老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

時間潰しに栗林公園へ

2016-12-21 23:15:46 | 俳句
  

   ☆    うたかたとなるまで鴨の漂へり    小澤克己

>水の泡のようになるまで、浮いている鴨と作者は見た。
そう思う。のんびりと、遠い国から海を渡ってはるばるときた鳥とおもえぬ落着きさ。
この公園の鴨には特にそのような感がする。敵もいず、景色の良い公園の池を謳歌しているようだ。

今日も栗林公園へ。

足の裏がもう半年も痛みが続いていた。
整形外科に予約を入れて三週間も経ってやっと診察の日となる。
診察をして、足の裏に痛み止めの注射を打って「はい終わり」
先生が指で押さえる踵の部分が歩くと痛かった。
「このような症状の人は多いんですよ」
炎症があり、歩くと痛い、、、
もっと早く診てもらえばよかった。
杞憂ばかりして、病院へ来るまでは、身体と頭が拒絶反応を起こしていて、車の中でため息ばかりついていた。
(病院は嫌 病院嫌と)

この病院は予約制で整形外科の評判が良く押すな押すなの盛況ぶりである。
しかし気が抜けるほどの結果であった。よかった。

待ち時間は予約どうりにゆかないので、病院の前にある、栗林公園の散策といおうか、時間潰しに行ったのである。
  

広い池の端から端へ飛んで移動をする。
残る紅葉が水面に映えて美しい。

        

緑の頭に白い首輪と白い羽、黄色い嘴の真鴨の雄はとても綺麗だ。

        

飛んできて着水した鴨の傍で、水飛沫をたて潜っている鴨のひと塊り。

        

池に張り出して群鴨池が見渡せる「瞰鴨閣」という建物。
群鴨池は鴨場であったことから、ここは冬に集まってくる鴨の様子をうかがう建物である。

春は桜、夏は菖蒲、そして悠々と泳いでいる鯉、春夏秋冬 いつだってここに座って公園を見渡すと殿さまの気分になる。

      💌    閑なる空を切りさき鴨翔る   

      💌    鴨を見る無心の時を賜れる

      💌    鴨池を巡る石橋そこここに


忙しい病院通いの合間に鴨をみて、少し心がほぐされた。
師走だというのに何も他のことに手づかずの一日であった。

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黒い水鳥を初めて見た

2016-12-20 17:17:52 | 俳句
  

毎日、毎日、自分でもブログのネタをよく見つけるものだと感心をする。
自分で感心をしては駄目か。。。。。

買物の途中にある大な溜池で何人かが、池に筏のような物を浮かべ、その上で何か作業をしている。
この作業台と思える物は何日か前に、ここを通った時はこちらの道路に近い辺りに浮いていた。
今日は大きな池の向う岸の方に移動をして作業をしているようだ。

以前この溜池の畔を歩いた時、大勢の人が野焼きをやっていて、この溜池を管理する組合があり、その人達が作業をしていると話すのを聞いたことがあった。
溜池では、鮒の養殖もしていると聞いた。

多分、この鮒を獲っているのであろう。
一年かかって育てた鮒の稚魚が大きくなったところで、全国か?香川県のみか沢山ある溜池に出荷をし、そこで三年間養殖をし、大き育った鮒が、初めて売り物になるのであろうか。

池には縦横にテグスのような糸?綱を張っていて鳥から池で飼っている鮒を守っているみたいだ。
買物の行き帰りに車の窓から見るだけであるから詳しいことは解らないけれど、そんなところであろう。

      
   
この池の端の方に鴨の群がいた。
その群の中に鴨より心もち大きい黒い羽に白い嘴の水鳥がまぢって泳いでいた。
鴨の仲間だと思っていたが、調べてみると「オオバン」と云う鳥である。
「クイナ」の仲間だそうだ。

      

悠々と泳いでいる。
この池で餌となる鮒を食べているのだろうか。
見えない場所で、網で囲って、養殖場の方へは行けないのだろうか?
羽があるから飛べる。その場合張り巡らしたテグスが役目を果たすのか・
興味深々だ。、私も好奇心が大せいだな~。

で、ブログの種があって、書いちゃったんだな~。

ちなみに、この瀬戸内海の海辺の県でどうして鮒が愛されているのか。
生活の知恵か? 溜池を有効に使う。
海の魚も鮒も好みと云うのかな。
私は鮒とか鯉は少し苦手だ。
子供の頃食べなれていた吉野川の鮎は、川魚でも好きであるが、、
昨今は天然の鮎はめったに食べれない。養殖の鮎をマーケットで買って食べている。
川苔の匂いのする香魚と呼ばれる、あの懐かしい味、それが食べたい。
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猫は我が家の宝もの

2016-12-19 21:41:44 | 俳句
       🐇     炬燵守る猫よお前も字が読めぬ

       🐇     目の薬あびるほど指し冬籠り

        

眼科の病院へ行く。
目薬をきらさぬ間に一度、診察を受ける今年は最後の目の検査。
悪くもなっていないが、良くもなっていない。
現状維持で良かったと思わなければならないけれど、病気の問屋だ。

