各位お早うございます。昨日と今日の土・日曜、当地名古屋の天候は概ね曇りです。
ご存知の様に昨今も、芳しくない報道が多いですね。我らが立法府たる国会は福田新政権となった後も迷走し、不透明な政治資金の処理をめぐってもめていたり、国際安全保障貢献の一環であると言われるインド洋にての自衛艦船による多国籍監視軍の艦船への燃料補給等の今後を巡って揺れています。
国内に目を転じれば依然多い凶悪犯罪の発生、又地元三重の老舗菓子店をも巻き込んだ食品の表示偽装問題など、考えたくはないが祖国日本は本当に狂い始めてしまったのでは、との想いに駆られてしまうのも事実。
この様に我国を狂わせてしまった元凶は、先の大戦後より一向に見直される事のない理想民主主義と人心の荒廃に繋がる唯物史観の共同不法行為の果てであると私は見ていますが、日本人は本当は愚かにはなっていないはず。何とかこの良からぬ状況を叡智にて乗り切って頂きたいものであります。
さて今朝は、少しだけ明るい話題を載せて参ります。昨日と今日、当地名古屋は恒例の秋祭り「第53回名古屋まつり」の最中です。昨日の午後はJR名古屋駅付近より市中心部の栄地区へと向う郷土英傑行列の一部を目撃、曲りなりにもその一部を写真に収める事が叶いました。ほぼ例年通りの人出の様ですが、私の見ていた広小路通、県道名古屋長久手線の柳橋交差点の西辺りは少しゆったりしていた様に思います。
その一方で今日10/14は鉄道記念日。1872=明治5年のこの日、後に東海道線の一部となる東京新橋~横浜間の30km弱にて運行開始してからもう125年の歴史を積み重ねた事になりますね。この間、祖国日本の近代化の栄光の時代、先の大戦を初めとする昭和の15年戦争と言われた苦難の時代、そして新幹線を迎えての戦後の復興発展の時代を走り抜けて参ったと言う事でしょう。新幹線は今も日進月歩。今後の進行方向が楽しみな所でもありますね。
話を名古屋まつりに戻します。この祭典と鉄道も、実は接点がありました。
かつて名古屋の路面電車、名古屋市交通局市内線が健在だった頃は、毎年この時期に花電車の英姿を見る事ができた訳ですね。
名古屋市内線の終焉は1974=昭和49年春でしたので、当地にての花電車の最終はその前年、1973=同48年秋だった事になります。
私も記憶がありますが、電飾を全身に纏った花電車が複数にて続行運転する姿は夜景にとても映え、名古屋まつりの夜の楽しみの一つでもありました。
この花電車、名古屋ではありませんが実は今でも見る事が叶うのです。
当地当方の豊橋の街にて、東海地方ではここだけになってしまった路面電車、豊橋鉄道市内線が今日も元気に往来していますが、その中に名古屋市内線の残党が健在で、来週と言われる豊橋市の秋祭りに向けて、花電車の装いにて運行しているのです。
仲間の相次ぐ引退で今は1車だけになり、名古屋の様な複数車の続行運転は見られませんが、それでも場所を変えてのあの頃の華やかさが今も見られるのは喜ばしい限り。
この後拙画像掲示板か拙ブログ「トイレの雑記帳」にて画像をご紹介しようかと思います。
今朝の最後に今日、名古屋市博物館が名古屋まつりに因み、無料開放される由。この後拝観に参ろうかなどと思っている所です。*(日本)*
ご存知の様に昨今も、芳しくない報道が多いですね。我らが立法府たる国会は福田新政権となった後も迷走し、不透明な政治資金の処理をめぐってもめていたり、国際安全保障貢献の一環であると言われるインド洋にての自衛艦船による多国籍監視軍の艦船への燃料補給等の今後を巡って揺れています。
国内に目を転じれば依然多い凶悪犯罪の発生、又地元三重の老舗菓子店をも巻き込んだ食品の表示偽装問題など、考えたくはないが祖国日本は本当に狂い始めてしまったのでは、との想いに駆られてしまうのも事実。
この様に我国を狂わせてしまった元凶は、先の大戦後より一向に見直される事のない理想民主主義と人心の荒廃に繋がる唯物史観の共同不法行為の果てであると私は見ていますが、日本人は本当は愚かにはなっていないはず。何とかこの良からぬ状況を叡智にて乗り切って頂きたいものであります。
さて今朝は、少しだけ明るい話題を載せて参ります。昨日と今日、当地名古屋は恒例の秋祭り「第53回名古屋まつり」の最中です。昨日の午後はJR名古屋駅付近より市中心部の栄地区へと向う郷土英傑行列の一部を目撃、曲りなりにもその一部を写真に収める事が叶いました。ほぼ例年通りの人出の様ですが、私の見ていた広小路通、県道名古屋長久手線の柳橋交差点の西辺りは少しゆったりしていた様に思います。
その一方で今日10/14は鉄道記念日。1872=明治5年のこの日、後に東海道線の一部となる東京新橋~横浜間の30km弱にて運行開始してからもう125年の歴史を積み重ねた事になりますね。この間、祖国日本の近代化の栄光の時代、先の大戦を初めとする昭和の15年戦争と言われた苦難の時代、そして新幹線を迎えての戦後の復興発展の時代を走り抜けて参ったと言う事でしょう。新幹線は今も日進月歩。今後の進行方向が楽しみな所でもありますね。
話を名古屋まつりに戻します。この祭典と鉄道も、実は接点がありました。
かつて名古屋の路面電車、名古屋市交通局市内線が健在だった頃は、毎年この時期に花電車の英姿を見る事ができた訳ですね。
名古屋市内線の終焉は1974=昭和49年春でしたので、当地にての花電車の最終はその前年、1973=同48年秋だった事になります。
私も記憶がありますが、電飾を全身に纏った花電車が複数にて続行運転する姿は夜景にとても映え、名古屋まつりの夜の楽しみの一つでもありました。
この花電車、名古屋ではありませんが実は今でも見る事が叶うのです。
当地当方の豊橋の街にて、東海地方ではここだけになってしまった路面電車、豊橋鉄道市内線が今日も元気に往来していますが、その中に名古屋市内線の残党が健在で、来週と言われる豊橋市の秋祭りに向けて、花電車の装いにて運行しているのです。
仲間の相次ぐ引退で今は1車だけになり、名古屋の様な複数車の続行運転は見られませんが、それでも場所を変えてのあの頃の華やかさが今も見られるのは喜ばしい限り。
この後拙画像掲示板か拙ブログ「トイレの雑記帳」にて画像をご紹介しようかと思います。
今朝の最後に今日、名古屋市博物館が名古屋まつりに因み、無料開放される由。この後拝観に参ろうかなどと思っている所です。*(日本)*