Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

又「心神耗弱」か?いい加減にせよ!

2007-01-17 23:11:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

祖国日本にとり、21世紀は正に「事件事故の世紀」と申して良い程に、目を覆いたくなる様な事共が頻発しています。
そして今日も、その様な重大事態が大阪府下にて発生致しました。
本日午後、同府下の近畿日本鉄道駅近くの商店街に、祖母と共に買い物の訪れていた幼児が陸橋上より歩道に突き落とされる事件が起こり、瀕死の重傷にて夜になった今も集中治療室にて対処中。一命を取りとめたとしても、深刻な後遺症が残る恐れがあります。
犯人の男性容疑者は現場にて殺人未遂容疑にて逮捕されましたが福祉施設に入っていたとかで、このままですと心神耗弱を理由に不起訴か、裁判まで進んだとしても、不当に軽い量刑に終わる可能性があります。

思えばこの「心神耗弱」なる理由は、これまで多くの凶悪犯の裁判にて、被告弁護側に必要以上に安易に利用され続けて来た嫌いがありますね。
考えたくはありませんが、過去多くの殺人、同未遂や傷害、暴行などの事件にて犯行当時、被告に善悪を判断する能力が一時的に欠けていた、あるいは低下していた等で、不起訴、無罪、又は減刑などに至った事も少なからずある様です。
しかしながらこの症状、私は少し濫用され過ぎているのではとの印象を抱いております。

先年、同じ大阪府下にて若い姉妹が惨殺された揚句居所に放火された事件では、一審にて男性被告に犯行の計画性、そして残忍性を理由に死刑判決が下され、現在二審にて係争中ですが、この時も弁護側の控訴理由は「心神耗弱にて犯行当時、善悪の判断が不能だった」と言うのがそれでした。こうなると、被告側弁護士を罵倒したくなるのは私1人ではないでしょう。
最早この用語、被告弁護人の不当な減刑への口実に利用されている様な印象を免れないと強く思います。
こんな事が繰返されていては犯罪犠牲者、そして被害者の立場の援護はいつまで経っても立ち行かないと思いますね。
又、両件の被告はいずれも再犯。そうした病的な事案に対する行政の取り組みもまだ不十分かつ底の浅いものであると強く感じます。

この様な矛盾の背景には、60余年に亘って見直される事のない、矛盾に満ちた日本国憲法の問題も見え隠れします。同法の第37条にて「刑事被告人の権利」を詳細に規定していながら犯罪被害者の援護には一言も触れていません。終戦直後は犯罪人への不当な扱いに対応する必要があったにせよ、この様な偏った規定は当然見直しを受けるべきであります。

今回の件の裁判では、どうか無辜の幼児への凶行が、問題多い現代に見合った形にて裁かれる事を強く望みます。
少子化の時代、次代を担う子供達への犯罪はとりも直さず、祖国日本の国家に対する重大犯罪であると強く思いますので・・・。*(日本)*
コメント
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