車で帰る途中、リュックサックを病院の玄関へ忘れたことに気づく。
友達から、電話がかかって、スマホをとって後の行動が上の空。
車をだいぶ走らせてから、リュックと云えば良かったのだけれど、お財布を忘れたと夫に告げた。
車をユーターンさせた夫がどこへ忘れたか憶えているかと云う。
傘立ての傍辺り、、、、と云うと
あんたがリュックを置いて、どんどん行くから、リュックは僕が持ってきた。後ろのシートに乗せてあると云う。
そうそう、御免、お財布でなくて リュックだと云うと、、、
「もーん、いつもあんたの後は僕が忘れ物は無いか確認しているからよいようなものだけれど、何と人騒がせ」と叱られて、一件落着。

外出から帰るのを待って玄関へ迎えに出てきた猫ちゃん。
この猫ちゃんが我々夫婦の潤滑油になってくれている。
私だけでなく、夫にも加齢による失敗の数々があり、協力と助け合いでもって毎日が過ぎている。
二人とも、気にいらないことがあれば、聞こえよがしに猫に文句を言っている。
この猫ちゃんは夫婦の会話も理解ができるのか、適当に相槌をうって場を和ます優れものの賢い猫である。

       

階下でストーブのお守りをしていたけれど、いつの間にか二階まで追って来て私の椅子の下でうづくまっている。

目が見えない時はなぐさめになった猫ちゃん。
字が読めなくても、人間の心は読めるよと云っているようであう。




     

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困った時は栗林公園

2016-12-18 21:03:16 | 俳句
     🐢    萩枯るる白い殻なる蝸牛

    

何日間も鬱のような気分だった。
15日はネット投句の締切日だった。
連歌なる無謀な挑戦をしていて、「へぼ筋」だと指摘された中の一人であり、気分は最低であった。
俳句も駄目、歌仙も駄目の烙印を押され、気分転換に公園に行く。
一句でも出来ればとはかない夢を抱いて行ったが、所詮、無理無理とあきらめが先にたっていた。
探鳥会の方に出会い、世間は広い、私の知らぬ世界があると、井の中の蛙でハイクハイクと小さくおなりなさんなと一応は開きなおってみた。

鯉が泳いでいた。
スマートで綺麗な錦鯉とも?そこまでは高価ではないそうだが、私的には好きな色あいである。
冬の鯉、寒鯉と季語は浮かぶが、、、、

 

この日は何も浮かばない。
実葛の棚をしつらえている茶店も冬の風情。この辺りはいつも観光客が多いのだが、閑散として、秋より今の方が実葛が紅い色を増しているのに慰められた気がしたり。

       

萩が枯れている中庭。
残る紅葉で美しい公園でここだけは、冬枯れの少し蕭条とした雰囲気を醸していた。

夜、どうしても三句、投句をやらなければならない。
今回はビビビと感じることは何も無く三句揃えるのがやっと。
何回も何回もこの句は駄目これにしょう、いやこっちの句にしようと投句のやり直しをして、諦めて最後はやけくその開きなおりで投句をした。
締切時間にぎりぎりとなっていた。

その内の一句が、枯れ萩の場所で見た蝸牛が干からびて白くなっていたのを思い出して詠んだもの。

この公園は相性が良いといおうか、来るごとに知らず知らずの間に何かを拾っているのだ。
拾おうと思うのはどの場所でもどの時でも同じであるけれど、特にこの公園にはお助け神がいらっしゃる気がする。


あの句、この句と特にネット句会は公園で授かった句が多い。
少し鬱が晴れた。
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川島猛 美術館

2016-12-17 21:17:47 | 俳句
     

私はこの風景が以前から大好きだった。
春は桜、今時分は紅葉のドライブコース。
坂出に行くといつもの帰り道は この大越街道を通る。
高松市よりの垂水、オリエントモータースの跡地に開館をした川島猛美術館が年に一度~ニ度しか開かない作品展示会があると聞いたので、観に行った。

          

美術館からは瀬戸の海が真下にあり今日も小さな漁舟が何艘か見えた。
作品の何点かは海をバックに展示をしているのもある。
素晴らしいロケーションに建っている。

      

ご自分の作品の展示会場で、お客さまと言葉を親しく交わしながら歩いておられる氏は、現在85才だそうである。お元気でいらっしゃる。
川島氏は1930年香川県で誕生、
1954年武蔵野美術大学・油絵科を出て、1963年渡米
以来ニューヨークを拠点に住み世界的芸術家として活躍をする。

 

川島氏の象形文字を思わせる鮮やかな作品は、アメリカで高く評価された。
ニューヨーク近代美術館、日本国内の多くの美術館に作品が収蔵されているという。

      

沢山、展示されている作品の中で私が一番気に入ったのは  この乳白色をした作品。
シンプルな線で生命の誕生が感じとれる。
男と女の息吹がする。
深い哀しみが、、、反面でユーモアなおしゃべりが聞こえてくる。
アートには縁遠い私の感じはこのようなもの。
一枚の作品から十人が十のそれぞれの感銘をうければ、川島氏も満足なさることだろう。
川島氏の意図するところとかけ離れていたとしてもいいではないか。
俳句と同じ 1+1=2 ではないのが芸術。もっと無限を含んでいる。
しかし芸術とは難しい。

      

この作品なぞは前々から強く印象に残っている。

      


今日も恙なき一日が終わった。




    
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