない。
大きな立派なモニュメントだ。
香川県は庵治石の産地。 イサム・ノグチ氏のアトリエの跡と作品、 流政之氏のアトリエと作品の数々。
新しくできた庵治の小高い丘の現代作家の石の彫刻。
芸術の興味のある人にとっては、香川県はいたる所に展示されている彫刻を訪ね歩いても何日もかかるほど、楽しいに違いない。

ダム湖に架る橋の上から下を見ると、この階段がある。
ダム管理に必要な建物に降りて行く階段だ。
幾何学模様に見えてシャターを押した。
昨今、廃虚ツアーが流行をしているようだけれど、探せばいくらでも現代のア-トとおぼしき何かがあるのに。
廃虚もいいけれど、現在を生きて息をしている物もいいよ。


    

階段を降りきると箱庭のような公園がある。
勿論、関係者以外はこの階段を利用することはできない。

      

いつ来ても、散歩をしている数人にしか出合わない。
こんなに秋は紅葉、春になれば、そうもう少しで椿のが咲く素晴らしい場所を知ってか知らずか、閑散としているのが残念だと思える。
少し上流といっても1キロくらいの場所にはキャンプの出来る設備がある。
そこには日曜日ともなれば親子連や職場の仲間であろうかバーベーキューをしている。

       

少し考えることがあって句づくりにならない。
ボーとしている。
猫は一日中寝てばかり。淋しい飼い主を慰めてくれよ~。
俳句、手芸、病院通い。
何か、世間から取り残されている。
広い世界と、コンタクトをとって何かをやらなくては、齢ばかりくっていきそう。
ブログを書いて自己満足をしていては世間が狭くなるばかり。

     🍒    冬木の芽明日のことは明日にせん

     🍒    行乞記など読み返す雪時雨

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

槙の実

2016-12-14 00:07:34 | 俳句
    ☆   よろこべばしきりに落つる木の実かな    富安風生

     

神社の境内を歩いていると、じゃりじゃりと小さな音がして、足の裏に何かを踏んでいる感じがする。
槙の実だ。
子供の頃、近くの古刹で遊んだ。
男の子が塀の屋根に登って、槙の大きな木に生っていた槙の実を採っていた。
あの槙の実が地面に落ちていたのに気が付かず靴で踏んでいたのだ。
地面に落ちて、何日もたっている。干からびている。人にも踏まれている。
中には青いエメラルド色をした艶々としたのもある。
が、子供の頃を思いだすには充分だ。
子供の頃は学校が終わって遊ぶ近所の仲間は女の子より男の子の方が多かった。
ター坊、かっちゃん、ケンちゃん、タアちゃん、セイちゃん。
昔、採った槙の実はもっと、黒ずんだ紫色をしていた記憶だけれど。
口にほうりこんだ気もするが、味の記憶は残っていない。
竹馬の友は今どこでどうしているのか?
女の遊び仲間は、年齢に関係なく二、三年に一度集まって、旧交を温めている。
学校の同期会よりずっと密度が濃く、次はいつ逢えるか楽しみだ。

      

この槙の木では、登ることは出来ない。
古刹の塀の傍にあったので、男の子達も採ることができたのだ。
槙籬があって一度、実を二~三粒採ったことがある。
俳句をやっていなかった五、六年前になるだろうか。
俳句はずいぶん情緒的になる。
その時は (あれ、槙の実だ)とくらいにしか思わなかった。
>風声さんの句はいいな。満身で喜びを表現している。

     💐    木の実降るよたれそつねぞ幼友

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藪椿

2016-12-13 00:46:13 | 俳句
  

藪椿を見つけた。
椿は春の季語。
季語にこだわることはない。
今、目の前に咲いているのは現前とした椿の花。
早くも咲いている椿を見て小躍りするほどうれしかった。
運動会の借り物競争で誰よりも早く借り物を見付けて駆け出すような気持ちと同じ。
以前は季語だの季がさなりにこだわっていたが、最近は見た物の感動を句に詠めばよいと、季がさなりを声高に指摘することは止めた。
遍路が春の季語だと、えらくいきまいて述べていた人がいた。
あえて秋遍路は淋しい秋の遍路として、詠んでもいいなぞと語っているのを聞いて、何と大きな結社の編集に携わっていながら、後ろ向きな事をとあきれた。
遍路は昨今は毎日見かける。
机上で一度も遍路の経験もなくて、季語が春と断定をしてしまうなんてもってのほかだ。
経験、云々は言い過ぎ。登山だってサーフィンだってやったことがなければ詠めないなんて事ではない。
ちょっと、この人の意見にかちんときただけ。
秋遍路だって、無理して淋しさを鼓舞することはない。秋だから淋しそうだと決めてかかって、そう詠みなさいだなぞと、、、臍がお茶を沸かしますよ。
椿は春の季語であるが、暖かい四国ではもう美しく咲いているのを見て少しばかり嬉しいときめき(興奮)を感じた。
そして季語がどうのこうのと、いらぬ事を云ってしまった。
そこで良い句が詠めれば、、だけれど、、、、、
ああ、難しいな~。

    🌺    昼暗き藪玉のやう椿咲く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする